22.これが私の答え

「ラ、ライ? そこで何にやって……」

「い、いや……その」

「……ハッ!」

 こちらに振り向いた顔が赤くなっている。手で口元を覆い隠して視線がさまよっていた。まさか、と思ってこちらの顔も熱くなる。

「ま、まさか……聞いてた?!」

「いや、あれだ……すまん。不可抗力だ」

「なっ……!」

 不可抗力って一体なんだッ! と言葉にしたかったのに。なぜかライに肩を押されてそのまま部屋の中まで押し込まれる。ふと視線を走らせると後ろ手でしっかりとドアを閉じていた。そのままグイグイと押さえて足が何かに引っかかり、後ろに倒れると丁度ベッドの上だった。目の前にはライが覆いかぶさってくる。

 って、これって押し倒された。ということにならないか?

「ちょっと、ライ……」

「悪い。正直かなり浮かれている」

「あ、貴方は浮かれていると人を押し倒す傾向でもあるの?」

「それについては俺も今初めて知った」

 何をそんな冷静に自分を分析しているのか。それと「悪い」と言っているわりには言動を見る限りどこも悪びれてはいない。私の顔の両脇に手をついて身体を起こす素振りすら見せない。

「ところでアリステア」

 私にとっては全然「ところで」ではないのだけれど。でもライはお構いなしに話を続けようとする。

「答えを聞いてもいいだろうか?」

「と、突然だね」

「そうでもないだろう? 俺は待った」

 あれからほんの数日しか経っていないというのに、まるで数年でも待ったと言わんばかりに口振りだ。でもここまで来たら、ノラにも確認してそうだったのだからきっとそれは変えようのない事実なのだろう。

 受け入れたそれは面白いほどにストンと自分の心に収まった。未だ目の前にある顔にドキドキはするけれど、受け入れてしまえば先程までの動揺はない。無意識に笑みが浮かび彼が軽く目を見張る。

「私は本当に困っていたんだよ? 日に日に貴方が格好良くなっていくから」

「っ……! そ、そうか」

「そうだよ。触れられてドキドキしたし、なんだか意味深な眼差しを向けてくるし」

「意味深って、例えば?」

「そうだな……やらしい?」

「ははっ、当たってる」

 当たってるのか、と小さく口籠る。わざと巫山戯て言ったのに当たってしまうとこちらが恥ずかしくなってしまう。でもそれでも、彼があまりにも嬉しそうに笑うものだから。

 私を見下ろしてくるその顔に両手を伸ばし、頬を包み込む。こうして意味を持って私から触れたのは初めてかもしれない。

「今の私は貴方を誰かに譲るなんてことはできないし、それに……貴方が嬉しそうな顔をすると、私もとっても嬉しいんだ」

「っ……! ……最高の、答えだな」

 ライが笑みを浮かべ、そんな彼の首に腕を回す。徐々に降りてくる顔に私も目をゆっくりと閉じ――

「すみません、忘れ物しました」

「ぅわーッ?!」

「ぐはッ?!」

 突然声が聞こえたものだから反射的に身体を起こしてしまった。その拍子に私の頭は見事ライの顎にヒットしたらしい。ライが顎を押さえながらうずくまり、私もズキズキと痛む頭を擦る。そして突然現れた第三者はそんな私たちを気にする素振りなど一切見せず、先程まで座っていた椅子へと近付いて身を屈めた。

「くっ……忘れ物はあったか」

「はい、ここに落ちていました。お邪魔してすみません」

「べべべ別に、邪魔とは思っていないから気にしないで! ノラ!」

 慌てて手を振る私に対し、ライはじとっとノラに視線を向けている。中々の眼力だというのにノラはやっぱり気にしない。落ちていたハンカチを拾い上げポケットにしっかりと入れると、こちらに一礼して部屋から出ていく。

 と思ったらもう一度ドアが開いてひょっこりと顔が現れた。

「手の早い殿方は嫌われますよ」

 それだけ告げてパタンとドアは閉じ足音は遠ざかっていった。

「……」

「……」

「……いや私も一応殿方なんだけど」

 ノラの視線はライに向かっていたけれど、私も一応男だから。確かに先程までは押し倒されている形ではあったし、どちらかというとライのほうが男らしいけれど。それに先程のは……ある意味、合意の上というか。

「……手厳しいな」

「あれは多分からかっているところもあると思うよ」

 顎を擦りながら渋い顔をしているライに苦笑しつつ、なんだかノラの登場によって空気が一変したような気がして私はベッドの縁に座り直した。同じようにライも私の隣に座り直し、そして僅かに肩を落とした。

「そんなに落ち込むこと?」

「折角のチャンスを不意にされた」

「ふふっ、そんなこと」

 チャンスなんてこれからいくらでもあるだろうに。真剣に落ち込んでいるライに思わず笑ってしまって、それと同時に可愛く見えた。徐ろに伸びてくる手は髪を撫で、次に頬に触れる。ドキドキするのには変わりはないけれどでもやっぱり、不思議なことにライに触れられると安心する。人のぬくもりのおかげかと思っていたけれどそれは少し違って、きっとライの手だから。

 ライの顔が僅かに傾き近付いてくるけれど、なぜかこの瞬間とあることを思い出してその唇に手を当てて動きを止めさせた。目の前にはまん丸な目だ。それが次第に何かを訴えかけてくるものに変わっていく。そんなライを気にも留めずに頬に触れていた手を取り両手で包み込む。

「ライ、一つお願いがあるんだけど」

「……なんだ?」

「……婚約破棄、しない?」

「は?」

 つい先程まで幸せそうな顔をしていたのに一瞬にして表情がなくなった。なんだか指先も冷たくなってきているような気がする。ちょっと言葉選びを間違えちゃったかなと思いつつ私は慌ててギュッと手に力を入れた。

「ああごめん、言い方悪かったね。えっとだね……婚約破棄しない?」

「さっきと変わってないぞ」

「……あれ。まぁ、いいか」

「よくないどういう意味だアリステア。まさかさっきのは俺が見た幻影だったとでも言いたいのか」

「ああ落ち着いてライ。先程のはちゃんとした現実だから。二人して幻影を見るだなんてそんな余程やばい毒を二人一緒に接種しない限りないから安心して」

 ね? と首を傾げればほんの少しだけライの緊張が解けた。

「えっと、詳しく説明すると……私は正直に言って『婚約』という言葉に関してあまりいいイメージを持っていないんだ」

「ああ……そう、だよな」

 あの時は一方的で強制的だったものだから、嬉しいという感情はまったくなかった。そもそも貴族にとって『婚約』とはある一種の『成約』だ。互いの家の利益のために手を結ぶ手段として、我が子たちの縁を繋ぐという手にすぎない。

 ライは恐らく無意識で「婚約しないか」と口にしてしまったのだと思う。『成約』ではなく『約束』として。それは間違いではないし私が貴族だからそう言っても構わなかったのだけれど。でもやっぱり、すんなりと受け入れることは難しかった。

 だって『婚約』というだけで私はどれほど幼少期から苦労してきたことか。なぜ学ぶ必要のなかった淑女としての所作を叩き込められなければならなかったのか。

 別にライを責めているわけでもなく、まぁ、姉上には少し愚痴を言いたい気もするけれど。だからといって誰かを許せないなんて心は持ってはいない。でもやっぱり……お互い同じ気持ちだというのに貴族らしい『婚約』は少し違うんじゃないかという考えが頭の中に過ぎった。

「その、言い方を変えない? 別に『婚約』でなくてもいいと思うんだ。そう例えば……」

「……例えば?」

「……村の人たちが言ってる、『恋人』……みたいな?」

 そう口にした瞬間抱きしめられて再びベッドの上に押し倒されてしまった。ぎゅうぎゅうと締め付けてくるけれど決して苦しくはない。ちょっと痛いかな、とは思うけど。でもそれがライの心情を表しているようで、私は笑みを浮かべて自分の手をその背中に回した。

「……い」

「え? なんて?」

「可愛い。アリステアは日に日に俺が格好良くなって困ると言っていたが、俺も日に日にアリステアが可愛く見えて困っていたんだ」

「そ、そうなんだ?」

 可愛いなんて初めて言われたなと思いつつも、それがライからの言葉だと思うと嫌じゃない。寧ろ嬉しくて、仕返しと言わんばかりに背中に回している手にぎゅうぎゅう力を入れると抱擁するライの力が僅かに強くなった。

「アリステア……ありがとう」

 至近距離で見えるライの顔が嬉しそうに、けれどとろけるような甘やかな笑みに思わずキュンと胸がときめいてしまった。やっぱりライって格好良いな、顔がいいのはズルい気がすると微笑みを浮かべる。

 顔がいい男性なんて、それこそ社交界で何人も見てきたはずなのに。ライに対してより一層そう強く思うのは、きっと欲目だったんだなと今更ながら気付き――そして今度そ、降ってくる口づけを止めることはしなかった。

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