17.ぬくもりに溶けてしまう

 屋敷に戻り自室に運ばれ、私はそこで一度意識を戻した。目の前には私が言っていた薬草を調合し、しっかりと準備をしていたノラの姿。彼女は表情をまったく変えることなく、傷を負った私の背中の手当てを淡々とこなしてくれる。

 右肩から肩甲骨の下ぐらいまで斬りつけられた傷は、深さはそこまでないものの毒が塗ってあったせいで痛みが酷くかなりの熱がこもっていた。流れる汗も暑さではなく痛みのあまりの冷や汗だ。

「アリステア様、こちらは飲み薬です。間違うことなく調合したので、とっても苦いでしょうが毒に効くはずです」

「とってもマズいやつね……ありがとう、ノラ」

「いいえ」

 彼女から飲み薬と水をもらって、一度息を吐きだして思い切りそれを煽った。まぁ、マズいよね。苦いし。咽そうになるところを水で強引に飲み込む。

「あとは毒が抜けるまで十分に睡眠を取ってください。くれぐれも、無理して動いては駄目ですよ」

「うん、わかってるよ……」

 未だに痛みもあって視界も揺れるけれど、薬が効いてくると少しは楽になるはずだと目を閉じる。

「……無茶しないでくださいよ」

 か細く震えていた声に、ごめんね、と謝りたかったけれどそれよりも意識を手放すのが早かった。


 それから私はしばらくの間ベッドの上の住人だった。毒が抜けきるまでは絶対に安静とノラから念を押され、消化に良い食事は彼女がわざわざ持ってきてくれる。最初こそ手に痺れが出ていてノラに食べさせてもらっていたけれど、今は少しずつ自分でも食べれるようになっていた。

 私がこうしてベッドの上にいる間、比例してノラの仕事も増えてしまう。そのことに申し訳なく思っていたところだから、食事が自分で取れるようになったのは大きい。これで少しはノラの負担が減ればいいなと今日もベッドの上で大人しくしておく。私が今やるべきことは、一日でも早く体調を戻すことだ。

 ただ、食事に関してはノラに申し訳ないと思っていたけれど……実はそれよりもずっと、困っていることがあった。

 ノックが鳴り返事をする。いつも決まった時間にやってくるから、誰がノックしたのか見なくてもわかる。開かれたドアの向こうに姿を現したのは想像していた通り、ライの姿だった。その手に包帯や布、器などを持って。

 ベッドの上に乗っていた私は縁のほうへと移動し、靴を脱いだライがベッドに乗り私の後ろのほうへ移動する。最初は椅子に移動してやろうと思ったけど私が動けず、ライが一つ断りを口にしてそれ以降こういう形で収まった。

「痛みはどうだ?」

「だいぶ和らいできたよ」

「そうか」

 いつも同じ言葉を口にして、最初は「大丈夫」だと言ったけれどそれを信じなかったライは盛大に顔を歪めた。つい癖で言ってしまったけれど、まずいことだとすぐに察知しそれ以降素直に感想を口にするようにしている。

 最初はノラが傷の手当てもしていてくれたのだけれど、気付けばその役割がライへと代わっていた。「代わってもらった」とライは短く告げたけれどどういうつもりで代わったのかまでは言わなかった。私は気を失っている男を女性の力で手当てや着替えをさせるのはかなりの労力で、だから力のあるライが変わったのだろうと勝手に納得している。

 でも正直、まだ助けがなければ着替えもままならない。いつもライが傷薬を塗ってくれてガーゼと包帯を変え、そして着替えの手伝いまでしてくれている。そして今日もこうしてやってきたというわけだ。

「腕は動かせるか?」

「右腕はまだ上がらないね」

「脱がすぞ」

「うん」

 ボタンは左手でなんとか外せたけれど、袖から腕を引き抜くことができない。ライの手を借りて服を脱ぎ、上半身裸の状態になる。そして巻かれていた包帯が解かれ、傷口に当てていたガーゼが剥がされる。傷自体はそうでもないのにやはり毒が厄介で、何度変えても相変わらず膿んでいる。けれど徐々に膿も減ってきているから毒が抜けてきている証拠だ。

「薬を塗るぞ」

「うん」

 ライは何か動作を行う時は必ずそう言ってくれる。別に適当にポンポンやってもらっても私は問題ないのだけれど。寧ろ手当てをしてもらっている身だから文句なんか出てくるわけがないのだから。

 ノラに頼んで調合させた傷薬は見た目こそあれだけれど、それなりの効き目はある。傷口はだいぶ塞がってきたようで、数日前まで塗られる度に痛みが走っていたけれどそれもなくなってきた。

 いつも必要以上に丁寧だな、と思う手付きでライは丁寧に薬を塗っていく。そんな、割れた壺を接着剤で元通りにしようという作業でもないんだから。ベチャッと塗ってペッとガーゼを当てて包帯グルグル巻いてくれればそれでいい。でも前に一度そう言ったにも関わらず、やっぱりライの手付きは丁寧だ。

「……傷口、だいぶ塞がってきたな」

「そっか、よかった」

「……でも、痕は残る」

「大丈夫だよ、痕ぐらい」

 別に恥ずかしいものでもないし、傷が塞がればそれでいい。大して気にしていない私だけれど薬を塗っていたライの手がふと止まる。どうしたんだろう、と後ろを振り返りたくてもまだ本調子ではないから振り向けない。

 すっかり黙ってしまったライに、私はつい苦笑を漏らす。

「今度、ライが怪我したら私がおまじないしてあげるって言ったのに、結局私が怪我しちゃったね」

 止まっていた指がピクリと動いた。私が擦り傷を負った時、手当てをしたライにそう言ったのに。大怪我するのはライのほうだと思っていたのに私のほうが先だった。

 私の意識が戻ってライが傷の手当てをしようとした時、あろうことかライは傷口に擦り傷の時と同じようなことをしようとして私は慌てて止めた。あの時とは違ってこの傷には毒が付着している。その傷にライの唇を付けさせるわけにはいなかったから。

 不意に、ふわりと肩口に柔らかいものが当たる。ライの髪だと気付いたのは早かった。

「もう……俺のいないところで、無茶しないでくれっ……」

 いつもの凛とした声とは違う、震えていて、聞いているこっちの胸がギュッと締め付けられるような、そんな声。どれほど彼が心配してくれたのか、いつもいつも傷の手当てをしてもらって気付かないわけがない。

 わかってる。もし逆の立場なら私も同じように心配する。無茶しないでくれって目に涙を浮かべるかもしれない。ライの、彼らの言葉は痛いほどわかってる。けれど。

「ごめんね、約束できない」

「っ……」

「私は大切な人たちが傷付けられようとしていて、黙ってはいられないよ」

 渡すのはいい、ただ奪われるのだけは嫌だ。その人の意志関係なしに傷付ける行為を許すことはできない。

 もちろん私一人でなんでもできる、どうとでもできるだなんて傲慢な考えは持ってはいない。私の力なんて微々たるもので、精々時間稼ぎができる程度だ。だから今回、自分でできる範囲でやったまでだ。そして再び同じことが起きれば私はまた同じことをする。

 だから、無茶をしないという約束はできない。無茶をして守れるのならば、きっといくらでも無茶をしてしまう。

「ごめんね……」

「……いい。わかってる……わかってた」

「……私はライに甘えてばっかりだ」

 彼ならばそう言ってくれるんじゃないかって、心のどこかで思っていた。それだけじゃない。

「手当てしてもらって、着替えもさせてもらって。貴方が傍にいると、つい頼ってしまう」

「……」

「自分でも、よくないってわかってるんだ」

「そんなことはない」

 ふわふわだった頭が肩口からなくなったかと思えば、やんわりと腕を回され抱き寄せられた。傷口になるべく障らないよう配慮されていてやっぱり彼は優しいなと心の中で呟く。

「もっと俺に頼ればいい」

「でも、手伝わせてばかりだ」

「俺が好きで手伝っているんだ。俺が手助けしたいと思って手を貸しているだけだ。アリステアが思い悩むことなんて何一つない」

「……貴方の自由を奪っているような気がしてならないんだ」

「そんなことは一切ない。俺は自由にやっている。俺は自分の我儘を通しているに過ぎない」

 彼の我儘ってなんだろう、と首を傾げた。彼が我儘を言ったことなんて一度もないのに。

「アリステア、俺を傍に置いてくれ」

 それは、私のセリフなような気がする。

 ふとそんな言葉が浮かんで、一瞬頭の中が真っ白になる。私は一体何を考えている? それこそ、酷い我儘だ。相手の自由を奪うようなことを平然と思ってしまう自分に嫌気が差す。

 けれどそんな考えに反して、彼にそう言われた私のほうは別に嫌な思いは何一つ抱かなかった。

「……ライ」

「なんだ」

「……服を、着させてもらってもいいかな。ちょっと寒くなってきた」

「あ、悪い」

 手当ての途中だったから私は相変わらず上半身裸だ。肌寒くなってきたと言えばライ腕を離しせっせとガーゼを当てて包帯を巻いてくれている。でも感情は冷や汗を掻いてきたというのに、身体はどちらかというと火照ってきたような気がする。毒でも回ってしまったのだろうか。

 器に張ってある水をタオルに染み込ませ、丁寧に私の身体を拭いたあと再びせっせと着替えの手伝いをしてくれる。袖に腕を通し、ボタンを一つずつ左手で留めれば終了だ。

「食欲はどうだ?」

「うん、食欲も戻ってきてるよ」

「ならよかった。たくさん食べてたくさん寝て、早くよくなってくれ」

「そうだね」

 ベッドから降りて私の正面に回り、膝をついた彼の目はすぐそこにある。緩やかに微笑む顔に同じように笑みを向けた。早く治して、彼の仕事量も減らしてあげないと。

 徐ろに彼の手が伸びて私の頬に触れる。親指の腹でするりと撫でられてどこかくすぐったいような気もするけれど、きっと食事もまともに取れていなかったから頬の肉も痩けてしまったのだろう。

 なんだか彼の手があたたかくて、思わず頬を擦り寄せる。さっき抱きしめられた時もそうだったけれど、なんで人の体温ってこんなにも安心するんだろう。

「っぐ……」

 とか思っていたら、よくわからない音が目の前に聞こえて閉じていた目をパチッと開けた。何やらライの喉から聞こえてきたような気がしたけれど。

「ライ?」

「い、いや、なんでもない」

 パッと手が遠ざかって少し寂しいような気もしたけれど。でもライも忙しいのだろう、パタパタと片付けを始めて私に例の飲み薬を手渡してきた。忙しなく動くライをマズい飲み薬を飲み込みながら眺めて、それが終わると私を寝かせるためにやんわりとベッドに横たわらせる。

「しっかり休んでくれ」

「うん、いつもありがとう、ライ……」

 薬が効いてきたのかそれとも手当てをしてもらったからか、横になるとすぐに睡魔が襲ってくる。ふわりと頬にぬくもりが当たって、いつまでもそれを感じていたいような気がした。

 徐々に重くなっていくまぶたの向こうで、ライの顔が見えてホッとした途端まぶたは完璧に落ちた。

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