28.まるで逆転劇だ
クレヴァー家で一泊することなく、すでに待機していた馬車に乗り込んだ俺たちは直様村へと戻った。沈んだ日が昇り始めようとしていた時間帯に辿り着いたが、気にすることなくアリステアの自室になだれ込んだ。
一度軽く眠り、ふと目が覚めた俺は隣でスースー寝息を立てて未だ眠りの世界に入っているアリステアの姿を見て緩く笑みを浮かべる。日はすでに真上に昇っているようだが屋敷の者はそっとしておいてくれたのだろう。陽の光が当たってキラキラと輝いているアリステアの髪をさらりと撫で、気持ち良さげな寝顔の額に口付けを落とした。
「……さて」
なだれ込んでしまったものだから、ベッドの周りには色んなものが散乱している。一応礼装だけは綺麗にソファの背もたれに掛けられているが、その他は一体どっちのものかのかわからない。俺は適当に拾い上げ取りあえず下だけ衣類を身に着ける。
ベッドの縁に座ったのと同時にドアがノックされたものだから、メイドの彼女がアリステアのために昼食でも持ってきたのだろうと返事をした。
「……え?」
「え?」
ところがだ、目の前に現れたのはメイド姿の女性ではない。
「きゃーっ?!」
「ハンナ令嬢……?!」
「うぅん……一体どうしたのぉ……?」
彼女の悲鳴で目を覚ましてしまったのか、健やかに眠っていたアリステアが目を擦りながらベッドからのそりと起き上がる。するとだ、肩にかかっていたブランケットがはらりと落ちて上半身が顕になった。
「きゃぁあああ?!」
諸々の痕がしっかりと残っている肌に、ハンナ令嬢は更に悲鳴を上げて手で目を覆い隠した。ただ若干指の間に隙間ができているため、恐らくそこから見えているはずだ。未だ寝ぼけているアリステアの肩にシーツをかけてやり、ハンナ令嬢の後ろから顔を出したメイドのノラに「少し待ってくれ」と二人には一度部屋から出てもらった。
「アリステア、まずは服を着よう」
「そうだね……うわぁぁ?」
ベッドから降りようとしたアリステアは床に足をつけ立ち上がろうとした瞬間、そのまま膝から崩れ落ちた。情けない声も可愛いなと思いつつ立ち上がれないアリステアに手を貸す。
「綺麗に崩れ落ちたな」
「本当だね。まるでこの屋敷に初めてやってきたライみたいだ」
「……それは、忘れてくれ」
「貴方でも腰が抜けるなんてことあるんだなぁって、なんだか可愛く見えちゃった」
「忘れてくれ」
なんだか先日から少し前のことをよく思い出すなと思いつつ、しっかりとその手を掴み立たせる。痛みが残っているのかあまり力が入らない腰に手を添えて、取りあえず落ちていた服を拾い上げアリステアに手渡した。
「ライ」
「なんだ?」
「着せてくれる?」
両手を広げにこりと微笑むアリステアに、一瞬目を丸くしたがすぐに笑みを浮かべ「仰せのままに」と彼の腕にシャツを通した。
「まさかまだ身支度を終えていないとは思っておりませんでした」
と、着替えが終わりハンナ令嬢が待っているであろう客室に二人で向かったら、メイドが開口一番にそう口にした。いやこのメイド、絶対にわかっていたはずだ。ジッと視線を向けてみるとしれっと逸らされた目がそれを物語っている。
そもそも最初から客人を客室に案内しておけばよかっただけの話だ。直接アリステアと会って話をしたいと言われても、わざわざ寝室に案内する必要などない。つまり、わざとだ。だがアリステアはそんなことに気付くことなくハンナ令嬢に笑顔を向けている。
「ハンナさん、来てくれてありがとう。今の時間帯に来たといことは急いで来たんじゃないの?」
「は、はい、そうですね」
まだ寝癖がついている頭で朗らかにそう口にするアリステアに対し、ハンナ令嬢の目が泳いでいる。ゆっくり服を着せようとしていたが令嬢を待たせるわけにはいかないとアリステアは急いで着替えた。よって襟元のボタンが止まっておらず首筋が見えている。恐らく正面に座っているハンナ令嬢からはそこにある痕が見えるのだろう。
俺は一度軽く息を吐き、アリステアの襟元のボタンを止めてやった。目の前から「ひぇっ」と何かを堪らえようとして失敗した声が聞こえてきたが、気付かないふりをする。
「ところでハンナ令嬢、急いで来たようだが何か用があったんじゃないのか?」
「あっ、コホン。失礼しました。オリヴィア様の使いで来ました」
「ああ姉上から……わざわざすまないね」
「いいえ。わたしもお二人に会いたかったので喜んで引き受けました」
ハンナ令嬢はオリヴィア嬢から預かったであろう書類を取り出し、今回の件について話し始めた。
そもそも俺は今クレヴァー家の使用人となっているため、テオドールは勝手にクレヴァー家に手を出したことになる。本来なら何かしらの責任を問うのは当たり前だ。だが今回はテオドールが一人でやったこととし、オリヴィア嬢はバシレウス家に責任を問うことはない、とのことらしい。
だがそれを聞いて俺は貸しを一つ作ってしまったと内心頭を抱えた。あのオリヴィア嬢が、なんのペナルティもなしに許すはずがない。しかも弟が関わったとなると尚更だ。今後バシレウス家はクレヴァー家からどんな無理難題を吹っかけられるのか。
「それと、アリステア様のことに関してバシレウス家当主様に報告したとのことです」
「ああ、私がアリスってことを姉上が話したということ?」
「はい。アリステア様とライラック様がご結婚なさるとなると、黙っているわけにはいかないとのことで」
「……オリヴィア嬢には本当にあらゆる処理をさせてしまったな」
「寧ろ姉上はそれを狙っていたんじゃないかな。テオドール殿の一件で、ライと私のことに簡単に口出しさせないようにしたんだと思う」
「……流石だ」
これで父は俺を簡単に呼び戻すことはできなくなった。今回の件でやらかした跡継ぎであるテオドールは尚更だ。
「ライラック様。オリヴィア様からバシレウス家に手紙を書けとのことです」
「承知した」
家を出てからまったく連絡をしていなかったため、向こうは俺の現状を何一つ知らない。よって突然オリヴィア嬢からアリスは実はアリステアで、元に戻るためにあらゆる偽造を施し田舎に引っ込んだ。ついでに俺はそんなアリステアを追いかけたという報告を受けただろう。今頃父は頭を抱えているに違いない。
だが父は、俺がどう足掻いても『アリス』のことを想い諦められないということを知っていた。だからアリスとの婚約破棄が成立し、その後の他の令嬢との婚約に踏み出せなかった俺に怒鳴り込んだ。
「そんなことになるくらいなら最初から手を離すなこの間抜けッ!」
勘当される直前に父に言われた言葉だ。惚れた相手すらろくに幸せにできないのかと、ああ見えて母を溺愛している父の激怒っぷりと言ったら。他の貴族から見たらその程度で勘当かと思うだろうが、バシレウス家にとってはそれは深刻な問題だった。
そんな俺から今でも変わらずアリステアを愛し、そして結婚するという手紙をもらったら父はどう思うだろうか。「よくやった」と褒めるのかそれとも「遅い!」と激怒するか。
「私からも謝罪の手紙を送るよ……」
「だがこれは俺の問題……いや、やっぱり頼む。アリステア」
「バシレウス公爵の心臓に負担かけたかもしれないからね」
どうやらアリステアも父のことを心配してくれているようで、彼のこういったささやかな気遣いを見る度に更に惚れてしまう俺がいる。
「よかったですね、ライラック様」
「ハンナ令嬢……君にも迷惑をかけてしまったな」
「いいえ! わたしは気にしていません! ただアリス様が亡くなったと聞いたライアック様はそれはもう魂が抜け落ちてしまったかと思うほどの落ち込みっぷりで他の令嬢のアピールに目もくれずただひたすらアリス様に対する後悔や懺悔で日々を過ごしているライラック様の姿を見ていてとても居た堪れなくなってついアリステア様のことを口にしてしまった、わたしのほうこそ謝らなければいけません。アリステア様には口止めされていたので」
「……え?」
「え?」
本当にハンナ令嬢か? と疑いたくなるほどの怒涛の展開だった。俺もアリステアも一瞬の出来事で思わず思考が停止する。なんだかとんでもないカミングアウトをされたような気がするし、とんでもないことを聞いたような気もする。
「アリステアに口止めされていたのか?」
「え、最初に引っかかるとこそこなの? 私としては他にもっと気になるところあったんだけど」
「はい。アリステア様には自由を謳歌したいからと、自分が男だということは黙っているようにと」
「うーん、それに関してはハンナさんは守ったんじゃないのかな? ライに教えたのって私が生きているってことだよね?」
「でもアリス様が生きていると教えるということは、自然とアリステア様が男だということを教えなければならないので……」
「ああ、そうか」
だからあの時ハンナ令嬢は教えてくれたのかと瞠目し彼女を見つめた。彼女が気を遣わなければならないほど落ち込んでいた自覚はあるが、アリステアとの約束を反故してまで教えてくれていたとは。一方アリステアは教えてしまったハンナ令嬢に対し納得したものの怒ることはしなかった。
「ねぇハンナさん。ライってそんな酷い状態だったの?」
「はい、それはもう。なんだかライラック様が纏う空気が重々しいというかどんよりしているというかジメジメしているというか。いつも毅然とした様子しか見ていなかったので驚きました。同時に、本当にこの方はアリス様のことを愛していたんだなと思いまして」
「それは、私が生きているのを見たら腰も抜かすね」
「えっ? 腰を抜かしたんですか?」
「忘れてくれ」
またもやあの時のことを掘り返された。もう黒歴史だ。だがあの時は本当に心から安堵したんだ。殺されたと聞かされ絶望して、しかしその実生きていてクレヴァー家の領地内にある村へ移動したのだと聞かされた。感情の起伏が激しくとても情緒不安定だったんだ。
「貴方って、本当に私のこと好きなんだね」
両手を口元の前で合わせ、嬉しそうに微笑む顔がとてつもなく可愛くて仕方がない。恐らくそんな横顔を見たハンナ令嬢も同じことを思ったのだろう、顔を紅潮させて何やら興奮している。まぁわからないでもない。興奮してしまうほど可愛らしい笑顔なのだから。
「当然だろう」
腰を引き寄せ耳に口元を寄せ、アリステアにだけ聞こえる声量で囁やけば可愛らしかった顔が真っ赤になりより一層可愛くなる。
一方、ハンナ令嬢は手で目を覆い隠していたが再びその隙間から覗き見しているのだろう。
「あああ、あの、あの、お二人はいつ式を挙げるんですか?」
「まだ詳細は決めていないんだ。でもそうだねぇ、ライは婚約者だと公言したし早い段階で挙げてもいいかもしれない。ああ、場所はこの村の教会にしようと思っているんだ」
「そうなんですね! あの、とてもおこがましいことだとは思うんですが……わたしも招待してもらってもいいですか? お二人の素敵な晴れ舞台をぜひ見たいんです」
「もちろんだよ! ハンナさんにはたくさんお世話になったしね。ね、ライ?」
「ああ、そうだな」
「本当ですか?! わぁ! 嬉しいです!」
本当に嬉しいようで、心から喜んでいるハンナ令嬢に対しアリステアもにこにこと笑みを絶やさない。こんなにも祝福してくれる人がいるという事実が嬉しくてたまらないのだろう。
そんな嬉しそうな顔をしているアリステアの顔を見て、俺の表情も緩む。本当に、あの時の絶望が嘘のようだなとメイドのノラが運んできた紅茶を受け取り礼を告げた。
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