19.溶けてしまえ

 ようやく目の前の身体が盛大に跳ねた。予想以上の反応に、顔を見られないことをいいことに笑みを浮かべる。

「同性とかそんなこと関係ない。君だから好きなんだ。愛している」

 突然のことですぐに受け入れろというのは無理な話だ。だから、受け入れることはできなくても振り払うことはしないでほしいと願う。逃げ出さないようやわらかく後ろから身体を拘束し、肩口に顔を埋める。彼のやわらかな香りが鼻を掠め、勝手に身体が熱くなる。

 さぁ、どうするんだアリステアと言葉を待つ。駄目と言われても俺はきっと諦められないし、嫌だと言われると流石にショックを受けるが、だが今まで通り傍にはいたい。とことん自分勝手だなと苦笑を漏らしながらもいつまでも返事を待っていた。

「……?」

 だが、いつまで経っても何も聞こえては来ないし身体も何一つ動かない。もしかして、衝撃のあまりに気を失ったか。そう思った俺は少しだけ顔を覗き込んでみた。

「あ……っ」

 ところがだ、アリステアの反応は俺が想像していたものとどれも違っていた。顔を真っ赤に染め、俺と目が合った瞬間小さくこぼれた声に目を丸くしたのは俺のほうだった。

 なんだその顔は。襲われても文句は言えないぞ。そう言いたい。

「アリステア?」

「あ、その……え? えっと、あれだよ」

「なんだよ」

「その、あれ……ライ、は、私のこと、好き、なの?」

「そう言ったが?」

「えぇっと……友人的、な?」

「ただの友人に『愛している』と告白した人間を俺は知らないがな」

「っ……!」

 すると彼は真っ赤になっている顔を素早くその両手で覆い隠した。腕が動かせるようになったと言ってはいたが、どうやら本当に言葉通りらしい。この時ばかりよくなった腕に若干の恨みを抱いてしまった。痛いままだったら、その可愛らしい顔を隠すこともできなかっただろうに。

「アリステア」

「っ……」

「誰にも渡したくない。だから俺と婚約してくれないか」

 この国は同性婚が認められている。ただ貴族は世継ぎや跡継ぎ問題がどうしてもついて回るため、その数は少ない。

 だが俺はもう勘当された身で貴族ではない。そしてアリステアもまた貴族ではあるものの当主ではない。そういう意味で、俺たちは互いに自由の利く身だった。

 完璧に固まってしまったアリステアの肩口に口づけを落とす。ビクッと跳ねる身体に気にすることなく、次に傷口の塞がった場所へと落とした。その他にも軽くリップ音を立てているとだ。

「待っ……待って!」

 ベリッと密着していた身体が離され俺は手持ち無沙汰になる。抱きしめていたままの形で動かずにいると、顔どころか首筋や耳まで真っ赤にしたアリステアが勢いよく振り返ってきた。

「あの、わ、わかったから! ライの気持ちはわかった! ででででも、その、ほ、保留! 保留にさせてくれないかな?!」

 必死な形相のところ悪いが、顔を赤くしてそして若干目に涙を浮かべている様子は、男心をくすぐるだけだ。

「保留?」

「そ、そう。その……正直な話、私はそういった話が、よく、わからなくて……だから、あの、考える時間が欲しいんだ。ちゃんと考えて、しっかりと返事をしたい。だから」

「そういうことならいくらでも待つぞ」

「く、食い気味だな……」

 寧ろ「考える」という答えが何よりも嬉しい。すげもなく「私は人として好きだよ」と言われてしまったらどうしようかと思った。

 嬉しさのあまりもう一度抱きしめてしまおうと手を伸ばしたところ、ペシッと軽く叩き落されてしまった。別に本気で叩いたわけではないためまったく痛くはなかったが、叩いた当人は必死なのだろう。どう足掻いても顔が赤い。

「な、何をする気」

「まだ包帯を巻き終えていない」

「あっ……そ、そうだったね」

 そう言うとすごすごと元の位置に戻ってきてこちらに背中を向けてくる。素直過ぎて心配になってくる。相手は友人ではなく、愛の告白をして散々手を出そうとしてきた男だぞと独りごちた。

 ただ、アリステアにも言った通り包帯はまだ巻き終えてはいない。傷口はだいぶ塞がったとはいえもう手当てを終えていいという段階ではないため、俺も大人しく包帯を巻くことにした。

 ただし、手は出さないとは言ってはいない。

 再び包帯に取りするすると巻いていく。が、たまに脇腹などをスッと軽く撫でる。ピクリと身体が動いたものの何も反論がなかったため、気をよくした俺は懲りもせず時々ゆっくりとその白い肌に指を這わせた。

「……ライ」

「なんだ」

「なんか……触り方が、やらしくない?」

 クツリと喉を鳴らしアリステアの肩に顎を乗せる。これでもかというほど密着しているが、包帯を巻いている手は止めてはいないためアリステアもやめさせるべきかどうか悩んでいるのだろう。

 やらしくないかと、さっき自分で聞いてきたくせに。そこまで気付いておきながらその先のことはわからないのかと笑みをこぼす。

「言っておくが、下心はあるぞ」

「……えっ?!」

 それこそ葉や糸くずがついているとうそぶいて、その実ただ単に髪に触れたいから触れていただけだった。アリステアは一度も疑ったことはなかったが。それ以外にもそういう邪な感情で触れたことも何度もある。

 ただ悲しいことに、友人がいなかったアリステアはそれが友人としての域を出ているかどうかの判断材料をあまりにも持っていなかった。だからあんな触れられ方をされてもアリステアは友人のものだと勘違いした。

「アリステア、人には下心というものがある」

 君は持っていないだろうが。脇腹を撫でれば急いでその身体は離れようとする。だが俺は後ろから抱きとめてそんなことはさせなかった。

「ライっ……」

「どうした?」

「っ……御手柔らかに頼むよっ……!」

 少し後ろを振り返ったその顔は相変わらず熟したように真っ赤に染まり、目にも涙が浮かんでいる。だから、そういう顔を簡単にしないでほしいと思わず喉を鳴らす。正直に言ってここまで堪えている俺を褒めてもらいたいところだ。

 これ以上は流石にいじめすぎるか、と一度手を離し巻き終えた包帯を解けないようにしっかりと止める。服を着る手伝いもしようかと手を伸ばしたが、ベッドの上に置かれていた着替えはアリステアの手にサッと取られ彼は素早く袖に腕を通す。

「……正直、いつも着替えを手伝っている時目の毒だなと思っていたんだ」

 ボタンを一つずつ留めているであろうその後姿をじっと眺めながら、正直に告白する。

「目の毒って……私の身体、そんなに貧弱だった?」

「いいやそんなことはない。毎日しっかり鍛錬しているのがよくわかる。ただ、肌は白くてきめ細かいだろう? 俺は何度生唾を呑み込んだことか――」

「そんなこと思っていたんだ?!」

 勢いよく振り返ってきたアリステアの服は、しっかりとボタンが閉じられていた。見える肌の部分が極端に少なくなったが首筋などは相変わらず赤い。

「俺も健全な男子だからな」

「なっ……!」

「アリステアは、あまりわからないかもしれないが」

 苦笑してみせるとアリステアの視線が小さく彷徨う。わからないだろう。誰にでも美しい心で慈しんでいたアリステアには。誰かに邪な感情を抱くことなど一度もなかったはずだ。それほどまでにまっさらで綺麗だった。

「……なんというか」

「ん?」

「その……ライでも、そんなこと思うんだ。その、目の毒? とか」

「思うよ。想いを寄せている相手が目の前で、無防備にいられたら」

「そ、そうなんだ……知らなかった。ほら、貴方ってそういうの、あまり表に出さないと思っていたから」

 それは流石に隠すだろう。邪な想いに気付かれて遠ざけられたら嫌だから。ただアリステアだけにはしっかり隠していたが、それ以外だとだだ漏れだっただろう。

 手当ても着替えも終わったためベッドから降り、アリステアの前に回り込んで膝をつく。手に触れればそれを払い除けられることはなかった。いつもそんなことをするようなアリステアではないが流石に今ばかりは拒絶すると思っていたから、未だ顔を赤くしながらも触れさせてくれる事実に表情が緩む。

「俺のことを知りたいと言ってくれただろう? だから、知ってくれ。俺のことを」

「そ、そうだね」

「それで答えを出してくれ」

 コクリと小さく頷いた頭に俺は笑みを浮かべる。だがアリステアは未だ知らない、俺がずる賢い人間だということ。

 アリステアは確かに慈悲深いが、嫌なものはちゃんと拒絶する。そうでなければ単身で盗賊に突っ込もうとはしないだろう。アリステアの中にもちゃんとした線引きがしてあって、内側の者には優しいが外側の人間にはそもそも興味すら抱かない。俺がまだバシレウス家にいた時がまさにそうだ。あの時のアリステアは『婚約者』に何一つ関心を示さなかった。

 だが彼が「考える」と言った時点で、俺の気持ちはもう報われたようなものだ。いつものアリステアなら相手のことを想いすんなりと断るだろう。気持ちには応えられないときっぱりと口にしただろう。

 そもそも、俺が触れただけでこんな可愛らしい反応をしているんだ。彼はその感情がどういったものか知らないだけで、答えはもうほぼ出ている。

 少し背筋を伸ばし顔を近づけようとすれば、スッとアリステアの身体が後ろに仰け反った。ついジッと視線を向ければ同じような視線が返ってくる。

「駄目か?」

「……私はまだちゃんと返事をしていないのに?」

「……それもそうだな」

 こういうところはしっかりしていたか、と伸ばしていた身体を元に戻す。流されてはくれないかと思っていたが流石にそこまで上手くはいかない。

「アリステア」

 覚悟しておいてくれ、と視線を逸らすことなく真っ直ぐに口にすれば、彼はほんの少しだけ顔を赤くして小さい声で「御手柔らかに」とこぼした。

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