7.悠々自適です
アリス・クレヴァーはどうやら盗賊に襲われ死亡した、ということになっているらしい。
そう教えてくれたのは手紙が来ていると渡してくれたノラだった。姉上からその報告を受け取ることができたとの言葉に私は破顔した。
貴族の令嬢とは恐ろしいもので、自分の気に食わない人間に危害を加えようと考える人もいる。中には生死を問わない女性だっている。驚くことに、今回私を襲おうとしたのはその生死を問わないほうだったため、ならばと事前にすでに情報を仕入れいていた姉上と共にそれを逆手に取った。
本来なら死体など転がっているわけがないのだけれど、色々と手を回した姉上はでっち上げた報告書を提出したに違いない。
アリス・クレヴァーは社交界に顔を出さず辺境の地にいる兄、アリステア・クレヴァーの元へ行こうとしている最中に奇襲され帰らぬ人となる。婚約破棄されたとはいえ家から追い出すのは重すぎる処遇だったのではないか、こうなったのは姉のオリヴィア・クレヴァーが原因ではないか。クレヴァー家の足を引っ張るためにそういう話は必ず出てくるはず。けれど姉上はそれすらも逆手に取って強かに動く。
今頃向こうでは姉上を責める声は小さく、逆に同情する声のほうが大きいはずだ。
ちなみにアリス・クレヴァーは養子扱いになっていたらしい。長男のアリステア・クレヴァーと瓜二つのために双子とよく見間違えられる――という、設定だ。
ついでにこっちの村には姉上が時間を見つけて様子を見に来ていたようだけれど、時間を取りづらくなったため弟をそちらに向かわせる。好きなように使ってくれと事前に手紙を送っていたらしい。だから村の人たちには「アリスが向かう」ではなく「アリステアが向かう」ということになっている。こっちは嘘を何一つ言っていないから心配はない。
ただ「アリス死亡」のほうは色々と話しを盛ってしまっているため、第三者に調査されたら困ることになる。けれど万が一知られた時はアリスがアリステアだったということがバレてしまう時だ。
「それって大丈夫なんですか? 姉上」
「何、面倒事をしてまでそこまで調べる輩はいないだろ。いたとしてもすぐに炙り出せる。そうなったらこちらが調理してやるまでだ。ハハハハハッ」
あの時の姉上の高笑いは当分私の耳から離れないだろう。
まぁ、なんだかんだで姉上との作戦が上手くいって、村に辿り着いた私は無事に平穏な日々を過ごしている。
「さて、今日も行ってこようかな」
「帰りは遅くなりますか? アリステア様」
「ん~、どうだろ。手伝うことが多かったら遅くなるかもしれない。その時はちゃんと連絡するよ」
「わかりました。ではお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「行ってきまーす」
髪をバッサリ斬り落とした私は、ここに来てから一度もドレスを身に着けていない。ディーンたちと同じように動きやすい格好をして、村の中を歩いている。
「こんにちはー」
「おや、こんにちはアリステア様」
「何か手伝うことはある?」
「そうですね……ああそうだ、それを運ぼうとしていたところで」
「わかった、そしたらそれを運ぶね!」
「いつもすみませんねぇ。助かります」
ここに来てから数日は経ったけれど、自分で言うのもなんだけれどすっかりこの村に馴染んだと思っている。最初こそは姉上に「働け」と言われていたものだから気を張っていたけれど、この村はのんびりとした時間が流れていて私も自然とその流れに身を任せるようになっていた。
のどかな村なため、常に騎士が張り付いて護衛をする必要もない。ディーンとフィンは屋敷のほうで日々腕が鈍らないように鍛錬している。ノラも毎日しっかりとメイドの仕事をしていた。元よりあの屋敷で仕えている人たちとも今ではすっかり仲良くなっていて、屋敷の中も朗らかだ。
報告書は一応姉上に届けている。まぁ最初は「日記を送ってくるな」と怒られたから、その次からはしっかりとした報告書を書くようにしているけれど。でもどれだけ朗らかでいい村なのか、どうしても姉上に伝えたくて日記のようになってしまったのは少し反省している。
「アリステア様も随分と働き者ですなぁ。貴族の人ってもっとこう、偉そうにしてるんじゃないんですか?」
「いやぁ、私はそういうの苦手で。というか机に向き合うのが苦手なんだけどね。姉上ほど賢くはないから」
「いやいや、人っていうのは向き不向きっていうのがあるってもんですよ。俺ァこうしてせっせと手伝ってくれるアリステア様は好きですよ」
「あはは、ありがとう。私もこの村の人たちのこと大好きだよ」
「はははっ、そいつはありがたいことで」
今お喋りをしてくれる人はこの村の農家のおじさんだ。息子さんがいるらしいんだけれど首都のほうに行ってしまって人手に困っているらしい。私は農業について精通しているわけではないけれど、微力なれど力になれればと手伝いをしている。
ここだけではなく、村の人たちの手助けは積極的に行っている。別にやれと言われてやっているわけではないけれど、私がなんとなく放っておけないというか。気付けば身体が動いている。
私は姉上のようにはやれないから、せめて自分でできることをと無意識にそう思って動いているのかもしれないけれど。
「しかしあれですなぁ、アリステア様は随分と綺麗な顔してますな」
「あぁ……私は母親似だからかなぁ。姉上は父親似なのだけれど」
「確かにオリヴィア様はキリッと勇ましい顔をなさっている。ああいうお方に尻に敷かれたい男にはたまらんでしょうなぁ」
「姉上にそれ言ったら私ぶん殴られるよ」
「ハハハハハッ、ならばここだけの話しってことで」
荷物を運び終え、次に野菜の収穫に移る。最初手伝った時は汚れも気にせずに手伝っていたためこのおじさんの顔を真っ青にさせてしまっていた。当人曰く、貴族の人にこんな手伝いをさせちまった! とか思ったらしい。
でも私としてはまったく気にならなかった。だってこういうものは汚れて当然のことなのだから。そして彼らのような人たちがいるから私たちも美味しい食事を取ることができることを知っている。敬意を払うことはあっても、その逆などありえない。
今ではおじさんのほうが諦めてしまって、私が汚れてももう謝ることなくお互い気にすることなくせっせと収穫の作業をしている。
「ああそうだ、アリステア様。この後にちょいと時間ってあります? アマンダの婆さんが手伝いを欲していたみたいなんで」
「アマンダさんのところだね。いいよ、時間あるし後で行ってみる」
「ありがてぇ。アマンダの婆さんも助かりますよ」
それから畑仕事の手伝いを終えた私はそこで水をもらって軽く身を綺麗にした後、おじさんが言っていたアマンダさんのところへと向かった。この方は一人暮らしでおじさんのところとはまた別の野菜を育てているのだけれど、最近模様替えをしたくて色々と大変なことになっている。
「アマンダさーん、手伝いに来たよー」
「ああっ! アリちゃん! よく来てくれたね! 悪いけど手伝ってもらってもいいかい?」
「もちろん、お安い御用さ」
そんな感じで、私は日々を送っていた。正直言って貴族同士の腹の探り合いやら妬み嫉みからの嫌がらせやその他諸々、そういったものがまったくないこの場所はとても住み心地がいい。
それに「男とバレてはいけない」、そんな思いを常々胸に抱えて生きていかなくてもいい。それだけでとても開放感で満たされていた。
ディーンたちに剣術を教えてもらって、ノラの助力も得つつ姉上への報告書を上げる。もちろん村の人たちの手伝いだけではなくクレヴァー家の人間としてやるべきことはしっかりとやっているつもりだ。
のどかな村だけれど、改善点がないというわけでもない。村は村で問題を抱えていて、私はそれを解決する必要がある。
「アリステア様、ここに置いておきますね」
「ああ、ありがとう!」
「ところで……なぜ畑なんです?」
屋敷の庭師の人に手伝ってもらいながら、屋敷内の一角でせっせと畑を耕していた。
「この村の自給率は素晴らしいけれど、でも逆に備蓄量がとても少ないんだ。食べれる量はしっかり作れてはいるんだけれどね」
村の人たちの知識の成せる業で、例え天候が悪かったとしてもちゃんと育つ食物は作ってある。けれど、調べてみたところ保存が効くものがほとんどない。保存できる場所もなければ、長持ちできる食物も少なかった。
保存場所は姉上にも報告書を上げたからすぐに取り掛かることはできると思うけれど、食物のほうはそう簡単にはいかない。
「品種改良して少しでも保存できるものができればと思ってね。もし成功したら村の人たちに広めることができる」
「なるほど。だから私どもにも手伝ってほしいと」
「そういうこと。色々と調べはしたけれどこういうのは実際できてみないとわからないから」
あと、こうやって自分で田畑を耕すのは意外にも鍛錬になっていていい。振り下ろす動作なんて剣とあんまり変わらないんじゃないかと思う。こうやって村のために何かをしつつ、自分のためにもなっている。まさに一石二鳥だ。
それから庭師の人と色々と相談してもらいつつ、土の種類や種の種類など色々と試してみようとしていた時だった。めずらしく焦ったような表情をしているノラがこっちに向かって小走りで駆けてくる。
「どうしたの? ノラ」
「えぇっと……お客様なのですが」
「え? もしかして嫌な奴?」
「いいえ、なんと言いましょうか……判断に困りますね」
ノラの様子からして村の人、というわけでもなさそうだし、だからといって見知らぬ貴族の人間ってわけでもなさそうだ。とりあえずついてきてもらって、客人を見て判断してほしいとの言葉に頷いて私は汚れた手をタオルで拭った。
客人と会うような服装ではないけれど、事前に連絡してこなかったほうが悪いよねと思いつつ大人しくノラの後ろを歩く。するとエントランスに近付くにつれ徐々に騒がしい音が耳に届く。どうやら念の為にディーンとフィンも向かっていっていたようだ。
「どうした?」
そして騒がしいところで一言そう声をかけてみれば、騒がしさがピタリと止まる。ディーンとフィンはすっかり困ったような顔になっていて、前を歩いていたノラも頭を抱えて小さく息を吐き出した。
私はというと、騎士の二人が身体を退かしたことによってようやくその客人の姿を目にすることになり、軽く目を丸くした。
けれどそんな私以上に目を丸めたのは、相手の方だった。
「……生きてる」
私の姿を見て、一言。そう口にするとなぜかその身体が膝から崩れ落ちる。
「え、えっ?! 大丈夫ですか?!」
急いで駆け寄って顔を覗き込んでみたけれど、相手は呆然としたまま床を見ていたかと思うと今度は細々と言葉を絞り出した。
「……腰が抜けた……」
「え? えぇっと……ノラ、客室の準備を頼む。ディーンとフィン、二人共大丈夫だよ」
「承知致しました」
「何かあった際にはすぐに声をかけてください」
「うん、ありがとう。さ、私の肩に腕を回してください」
すっかり腰が抜けて立てなくなってしまった相手の身体を支えてあげる。腰に手を当てて軽く持ち上げた瞬間、息を呑むような音が聞こえたけれど敢えて気にしないことにした。
しかし正直に言って驚くのはこっちのほうだ。まさかこんなクレヴァー家の領地の端にある村に、元『婚約者』がやってくるだなんて誰も思わない。
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