27.この上ない褒美

 休憩室に入り扉が閉じた瞬間、その身体を抱きしめて目の前にある果実に齧り付いた。決して逃さぬよう腰に回している腕に力を入れ、後頭部に手を添える。

「ふっ……ん……」

 鼻から抜ける声に煽られ更に深く口付けると、アリステアは逃げることも拒むこともなく逆に応えるように絡めてきた。角度を変え何度も貪り最後に軽く啄めば、とろりとした目と合う。

「はぁ……情熱的だね」

「会いたかった、アリステア」

 力が抜けた身体を落としてしまわないよう、ぐっと更に抱き寄せて首筋に顔を埋める。襟のホックを外し口付けを降らせ、舌を這わせようとしたところ胸を軽く押された。

「この服、着るの大変だったんだよ?」

「……確かに大変そうだな。俺のためにわざわざめかし込んでくれたのか?」

「そうだよ」

 間髪入れずに返された言葉にグッと喉の奥が鳴る。そんな可愛い顔で、男心を擽るようなことはしないでほしい。

 休憩室はその名の通りパーティーで疲れたかもしくは体調を崩した時に休める場所だ。ゆっくりできるようにと護衛や付き人が中に入ることはできない、外で待機。だがそういうのもあってその名の通りに使われないケースも多い。

 さっきまでこれでもかというほど密着していたため、アリステアの腕は俺の首の後ろに回されている。そんな至近距離で見つめ合い、どちらかともなく再び唇を重ねた。

「帰ってくるの遅いから、迎えに来ちゃった」

「心臓が口から飛び出るかと思った。注目の的だったぞ」

「パーティーには興味なかったからライを見つけたらすぐに退室するつもりだったよ」

 そもそもアリステアは社交の場が苦手だ。だというのに俺の帰りが遅いからとしっかりとした礼装を身に着けわざわざ現れてくれたというのか。あまりにも健気で胸がギュッと締め付けられる。こうして俺はまた彼に落とされる。

 取りあえずなぜ今回のようなことになったのか説明しなければ、と備え付けのソファに互いに腰を下ろす。隣に座ってきたアリステアに思わずときめきつつ、事のあらましをざっと説明した。

「うん、こっちでも色々と調べたから大体のことは知っていたから、そういうことだと思った」

「流石はクレヴァー家だな」

「主に姉上が、だけどね。でも私はテオドール殿の気持ちがわからないわけでもないよ。私も弟で、上には優秀な姉がいるからね。そんな姉を差し置いて跡継ぎっていうのはちょっと……」

 テオドールの中で俺はどれほど評価されていたのかはわからないが、恐らく今回の件はアリステアのほうがその気持ちがわかるのだろう。彼は苦笑を浮かべて何かを思い出すかのように口を開いた。

「まぁ、私は絶対に当主にはなりたくなかったのと、姉上は絶対に当主になりたかったものだからクレヴァー家に関してはすんなりいったけどね。でもクレヴァー家は他の貴族と比べてちょっと変わってるっていうか、常識外れというか? そういうのがあるから、だからこそすんなりいったのかもしれないけれど」

「テオドールは諦めると思うか?」

「そうならざる得ないよ。だってライラック殿は私の『婚約者』なんだから」

 口角を上げ顔を近付けてきたアリステアは、俺の頬に軽くリップ音を響かせた。

 正直、「やられた」と思ってしまった。俺は存外にも単純な男だったようで、あの時アリステアから「婚約者」という言葉を聞かされて喜んでいただけだった。その実アリステアは俺がバシレウス家の跡継ぎにならないよう先手を打ったのだろう。

 流石はクレヴァー家。姉の手腕に目が行きがちだがアリステアもその家の血をしっかりと引き継いでいる。アリステアは確かに駆け引きなどは苦手だ。だが、だからこそ真正面から正々堂々と手を打ってきた。あそこまではっきりと言われてしまえば周りは戸惑い咄嗟に次の言葉が出てこなくなってしまう。

 そもそも俺は勘当された身で、そして今はクレヴァー家に仕えている身だ。そしてクレヴァー家の嫡男の婚約者となれば簡単に手出しはできない。

「きっとライのことだからテオドール殿のことを手酷く断るなんてことはできないと思っていたよ。貴方って根っからの貴族だからね。家のこととか今後の彼のことを思うと動きが鈍くなるだろうなぁって」

「……まさか君に言い当てられるとはな。貴族としての勘がだいぶ鈍っていたようだ」

「ふふっ、それだけ村に馴染んできたってことだね」

 嬉しそうに微笑む顔に、飢えた獣のように喉が鳴る。なんでそこまで可愛いのだろうか。三週間近く会っていなかったせいで自分でも思っている以上にアリステアに飢えていたようだ。それ以上会わない期間なんて前にもあったはずなのに。

 そんな俺を見越してアリステアは俺の頬に手を添えると「よしよし」と宥めてくる。獣使いだ。

「私たちは村に帰ろう?」

「大丈夫だろうか」

「あとは姉上が動くらしいから。楽しそうにしていたよ、姉上」

「……バシレウス家が心配になってきた」

「あははっ、大丈夫、手加減はしてくれるさ」

 あの弟思いでだというのに素直ではない姉が、面倒事引き起こそうとしていた従兄弟に手加減などするだろうか。

 だが俺も現金なもので。テオドールの心配もそこそこに軽くアリステアの身体をソファの上に押し倒した。クスクスと楽しげに笑うアリステアにこちらも自然と笑みが浮かぶ。

「ライが服を着させてくれるの?」

「……装飾が外れてどこかに飛んでいきそうだな」

「脱がすのも大変そうだから、大人しくここは帰ろうよ」

「それもそうだな」

 残念だと肩を軽く上げ、アリステアの腕を引っ張り身体を起こさせる。俺としてはアリステアとたんと堪能したいが、今この場では難しい話のようなので一度は諦めることにした。

 それにしても、とソファから立ち上がるアリステアの姿を上から下まで吟味する。アリスの時も美しいとは思っていたが、同性だというのになぜこうもアリステアは美しいのだろうか。盲目になっている自覚はあるが、この礼装を仕立て上げるよう指示を出したオリヴィア嬢に礼を言いたい。

「どうしたの? ライ」

「いいや。よく似合っているよ」

「そう? 実は男性の礼装を着るのが一つの夢だったんだ。こう見えて大喜びなんだよ、私」

「ああ、わかるよ」

 ずっとドレス姿で窮屈だっただろうから、着たかった服を着れて喜んでいることぐらい俺もわかっている。アリステアのそんな顔を見ることができてここ数日の苛々がスーッと抜けていくようだった。

「にしても。なんで男物の礼装なのにエロく見えるんだろうな」

「……へっ?!」

 俺の言葉にサッと赤くなる顔に表情が緩んでしまう。さっきこの部屋に入った瞬間あんなにも情熱的なキスをしたというのに。不意打ちに弱いのか。それならばその顔見たさにまた同じことをしてしまうと内心ほくそ笑む。

 俺の言葉でコロコロと表情を変えるアリステアが愛おしくなる。正体がバレないようひたすら距離を開け無表情を貫いていた『アリス』、彼女も美しかったがきっとあの時こうして表情を変えることができれば更に綺麗だったのだろう。

 社交パーティー、そして休憩室。それだけで苦い記憶が蘇る。彼女のことを知りたくて、跡継ぎのことなど頭の隅へと追いやりひたすらアリスの愛情を求めていた。結局は俺の空回りで婚約破棄が成立した途端、彼女は美しい笑みを浮かべて俺の前から去った。

「思い出してる?」

 アリステアもこの状況下で同じことを思い出したのか、俺の頬に手を添えそう問いかけてくる。

「夢みたいだ」

 あの時とは違って婚約破棄をするどころか相手から「婚約者」とはっきり言葉にしてもらった。自由を手に入れ安堵していた彼女ではなく、好奇の目に晒されるとわかっていながら俺のために再び社交の場に戻ってきた彼。去りゆく背中を眺めるだけで何もできなかった時とは違い、今はこうして俺の隣に座って寄り添ってくれている。

 夢のようだ。こうなるとは思いもしなかった。以前の俺はアリスが本当は男でアリステアだという名前だと予想することなんてできなかっただろうし、勘当されてまで愛しい人の姿を追い続けるだなんて当時の俺が聞いたら若干表情を歪めるかもしれない。まぁ、最終的には納得するだろうが。

「夢じゃないよ」

 微笑んで頬に口付けを落とすアリステアに、小さく顎を上げた。楽しそうにクスクスと笑い声を溢した彼は今度は唇に落としてくれる。

「あの時の私って結構貴方に酷いことしたね」

「ああそうだ。だから慰めてくれ」

「ふふっ、もう十分慰められたんじゃないの?」

「あれだけで足りるとでも?」

「貴方って存外むっつりスケベだなぁ」

 アリステアからそんな言葉が出てくるとは思いもせず、つい目を丸めればアリステアの笑顔は更に深くなるばかりだ。そして俺の要望通りにまぶたや鼻、頬に口付けを落とす。さっきは顔を真っ赤にしていたくせに、と笑みを浮かべた俺は腰を抱き寄せて右手だけラインに沿って滑らせていた。

「こら」

「なんだ、バレたか」

「バレないと思っていたほうが驚きだよ。だから、大変だったんだってこの服。それに姉上やグレイソン……ああ、グレイソンはクレヴァー家の執事なんだけど。彼らがとても喜んでくれたんだ」

 だから綺麗な状態のままで残したい、と続けられた俺に俺は降参した。この礼装を準備してくれた彼らの気持ちも痛いほどわかる。きっとこの上なくアリステアに似合うと思って手掛けたのだろうから。

「アリステア、さっさと帰ろう」

「さっきまでいかがわしいことしようとしていたくせに」

「ここでは落ち着いてできない」

「正直だなぁ」

 アリステアの腰から手を離しソファから立ち上がり、彼の手を握りしめて歩き出せば後ろから大人しくついてくる。

 前は去りゆく背中を眺めているだけだったが、今回は二人並んで共にこの部屋から外へ向かって歩き出した。

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