15.貴方には敵わない気がする
みんなの協力のおかげで無事教会の修繕が終わった。だからといって神官が常駐するわけじゃないけれど、でも村の人たちの憩いの場として使ってもらえたらなと笑みを浮かべて息を吐き出した。
周囲では作業を終えた村の人たちが早速談笑している。周りの草木も手入れしたから、子どもたちが元気に駆け回っていた。首都のように利便性がある場所ではないけれど、でも村には村ならではの良さがある。こうしてみんながのびのびとゆっくりと過ごせる場所であってほしい。
ふと視線を向ければライの姿があった。彼にもたくさん手伝わせてしまったと苦笑を漏らしていると、そんな彼の傍に私たちにスコーンをくれた子が歩み寄っていた。何を話しているのかはここまで聞こえてこない。ただ女の子は嬉しそうな顔をしていて、ライもこの間のような固い表情をしているわけでもない。
純粋にああして好意を向けることができるって、素晴らしいことだなぁとなぜかしみじみ思ってしまった。傍にいれて嬉しい、会話ができて嬉しい、そんな感情がありありと溢れているその子を眺めながら社交パーティーでのことを思い出す。社交界ではあまり見かけない光景だ。貴族はそういう感情よりも、損得勘定で動いている。近付いてくるのは打算があるからだ。
ライも、あんな純粋な感情を向けられて悪い気はしないんじゃないのだろうか。心なしか表情も穏やかなような気がする。勘当された身である彼には、この村で誰かと添い遂げるという選択肢も新たにできた。
そうなったら私はもう全力でお祝いする。だって大切な友人のためだから。策略や打算なんかない、ただ気持ちを通わせるだけの結婚は素敵だと思うから。
「……ふう」
でも小さく息を吐きだす。最近そういうことを考えるようになったんだけど、考える度に胸の辺りがモヤモヤする。あんまりいいものじゃない。自分に小さな嫌悪感を抱きながら頭を軽く左右に振った。
「お疲れですか? アリステア様」
「ものすごく頑張られていましたもんね。ゆっくりしてください」
「ああ、ありがとう。みんなも休んでね」
村の人たちからそう声をかけてもらって、笑顔で言葉を返す。そんな心配げな表情をさせるようなものじゃない。でもこれ以上心配かけさせるわけにはいかないと、この場は素直に屋敷に戻ることにした。
村の人たちに挨拶をして回って、時々「教会を直してくれたお礼」だと言って美味しい果物やお菓子をもらったりして。お礼を言われるほどでもなく、寧ろ毎日田畑を耕して野菜を作ってくれている村の人たちに対する、私からの恩返しだったんだけどなと苦笑する。
「アリステア、帰るか?」
「うん、今日はもうゆっくりするよ」
「そうか。なら行こう」
ライがスッとやってきたかと思えば、私と一緒に帰路に立とうとする。いやいや、誰か喋りたい人がいるのならばゆっくりしてきなよって感じだったんだけれど。歩みを止めない私にライの足も止まらない。試しにピタッと足を止めてみれば、ライの足もピタッと止まる。
「どうした?」
「いや……ライ、よかったらゆっくりしてきてもいいんだよ?」
「……? いや俺も戻るが」
「そう?」
「ああ」
視線を感じてチラッと目を向けてみれば、ライのほうを見ていた女の子と目が合った。彼女はパッと視線を外して恥ずかしそうに顔を隠して去っていく。
よかったのかな、もっとライとお喋りをしたかっただろうに。
「どうした?」
「……ううん」
でも私が言いたいことがライにはあまり伝わっていないようで。ライに気付かれないように小さく息を吐き出した。
着替えを済ませ、自室に戻ると私は息を吐き出しながらベッドの上に仰向けに倒れた。なんだかここ数日、ずっとモヤモヤしているような気がする。
「貴方は欲がなさすぎます」
ふと、ノラからよく言われる言葉が頭の中で響いた。言葉にはしないけれど、姉上もそう思っている節があるような気がする。
欲、か。と小さく口から言葉を零す。そんなことはない、そう言ってもノラはまったく納得してくれなかった。
私も人間だから欲ぐらいはある。ただ、もし自分が持っているものが、別の人のほうがもっと有効的に使えるとなれば私は自分が持っているものをその人に渡す。適材適所というものは人間のみならず物だってそうだろう、というのが私の考えだ。
例えば、だ。私が自分の欲のままクレヴァー家当主に就きたいと言ったとする。一応そういった勉学は学んできたものの、やはり私は姉上よりも劣っている。恐らく大事な場面でより多くの間違いを犯す。そんな当主に仕えている者は不安で仕方がないだろう。自分のその欲のせいで折角仕えてくれている者たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。
だから私はクレヴァー家当主になるのは姉一択だと信じ、父に強く反抗した。私が父に強くものを言ったのはあれが初めてだ。
私が当主となってしまったら家を落ちぶれさせ、才能ある姉上は他所に嫁ぎそのまま『妻』としての働きしかできずに宝の持ち腐れとなってしまう。そんなことあっていいわけがない。姉は、当主という座に座ってより強く輝く人だ。
でもそれをノラに言うと彼女は呆れた。「当主になれば婚約破棄も簡単だったんですよ」と言って。けれど私にとってはそれこそどうだっていい。多少大変ではあったけれど当主にならなくても婚約破棄はできたのだから。たったそれだけのために、姉に辛い思いをさせたくはなかった。
まぁ、結局私はただ一度もクレヴァー家の当主になりたいとは思ったことはなく。姉が当主になることは私の中ではすでに決定されていたことだから、周りがなんと言おうともそれは決して変わることはなかったのだけれど。
そういう意味では確かに私は周りに比べて『物欲』は少ないほうなのかな、という自覚なら多少はある。
ここでもしあの女の子から「私にはあの人が必要です」と言われてしまえば、とても悩むだろうけれど彼もそう望んだのならば手を離すしかない。人の心なんて他人がどうこうできる問題でもない。私が我儘言ったところでどうにもならない。
「……いや、我儘ってなんだ」
なんでそういう発想に至ったんだと閉じていた目をパチンと開けた。ライが望むのであれば背中を押してあげるのが普通だろう。どうしてそこで私は我儘を言うことになってしまうのだろうか。
確かに最近ライに頼りまくっている自覚はある。よくない傾向だということもわかっている。むくりと身体を起こして、小さく息を吐く。
彼には『手伝い』という名目で色んなことをさせてしまっている。姉上から彼はクレヴァー家に仕えている使用人ということになったという手紙が来たけれど、恐らく働きに見合った給料にはなっていない。私がそれ以上のことをさせてしまっている。
姉上に彼にはちゃんと正式に役職に就かせたほうがいいと進言してみよう。そうすれば彼はもっと自分の権限で自由に動けるはずだ。
そうと決まれば早速手紙を書こうとベッドから降り、便箋と封筒、それにペンを取りに行こうとした時だった。ノックが鳴り顔を上げて返事をする。ノラかな、と思っていたけれど聞こえてきた声は聞き慣れた低い声だった。しまった、先に返事をしてしまったとなぜか後悔の念が胸を過ぎる。
「悪い、休んでいたか?」
「ううん、大丈夫だよ。どうかした?」
こうしてライが部屋を訪ねてくることは珍しくはないけれど、大体が何か用事があってのことだからまた何かあったんだろうと首を傾げる。紙とペンに伸ばそうとしていた手は一旦止めることにした。
「いや……なんだか様子が違ったような気がしてな」
「私が?」
思わず目を丸めれば、なぜかライは苦笑をこぼす。別に様子は変わらないけれどと返すとその笑みは更に深くなった。その様子だけ見ていると私ではなくてライのほうが様子が違うような気もするけれど。
「ライのほうこそ、疲れたんじゃない? ほら、色々とさせちゃったし」
「確かにな。だが生憎体力はつけているほうだ」
それは私のほうもなんだけど。でも悔しいことに剣の腕は相変わらずライのほうが上だ。まぁずっと習っていたライに対して習い始めの私が敵うわけがないんだけど。悔しい、というよりも羨ましいという感情のほうが上かもしれない。
無理をしてないならいいのだけれど、とりあえず中に入るように勧めて一緒にお茶でもどうだろうかという提案はゆるく首を左右に振られて断られた。
「様子を見に来ただけだ。アリステアにも休んでもらいたいからな」
「お気遣いありがとう。ライも休める時はちゃんと休んでね」
「ああ」
彼はそう微笑み、なぜか私のほうに手を伸ばしてきた。身体を引くことなくそのまま立っているとその手はすぐに離れていく。
「糸くずついてた」
ああ、だから髪に触ったのかと納得した。そういえば先日は葉っぱがついていたと言って取ってくれたっけ。私の髪ってそんなに色んなものをつけちゃう髪質なんだろうか。
「……あれ?」
そこでふと、気付く。ほんの少し前まで、ライと目を合わせる時は少しだけ視線を下げていたのに。
今では視線を下げることなく、真っ直ぐに前を向けばそこにライの目がある。
「……え、身長伸びたの?」
「どうやらそうみたいだな。俺もまだまだ伸びるようだ」
「……えぇ?」
「なんでそんなに不服そうなんだ」
「いや……身長だけはライに勝てると思ったんどなぁ」
「そんなこと思っていたのか」
クスクスと楽しげに笑うライに、私はほんの少しだけ眉を下げた。別にライと勝負をしようだなんて考えてはいないけれど。でもほら、ずっと女性の格好をしていた私はライよりも身長が高いということで、少しだけ男らしさを感じているところがあったものだから。
でもライも私と歳が同じなのだから、彼だって身長伸びるよなぁとほんの僅かに肩を下げた。いいな、ライは。どんどん格好良くなれるのだから。
「ちょっと不公平だな」
「なんの話だ?」
「ううん、こっちの話」
気になるのかライはじっと見てくるけれど、素直に言うつもりもなくて笑顔で誤魔化した。
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