11.不思議なんですけど
「ライって本当にすごいよね」
言われた当人は思い当たる節がないようで「何が?」みたいな顔で首を傾げていた。
ライには色々と手伝ってもらうようになっていたけれど、中でもとても助かっているのはデスクワークだった。そう、私が苦手としているやつ。前まで頭を抱えながら必死でペンを走らせていたけれど、ライが来てからは頭を抱えることが少なくなった。
「この件に関してはすでにチェック済みだ。こっちは少し詳細が抜けていたから書き足しておいた」
そうスラスラと報告してくれるライに、最初はもうぽかんと口を開けるだけだった。けれど考えてみれば、彼はバシレウス家の跡継ぎとしてありとあらゆる教育を受けてきた身。勘当されたとはいえ優秀なことには変わりはない。
こう言ってはなんだけれど、本当にありがとうと拝みたくなる。勘当されてくれてありがとう、って。いや本当に言ってはいけない言葉なんだけども。
「……ところで、アリステア。気になることがあるんだが……」
「え? 何かあった?」
「いや……これは何だ」
そう言ってライが取り出したのは、小袋だ。彼がそれを動かす度にジャラジャラと音が鳴っている。
「え? 給料」
「いやだから……俺は居候の身だ。その分働いて同然なのだから給金が発生するのは……」
「何を言っているの? 働きに見合った給料を与えるのは当然のことだよ。ライの手腕はそれほどのものだからちゃんと払わないと」
買い揃えなきゃいけないものもあるでしょ、と付け加えると彼の表情が渋くなる。彼は相変わらずお下がりとか他の使用人たちが使わなくなったものを譲ってもらっているから、当人だってこのままじゃいけないとはわかっているはず。
「確かにクレヴァー家は倹約家だよ。でもその分仕えてくれている人たちにはしっかりとあげているから」
そうして彼らは自分たちの働きがしっかりと評価されていると確認することができ、またより一層頑張ろうと仕事に身が入る。それに彼らの体調のために休日もしっかりと設けている。他の貴族たちのように馬車馬の如く働かせてはいない。
よって、今もこうして頑張ってくれているライも同じような待遇をして当たり前ということになる。そう思うほど私は彼に助けられている。本当に。こんなにも綺麗に簡潔にまとめられている書類を私は生み出すことができないのだから。
「そういうことで、受け取ってよ。ね?」
「ぐ……――わかった」
「それで好きなもの買ってよ。と言ってもここじゃちょっと手に入るものが限られてくるけれど。どうしても必要なものがあったら首都から取り寄せるから、気にせず言って」
「……ああ、ありがとう」
ライの言葉ににっこりと笑みを返す。最近少しずつだけれど、彼から謝罪の言葉ではなくて感謝の言葉が多くなってきたような気がする。ずっと申し訳なさそうな顔をして「ごめん」と言われるよりずっといい。にこにこと笑みを浮かべる私に気付いたのか、ライはサッと顔を背けた。
「ところで……今日は畑の手伝いに行かなくてもいいのか?」
「……今日の私は机とお友達なのさ」
フッ、と笑みを零してみたものの自分の目が死んでいることはわかっている。毎日村の人たちの手伝いをしていれば私にとってそれは楽しいことだけれど、でも領地の管理というものはそれだけでは済まされない。苦手だからといってやらない、というわけにもいかなかった。
「俺も手伝おう」
「うぅっ……ありがとう、ライ」
ライのおかげで仕事が捗るようになったけれど、だからといって目の前にある大量の書類が一瞬にしてなくなるわけでもない。いや、つい溜めてしまった私が悪いのだけれど。嫌なことはさっさと済ませてしまえばここまで溜めることもなかったのだけれど。でも、ついつい。村の人たちの手伝いのほうが楽しくて、つい。
今日は一日この部屋に籠もることになるだろうなぁ、とわかっていたから村の人たちにも今日は行けないことは伝えてある。月に一度そんな日があるから村の人たちももうわかったも同然で、中には「またですか」と呆れ顔の人も出てくるようになった。そうです、またです。溜め込む私が悪いんです。
部屋の中ではひたすらペンが走る音と、紙がめくれる音が聞こえる。たまにノラが頃合いを見計らってお茶を持ってきてくれるけれど、集中しすぎて気付かないことも多々ある。少し息をついて顔を上げた時に机にあるティーカップに気付いて、心の中で何度もノラに謝罪と感謝の言葉を口にした。
しかし、と手を動かしながらも思う。ちらりと視線を向けてみれば、ライもひたすら目とペンを走らせ次々に処理していっている。本当に優秀な人だ。私と違って彼はこういった作業は苦ではないのだろう。
そんな私の視線に気付いてか、顔を上げたライと目が合った。
「何か不手際があったか?」
「ううん。君って本当にすごいなと思っていたところ」
「そっ……そうか」
「手伝わせてしまって申し訳ないなって思っているんだけれど、でもすっごく助かってるって思っている私もいてさ」
「これぐらいどうということではない。気にするな」
わぁ、私も言ってみたいそんなセリフ。できる男だから言えるセリフだな、とまとめ終わった書類をぺらりと隣に積み、また別の書類に取りかかる。
「今更だが……他所者の俺がこういった書類を目にしてもいいのか……?」
「大丈夫だよ、見られて困ることはないから」
「それならいいんだが……しかしあれだな、クレヴァー家の書類は事細かだな」
私が書類を目にするようになってからというものの、クレヴァー家のものしか見たことがないから他所がどうなっているかはわからない。ただやっぱり我が家は少し特殊だろうなということはわかる。
「姉上は字も数字も細かいからなぁ。少しでもミスがあれば私は恐ろしい目に合う」
「ふっ……一体何をされたんだ」
「そんなこと言葉にできないよ」
軽く肩を上げると彼は小さく笑みを浮かべた。さっき彼の表情を見た時もそうだったけれど、彼もちゃんと笑うんだなとか失礼なことを思ってしまった。
『婚約者』である時はそれはもうバレないように必死だったから、とにかくひたすら関わらないようにしていたけれど。でもそうでなくても彼はあんまり表情を和らげるような人ではなかったような気がする。いついかなる状況でも、彼は姉上と同じように完璧な人のように思えた。
それは二人共自分の立場をわかっていたからこそなんだろうけれど。貴族は他の貴族との駆け引きが大事になってくる。自分の考えを相手に読ませるようなことはあってはいけない。だから常にポーカーフェイスで相手に隙きを見せることはない。姉上も、そしてライも根っからの貴族だった。
私はまぁ、ボロが出ないように常に『無』であり続けてはいたけれど。でもそれは二人のとはまた違うだろう。
けれどここに来てから、彼はこうして笑みを浮かべることが多くなったような気がする。それは社交界のように常に気を張り詰めていなければならない場所、というわけではないから多少の気の緩みはあるのかもしれないけれど。でも昔のように何を考えているのかわからない表情ではなくなった。
少しずつだけれど彼の表情の動きが読めるようになった。あああれ好きなのかな、とか、これ苦手なのかな、などなどなんとなくわかるようになった。果たして当人にその自覚があるかどうかはわからない。
でも友人らしく、少しでも私に気を許してくれるようになったのかなとか。そう思うと胸のあたりがほわほわとあたたかくなる。
「アリステア」
「え? なに?」
「手が止まってる」
「あ、はい」
でもなんだろうな、やっぱりできる人間っていうのは似ているものなのかな。と思いつつ私は止まっていたペンを再び走らせた。
そうして私の魂が半分抜けかかってぐったりとなったのはそろそろ日が傾こうとしている頃だった。私としては今日中に終わればいいなイコール日を跨ぐまで終わればいいなと思っていたから、まさか夕日が見れる頃に終わるとは思いもしなかった。こんなにも早く終わったのは他でもない、ライのおかげだ。
そしてぐったりしている私に反して、ライは書類をトントンと整えて片付けまでしてくれている。どこにそんな活力があるのだろうか、不思議だ。姉上といいライといい一体どこにそんな体力があるのか。
「アリステア様、お疲れ様です」
「ああ、うん、お疲れ……」
ノックが聞こえたと思って返事をすれば、そこに現れたのはこの屋敷の庭師だった。彼は疲れた顔をしている私に遠慮がちに話しかけてくる。
「お疲れだと思うので……庭でリラックスなさってはどうでしょうか。今いい感じで夕日を眺めることができますよ」
「そうだね……お言葉に甘えようかな……」
「では準備してまいりますね」
わざわざ私のためにありがとう、とか細い声で伝えると彼は笑顔で頷いて部屋から去っていく。ずっと文字ばかりを見ていたから、疲れた目を景色でも眺めて癒やすのもいいかもしれないとゆっくりと椅子から立ち上がった。よたよたと歩き出す私を見かねてライがそっと背中を支えてくれる。
庭へ着くとシートが敷いてあって、その上に軽食も広げられていた。これはノラが準備してくれたのだろう。あとでお礼を言おうと思いつつ、ふかふかの芝生の上に広がっているシートの上が気持ちよさそうで誘われるようにフラフラと腰を下ろす。
「はぁ~……疲れた」
もうこのまま後ろに倒れたい、と思っていたところ何か違和感を感じてふと視線を向ける。ここまで私を支えてくれていたライが座ることなく立ちっぱなしだ。
また遠慮している。内心苦笑を漏らして隣をポンポン、と叩くと彼は遠慮がちに隣に腰を下ろしてきた。
「綺麗な夕日だなぁ」
「そうだな」
「ありがとう、ライ。君のおかげでこんな綺麗な夕日を見ることができたよ」
「いいや……でも、今度からはあまり溜め込まないようにしたほうがいい」
「……ごもっともで」
自分の首を絞めたのは他でもない自分だ、反論なんてできるわけがない。ノラが準備してくれたサンドイッチを手に取って口を運ぶ。水分は取っていたけれど、そういえばちゃんとご飯食べていなかったなと今更ながらに気付いた。私が食べていなかったのだから、きっとずっと一緒にペンを走らせていたライも食べていない。
彼のほうへサンドイッチを寄せてあげると、彼は一言お礼を言って手を伸ばしそして口に運んだ。
それから他愛のない会話をぽつぽつとお互い口にした。本当に、疲れたとかサンドイッチ美味しいとかその程度だ。でも私が何か言えば彼は必ず言葉を返してくれる。こんな、彼とのんびりとした時間を過ごすのも悪くないとここのところずっと思っている。
ほんの少し前まで、男だとバレたくなくて必死に避けようとしていたくせにだ。私って自分勝手な男だなと二個目のサンドイッチを頬張った。
沈みつつある太陽を眺めて、さわさわと流れる風が心地良い。木々のざわめきってなんでこんなに落ち着くんだろうなと思いながら風で煽られた葉っぱの行方をただ眺める。
ふと近くで風が動いたような気がして、視線を向ける。丁度ライが私のほうへ手を伸ばしている時だった。
「……葉がついてた」
「そうなの? ありがとう」
わざわざ取ってくれたことにお礼を言えば、彼も小さく微笑む。なんだろうな、最近本当に不思議な気分が続いている。
あれほど避けていた相手だというのに、今では不思議なことにこうして傍にいるとどこか落ち着く自分が確かにいた。
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