24.嵐の前の静けさかな?

 姉上が短い休暇を心置きなく楽しんだあと、別れを惜しむ間もなく颯爽とクレヴァー家の屋敷へと帰っていった。服の仕立てはどうやら向こうでするらしく完成したらこちらへ送ってくるとのこと。

 休暇中は私も仕事について色々と言われるかと思いきやそんなことはまったくなかった。ただ村の中を探索し不備がないか確かめ、問題なしと判断して今後とも私に任せるとだけ口にした。それと、なぜか痛み止めの薬を少々頂いたのだけれど。

「どうせ腰が痛くなるだろう」

 その理由を明確に言葉にすることはなかったけれどあの時の姉上の顔といったら。私はまたからかわれたんだとわかったけれど、それでも赤くなる顔はどうしようもなかった。ただその時姉上と二人でお茶していたからライに見られることがなくて不幸中の幸いだったけれど。

 姉上が去る時は少し寂しくは思ったけれど、また手紙のやり取りをすればいいし今度はこちらから遊びに行くのもありだろう。楽しみにしていてくださいねと別れ際に口にすると「土産を持ってこい」と一言返された。やっぱり姉上は素直じゃないと笑みを浮かべるしかない。

 それから首都のほうで騒ぎが起こることもなく、また村のほうも平凡な日々が過ぎていく。何事もないのが一番だよと品種改良に勤しんだりまた村の人たちの手伝いをしたりと、私も何気ない日々を送っていた。

「アリステア、少しいいか」

 そんな中、自室にいるとライの声が聞こえて返事と共に振り返る。最近ではライが「部屋を一緒にしたい」とごねだしてちょっとその対応に追われていた。ライ曰く「想い合っているのに別々の部屋とはおかしくないか?」とのこと。

 いやいや、私たち『婚約』していた時も同じ部屋どころか同じ屋敷にすらいなかったのに。と正直最初に思った感想だ。前回の『婚約』の件があったが故に私はそういう発想に至らなかった。想っているから傍にいる、というのはわかっているくせに。

 そういうこともあって今回もその件でやってきたのかな、とは思いはしたもののどうやらライの様子がいつもと違う。どうやら明るい内容でもなさそうだと私は部屋の中に招き入れ椅子に座るよう勧めた。

「何かあった?」

「……ああ。言うかどうか迷ったが……知らせておいたほうがいいと思ってな。これなんだが」

 差し出されたのは一通の手紙。そして送り主はライの実家――もとい、バシレウス家だ。どうして勘当した息子宛に手紙を送るのか、という疑問が真っ先に思い浮かびライに視線を向ける。その考えは彼も同様だったらしく最初は手違いだと思ったらしい。

「内容を確認したが……どうやら一度戻ってきてほしい、とのことだ」

「それは当主から?」

「いいや。前に跡継ぎになるために従兄弟が養子になると言っただろう? その従兄弟からだ」

 となれば未来のバシレウス家当主からということになる。そんな人物からの今までなかった手紙が送られてきたとなると考えられるのは、何か向こうで問題が生じたということ。

 私も姉上からある程度貴族の情報をもらってはいるが、そんな問題が起こるようなことはなかったはずだと顎に手を当て思案する。勘当された彼を呼び戻すぐらいだから余程のことだろう。しかし次期当主が頼りたくなるほど彼は優秀で、そんな彼の知恵を借りたいのかもしれない。

 視線を上げ彼と目を合わせる。これは彼の問題で私が口出しできることではない。

「ライはどうしたい?」

「……一度、戻っていいか。すぐここに、アリステアの傍に帰ってくるから」

「貴方の決断を私は否定しないよ。ただ何が起こるかわからないから……気を付けてね」

 そんな大事にはならないけれど、でも社交界では何が起こるかわからないから。どうか怪我をせずに帰ってきてと口にすれば彼は緩やかに微笑み、私に腕を伸ばし包み込んできた。


 移動に時間がかかるとはいえ、ライがバシレウス家に向かってもう三週間は経っている。移動中何かあったのかという心配は実はあまりない。ここのところ天候もよかったしこう言ってはなんだけど田舎道までわざわざやってくる盗賊もほぼいない。そういうわけで私が心配しているのはまた別のところにあった。

 向こうに着いたらライも手紙を出すかなと思ったけれどそれもない。ということで私は素早く姉上に手紙を出して何度かやり取りを繰り返した。

「ノラ」

 彼女を呼び出すと恭しく頭を下げる様に小さく苦笑を漏らし言葉を続ける。

「少しの間不在にするけれど、その間ここを頼んでいいかな」

「お任せください」

「うん。こっちに何かあった場合すぐに戻ってくるから」

「承知致しました」

 長い間不在にするわけではないし何か危ない目に合いに行くわけでもないから、護衛であるディーンとフィンは村の警護のために残ってもらうことにした。まぁそれを頼みに行ったら二人ともすごい渋い顔をしていたけれど。でもなるべく早く戻ってくるからと宥めて直様出立の準備をした。


 予想していた通り道中何か起こるわけでもなく、すんなりと目的地まで辿り着いた。前もって手紙を送っていたおかげで私が現れたところで誰も驚かない。部屋へ案内をされてドアが開けば目の前には書類と向き合っている姉上の姿。

「もっと早く来ると思っていたんだがな」

「これでも早く来ましたよ」

「フン、もっと焦れているかと思っていたがどうやらのんびり屋だったようだ」

「彼を信じているので」

「向こうがそれに応えられているかどうかだな」

 いつも向かっている席から立った姉上は、来客用にと設置してあるソファに座っていた私の元まで一枚の紙を持ってやってきた。そして手渡された紙に素早く視線を左右に走らせ内容を確認する。どうやら姉上とのやり取りで書かれていた『噂話』とやらは、あながち嘘ではないらしい。

「バシレウス次期当主はどうやら自信がない坊やらしいな」

「必死なんですね、彼も」

「私なら大喜びだがな。跡継ぎになる者がいなくなり、白羽の矢が立ったのが自分となると。元跡継ぎに『よくやった』と言いたくなる」

「姉上が特殊なんですよ」

 苦笑を浮かべると姉上は勝ち気な表情で鼻を鳴らした。ある意味私たちと状況が近いような気もするけれど、私と姉上とは互いに利害の一致があったため揉めるようなことがなかった。けれどそれもある意味特殊なのだろう。

 だから、他所の貴族がそうであるとは限らない。跡継ぎ問題で家が衰退してしまうことだってあるし、大なり小なり何かしらの問題が起きる。自分こそ跡継ぎに相応しいと思うものもいれば、その逆に自分は跡継ぎに相応しくないと思う人間だっている。姉上は圧倒的前者で、私は後者だけれど。

「さて、どうするアリステア」

 ここに来た時点で答えはわかっているようなものなのに、いじわるだなと笑みを浮かべる。

「迎えに行ってあげようと思います」

 信じて大人しく待っていようと思ったけれど、でもそれは彼自身自由が利く身であればの話だ。もし自分の意志で帰ってこなかったとなるとそれはそれで話が変わってくるけれど。一応一度はちゃんと話を聞いたほうがいいだろう。

 どちらにしても迎えに行くことには変わりはない。背筋を伸ばし真っ直ぐに姉上を見据えれば、どこか満足げな顔で頷き返してきた。

「いいだろう。だがそう決断したとなると、わかっているな?」

「もちろんです」

「お前が一番苦手とする社交界に、再び顔を出すということになるが?」

 それは、今までのこととはまた違ったものになる。今まで社交界で顔を出していたのは『アリス』で『アリステア』ではない。『アリステア』は社交を苦手とし、それ故にクレヴァー家が管理している辺境の地から出てこないというのが社交界での噂だ。その噂はあながち間違いではない。『アリス』として社交界に顔を出して私はうんざりしていた。

 その裏に隠されている野望や欲望など、純粋に関係を築こうと思っている者など少数だ。そんな相手と出会えることはまずない。貴族ならばそれが当たり前で誰もがその色に染まっていく。けれど私はうまくその色に染まることはできなかった。

 ある意味『アリス』でよかったのかもしれないという考えだってある。『アリス』はその正体が周囲にバレないよう極力人との付き合いを避けた。義務は果たしていたけれど壁の一部であり続けた。その甲斐あっていざこざに巻き込まれることもなかったのだから。

 『アリステア』はそうはいかないだろう。自分が今まで散々避け続けてきたものに、対峙しなければならない。

 でも、私はそれをわかった上でこうしてクレヴァー家の屋敷に戻ってきた。

「わかっていますよ、姉上」

「――お前の服を作るのは、礼服が最初だと思っていたんだがな。私の予定が狂った」

 姉上が手を二度叩けばドアが開かれ、執事のグレイソンが入ってくる。先程私をここへ案内してくれたのも彼だ。久しぶりに顔を合わせ彼から最初に向けられたのは「たくましくなられましたね」という言葉と笑顔だった。

「アリステア、今度パーティーがある。私のパートナーとして出席しろ」

「はい」

「私の隣に立つのだからそれに相応しい男になるよう私がコーディネートしてやる。採寸はこの間やったからな、あとは仕立てるだけだ」

「楽しみです、姉上」

「次期当主の腕を振り切ることができなかったあの婿殿に悔しい思いをさせてやろうではないか。クックック……ハーッハハハハ!」

 姉上、それだとまるで悪の大王みたいな笑い方ですよ。と言いたかったけれどあまりにもあくどい顔で楽しそうに笑うものだから、私は笑顔で頷くだけにした。こうなった姉を止められた試しなど一度もない。それはグレイソンだってわかっている。彼は姉上に何も物申すことなく、寧ろ出された指示に従いテキパキと他の者たちに指示をしていた。

 でもねぇ、今回ばかりは私もただ見ているだけというわけにはいかない。ライが帰ってこなくて色々と調べてみたら、どうやらバシレウス家次期当主に軟禁のような扱いを受けているそうじゃないか。外とのやり取りもできないようで、だから手紙が来なかったのだと納得した。

 ライが望んでそういう状態なら私だってまだ納得……は、一応したかもしれないけれど。でもライが望まずにそんな状態だというのであれば私だって動くに決まっている。

 だって折角お互い気持ちを通わせて、毎日笑顔で穏やかに過ごしていたというのに。私は譲ってあげることは許せても、奪われることだけは絶対に許せないよと笑みを浮かべた。

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