21.初めてなんだよ

「うわーっ!」

 ベッドに勢いよく倒れ込むと俯けたまま枕に顔を埋めて思いきり叫んだ。

 もうここのところずっとこの調子だ。別に怪我が悪化したとか毒がまだ抜けきれていないとかそういうことじゃない。身体は至って健康、いい調子だ。そう、問題なのは体調ではなくて情緒。

 ライが気持ちを伝えてくる前まではそんなことはなかったのに、告白を境に見るからに態度が変わっていっている。例えば、いつも向けてくれる眼差しが優しいものだけれど、その奥に熱いものがあったり。例えば、今までは普通に触れてきていたけれど、それが意味ありげなものになっていたり。

 そんなことされる度になぜかどっと汗が噴き出してきて挙動不審になってしまう。明らかに私の様子がおかしいというのに、ライは怪しがるどころか微笑んで嬉しそうな顔をする。その表情を見てまた症状が悪化する。

「このままじゃ心臓が堪えられないよ……!」

 頭を抱えてうずくまってみるものの、やっぱり症状が緩和することはなかった。寧ろ思い出す度にこうなるんだから心臓がとてもしんどい。

 御手柔らかにと言ったのに。それともあれが世間一般の「御手柔らか」なのだろうか。そうなると私はとことんそういったものと縁遠かったのだと思わざるを得ない。それもそうか、少し前まで女性の格好で『婚約者』がいた身なのだから他の人とそうなるわけがない。そしてその『婚約者』とは上辺だけの存在でこんなことする仲でもなければ、会話すらしなかった。

「考えるとは言ったものの……その余裕がない……!」

 答えを出さなければいけないのに相手がその余白を与えてはくれない。畳み込んでくる。なんという容赦のなさ、これが戦となれば私が勝つことなど不可能だ。いや、ある意味で今私は戦っているようなものなのだけれど。

 起き上がってもやっぱり頭を抱える。そもそも答えって、何を基準にして出せばいいんだろうか? 一体その感情の線引きはどこにあるのか? 頭のどこかで姉上が「疎い」と鼻で笑っているような気がした。

「失礼します」

 ノックの音が聞こえて顔を上げればノラが手紙を持って現れた。その手紙は大体が報告書か姉上とのやり取りだ。

「……ノラ、今忙しい?」

「いいえ、そこまで切羽詰まったようなことはありませんが?」

「よかった! 私とお茶してくれないか?! お願い!」

 手紙を渡そうとしてくれていた手をぎゅっと握りしめて、ノラにそう懇願する。お願いだと気持ちを込めてジッと彼女に視線を向ければ、最初こそはものすごく真顔でまったく微動だにしなかったけれど彼女は一つ息を吐き出した。

「……わかりました。お茶とお菓子を持ってきますね」

「ありがとう!」

 長話になると察したのだろう、私と、そして自分用のお茶と菓子を準備するために彼女は一度退室した。その間に私は空気の入れ替えを済ませ、ノラが座る椅子を整えてあげる。そしてそう待たないうちに彼女はワゴンを持って戻ってきた。

「ああ、お茶は私が淹れるよ」

「そうですか? ならお言葉に甘えて」

「ふふっ、ノラに合格点もらえるように頑張るよ」

 毎日お茶を淹れてくれているノラに以前学んだことがあって、それから私も時間がある時は自分で淹れたりもしていた。彼女の表情を歪めないように頑張ろうとお茶を淹れるところをジッと見つめられる。

 湯気がたったカップを置くと彼女は一つ口をつけ、「まぁ合格です」との言葉をもらって私も笑みを浮かべ同じように口をつけた。

「それで? 私は何を聞けばいいんですか?」

「あ、ああ、えっと、そうだね……」

 回りくどいことが嫌いだから直球で聞いてくるとは思ったけれど、意外にも自分の心の準備ができていなかった。口ごもる私にノラはカップに口をつけつつジッと視線だけを向けてくる。

「ど、どうすればいいのかわからなくて」

「それはライラックさんに関することですか?」

「ん、まぁ……平たく言えば……」

「……取りあえず、アリステア様が今思っていることをありのままに口にしてみてください。余計なこと考えずに」

「そ、そうだね」

 ノラが持ってきてくれたお菓子を食べつつ、思っていることありのままか、と色んな単語を頭の中に思い浮かべてみる。それだけでなんだか恥ずかしいような気もするけれど、私ではわからないからこうしていつまでもグルグル考えているわけで。それを打開しようとノラに話を聞いてもらおうと思ったわけで。

「その、なんだろうなぁ……最近のライって見るからに態度が変わっただろう?」

「そう思うのはアリステア様だけで私たちの目から見たら別に変わっていませんよ」

「……へっ?」

「続きをどうぞ」

 なんかとんでもないことを言われたような気もしたけれど、続きを促されてその考えは一先ず頭の片隅に追いやった。

「私は正直そういうの今までまったくなかったわけで、どういう反応すればいいかわからないんだ……その気持ちに対しての答えも返さなきゃいけないし……」

「確かに、アリステア様はそういった色恋にまったく触れてきませんでしたからね。でも嫌なら断ればいいだけの話じゃないですか」

「うっ……」

 その通り。そういう気持ちを向けられて嫌なら言われたその時に「私は人として好きだよ」と返せばよかっただけの話だ。でもあの時の私はとにかく動揺して「保留」と答えてしまった。それはただの時間稼ぎだ、相手を思うのであればあそこでちゃんと言っておけば。

 どうして私はあの時言えなかったのだろう。その疑問が頭に浮かぶ。保留なんて言えばただ単に期待をさせるだけなのに。動揺があったとはいえ一体なんの躊躇いがあったのだろう。

 そこがわからないからここ最近ずっと悩んでいる。一人で悩んでいても答えが出てこないから困っている。ただ枕に顔を埋めて叫ぶことしかできない。

 目の前から溜め息が聞こえてくる。ノラも呆れたのだろう。彼女はこういった煮えきらない態度は好ましく思っていないから。そういうところ自分が仕えている主に似てしまうものなのかなぁ、と思いつつ居た堪れなくなって口をつけたカップで顔をわずかに隠した。

「わかりました。単純に考えましょう。もしライラックさんがアリステア様以外の方を好きになったらどう思います?」

「どう、思うって……それは」

 背中を押すよ、といつもなら言える言葉が出てこない。背中を押すに決まっているだろう、ライがそう望むのであれば私が止める権利などどこにもない。

 それなのに言葉が発せない。なぜか口の中がカラカラに乾燥している。先程からお茶を飲んでいて潤っているはずなのに。

 私の反応にノラはまた一つ溜め息をつくと、自分で新たに淹れたお茶にちゃぽんと砂糖に一欠入れた。

「貴方以外の人に愛の言葉を呟いて、愛おしげに触れる。それを目の前で見せつけられたとしてアリステア様は素直に祝福できますか?」

「それ、は……」

 頭では祝福すると言っているのに、なぜか心がそれを拒んでいる。自分の感情を言葉にできない。

「アリステア様は実際ライラックさんに触れられてどう思いましたか? 嫌悪感でもありましたか? 鳥肌でも立ちましたか? そうであったら私たちは彼を排除する方向で動きますが」

「……え?」

「でも、残念ながらそうではありませんよね?」

 どう思いましたか、と真っ直ぐに視線を向けるノラに一度口を噤み、目を僅かに伏せる。

「……恥ずかしくて、どうすればいいのかわからない」

「ドキドキしましたか?」

「……うん」

 そうなんだよ、心臓がものすごく騒いでいるから情緒不安定になっていたんだ。この感情にどう名前をつけていいのか私は知らない。

「触れられて、嫌ではないでしょう?」

「……うん」

「傍にいて嬉しいでしょう?」

「……うん」

「ならば答えはもう出ているではありませんか」

「……ノラ」

 視界が若干滲んでいる。顔が熱いからきっと赤くなっているはず。情けない顔になっているはずなのにノラはなぜか楽しげに微笑んでいる。

「よかったですね、アリステア様」

「これは……よかったと言えるものなの?」

「少なくとも私はそう思います。それと同時に安心しました」

「安心?」

「はい――貴方が、ようやく欲を持つことができたのだと」

 彼女は前に私に言った言葉を忘れてはいなかったのかと目を丸くする。あの時は心底嫌そう、というか理解できなさそうな顔をしていたのに。今目の前にいるノラは寧ろどこか穏やかだ。自分が作ったお菓子を口に含み、次に喉を潤しホッと息を吐き出した。

「貴方はいつも他人に自分のものをあげてしまう。何にも執着しないから、私はそのうち消えてしまうんじゃないかと思っていたんです。でもよかったです、貴方にも執着するものができて」

「それって、いいこと?」

「貴方に関してはいいことです。『欲』なんて、誰にもあるものなんですから。今までの貴方が少しおかしかったんですよ」

 散々の言いようだなと苦笑を漏らしつつ、お菓子に手を伸ばす。

 それからお茶とお菓子がなくなるまで二人でゆっくりとして、トレーがまっさらになった頃にノラは「仕事に戻ります」と言って立ち上がった。テーブルに広げていたものをワゴンに片付け、部屋から出ていこうとする彼女を呼び止める。

「私は今まで私が姉上のおまけだから、ノラはこうして仕えてくれているんだと思っていたんだ」

 でも怪我をした時も。こうして相談に乗ってもらおうとした時も。彼女は何一つ嫌な顔をしなかった。断ることだってできたのに。

「私のことも心配してくれていたんだね。ありがとう」

 姉上に言われたからではなくて、彼女は彼女なりに私を思っていてくれていたから。だからこうして付いてきてくれたんだと、恥ずかしながら今更気付いた。その謝罪と、そして感謝の言葉を口にすれば彼女は振り向くことなくワゴンを押していく。

「気付いてくれたのならば、それで結構です」

 そう一言告げて、部屋から出ていった。素直ではないところは姉上に似てしまったのかな、と苦笑を浮かべた。でもノラのおかげでもやもやが晴れたというか、決心がついたというか。

 相談してくれたお礼に手当ても弾もうと考えていた時だった。ゴンッという音がドアの向こうから聞こえて慌てて振り向く。もしかしてノラがどこかにぶつかったのだろうか。

「ノラ大丈夫?! ……って、え?」

 急いでドアを開けてそう声をかけてみたけれど、ノラの姿はどこにもない。その代わり、なぜか壁のほうを向いて頭をぶつけているライの姿があった。

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