26.これがサプライズというやつか

 従兄弟であるテオドールとはそうよく顔を合わせていたわけでないが、それでも彼は俺を兄のように慕ってくれていた。遊びに来た時はほぼ一緒にいたし、俺の後ろをよくついてくる子だった。

 だからそんな従兄弟から手紙をもらったとなったら、一応確認しないわけにはいかないとバシレウス家の別館、テオドールが居住しているところへと向かったのだが――それが間違いだった。

「ライラック兄上、僕は今でもあなたこそバシレウス家の当主に相応しいと思っているんです」

 そう口にすればこの行いが許されるのかとひとりごちた。彼は俺を屋敷に招き入れたものの、そこから出すことはしなかった。軟禁かと睨みを利かせたがその自覚があったようで、けれどそれが最終手段だったと言わんばかりに頭を下げられ「出すことはできません」と告げられてしまった。

 テオドールは俺より年下だが、従兄弟とはいえバシレウス家次期当主に選ばれた男だ。頭の回転も早く賢く貴族らしく強か。俺が外との連絡が取れないようにあらかじめ準備をしていたのだろう。せめて手紙だけでも送ろうとしたがそれはすべて握り潰され、そして俺の知らないところで燃やされ処分されたのだろう。

 予定ならばすでに村に戻っている頃なのに、今頃アリステアが心配しているに違いない。それと同時に俺だってアリステアが心配だった。いつも朗らかでのんびりしているものの、もし前のように盗賊でも入ってきたりしたらアリステアはまた己の身体を張って村人を守ろうとしてしまう。そんなことが起きてしまえば今度こそ俺は間に合わない。

「テオドール、俺はもうバシレウス家の人間ではない。だからお前が跡継ぎに選ばれたのだろう?」

「僕は未だにそれに納得できません。ライラック兄上は誰よりも優秀であったはずなのに……あなたが、ある時期を境に変わってしまったから……」

 屋敷内なら多少の自由は許され、また食事も運ばれてくるため衣食住には困らない。ただここ最近ずっと村の野菜で慣れていたため、久々に食べた首都の食事は味が濃いような気がしてなかなか飲み込めなかった。胃にも重いし食べる以上に運ばれてくるため完食もできない。この状況を見たらアリステアは憤りそうだ。

 そういう意味では、テオドールが言う「変わった」という言葉は合ってはいると運ばれた紅茶に口をつけながらテオドールの言葉に耳を傾ける。

「兄上が変わってしまったのはアリス令嬢の一件があってからです。あれからあなたは変わってしまった……亡くなった人間を今でも想っているとでもいうのですか? 亡くなった人はどうやっても還ってはきませんよ。いなくなっても、こうして未だに兄上を縛り付けるだなんて僕にとって彼女は厄介でしかありません……」

「テオドール。大切な人を侮辱されて俺が黙っているとでも思っているのか」

「い、いえ……」

 まだ何か言いたいことがあったのだろうが俺が言葉を強めれば大人しく口を噤んだ。確かに俺は彼女と関わるようになって変わっただろうが、それは何も『アリス』が亡くなったのが原因ではない。そもそも初めて『アリス』と出会ってから俺は変わったのだからテオドールの言葉は見当違いだ。

 それに、確かに『アリス』は亡くなったことになっているが、俺が惚れている一人の人間は未だに健在だ。まぁ二人の考えた策をテオドールが知っているわけではないためそういう考えに至るのは仕方のないことだが。

 だがここで俺が『アリス』と『アリステア』が同一人物という本当のことを口にすることはできない。そうすると恐らくその地位が危うくなるのはオリヴィア嬢だ。彼女は弟との自由のためにあらゆる偽装を施した。アリスなど存在していない妹を養子だとでっち上げ、その死亡も虚像している。それが明るみになればクレヴァー家はどうなるかわからない。

 俺はアリステアのことを愛しているが、もちろんアリステアが愛しているクレヴァー家を俺も大切にしたい。今の俺は微力だろうが少しでも彼らの支えになりたかった。

 しかしここで俺がどう動いても、事態が悪いほうへ転がる想像しかできない。無理にこの屋敷を出ようとすれば恐らく今度はアリステアが大切にしている村まで押し寄せてくる。手紙が届いたということはハンナ令嬢とやり取りをしていたことがテオドールに知られてしまったからだ。裏から色々と探せば俺の居場所など簡単に割り出すことができたのだろう。

 だからと何度もテオドールを説得しようと試みてはいるのだが、なぜかテオドールは俺の言葉に頷いてはくれない。返ってくる言葉はいつも一緒だ。

「僕にはあなたの助けが必要なんです」

 そんなことないと何度言ってもテオドールは首を横に振るだけだ。なぜ優秀なテオドールがそこまで俺に固執するのかがわからない。本家の跡継ぎになるということは、本来なら喜ぶことだろう。これがオリヴィア嬢だったらきっと高笑いをして喜んでいたに違いない。

 そうして何とか打開できないかと試行錯誤をしていた日々を過ごしていたら、だ。テオドールは今度はとんでもないものを持ち出してきた。

「婚約者を決めたらどうですか? アリス令嬢がいないのですから何も負い目を感じることはないですよね」

 こいつは俺の言葉を聞いていたのかと疑いたくなった。アリスとアリステアが同一人物とは言えない代わりに俺には大切な人がいる、今でも俺が帰ってくるのを待っていると言ったはずなのに。テオドールは令嬢の情報が書かれている紙を俺に差し出してきた。

「テオドール、お前いい加減に」

「今度パーティーがあってその令嬢も参加するようです。兄上が断ると困るのは僕なんです」

「テオドール……」

 確かに面目が立たなくなるのは次期当主であるテオドールのほうだ。それがバシレウス家の評価へと繋がる。

「会うだけでいいので」

 退路をじわじわと塞いでくるのが実に上手い。だから跡継ぎになったのだろうがなぜそれを俺相手に発揮する。未だに紙を受け取らない俺の手を取り、テオドールはその紙を無理やり持たせてきた。そして言うだけ言って俺を軟禁している部屋から出ていった――準備はこちらでするので、という言葉を残して。


 無駄に凝っている装飾に視界が眩む。軟禁状態になる前はずっと自然豊かな場所にいたため思わず表情を歪めた。

「流石、似合っていますね。ライラック兄上」

「……テオドール。お前が何を言おうと勘当された俺が跡継ぎになることなど決してないし、俺も戻る気はない」

「僕が当主様にお願いしますよ。それに、社交という世界の他に兄上の生きる場所なんてあるんですか?」

 ある、と言葉にする前にまるで答えを拒むようにテオドールは直様会場へと向かって行ってしまった。一つ息を吐きその後ろ姿に続く。今更俺が社交界に顔を出したところで噂のネタになるだけだ。言い寄る令嬢もいないだろうしテオドールのサポートになるどころかお荷物になるだろう。それがわからない彼ではないだろうに。

 取りあえずテオドールの望み通り令嬢に会い、あとは適当な理由をつけてさっさとこの会場から去ってしまおうともう一度息を吐き出した。

 中に入れば早速あちらこちらで貴族同士の腹の探り合いだ。こういう世界だったなと思いつつ、俺もこちら側の人間だったはずなのにもう遠い過去のようだ。今はこの場所よりも自然豊かな村のほうがずっと過ごしやすく息もしやすい。黙ってテオドールの傍に立っていれば令嬢の視線を受けることはあったが敢えて気付かないふりをした。

 主催者の挨拶があり、音楽が鳴る。ホール内がいつもより随分と騒がしいような気がしたが、こういった場所が久々のためそう思うだけかもしれない。ただ壁の一部のように立っていたが、ふとまるで『アリス』のようだと内心笑みを溢した。彼女も気配を消すのが上手かった。

 アリステアは、元気でいるのだろうか。またあの綺麗な肌に傷などを残していないだろうか。俺がいない間に誰かが村にやってきてアリステアにちょっかいを出していないか心配になってくる。

「……会いたいな」

 ぽつりと溢した言葉はこの賑やかな会場内では誰の耳にも届かなかった。

「テオドール様~! お久しぶりですわね!」

「こんばんは、デイジー嬢」

 お淑やかさなど一切なく騒々しく声を張り上げてやってきた令嬢が、テオドールが婚約者にと薦めていた令嬢だろう。よくこのような令嬢を充てようとしたものだ。まったくもって俺の好みではない。

 窘めようともせず令嬢に笑顔で返すテオドールに訝しげながら、ふと視線を向ければ令嬢の父親が品定めをするかのようにこちらを見ていた。恐らく勘当されたことであらゆる噂が立ったのだろう、利用できるかどうかという考えをしているその目に内心舌打ちをする。

「ライラック様もお久しぶりですわ! 一時期姿が見えないようなので心配しておりましたのよ?」

 そういえば以前こういう顔に話しかけられたような気がすると記憶を掘り起こす。だが例え勘当される前に会っていたとしても、あの頃すでに俺の心は一心にとある人を求めていたものだから他人に関心どころか興味すら抱かなかった。よって、久しぶりだと言われても俺には判断できない。

「それにしても……ライラック様、格好よくなったのではありません? なんだか勇ましさが増したような気がしますわ」

「お世辞でも嬉しいですよ、令嬢」

「嫌ですわ! わたくし本心を言ったまでですわよ? もう~素直ではありませんのね、ライラック様ったら。でもわたくし……そういう殿方好きですわ」

「そうですか」

 だからといって俺は相変わらず令嬢に興味がまったく湧かないわけだが。だというのに何を勘違いしたのか頬を染めて俺のほうに触れようと手を伸ばしてくる。その瞬間ゾッと鳥肌が立った。

 そして咄嗟に払い除けようと手を動かした時だった。

「こんばんは、バシレウス公爵」

 突如聞こえてきた声にバッと顔を上げ視線を向けた。まさか、苦手としているこの場所に現れるはずがない。そう思っているのに相手は目が合った瞬間わずかに笑みを浮かべた。

 けれどそれも一瞬のことで、まずは顔を立てるためか跡継ぎであるテオドールに挨拶をしている。だがそうしている間、俺は情けないことにずっとその姿に見惚れていた。

 アリステア・クレヴァーとしてこのパーティーに参加したのだろう。よって彼の格好は無論ドレス姿などではない。白をメインに青いラインで縁取られている礼装は、まるで彼のためだけに存在していると言わんばかりだ。洗練された所作に美しい中性的な顔立ちだというのにその身体は決して華奢ではない。

 アリスの時でも高嶺の花だったというのに、無表情だったアリスの時とは違い微笑みを浮かべるアリステアは会場の注目の的だった。好奇の目に晒されているものの、アリスとしての経験があるからか彼は決してそれに臆することはない。

 色々と聞きたいことがあったが、今この場で聞くのは得策ではない。そうして様子を見ていたところ愚かな女がとんでもないことを口にした。いつ、俺がお前の婚約者になったというのか。

 米上に青筋が浮かんでいるのがわかる。思わず感情のまま口を開こうとした瞬間。

「ライラックは私の婚約者なんだけどな?」

 我が耳を疑ったが、俺の腰に回された手と肩に触れる頬の熱が伝わり現実だということを教えてくれた。

 あれだけ婚約破棄のために躍起になっていたアリス。

 「婚約」という言葉が貴族の成約のようで嫌だと言っていたアリステア。

 それなのに、俺を助けるためにそう言葉にしてくれたアリステアに言いようのない喜びが湧き上がってくる。

 それからというもののあの親子の間抜けな顔と言ったら。クツクツと喉を鳴らして笑っているとすぐ傍にいたアリステアは気付いたのだろう。同じように楽しげな表情を浮かべ俺と肩を並べて歩き出す。テオドールには悪いことをした、とは思わない。俺は彼の言葉に何一つ納得もしなければ了承もしなかったのだから。

 触れ合った箇所がどこもかしこも熱い。ずっと会いたいと思っていたせいか、実際アリステアを目の前にすると自分の激情を抑えることが難しかった。

 取りあえずひと目のつかないところへ。尚且二人っきりになれる場所へ。休憩場を提案すればアリステアは笑顔で快諾してくれた。

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