23.突然でも構わないです

「アリステア様、お客様です」

「うん? わかった」

 着替えを済ませた時に丁度ノラからそんな声がかかり、襟元を正しながら返事をする。来客がある場合は前もって連絡があるはずだしそれが礼儀なわけで、それをしないということは余程横暴な人間のやることなんだけれど。でもノラがすんなりと客室に通したということは横暴な人間ではないということだ。

 一体誰だろうかと首を傾げつつ廊下を歩くと、丁度向かいからライも歩いてきた。「おはよう」と挨拶をすれば「おはよう」と一言返ってきてお互いに笑みを浮かべる。

「来客のようだな」

「そうだね。でもそんな悪いことが起きるってわけじゃなさそうだけど……」

 この屋敷に仕えてくれている執事と目を合わせるとドアが開かれる。一体誰だろうと考えていた思考が一瞬にして吹き飛ぶ。客人は、ソファに身体を預け足を組み優雅にお茶を飲んでいた。

「弟よ、遊びに来てやったぞ」

「姉上!」

 手紙では何度もやり取りをしていたけれど、こうして顔を合わせるのは向こうの屋敷を出て以来だ。まさかやってきてくれるとは思わずつい駆け寄り、姉上を抱きしめる。

「でかい犬か」

 憎まれ口を叩きながらも姉上は私の背中に手を回し、ポンポンと数回軽く叩いた。そして恐らく後ろにいたライに気付いたのだろう、「中に入れ」と同席に許可を下した。

「姉上、突然やってくるだなんて。何かあったんですか?」

「ああそうだよ何かあったんだ。愚痴を聞かせるためにここに足を運んだんだよ」

 お互いにソファに腰を下ろすと目の前にティーカップが置かれた。いつもと同じようにノラに礼を言ったけれど彼女の視線は姉上に向かっていて、心なしか喜んでいるようにも見えた。本当に、彼女は姉上のこと大好きだなとこちらも破顔する。

 ちなみに同席を許されたライは私の隣に腰を下ろし、改めて姉上に挨拶をしていた。なんだか三人でこうして同じ席に着くのは初めてじゃないか? と思いつつそんな二人の様子を眺める。

「ところで姉上、その『何か』というのは……」

「……ハァ。思い出しただけでも腸が煮えくり返る。アリステア、『聖女』を知っているか?」

「もちろん知っています。でもそれは架空の人物で神官の信仰対象ですよね?」

 数百年か数千年前か、聖なる力を持った女性が現れ人々を救ったと言われている伝承が存在している。けれど『聖女』が実在したなんて聞いたことはない。寧ろ神官たちが信仰するために崇め奉っている像だと思っていたのだけれど。

 姉上は米上を押さえ表情を歪める。その米上に若干の青筋が浮かんでいるのが見えた。ということはこれは相当頭に来た出来事だったのだろう。

「その『聖女』と名乗る女が突然現れたんだよ。こいつがまた厄介な女でな。そのまま協会に保護されて大人しくしていればよかったものの、あらゆることに口出しをしてきた」

 一度お茶で喉を潤した姉上だけれど、ソーサーにカップを戻した時にカシャンッと少し音を立てた。

「貴族や庶民など階級関係なく平等にするべき、やら、貴族だけがいい思いしていては駄目だ、やら。自分の価値観を押し付けてくるくせにこちらの言葉に一切耳を傾けない。そんな愚かな女だったんだよ」

「なんというか……すごい人ですね」

「仕舞いには我が国が築き上げてきた文化や習わしなど全否定してくる始末! 貴様は一体何様だと何度その頬を思いきり殴ってやろうかと思ったことかッ! 綺麗事ばかりを口にして何一つ政策を提案することができなかった頭が花畑の自分を中心に世界は回っていると言わんばかりの勘違い女に喧嘩を売られたとなると我々も黙っているわけがないだろう?! だがあの協会の馬鹿共はそんな女を担ぎ上げて貴族を貶めようと画策していたではないか! 協会と貴族との間にクソ程無駄な紛争勃発だ!」

 ダンッと思いきり机に拳を振り下ろす姉上の様子を見て、これは余程頭にきたのだろうとしみじみと思ってしまった。常に平常心であることを心がけている姉上がここまで荒ぶるということは相当なことだ。けれど話を聞いている限り、確かにその『聖女』と名乗る女性がとんでもない人だということは理解できた。

「それで……どうなったんですか?」

「ハッ! 常日頃鍛え上げている我々が負けるわけがないだろう? 協会側もトップのもうろく爺のただの妄想に付き合わされているだけだった。内部から崩していけば簡単なものだったよ」

「その『聖女』と名乗った女性に処罰は下ったんですか?」

「ああ。国を混乱させ貶めようとしていた罪でな。捕まえた際に『王子キャラが迎えに来てくれるはずなのに!』とトチ狂った妄言を吐いていたがな」

「それは……お疲れ様でした、姉上」

「フン。愚痴を吐き出したら少しはすっきりしたよ」

 言葉通りすっきりしたのか、再びお茶を飲んでいる姉上の表情はどこか晴れやかだ。本当に愚痴を吐き出しに来たのだと苦笑を漏らしつつ、私がこっちにいる間首都ではそんな大変なことが起きていたんだなと同じようにティーカップに口を付けた。それならこちらにも知らせてくれればよかったのに、とは思ったけれどここから私ができることなどほぼないだろう。だからすべて片付いたあとにやってきたのだと納得した。

「しかし、今回貴族の中で骨のある者が誰かのか知ることができたのは大きな収穫だったな」

 姉上にお眼鏡にかなう人がいたんだ、と目を丸くすれば姉上がニッと口角を上げた。

「ハンナという娘は随分と頑張ってくれたよ。誰かさんを参考にして日々精進していたようだからな」

「ハンナさんがですか?!」

「ああ。花畑女の言葉に対し次々に反論する様は見ものだった」

 心優しい女性であるとは思っていたものだから、姉上の言葉は意外だった。そんな強く強かに迎え撃つことができただなんて、彼女は一体どれほど努力をしてきたのだろうか。

「用意周到でもあったよ。先に信用できる者に『聖女』に関する手紙を送っていたようだ。その者から私に報告があり、本格的に調査することに至った」

 姉上の視線が私から隣にいるライに向かう。私は思わず目を丸くしたけれどライはティーカップに口をつけるだけで姉上と私とも目を合わせることはなかった。

 いつの間に姉上と連絡を取り合っていたのかとか、ハンナさんとやり取りしていたんだとか色々と思うことはあったけれど。彼は勘当された身ではあるけれど貴族の嫡男としては優秀な男だった。周囲に頼られ彼の元に情報が集まったとしても何もおかしくはない。

 私だけ除け者かな、とは思いはしない。きっと心配をかけさせまいとしてくれたのだろう。首都から離れたこの場所でわざわざ思い悩む必要はないと。ライに笑みを向ければ私の視線に気付いたライが顔を上げ、私に小さく笑みを返してくれた。

「そういうことでこの一件は綺麗に片付いた。そして心身共に無駄に疲れた私は休暇でここにやってきたというわけだ」

「ゆっくりしてくださいね、姉上」

「お前に言われずとも好き勝手に寛ぐさ。ここは私の屋敷でもあるのだからな」

「ごもっともで」

 笑みを返せば姉上はいつもと同じ、勝ち気な笑みを浮かべてソファに背中を預け腕を組んだ。

「ところでアリステア」

「はい、なんでしょう?」

 運ばれてきたパイに手を伸ばし、口にする前に顔を上げて姉上に対し首を傾げる。

「お前はいつライラック殿と式を挙げるんだ?」

「へっ?!」

「ゴホッ?! ゴホゴホッ!」

「あ、ああ、ライ、大丈夫?」

 隣で思いきり咽たライの背中を擦ってあげつつ、目を丸くして姉上に視線を向ける。そんな、私はたった一度も姉上にそういう関連については口にしていないのに。なぜ、という私の疑問を嘲笑うかのように姉上は鼻で笑い飛ばした。

「私が気付かないわけがないだろう? 私はお前の姉だぞ」

「え、え、でも」

「あれほど日記を送ってくるなと言ったはずだが? 誰が『ライラック観察日記』など読みたいと思うものか。一体何度手紙を破り捨てようかと思ったことか」

「は、はぇ……?」

 姉上の言葉に頭が真っ白になってしまってまともな単語が口から出てこない。唖然としている私に姉上は更に畳み掛けてくる。

「あれほど手紙に『ライが~』『ライってね~』と書かれていれば嫌でもわかる。うんざりする。手紙で惚気ける馬鹿がいるか」

「え、ぇ、ぁ……」

「無自覚ほどたちが悪いと心底思ったな」

 ライがゆっくりとこちらに振り向くのと同時に、私もゆっくりと顔を手で覆い隠した。そんな、恥ずかしすぎる。そんなこと書いた自覚なんてまったくなかったし姉上のでまかせではとも思いはしたものの、「証拠を持ってこようか?」と更なる追い打ちをかけられてもう何も言い返すことができなかった。

 それに先程から隣からの視線がとても痛いというかうるさいというか。やめてほしい私は今穴があったら入りたい気分だというのに嬉しそうなオーラで見つめてこないでほしい。とても居た堪れない。

「ああ、そういえばここに来るまでにここの教会を見てきた。随分と綺麗に修繕できたようだな」

「あっ、そうでしょう? 村の人たちと一緒に頑張ったんです」

 村の人たちの頑張りを褒められたような気がして、顔を覆い隠していた手を外し姉上と視線を合わせにこりと笑みを浮かべる。

「そこで式を挙げるといい。お前たちが挙げれば村の者たちもあとに続きやすくなるだろう」

「……オリヴィア嬢。なんだかすんなりと話を続けているが、いいのか?」

「身分などどうでもいい。お前の働きはちゃんと報告で受けている。それを踏まえて私も話を進めているのだ。そもそも、ライラック殿。貴方がアリステアに対してそれはもううんざりするほど重苦しい情を持っていることを知っている」

「……え?」

 唖然とした声を漏らしたのは私のほうだった。口角を上げている姉上のほうを向いて、そして次に隣りにいるライのほうを向く。彼は私に視線を向けることはなかったけれど口をキュッと噤んでいた。これは図星を突かれた証拠だ。

 っていやいや、その、うんざりするほど重苦しい情というのは……一体なんなんなのだろうか。知りたいようで知るのが怖いような気もする。確かにお互いの気持ちを通わせてから彼は二人きりになるとどろっどろの甘い感情を向けてくるようにはなったけれど。

「女であろうと男であろうと関係なかっただろう? 昔から我が弟だけしか目に入っていなかったではないか」

「……お手上げだ、オリヴィア嬢」

「え、えっ?」

「私が認めているのだ、心置きなく溺愛するといい」

「え、ええ?」

 頼むから私にわかるように説明してほしい、そう願っても二人ともまったく説明してくれない。二人だけで話を進めてしまい右往左往するしかない。

「さて、そうと決まればアリステア。採寸するぞ」

「えっ? 今からですか?」

「私の休暇はそれほど長くはない。お前はドレスは複数持っていても紳士服はそれほど持ってはいないだろ。ふむ……身体も随分とたくましくなったようだしな」

「えっと、父上のものでも構いませんよ?」

「確かにクレヴァー家はケチだが弟の晴れ舞台にまでケチるわけがないだろう。入れ」

 いつの間に控えていたのか、姉上の一声でドアから複数の女性たちが色んな道具を手に持って中に入ってくる。流石というべきかまさかそのためにわざわざ来てくれたのか、とか果たしてこれって姉上の休暇になっているのだろうか? と色んな思いが頭を駆け巡る。

 どうやらライも一緒に採寸するようで姉上から立つように急かされている。姉上、と声をかけようと振り向く口を開けたけれど――あまりにも楽しそうな顔をするから。戸惑いの言葉は飲み込み代わりに「ありがとうございます」と感謝を口にした。

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