20.心臓への過度な負荷はやめて

 いつも通り、手伝いのために村の人たちの元へ向かう。ふと隣に視線を向けてみれば目が合って、ライはふわりと笑みを浮かべた。それを見た瞬間心臓がドッと大きく脈打つ。

 痕は残ったけれど毒も抜けきり、ようやく外出許可が出た。治療中はずっと手伝いに行くことができず、流石に村の人たちも怪しがるかなとは思ったけれど事前に盗賊とやりあったことは伏せるようにお願いしておいた。余計な心配をかけさせたくはなかったから。

 一応、怪我をしてそれを治していたから来れなかった。程度に伝えておこうとライとも示し合わせてこうしてやってきたわけだけれど。

 まさか治療中にあんなことが起きるなんて思いもしなかった。

 恥ずかしい話、ライがそういう感情を向けてくれているだなんて何一つ気付くことはできなかった。自分で言うのも悲しいけれど、私は女性の姿で社交界を生きていたため友人と言える人がいない。バレないようにと警戒していたため作ることができなかった。だから初めて出来た友人に浮かれていて、そして甘えているという認識だった。

 だから、ライが向けてくれる優しさが、友人のものなのかそれともまた別のものなのか区別がつかなかった。

 私と目が合うとライはこんな風に柔らかい笑みを向けてくれるようになったのは、今に始まったことじゃない。気さくにお喋りをできるようになってから、『婚約者』だった時の無表情が嘘のように彼はよく微笑んでくれる。

 一体いつからだとか私のどこかとか、色々と聞いてみたかったような気もするけれど墓穴を掘ってしまいそうで聞けずにいる。きっとライは答えてくれるだろうけれど、果たして私はそれを平常心で聞けるかどうかだ。

 今だって、ライの気持ちを聞いたあとにこうして隣に立っているけれど。心臓は忙しなく動いている。

 ま、まぁそれは一旦置いておこう。そればかり考えていると今の私はきっと使い物にならない。気を取り直してパッと顔を上げるといつものおじさんの姿が見えて、大きく手を振った。

「なんだか久しぶりじゃないですか、アリステア様! この間は大丈夫だったんですか?」

「うん、ただのボヤだったようだよ。大事には至らなかった」

「そうですか! そりゃよかった!」

 おじさんと会話をしていると隣から痛い視線がビシバシやってくるけれど、うん、気付かないふりだ。ボヤでもなければ多少は大事だったかもしれない。けれど余計な心配はかけさせたくないと事前に言っただろう? とちらりとライに視線を走らせれば、彼は小さく息を吐き出した。

 病み上がりで久しぶりに身体を動かすとなって、やっぱりちょっと体力が減ったような気もした。傷は塞がっているけれどやっぱり背中には違和感がある。物を持ち上げたりする時などは特にそうだ。けれどおじさんに気付かれるわけにもいかなくて、一応私にできる範囲のポーカーフェイスを付けてみるけれどライはそれに騙されてはくれない。

 私の傍にやってきたかと思うと、しれっと重たい荷物を持ってくれる。お礼を口にすれば小さく微笑むだけだ。なんだろう、やることがハンサムだなぁとしみじみと思ってしまった。

「アリステア様」

「ん? なに?」

「あ……ああ、いや、なんでもないです」

「そう?」

 一瞬どこかを見て固まったような気がしたけれど、おじさんは笑みを浮かべて首を左右に振るだけだった。なんでもないというのであればこちらも深くは追求しない。何か本当に困ったことがあれば話してくれるだろうと引き続き野菜の収穫をした。

「あぁ! そうだそうだ思い出した。アリステア様、時間があればまたアマンダの婆さんのところにお願いします」

 一通りの仕事を終えて手を洗っている時だった、思い出したかのように声を上げたおじさんに私は「わかった」と笑みを向けた。どうやらこの間家具が壊れてしまい、新しいものを作ってもらったけれど置き場所に困っているらしい。

「ということで、ライ、いいかな?」

「ああ、ついていくよ」

「ありがとう。力仕事になると思うから結構手伝ってもらうことになると思うんだけど」

「そのためについてきたんだから」

 動けるようになったとはいえ、私がまだ本調子でないことを知っている。そのためにわざわざついてきてくれたんだと思うと、こう言ってはなんだけど、多少過保護のような……でも一人怪我した手前、そんなこと口にすることができず「ありがとう」とお礼を言うだけに留めた。

 濡れた手をタオルで拭いていると、ふとライとおじさんの目が合っているのが私の視界に入った。ライもここに来てだいぶ馴染んできたなぁ、と思っていたらだ。なぜかおじさんがライのほうへ向かってグッと親指を立てて、ライは感慨深けに頷き返した。一体なんのやり取りなのだろうか。

 声をかければライは私の元にやってきて、おじさんに手を振ってアマンダさんの元へと向かう。作業したおかげで少しは普通にライと接することができるようになってきた。遠いわけではないけれど他愛のない会話をしながら道を歩く。

「アマンダさーん、来たよー」

「あら! あらあらアリちゃん! ありがとね!」

 トントンとノックするとすぐにアマンダさんが中からやってきた。久しぶりと笑顔を向ければアマンダさんはしばらく会わなくて心配したと口にした。ごめんと苦笑を漏らしながら謝りつつ、運ぶ予定の家具の元まで連れて行ってもらう。

「ごめんねぇ、あたし一人じゃ運べそうになくて……」

「作ってくれた人に運んでもらわなかったのですか?」

「運んでもらおうとは思ったんだけど、他にも注文が入っていたようでねぇ。そっち優先してって言ったのよ」

 ライとも何度も顔を合わせているから今ではもうすっかり顔見知りだなぁ、と笑顔になる。最初はどうなるかと思ったけれどライと村の人たちが仲良くなるのがとても嬉しい。

「アリステア、無理はするなよ」

「大丈夫だよ。これくらいなら私でも運べるから」

「そうか……そしたら運ぼう」

「そうだね」

 お互い家具の端を持って合図と共に一緒に持ち上げる。重みはあったけれど二人で持てば運べないことはなかった。アマンダさんの指定した場所に家具を置いて、その他にもアマンダさん一人ではつらい箇所を手伝っていく。

「アリちゃんもライラックくんも手伝ってくれてありがとねぇ。これ、あたしが作ったキッシュなんだけどよければ食べていかない?」

「ありがとう~アマンダさん。お言葉に甘えて頂くよ。ね? ライ」

「ああ。ありがとうございます」

「そこに座って。あっ、お茶も淹れてくるわね」

「ゆっくりでいいからね、アマンダさん」

 腰を曲げつつもせかせかと動こうとしているアマンダさんの背中にそう声をかけると、彼女は「心配無用よ~」とのんびりとした言葉を返してきた。でもあまり無茶をしないでほしいと心配しつつ、頂こうかなとキッシュに手を伸ばす。ライは私が咀嚼したのを確認して同じように口に運んだ。

 以前私がやったことだから文句を言う筋合いはないのだけれど、ライは私をどこか毒見に使っているような気がする。まだ他の人が作った料理に素直に手を伸ばすのは難しいかと美味しいキッシュを味わう。

「お待たせ~」

 アマンダさんがお茶を淹れて戻ってきて、それぞれにティーカップを渡してくれる。お礼を言いつつ受け取って早速口につけた。アマンダさんが使っている茶葉は自家製でここでしか味わえない。前にどんな葉を使っているのか聞いてみたけれど「秘密」と茶目っ気に言われてしまった。

 三人でお茶を楽しみながら話題は修繕した教会の話へと変わる。アマンダさんが若かりし頃あの教会で式を挙げ、同年代はほぼそうなのだと教えてくれた。それと共に、朽ちるばかりだと思っていた教会を直してくれてありがとうという感謝の言葉まで頂いてしまった。

 みんなの憩いの場になればいいと直したけれど、そのうち村の人たちが式を上げたりしたらより一層活気づくかもしれない。そう思うと自然と顔が綻ぶ。

 視線を感じてふと顔を上げると、対面で座っていたアマンダさんが私と、そしてライの顔を見てにこにこしている。何かあったのだろうと首を傾げると尚更笑顔は深くなった。

「どうしたんだい? アマンダさん」

「え? うふふっ、そうねぇ。若い子の青春ってとっても微笑ましいわねぇって」

「んぐっ?!」

 咽てキッシュが喉に引っかかった。急いでお茶を流し込んでいるととんでもない発言をしたアマンダさんは相変わらず私たちを見てにこにことするだけだった。

 それにしても、それにしてもだ。私は思いっきり咽たというのに隣にいるライは平然としている。寧ろ優雅にお茶を飲んでいるじゃないか。なんでそんな平然としていられるのか、これが貴族なのかとゴクリと喉を鳴らした。

 いやいや、そうじゃなくて。私が動揺したのは、アマンダさんの言葉が意味ありげだったから。私は何も言ってないし私たちの仲だって至って普通だったはずなのに。

「もうね~、ライラックくんが幸せでたまりませんって顔してんのよ~」

「あれ、俺ですか」

「うふふ、そうでしょう? よかったわねぇ」

 それからお茶とキッシュを綺麗に頂いて去ったのだけれど、あれだけ美味しかったのに味をすっかり忘れてしまった。もう私はそれどころじゃなかったんだから。ライとアマンダさんは楽しげに話していたけれど会話もほぼ耳に入ってこなかった。

 他にも色々とお手伝いをさせてもらったけれど、他の人たちも似たような反応で私はあらゆる意味ですっかり疲れ果ててしまった。こんなぐったりと帰路に着くのは病み上がりだからという理由だけじゃないはずだ。

「疲れたのか? アリステア」

 隣ではそんな気遣わしげな声が聞こえて、いつもなら目を合わせるところだけれどなぜか今ばかりは素直にそれができない。遠くを眺めるふりをして、視線を逸した。

「なんか……今日、みんな似たような反応だったなぁって……」

「ああそうだな。祝ってくれていた」

「祝ってくれていた?!」

 何を?! と思いきりライに視線を向ければ、彼は微笑んだかと思うと「ようやくこっちを見た」だなんて口にする。そんな反応はあんまりしないでほしい、心臓が痛い。

「本当に気付いていなかったんだな」

 一体なんのことかさっぱりわからないというのに、ライが楽しげな表情で言うから。

「ああもう……心臓が痛いよ……」

 胸に手を押さえて小さく唸る。すると今度は髪に手を伸ばされギョッとして身を引こうにも向こうの動きのほうが早かった。そのままさらりと髪を撫でられ、目の前には緩く微笑む顔。

 だから、こっちは病み上がりなんだから。心臓を過度に動かさせないでほしいと願うばかりなのだ。けれどライが嬉しそうな顔をするものだから言いたい言葉も結局口から出てくることはなく、胸の内だけに終わってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る