14.心臓に悪いよそんなこと

 村は首都より入り組んでいるわけじゃないけれど、自然が多いため死角も多い。しかも相手は子どもだから大人が想像できない場所に入り込むことだってできる。とにかく視点を低めにして、子どもが迷い込みそうな場所を重点的に探していく。

「子どもの足だからまだそう遠くには行ってないと思うんだけど」

「行き先に心当たりはあるか?」

 その言葉に少し顔を歪める。あの子は大人しい子で母親の言葉もちゃんと聞く子だった。だからこうして母親の目を盗んでどこかに行くこと事態が稀なことで、そこまでして彼女の興味を引くようなものはなんだろうかと頭を捻る。

「どこかに落ちていなければいいが……」

「そこまでお転婆な子じゃないんだけど……」

「怪我をしていないことを祈るばかりだな」

「うん……――あっ!」

「どうした?」

「シッ、静かにして」

 鬱蒼と草木が生えている場所に足を踏み入れてあちこち探していたんだけれど、ライの言葉を遮るように人差し指を口元に当てた。さわさわと、草木が揺れる音しか聞こえてこない。そんな中、耳を澄ませ集中する。

「――こっち」

 そう行って進んでいた方向とはまた別方向に足を進めた。どこまでも平地が続いているようで、実はここから先に進んだところにはちょっとした窪みができている。

「シア!」

 そこを覗き込んでみると、小さな窪みにすっぽりと収まっている小さな身体を見つけた。彼女は泣きはらした顔を上げて、私たちの姿を見た瞬間またワッと鳴き声を上げた。

「ご、ごめんなさい、アリステア様、あたし、あたし綺麗なお花があったのを思い出して、それでっ」

「うん、うん、お母さんのために採ってこようとしたんだね?」

「う、うわぁぁっ」

「もう大丈夫だよ。今助けに行くからね」

 大人しい子だけれど、とても母親思いの子だったから。綺麗な花のことを思い出して、母親のために取りに行こうとしてこの窪みに気付かず落ちてしまったのだろう。わんわんと泣くシアに「大丈夫」と声をかけて、一度顔を上げる。

「俺が――」

「ううん、私が行くよ」

「っ……! 危険だ、俺が行く」

「私のほうが身軽だろう?」

 にっこりと笑みを浮かべれば、今にでも窪みに飛び込もうとしていたライがグッと動きを止める。

「私のほうが身軽で、そして」

「俺のほうが力がある」

「そういうこと。しっかりと引き上げてね」

「ああ、わかった」

 パチンとウインクをすると彼は苦笑してみせて、私は躊躇うことなく窪みへと飛び降りた。わんわん泣いているシアを抱きしめて宥めて、頭をゆっくりと撫でてあげる。大人ならまだしも子どもだとこの高さは自力で這い上がってはこれない。きっと嵌った時いつ助けが来るのかわからず怖かっただろう。

 シアの身体をしっかりと抱きかかえて窪みから這い上がる。少し足を滑らせそうになったところ、上からぬっと伸びてきた腕に支えられた。その腕はそのまま私の身体を引き上げ、そして無事シアも窪みから脱出することができた。

 まだ泣き続けるシアを抱えながら指笛を吹く。すると一羽の鳥が飛んできて頭上で軽く旋回した後、迷うことなく私のところへ降りてきてくれた。

「ライ、ちょっとお願い」

「ああ」

 泣いているシアをライに任せて、携帯している紙とペンを取り出しサラサラと簡潔に書いていく。その紙を鳥の足に巻き付けそして空へ放った。

「ア、アリステア……?」

「ん? どうしたの?」

「な、泣き止まないんだが……」

「うわぁぁお兄ちゃん誰ぇぇえっ?」

「ああ、その子ちょっと人見知りなんだ」

 私の時はそうでもなかったんだけど、ライが抱えた瞬間一層ワァワァ泣き始めちゃって。あまり小さい子の相手とかしたことがなかったんだろう、ライもライでどうやって泣き止ませればいいのかわからなくてアワアワしている。この場だけで十分賑やかだなとつい笑みを零して、すっかり困り顔になっているライからシアを受け取った。

「大丈夫だよ、シア。お母さんのところに帰ろう?」

「う、うん……」

「ライも大丈夫だよ」

「ああ……」

 シアの目が真っ赤になっちゃったけど泣き止むのを待って、自分で歩けそうなのを確認して手を繋いで歩き出す。子どもが泣き止んだことにホッとしたライも、そんな私たちの後ろからついてくる。多分、シアにまた何か起こればすぐに助けられる位置にいてくれているんだろう。

「シア!」

「お母さん!」

 教会前に戻ると村の人たちみんな戻ってきていた。私が鳥を飛ばしてシアを見つけたことを知らせ、それをノラがみんなに伝えてくれたのだろう。母親と子どもの無事の再会にみんなホッと息を吐き出した。

 まだ暗くはなっていないものの日はそこそこに傾いており、しかもみんな必死に探してくれたおかげで疲労困憊だ。これは教会の修理はまた明日だなと苦笑し、今日はお開きということで家に帰ってもらうことにした。

 シアはしっかり母親と手を繋いで、村の人たちも「よかったよかった」と口々にして帰っていく。ノラは湯船の支度をするからといち早く屋敷へ帰り、ディーンたちも支度をしていた。

 また明日も頑張るかぁ、ってグッと腕を上に伸ばした時だった。なぜかその腕がグンッと引っ張られて身体が傾いた。

「え?」

 何事だって目を丸くしていたら、どうやら私の腕を引っ張った犯人はライだったようだ。一体何、って聞こうと口を開いたけれどライの顔がいつになく真剣だったものだから、思わず口を噤む。

「擦り傷」

 そう一言言われてやっと、自分の腕に擦り傷ができていたことに気付いた。多分シアを助けた時だ。這い出す時にどこかで腕を擦ってしまったんだなぁ、とかのんびりと考えている私を他所にライは自分が持ってきていたボトルを取り出し、水を布に染み込ませると丁寧に擦り傷を拭っていく。

「あ、いいよ、そんなわざわざ。布が汚れるよ」

「放置していたら悪化するかもしれないだろ」

 こんな擦り傷程度で、って言いたくなったけれど。ライがまた、そんな壊れ物を扱うように丁寧に拭くものだから。私は何も言えずにされるがままだった。

 なんだか、本当に。彼はここに来てから変わったような気がする。いや、私が知らなかっただけかもしれない。ライは本当に優しいなとしみじみと思う。文句言わずに手伝ってくれたり、一緒にご飯食べてくれたり、シアを一緒に探してくれたり。ここに来てから何かと私を助けてくれる。

 このままだと私、ライに甘えっぱなしになってしまいそうだとほんの少し焦りを覚えた。甘えているつもりはないけれど、ライがそこにいるとつい頼ってしまっている。これってあまりよくない症状じゃないかと冷や汗が流れた。

 いつまでも黙って拭かれっぱなしにいるんじゃないよ、私。と自分を叱咤してお礼を言って腕を話そうとした時だった。なぜかパチンとライと目が合う。

 そしてなぜかドキッとしてしまった。これはあれだ、ひとえにライの顔が良すぎるからだ。社交パーティーの時、ライと目が合った女性は大変だっただろうなぁ。とか、なぜか現実逃避している私がいる。

 けれどそのライの視線が不意に外れて、私の視界から消えた。

「――ぅひっ?!」

 素っ頓狂な声が出てしまったのは仕方がない。だって、そんな急に……自分の擦り傷を負った腕に唇が降ってくるだなんて誰も予想できない。

 汚いよとか血が付くよとか言いたかったのに、口をパクパクと動かすことしかできない。そんな私を上目遣いで見てきたライは、小さく笑って一言告げた。

「早く治るようにおまじない」

「……いや! そんなことしたって、あんまり変わらないでしょ……」

「ははっ、まぁ、そうだな」

 スッと顔を上げて、私の腕を持ち上げていた手も離された。なんだか、恥ずかしいことをされたような気がする。気のせいか。思わず誰かに見られたんじゃないかって辺りをキョロキョロと見渡してしまった。よかった、みんなもう帰っていてこの場には私たちしかいなかった。

「どうした?」

「いや……心臓に悪いことするなぁって」

「そうか。心臓に悪かったか」

 まったくもって罪悪感のない表情をしている。寧ろどこか楽しそうだ。まさかライにからかわれる日が来るなんて。それほどまでに私に気を許してくれるようになったんだなと思う反面、あまり心臓に悪いことはしてほしくないなと心から思った。

 そういえば、私は家族以外にこうやって誰かと触れ合うこともなかったな、とも。

「……今度ライが怪我したら、私がおまじないしてあげるよ」

 もちろん丁寧に怪我した箇所を拭いてあげて、と付け加えるとさっきまで楽しそうにしていたライが今度はピシッと固まった。なんだなんだ、今度は何があった忙しいなと固まったライの横顔を眺める。

「……のか」

「え? なんだって?」

「いや……同じことを、してくれるのか」

「だってライにしてもらったからね。同じことしてあげるよ。あ、でも怪我はしないでね」

「……本当に同じことをする気があるのかどうかわからないな」

「ライが怪我をして喜ぶほど私も鬼畜じゃないよ」

 寧ろ怪我はしないほうがいいに決まっている。今回私はただの擦り傷で水で洗い流せる程度だからよかったものの、ライが怪我をするとなると大怪我になりそうな気がしてならない。

 まぁ、同じように擦り傷程度だったらお返しする。という言葉に固まっていたライは動き出して、そして「加減が難しいな」と小さく笑った。

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