8.予想外過ぎます

 向かい合っている私たちの目の前にそれぞれノラがティーカップを置く。私は自分の屋敷のためとりわけリラックスしているのだけれど、所在なげな反応をしているのは相手のほうだった。

 しばらくお互い口を開くことはなかったけれど、相手は私のほうをチラッと見てそしてすぐに視線を外す。そんな相手の様子に私は観念して小さく苦笑を漏らした。

「ここに来たということは、とある人から聞いたんですね」

「っ、あ、いや、その……」

「このことを知っているのはクレヴァー家の人間と、そしてとある人ただ一人だけ。クレヴァー家の人間は決して口を割ることはない。ということで答えは一つしかないわけなんですけど」

「その、ハンナ嬢は悪くないんだ。彼女はあまりにも酷い有様だった俺を見かねて教えてくれただけで……」

 酷い有様? とその言葉が少し引っかかって首を傾げる。なぜここにいるのかそもそも疑問なのだけれど。

「いえ、ハンナさんを責めているわけではありません。優しい彼女にも何か事情があって貴方に教えたんでしょうし」

「……その、なんだ」

 戸惑いか、それとも未だに動揺があるのかはわからない。でもはっきり口にしない彼の代わりに私が口を開く。

「失望しました? 本当は男なんだって」

 苦笑を漏らしティーカップに口をつける。ここに来たということは私が男だったことが彼にもバレてしまったということだ。

「……髪は、切ったのか?」

「はい。もう必要なくなったので。軽くなってすっきりしました」

「そう、か……」

 その、なんだ、とずっともごもごした話し方をしていて、彼ってこんな話し方をする人だったかなと苦笑を漏らしつつ大人しく彼の言葉を待ってみる。

「……悪かった」

「いいえ、謝らなければならないのはこちらもです。そもそも姉上があんなこと言い出したからわけのわからないことになってしまったわけですから」

「いいや、そもそも俺が最初に言い出したのが悪かったんだ。その、君のことを何一つ聞かずに話を進めてしまって悪かった」

「話を進めたのは姉上なので、そのことに関しては姉上を恨んでいます。でももう、過ぎたことなので」

「婚約破棄を受け入れたのはそういうことだったからか?」

「刑に処することだけは避けたかったので」

 女性の格好をして相手を騙した刑、だなんて嫌だと苦笑してみればここでようやく向こうの表情も少しだけ和らいだ。

「声が、多少低くなったか」

「声変わりしましたから」

「背も俺より少し高くなっていて、驚いた」

「まだ節々が痛むので背は伸びると思います。でも身体は貴方のほうがたくましいですね。羨ましいです」

「手は相変わらず、その、綺麗だな」

「さっきまで作業していて汚れていたんですけどね」

 自然と互いの表情が柔らかくなる。彼はようやく目の前に出されたティーカップを手に取り喉を潤したあと、背もたれに身体を預けて少し脱力していた。

「そうか……そうだったのか。やっと、理由がわかった」

「……避けていた理由ですか?」

「ああ。隠すためだったんだな」

「それはもう、必死だったんです」

「そうか……悪かった」

 彼はここに来てから何度も「悪かった」と謝罪を口にする。いや、こちらもある意味相手を騙したのだから謝るのはこちらのほう……でも最初に彼が婚約相手に私を指名しなければここまでならずに……とにかく、どっちもどっち。痛み分けでいいだろう。

 しかしどこか憑き物が落ちたかのような表情をしている彼に、私は疑問ばかりが浮かぶ。この場にやってきたということはてっきり騙していたことに対して糾弾をしに来たとばかりに思っていたのだけれど。でもこうして会話をして彼の様子を見る限り、そんなところは見受けられない。

 では、どうしてここに来たのだろうか?

「えーっと……ところで、ここには何をしに? もしかして、ハンナさんに話を聞いてわざわざ安否確認に来たんですか?」

「……? そうだが?」

 あっさりと認めた。安否確認だけをしにわざわざこんな領地の端まで来るほど、この人は暇ではないはずだ。

「えっと、お言葉ですが……お忙しい身ではないのですか? ほら、ハンナさんという新たな婚約者もできたことですし、色々と準備があるでしょう?」

「……いや、彼女は一人の令嬢としてたくましく生きようとしている」

「……はい?」

「ハンナ嬢は元より君に憧れを抱いていたんだ。俺に近付いたのも君に近付きたいがために。今は君の教えを糧に立派な淑女になろうと励んでいる」

「……あ、そう、なんですね……?」

 ハンナさんがどうなっているのか知れて嬉しかったけれど、でも今私が一番知りたいところはそこではない。

 というかハンナさん、『アリス』に憧れを抱いていたのか。知らなかった。あんな無愛想な女性のどこに憧れを抱くようなところがあったのか、とっても疑問だけれど。いやそれも一先ず置いといて、だ。

「いやだから、貴方も忙しいですよねって……」

「……勘当された」

「……は?」

 思いもよらない単語が出てきたような気がする。思わず固まってしまった私を

見て居心地が悪くなったのか、彼は一つ咳払いをして視線を斜めに外した。

「その……婚約破棄をした本当の理由を知った父が、激怒してな……『そんな情けない男に育てた覚えはない!』と、家を追い出された」

「……えぇ?! 婚約破棄しただけで?!」

「いや、他にも理由があって……その、俺の隠していたことも知られて……いや、ともかく、追い出されたんだ」

「で、でも……バシレウス家の子は、貴方一人でしたよね……?」

「優秀な従兄弟がいる。その従兄弟を養子にして跡継ぎにするそうだ」

「え、えぇ……?」

 私も私で色々と訳アリだっただったけれど、今では彼のほうが訳アリになっていやしないか?

 私が男になって悠々自適な暮らしを満喫している一方で、バシレウス家はそんな騒動になっていただなんて。しかも跡継ぎである彼が家から追い出されるなんて、それってかなりの問題になっていたのでは。勘当されるなんて、余程のことだ。

 驚きのあまり開いた口を閉じることができない私に、彼はくるくると数度指を回した後ちらりとこちらに視線を向けてきた。

「その、図々しいことこの上ないことを承知で口にするが……すまないが、しばらくの間ここに置かせてもらえないだろうか」

 彼の申し出は、わからないわけでもない。家を追い出された、というかそもそも勘当されたということは彼にはもう爵位がないということだ。つまり身を寄せる場所もない。着の身着のままここに来たのか……と思いはしたものの、それがどういうことかわからないほど私も馬鹿じゃない。

「私は構わないですよ? 部屋も空いてますし。ただ姉上には報告しますけれど、それでもいいですか?」

「ほ、本当か?!」

 そんな人をその辺に放るわけにもいかないだろう。首都ならまだしもここは、言い方は悪くなってしまうけれど田舎の方で、首都ほどの便利さはない。貴族として生きてきた彼を右も左もわからない場所に放置するのは、些か可哀想な気がする。

 私の言葉に彼がパッと顔を上げ、目を丸めてこちらを見てくる。そんなに予想外の言葉だったかなと苦笑しつつ視線を彼から控えていたノラへと向けた。

「ノラ、部屋の準備を頼んでいいかな?」

「すでに準備は済ませてあります」

「流石はノラ。それではライラック殿、長旅でお疲れだと思うので休んではどうでしょう? 汚れが気になるのでしたら湯船の準備もさせますが」

「い、いや、そこまでしてもらうわけにはいかない。居候させてもらう身だ……それに、俺はもうただの『ライラック』だ。畏まった話し方や呼び方をする必要はない」

 そう言われると彼は勘当された身で、私は『アリス』ではなく『アリステア』に戻ったものの一応爵位はそのままだ。生真面目に見える彼はそういったところも気になるのかもしれない。

「わかった、そうさせてもらうよ」

「その……しばらく世話になる」

「いいえ、ごゆっくりどうぞ」

 ノラについていく彼に笑顔でひらりと手を振って、パタンとドアが閉じる。

「人が良すぎませんか、アリステア様」

 物陰からぬっと現れたディーンにそんなことを言われてつい苦笑が漏れた。同じく現れたフィンもディーンと同じように複雑そうな表情をしている。

「そうですよ。だって相手は貴方にしなくてもいい苦労をさせた男ですよ。爵位も何もない男をタダで泊めるなんて……」

「しょうがないじゃないか。だからといってその辺に放置させるわけにもいかないよ。そもそも彼だって好きで男と婚約したわけじゃないんだし……って、そんな呆れた顔するのやめてくれる?」

 二人して失礼だな、と頬を膨らませると尚更は二人は呆れ顔になってしまいには溜息まで吐き出した。まったく失礼な護衛だ。

「まぁでも姉上次第だよ。姉上に『追い出せ』と言われてしまえば私もどうしようもない」

 苦笑してみせれば二人は「ああそういえばそうだ」とここでやっと納得してくれた。まず姉上に彼が来たことを知らせ、滞在の許可を得ないことにはどうしようもない。倹約家の当主である姉上が無駄だと判断し「駄目だ」と突きつけてきたら、私も彼を泊めたくてもそれができなくなってしまう。

 姉上の言葉は、絶対なので。反抗もできるけれどその後の仕返しが怖いからつい大人しく従ってしまう。

 まぁ、賢い姉上の頭はほぼすべて正解への道筋を叩き出すため、反抗したら反対に痛い目を見る可能性のほうが大きい。これは私だけではなく父上もよくわかっている。


 後日、姉上から送られた手紙にはこう書かれていた。

『お前が面倒見るのならば飼ってもいいぞ』

「……いや動物じゃないんだから」

 よく自分の婚約者になるはずだった人にこんなことが言えるな、と思いつつも姉上がすんなりと了承してくれたことが意外だった。

 そうして元『婚約者』と同じ屋敷に住むという、不思議な状況での生活が始まった。

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