12.惚れた方が負け

 どうやらアリステアはデスクワークが苦手なようだ。当人もその自覚があり先日俺も手伝ったが、村人の手伝いをしている時と違ってヒーヒーと弱った姿を見せながら必死だった。

 だが俺から見ると、あくまで「苦手」であって「できない」というわけではない。寧ろ他の貴族に比べてできているほうだ。

 恐らくだが、彼の比較対象が常に腕のいい姉のオリヴィア嬢だったことが原因だろう。彼の中での水準がその姉によって高くなり、だから自分はあまりできないほうだと思っている節がある。彼の自己評価が少し低いのはそのせいだ。

 だが決してそのようなことはない。そもそも彼は『令嬢』としての所作等などは完璧だった。飲み込みが早いのだろう。一つ教えるとあっという間に覚える柔軟さや記憶力がある。だから決して周囲より劣っているというわけではない。

 ただ……確かにオリヴィア嬢のような完璧な人間が傍にいるのならば、そう思っても不思議ではないのかもしれない。俺ももしオリヴィア嬢が婚約者であったのならば、自己嫌悪に陥っていた可能性がある。

 しかしそのまま卑屈になりそうなところ、それを阻んだのは彼に仕えている使用人たちだ。彼らはクレヴァー家の当主に似て少し素直ではないところがあるが、皆それぞれのやり方でアリステアを慕い支えている。その気持ちが彼にも伝わっているからこそ、彼はああも真っ直ぐでいられたのだろう。

「でも限度ってものがありますよ」

 アリステアは別件で遅れるから、と先に鍛錬所へ来ていたのだが。そこで彼の騎士たちと軽く会話をしていたらそんな言葉が飛び出してきた。

「ああわかりますディーン先輩。すっごいわかります俺」

「そうだろ」

「いや……どういう意味だ?」

「だからそのままの意味ですって。あの方貴族らしくないからこそ気さくでしょ――つまり人たらしですよ、人たらし」

 護衛騎士にまでこう言われるとは。俺だったら嫌だと思いつつ、彼の言葉に納得してしまう。

「貴方もここに来てからよくわかるようになったでしょ。あの方は誰にでもホイホイ優しくするくせに、自分への好意にはとんと疎いんです。いや、とてつもない恋愛感情を向けられれば流石に気付くでしょうが」

「与えるだけ与えて満足しちゃう人ですよね」

「……なるほど」

 二人の騎士の言葉がなんとなくわかるような気がする。俺が薄々感じていたのはそれかもしれないと頷いてしまった。確かにそうだ、まさにそれだ。

 そうでなければ必要最低限の物しか持ってこなかった、爵位も何もない男をすんなりと屋敷に住まわせるものか。普通何か裏があるのではないかと怪しがるだろ。だが彼はたった一度もそんな素振りを見せなかった。

 人たらし……というか、言葉が悪くなるが、あれは『お人好し』だ。心配になってくる。

「俺たちの苦労、わかっていただけましたか?」

「ああ、その、大変だな」

「ええそうですよ。ついでに貴方のせいで苦労が増えそうな気がします」

 チクリ、とここで突いてきた。流石はクレヴァー家に仕えている人間だ。さっきまで二人共朗らかに話していたような気がしていたが、年上のほうの騎士がそう口にした途端ピリッとした空気が走る。

「……そうか」

「否定しないんですか?」

「俺は自分がずる賢い人間だということを自覚している」

「オリヴィア様と同じタイプっすね~」

「そのうちアリステア様が泣き出すぞ」

「流石に泣かせるようなことはしない」

「どうだか」

 年上の騎士のほうが軽く肩をすくめ、もう一人の騎士が苦笑を漏らした。泣かせるようなことはしない、それは確かに誓うことができる。が。

 別の意味では果たして誓うことができるか、という話になってくる。それに関しては俺も強く否定はできない。二人も言ったとおり、俺はずるい人間なので。

「まぁでも、苦労するのは貴方も同じだと思いますよ~。ファイトです」

 そう年下の騎士のほうに言われてしまい、複雑そうな表情をしたのはもう一人の騎士のほうだった。お前は一体どっちの味方なんだ、と言わんばかりの顔をしている。

 しかしこうして普通に話してはいるが、恐らく二人は俺の気持ちに気付いているのだろう。というかこの屋敷の者、または村人たちはほとんど気付いているのかもしれない。俺も一応隠そうとはしていたが、どう足掻いても溢れ出るものは溢れ出る。そして周囲はそれで気付いた。

 そして残念なことに、当人だけはそれに気付いていない。

 先程騎士が言っていたとおり、自分に対する好意にはとんと鈍いのだろう。社交パーティーで幾度かダンスの申込みがあったようだが、彼はなぜ自分が誘われているのかわからない様子だった。それは普通に考えて、社交界の高嶺の花と一緒に踊りたいに決まっているからだろうと誰もがそう答えるだろうが、彼の頭はその答えに辿り着けない。

 本当に、当人は与えるだけ与えてすっきりして満足してしまうのだろう。博愛主義者のきらいがある。

「あぁ~っ、お待たせー! 待ったー?」

「待ってないですよ」

「すみません俺たちだけで先に鍛錬してました!」

「酷くない?!」

 パタパタと走ってきた当人は先程まで俺たちがどんな会話をしていたのか知らない。ただ急いでやってきたにも関わらず、騎士二人に冷たい態度を取られてショックを受けていた。が、それも一瞬だけですぐに楽しそうな笑顔に変わる。恐らくそうだろうと思っていたのだろう、よってそういうポーズを取っただけでショックも受けていない。

「ライは二人から酷いことされなかった?」

「ああ」

「寧ろこちらから助言しておきました」

「そうです。これからきっと苦労するだろうからなぁって」

「え? 助言という名の脅し? 酷いことするね」

 これは双方とも決して本気ではない。いつも通りの気さくなやり取りだ。こうして彼は周囲との心の距離を縮めている。

 騎士二人と、アリステアの朗らかな雰囲気にこちらの表情もつい緩むのがわかった。


 自室に戻れば数枚の手紙がテーブルの上に置かれていた。一つはオリヴィア嬢からだ。封を切り中を確認する。アリステアには黙っているが、ここに来てからこうしてオリヴィア嬢と手紙のやり取りを数度行っている。やり取りというか、ある意味での報告書だ。

 前回の手紙で俺はいつの間にかクレヴァー家に雇われていることになっており、その報告が彼女から来ていた。恐らくアリステアとのやり取りで俺の働きが認められたのだろう。だから彼から給金をもらうことになった。

 今回の手紙の内容はいつも通りだ。働きに見合った給金の明細書、と「弟の面倒を頼む」と最後にしたためられている。弟のことが心配なのだろうが、素直にそう書かない彼女の不器用さが見て取れた。

 次にもう一通の手紙を手に取る。めずらしくもハンナ令嬢からだった。彼女にはこの屋敷に着いた時に一度だけ手紙を出したが、彼女から来るのはこれが初めてだ。こちらも封を切り便箋を取り出す。そして中を確認して、わずかに眉間に皺を寄せた。

 そこには、ここ数日社交界での動きがおかしい、と書かれていた。

「『聖女』……? なんだ、いきなり」

 聖女が現れたとの文に、顎に手を当て思案する。『聖女』というものを知らないわけではない、ただ文献で読んだだけでそれが実在するとは思わないだけだ。『聖女』とは物語上の人物であって、神官の信仰の対象だ。それが現れた、実在したということになる。

 これはオリヴィア嬢に手紙を書いたほうがいいなと早速ペンと紙を取り出す。恐らく情報収集するのならば彼女のほうが早い。今回俺に対する手紙で書かれていなかったのは未だ噂の段階かもしれない。

 まぁ、首都で『聖女』が現れたところで騒ぐのは貴族たちだけで、その騒動はここまで届かないだろうと踏んでいる。こう言ってなんだが、クレヴァー家の領地内ということもあってこの村は喧騒からかなりかけ離れたところにある。それだけオリヴィア嬢が領地内の民たちを大切にしている証拠だ。

 だが念の為に情報は集めておいたほうがいいだろうと手紙をしたためているとドアがノックされ、一度ペンを止め顔を上げた。返事をすれば一拍置いてドアが開かれ、ひょこりと顔が出てきた。

「ライ、忙しい?」

「いや、大丈夫だが……何かあったか?」

「ちょっと手伝ってもらいたいことがあって」

 彼の手伝いはよくしているが、改まってなんだろうかと首を傾げつつ立ち上がる。

「前に品種改良で手伝ってもらっただろう? 収穫できたから一緒に毒見してもらおうと思って」

「毒見?」

「ごめん間違えた。味見」

「どっちも似たようなものだろ」

 つい苦笑を漏らし自室から出て、歩き出したアリステアのあとに続く。彼はこの村の食料事情のために色々と模索しており、俺もつい先日その手伝いをしたばかりだ。とは言っても俺も野菜などのことに関してはそこまで詳しくはなく、自分が持っている知識で案を捻り出したに過ぎないが。

 だが彼が丹精込めて育てた野菜ができたのであれば、例え毒見になろうとも口にしようと小さく笑みを浮かべる。

「大丈夫とは思うんだけどね。でも念の為に薬は準備しておいたから」

「それで俺に毒見をしろと?」

「味見、ね? 私も一緒に食べるから気にしないで。他の人たちにも頼むことはできたんだろうけれど、あれだよね、ライも耐性ぐらいはついているよね?」

「まぁ……一応はな」

 耐性とは、毒に対する耐性だろう。貴族で、しかも俺は公爵だったため色々と盛られる可能性もあった。そのために幼い頃から多少耐性をつけてきたが、まさかそれを理由で選ばれたとは。素直に喜べばいいのかどうかわからず、複雑な気分だ。だが頼られているという事実は嬉しく、より一層複雑になるばかりだった。

「待て。アリステアも食べるのか?」

 そういえば先程彼は「一緒に」と言っていた。そのことをしっかりと思い出し、若干口調が強くなっているのを自覚しつつ思わず立ち止まる。釣られるようにアリステアも立ち止まり振り返ってきた。

「もちろん。作ったのは私だよ? 責任持って食べるよ」

「だが万が一のことが起きれば屋敷の者たちは悲しむぞ」

「大丈夫だよ。私も小さい頃から色々と食べてきたから。その辺の雑草から謎の実まで」

「……いや何を食べているんだ」

「ドレス姿で木に登るのは至難の業だったなぁ」

 のんびり言っているがこれは相当なお転婆だったのでは、と今更ながら初めて知った新事実だった。本当に、ここに来てから彼の初めて見る姿ばかりだ。

 意外性ばかりなのに、なぜかおかしなことに嫌いになる要素が見当たらない。仕方がないな。これは実はオリヴィア嬢もかなり苦労をしたんじゃないかと思うぐらいだ。普通一緒にいればいるほど嫌な一面も見えてくるというのに、なぜかその一面すら可愛らしく見えてしまう。

 なぜか、ではないな。これは俗に言う、惚れた弱みとか言うやつだ。

「万が一の時はすぐに吐かせるから安心しろ」

「……あ、吐かされるんだ。私」

「舌の奥まで指を突っ込んでやるから」

「うっ……想像しただけでも吐きそうになってきちゃったな……」

 そもそも口の中に指を突っ込まれる時点で嫌がれ、と言ってやりたい。普通に嫌だろう、そんなこと。俺の苦笑を他所に彼は胸を押さえて小さく擦っている。心配するところはそこじゃないだろとまたもや言いたくなったが、騎士たちが苦労するように恐らく彼には伝わらない。

 まぁ、何が起ころうとも俺が彼のために動くことには変わりはない。と、未だに胸に手を当てているアリステアの背中を軽く擦ってやった。

 ああ、けれど一つだけ言ってやりたいかもしれない――人間ってのは下心というものがあるということを。

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