after2.はじめまして

「ああ、あの子ですか? 実はご両親が事故で亡くなったみたいで……遠い親戚にあたるエラが引き取ったそうなんですけど、ずっとあの様子で」

 後日あの子どもが座っていた周辺の人たちに聞きに行ってみると、エラの近所に住んでいる女性がそう教えてくれた。エラはこの村の住人で、旦那さんと二人暮らしだ。二人ともとても優しい夫婦でだからこそ引き取ったのだろうけれど。

「とてもショックだったようで、心を開いてくれないみたいなんです」

「そうなんだ……」

 今日もまたあの樹の下でうずくまっていて顔を上げたかと思ったら遠くを見ている。この村にも子どもたちはいるけれど、その円の中に入って遊ぶ気配はない。エラたちも頑張って話しかけてみるものの、なかなか上手くいっていないらしい。

「そっとしておくのがいいのか……でもそれだとあの子を孤独にしてしまいそうで、どうすればいいのか……」

「……私も話しかけてみるよ」

「アリステア様……」

 寂しげな横顔を放っておくことなどできず、教えてくれた彼女にお礼を告げてあの樹の下まで足を進める。少し小高い場所にあるそこはそよ風が吹いていて、村の景色を眺めるのも丁度いい。

「こんにちは。隣座ってもいいかな?」

 そう話しかけてみたけれど、子どもはチラッとこっちを見ただけでまた顔を俯けてしまった。何かを喋ることもしなかったため、「失礼するよ」と一言告げて少し距離を開けて腰を下ろす。

 子どもはそのまま喋ることなく、私もまた無理に話しかけることはしなかった。ただそよそよと吹く風が髪を煽る。ふと見てみると子どもの髪に葉っぱが引っかかったみたいで、取ってあげようと手を伸ばしたけれど子どもが動いたのはそれとほぼ同時だった。伸ばしかけていた手を止めて、気付かれないように静かに引っ込める。

「この村には最近来たの?」

「……うん」

「どう?」

「……なんにもない」

「そう? 自然なものがたくさんあるけれど」

「だったらなんだよ」

 ものすごい言いようだ。喋ってくれたことに関しては嬉しいけれど、首都から来たのだろう、あまりこの村に魅力を感じていないようだった。確かに首都に比べてお店とかないし、そもそも建物自体も少ないけれど。でもそこがまたいいところなんだけどなぁと内心苦笑を漏らす。

「まぁでも徐々に素敵だってことをわかってくれたら――」

「うるせぇ話しかけんな」

「えぇ……?」

 ちょっと会話をしてくれる気になったのかな? って思ったんだけど突然のカウンターだ。驚いていると子どもが顔を上げてこっちに顔を向けてきた。というよりも、睨みつけてきたのだけれど。何か彼にとって気に食わないことを私はやってしまったのだろうか。

「っていうか、アンタ何。俺のこと可哀想とでも思ってんの?」

「ただ単に私が話したかっただけだよ」

「……うっざ」

 そう吐き捨てると子どもは立ち上がって今度こそはっきりと私を睨みつけてきた。

「知らねぇ大人が話しかけてきてんじゃねぇよ!」

「あ、待っ……!」

 子どもはそのまま走り去ってしまって私は呆然としたままそれを見送るしかなかった。取りあえずエラの家のほうに走っていってくれたみたいだから一安心だけれど。それにしても。

「……子どもとの会話って、難しい……!」

 この村にいる子は素直というか、ああいう口調の子は一人もいなかった。思ったことを口にするけれど、自分が悪いと思ったら謝るのも早い。あの子のあの様子を見る限りあまり素直ではないかもしれない。

 でもなぜかこの時私の頭の中はとても前向きだった。話に聞いた限りあの子はそもそも人と会話をすること自体避けていたようだから。暴言に近い言葉を吐かれたとしてもあの子が私と会話をしてくれたことには変わりない。

 それからというものの、私とあの子との戦い……戦いと言っていいのかわからないけれど、戦いが始まった。

「おはよう! 今日もいい天気だね!」

「うっぜぇー! こっち来るな!」

「近くに寄らないとこのまま私が大声で君に話しかけるけど?! それでもいいかな?!」

「うるせぇな! 田舎だからアンタの声が無駄に響いてんだようるせぇな!」

「今日も元気で何よりだよ!」

「こっち来んなぁー!」

 そんなやり取りを三日ぐらい続けていると、あの子は走って逃げることはしなくなったけれどその変わりジリジリと距離を推し量っている。まるで野良猫のようだなと微笑ましくなる。

「毎日毎日なんだよ……?! 暇人かよ!」

「おや、よくわかったね。そう、私は今暇人なんだよ」

「仕事しろよな!」

「ウッ!」

 机の上に広がっている書類を思い出して思わず胸を押さえる。こ、このあとちゃんとやるから。この子のことが気になって先にこっちに来てしまっただけだから、うん。

 ちなみにこの子とこういうやり取りを繰り広げるようになってから、村の人たちはみんな温かい目で見守っている。やっぱりみんな気にしていたようで、嫌がっているけれど元気に走り回っている姿を見てホッとしたようだ。

 ジリジリと距離を測っていたその子が急に駆け出して私の脇を通り過ぎようとしたものだから、私は手を伸ばしてその小さな身体を抱き込んだ。

「捕まえた!」

「離せーっ!」

「暴れたら危ないよ!」

「うるせーっ」

 子どもが暴れた拍子に振り上げていた拳が私の頬を掠めた。がむしゃらにもがいていたものだから手加減ができなかったようで、拳が当たった場所が少しヒリヒリする。

「あっ……」

「ほら、危ないって言ったでしょう?」

「うっ……うるさいっ……」

 大人しくなったかと思ったら急にまた暴れて、私の腕から離れた。

「ぼ、僕のことなんてもう放っとけよ!」

「そんな寂しいこと言わないで。仲良くしてたじゃない」

「うるさうるさいっ! お前みたいにいいとこのボンボンには、僕の気持ちなんてわかるかよっ!」

 そう吐き捨てた子どもは振り切るように走り去ってしまった。また暴言を吐かれたような気がしたけれど、それよりも子どものほうが気がかりだ。吐いたのはあの子のほうなのに、あの子のほうが悲しくてつらそうな表情をしていたのだから。


「その頬はどうしたんだ、アリステア」

 屋敷に戻ると開口一番にライにそう言われてしまった。まぁ、顔だからわかるよねと思ったけれどライの表情があまりよろしくない。子どもが見たら泣いてしまうよと苦笑を浮かべたけれど、ライの表情が変わることはなかった。

 最初にあの子のことをライに相談した時、ライも一緒に行こうと言ってはいたけれど見知らぬ大人二人が急に来られると怖いだろうと断った。それから私一人で行くようになって、頃合いを見計らってライも一緒に行こうということにしていたのだけれど。

 私があの子のところに行って顔に擦り傷を付けてきたのだから、ライはいい気がしないのだろう。掠ったところを優しく撫でてくれたけれど、ピリッとした痛みが走った。

「アリステア」

「うん……?」

「話は聞くよ」

「ありがとう……」

 一緒に部屋へ移動し、待っているように告げるとライは一度部屋から出ていった。言われた通り大人しく待っているとその手に塗り薬を持ってライは戻って私の目の前に座る。

「何かつらいことでも言われたか?」

 丁寧に塗りながら優しげな声でそう問いかけてくるライに、小さく頭を左右に振る。

「ううん……つらいのは、あの子のほうだ。あの子に言われてハッとした」

 もう少しで心を開いてくれそうだったというのに。

「私は生まれた時から恵まれていた。父も母も健在だし跡継ぎは姉上がなってくれた。周りには私を支えてくれる色んな人がいる。だから……あの子の気持ちを本当にわかってあげることができないんだ」

 この村で一緒に暮らしているとはいえ、私は貴族であの子は庶民だという現実は変わらない。この村の人たちはそういったことを何一つ気にしないで気さくに声をかけてくれるけれど、来たばかりのあの子はそうはいかないだろう。

 あの子にとっての貴族とは、首都にいる貴族たちのイメージだろうし。中には変わり者もいるんだよと言ったところできっと納得はしない。

「……俺は早くに母を亡くしているが、あの子どものように悲しむ時間などなかったからな」

「ライ……」

「そもそも父の落ち込みが酷くてそれどころではなかったんだがな」

 軽く肩を上げてそう言ってくれるライに、場の空気を少しでも和ませようとしているのがわかって私も小さく笑みを浮かべた。

「立場が違うから完璧に相手を理解するのは無理な話だ。だがな、アリステア」

 掠り傷に薬を塗り終えたライが顔を上げ、私の頬を撫でる。

「子どもの言葉に耳を傾けて、傍で寄り添うことはできるだろう?」

「……そうだなね、ライ」

「だから今まで通りお人好しなアリステアでいい」

「お人好しって、それって褒めてるの?」

「褒めてるよ」

 眉を下げながらも小さく笑い声を零すと、立ち上がったライが私の頭をその腕の中に包み込んだ。頭を撫でられ、背中を軽くポンポンと叩いてくれる。

「私のできることを、やってみるよ」

「ああ」

「ありがとう、ライ」

「どういたしまして」

 腕が離され顔を上げる。視線を合わせてお礼を告げれば格好良い笑顔が返ってきた。ライにこうして慰められるのは初めてかもしれない。いつもはわりと逆の立場のほうが多かったような気がするから。

 お礼に少し背伸びをして頬に口付けをすると「口じゃないのか」と苦笑が返された。

「まぁ、また同じことが起きれば俺はついていくからな」

「え……いい予感しないよ」

「子どもだろうと容赦するわけないだろ」

「やめてよ大人気ない」

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