9.向き不向きがあるんです

 汗をタオルで拭いながら歩いていると、ふと視界にとある姿が入ってきた。

「おはよう」

 そう一声をかけてみると相手は一瞬だけびっくりしたように肩を跳ねさせ、すぐにこちらに振り向いてきた。

「あ、ああ、おはよう」

「今から朝食なんだけど、一緒に食べる?」

「……いいのか?」

「もちろん」

 笑みを浮かべると相手は一瞬だけ動きを止め、すぐに気まずげな視線を投げてきた。

「……運動してきたのか?」

「うん。ディーンたち……ああ、私の護衛に、剣を教わっているんだ」

 ずっと学びたかったんだと続けると彼はまた気まずげな表情になる。別にチクチクと責めているわけじゃないんだから、わざわざ気にする必要ないのにと苦笑を漏らす。

 今まで知らなかった、というか男だとバレないように彼とは深く関わらないようにしてきたけれど、どうも彼は私に対して色々と遠慮しているような気がする。姉上もクレヴァー家に仕えている人たちも、誰一人私に遠慮をするなんてことが一切なかったからそんな反応されると私も逆に困ってしまう。

 気にしないで、と一言告げると彼は困ったような顔になりつつ頷いた。わりと納得していないのかもしれない。こればかりは彼自身の問題だろうから私がどうこうできることじゃない。

 着替えてくるから先に行っていてほしいと、一応場所を彼に説明して一度自室に戻る。ここはクレヴァー家の屋敷ほど広くはないけれど、質素なのは変わらない。彼がまた迷子にならないようにと案内したんだけれど、余計なお節介だったかなと苦笑を漏らしつつ私も急いで向かうことにした。部屋に入るとしっかりとその姿があったから一先ず安心だ。

「何か苦手なものとかある?」

「いや、俺は基本何でも食えるから……」

「そっか、よかった。この村で作られている野菜は美味しいからぜひ食べてほしいんだ」

 ノラが料理を運んできてくれて、お礼を言いつつ受け取った私を見て同じように彼も受け取り礼を言っていた。やっぱり貴族のイメージと言ったら高圧的な印象があったから、彼がこうもすんなりとメイドにお礼を言うのが少し意外だったというか。

 私は自分が少し変わっているというか、姉曰く「貴族らしくはない」とのことでその自覚があるからまだしも、彼はどうなんだろうなとつい視線を向けてしまう。ついこの間まで『婚約者』としての立場だったけれど、こうしてみると彼のことで知っていることは結構少ない。

 そもそも、バレないようにビクビク過ごしていた私としてはそういう一面を見る余裕すらなかったのだけれど。

 相変わらずうちの料理人が作ってくれる料理は美味しいなぁ、と思いつつどんどんお皿は綺麗になっていく。特にお喋りをしながら、というわけでもなかったけれど、だからといって気まずい雰囲気というわけでもない。とりわけ穏やかな空気の中で朝食は進んでいっていた。

「何か顔についてる?」

 ふと視線を感じてそちらに目を向けてみればパチンと視線が交わってしまって、彼は慌てるように視線を外した。

「いや……美味しそうに食べるな、と」

「美味しいからね。でもこうして誰かと一緒に食べると尚更美味しく感じるよ」

 誰かと一緒に食べたくてもみんなそれぞれ自分の時間に合わせて朝食を食べているから、私と同じ時間帯で食べることがあまりないと苦笑気味に告げる。

「……相手が俺でも、か」

「貴方も綺麗に平らげてくれたからね。私としても料理人の腕が認められた気がして嬉しいんだ」

「そ、そうか……美味しかったよ」

「よかった。あ、ところで何かやりたいことでもある? あるんだったらこちらが許可できる範囲になるけれど、自由にしてもらって構わないんだけど」

「君さえよければ……君の手伝いをしたいと思っているんだが。もちろん邪魔にならないようにする」

 居候させてもらっている身だから、と続けた彼に私は思わず目を丸めて腕を組んでしまった。

「私の手伝い? そっかぁ、そうだなぁ」

 彼の想像している「手伝い」と実際私がやってもらいたい「手伝い」には、かなりの差異があるだろうなぁと考え込んでしまう。私は特に抵抗なくやってしまうけれど、つい先日まで貴族だった彼にできるかどうか。

 ウンウン悩んでいると、目の前から何やら申し訳なさそうな雰囲気を感じ取ってしまった。だから私にそんな気を遣わなくても、と思っても彼の中では未だ解決に至っていないのだろう。解決するまでこの雰囲気を感じ取らなきゃいけないのかな、と苦笑をしつつ組んでいた腕を解いた。

「そしたら今日一日私についてきてもらっていいかな? その中でできる範囲でいいから手伝ってもらうよ」

「わかった」

 ああそうだ、と心なしか表情の明るくなった彼にもう一度視線を向けて小さく苦笑する。

「私の名前、『アリステリア』って言うんだ。ずっと本当の名前言わなくてごめんね」

 彼は一瞬だけ表情を硬くしたけれど、でもすぐに小さく「アリステア」と口を動かして何かを確かめながら呟いていた。とはいえアリスにテアが付いただけだから覚えづらいなんてことはないと思うけど。

「それじゃ、朝食も済んだことだし早速行こう。動きやすい服に……着替えてるね」

「悪い、服まで借りてしまって……」

「いいのいいの。ディーンの服が着れてよかったよ」

 なんせ彼はここに来た時は本当に必要最低限の物しか持っていなくて、服もやってきた時に着ていた服と寝間着ぐらいしか持ってなかったからびっくりした。バシレウス家から勘当されて貴族にとって必要な物すべて剥ぎ取られたのか? って言いたくなるぐらい本当に何も持っていなかったのだから。

 寧ろ騎士のお下がり、というか。そういうのを着てもらう羽目になってそれこそ彼は嫌がるんじゃないかと思ったけれど、それは杞憂に終わったみたいだ。まぁ他に着るものがないから仕方なしにっていうのもあるかもしれないけれど。

 早速ノラたちにいつもどおり出かけることを告げて、それに彼にもついてきてもらうことにした。


「今日も手伝いに来たよー」

「ああ、いつもすまねぇ……って、おや? そっちの色男は誰ですかい?」

「客人だよ。手伝ってくれるっていうから連れてきちゃった」

「おぉ……? そうですか」

 早速いつものおじさんのところへ手伝いに向かうと、見慣れない姿を見ておじさんが軽く私を手招きした。ただの客人ではないと思ったらしく、手伝わせていいのかどうかの心配をしていた。

 確かに私はともかく、彼のほうを見ると雰囲気がもう「貴族」だ。スッと伸びた背筋に毅然とした佇まい、私も村人その一だったら話しかけづらいなと思っていたかもしれない。

「まぁ気にしないで。嫌なら嫌だってきっと言ってくれるさ」

「本当にそうですかい……? まぁ、何かあったらアリステア様、あなたにあの色男の対応お願いしますんで……」

「殴られそうになったら逃げるからね」

「そんなおっかないお人なんで?!」

「あははっ、ごめんごめん嘘。そんなことないよ」

「アリステア、俺はどうすれば……」

 私たちの会話は耳には届いていないとは思うけれど、所在なさげにそう問いかけてきた彼に急いで「ああ」と顔を上げる。

「それなら早速……よいしょっと。これを運んでもらっていいかな?」

「これを、か? あ、ああ、別に構わないが……」

「まだ何個かあるからお願いするね」

「ああ……?」

 まさかいきなり畑に向かったかと思えば荷物を運ばされるとは思いもしなかっただろう。彼は首を小さく捻りつつも、私が言ったとおりにせっせと手伝いをしてくれている。そんな彼の様子を目の端で捉えつつ、こちらもどこか戸惑っているおじさんに軽くウインクをした。

 とりあえず貴族に対しての無礼にならずに済んだ、のか? と思っているおじさんは前回と同じように野菜の収穫に入り、私も同じように迷うことなく畑に足を踏み入れて収穫しようと身を屈めた――ところで、どこからか喉が引き攣るような音が聞こえて思わず顔を上げる。

 するとそこには顔を真っ青、とまではいかないけれど顔色を悪くした彼が、呆然とした表情でこちらを見ているではないか。何か変なものでもあったかなと首を傾げてみる。

「ア、アリステア……」

「なに? なんか困ったことでもあった?」

「いや、あれだ……汚れるぞ」

「そりゃ畑仕事だもん、汚れるよ」

 彼はそれから二言目を発することができず、口をパクパクするだけだったけれど私は今度こそ気にすることなく収穫の手伝いを始めた。

 まぁ、普通貴族が汚れてまで畑仕事を手伝おうとは思わないよね。貴族としての感覚は彼のほうが真っ当で、私のほうがおかしいだけだ。でも気にすることは何もない、と彼には引き続き荷物の持ち運びを頼んで、お互いそれぞれせっせと手伝いを行った。

「君は、いつもこんなことを?」

 手伝いも終わってタオルで汚れを落としている中、未だに彼が呆然とした様子でそう問いかけてきた。やっぱり無理だったかなと苦笑を漏らしつつ「そうだよ」と返す。

「こうして身近に触れ合ったほうが、何に困っているかより鮮明にわかると思って」

「……そうか」

「また別のところに行くけど、貴方は先に屋敷に戻っておく? ノラに頼めば湯船の準備もしてくれると思うし、部屋で寛ぎたいんならそうしてもらってもいいけど」

「あっ、いや……手伝うよ」

「そう?」

 無理してるなぁ、とは思う。だって彼がこんなことをするなんてまったく想像できなかったのだから。至極真っ当な貴族だから、もしかしたら今からでも帰りたいんじゃないかと苦笑を漏らす。まぁ、帰りたくても勘当されたのならそれは簡単な話ではないし、ここに来ると決めたのならばこうなることは彼もわかっていたとは思うんだけれど。

 でも楽しくやっているのと渋々やっているのではわけが違う。私も嫌がりながらやってもらいたくはない。

「無理しなくていいよ」

 ついポロッと出た言葉に、彼は顔を上げて真っ直ぐに私を見てきた。

「無理はしてない! ただ……そう、驚いただけだ。今まで自分の身近にあったものでは、なかったから……」

「……そうだね」

「本当に、無理はしていない……手伝わせてほしい」

 その眼差しは、真剣そのものだ。それを蔑ろにしていいものではないと判断した私は、ゆるく笑みを浮かべた。

「……わかった。そしたら手伝って。でも無理なことは無理だと言ってほしい」

「ああ、善処する」

「うん、頑張って」

 笑顔を向けると、彼は緩やかに微笑みを浮かべた。無理している様子でないことにホッとしつつ。

 そういえば彼のこんな笑顔を見るのは初めてかもしれない、と新たな一面を発見できたような気がして更に笑みがこぼれた。

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