君に恋するロリコン男〜座敷童子に捧げる純愛〜

松浦どれみ

君に恋するロリコン男〜座敷童子に捧げる純愛〜

小山こやま! お前、本当に引っ越すんだな〜」

「おう、世話になったな佐々木ささき


 小学校の頃から、二十年以上の付き合いのある友人に別れを告げる。

 俺は三日後には生まれ育ったこの大都会から、祖父の家がある田舎へ移り住むことになっていた。


「いやあ、お前これから田舎行っちゃったら、彼女もできねえし結婚もやばいんじゃねえの?」

「……かもな」


 佐々木の言うことはもっともだ。三十歳にして、ちらほらと周りも結婚し始め、この手の話題に肩身の狭い思いをする機会も増えてきた頃だった。


「お前これで独身貫いたら、いよいよ疑われるぞ。前もあったじゃん、小山ロリコン説とゲイ説。気をつけろよ〜」

「やめろよ、細い子が好きなだけだし」


 嘘である。


「本当ずっと、細くてちっちゃい子ばっかだったよな。貧乳の。小山の彼女。この前の子なんてめっちゃ童顔〜」

「童顔はたまたまだよ」


 嘘である。


「まあ、小柄な子ってそういう子多いだろうしな。あ、俺こっちだ。じゃあな! 片道二時間ならたまにこっち戻ってこいよ!」

「おう、ありがとな!」


 こうして気のいい友人に、俺は最後まで嘘を突き通した。


◇◆◇◆


「懐かしいな……」


 都会の喧騒から離れ、俺は祖父の住んでいた家に引っ越した。

 昔はお盆や正月に従兄弟たちと集まって遊んだ、懐かしい木造の古民家。

 施設に入った祖父が、息子たちを差し置いて、なぜか孫の俺に相続させると言って亡くなってから一年が経っていた。


「お邪魔します。いや……ただいま」


 木とガラスでできた玄関ドアを横に引くと、カラカラと軽快な音を立てて開いた。敷居を跨いで玄関に入ると、しばらく誰も住んでいない家特有の籠った空気や、カビ臭さや埃っぽさはまるでなく、感じるのは古い木の香ばしい香り。近所の誰かが掃除してくれたのだろうか?


「おかえり」

「……え?」


 誰もいないはずなのに、廊下の奥の方から誰かの囁くような声が聞こえた。

 俺は靴を脱ぎ散らかし、走って声の聞こえた居間へ駆け込む。


「誰かいるのか?」


 少し待っても、返事はない。

 足音も、人の気配も感じない。

 静寂に包まれた居間には、俺の呼吸だけが静かに響いていた。


 それから家の中をくまなく見回り、役場に頼んでおいた通り電気ガス水道などのライフラインが使えるかチェックしてから俺は居間に戻った。


「ふう……」


 昔からこの家にあった革張りの黒いソファに座り、息を吐く。やはり部屋には俺以外は誰もいないようだ。一人になりたくてわざわざここに引っ越したのに、さっきのは俺の願望からくる幻聴だったのだろうか。

 来る途中に買っておいたビールとスナック菓子を目の前の木製の艶のあるテーブルに広げてつまんでから、俺の意識はソファに横になったところで途絶えた。


「うん。これは初めて食べるな……おいしい」


 サクサクという菓子の咀嚼音そしゃくおんのような響きと、鳥のさえずりが俺の意識を呼び覚ます。どうやら朝のようだ。薄く目を開けると、カーテンの隙間からわずかに陽の光が差し込んでいる。

 そして、俺が横になっているソファを背もたれに誰かが床に座っていて、テーブルの上にあったスナック菓子に手を伸ばしていた。


「え……誰だ?」


 思わず漏らした俺の声に反応し、侵入者はこちらを振り向いた。


「君は……?」


 艶やかな黒い髪、くっきりとした二重に黒目がちで大きな瞳。鼻筋は通っているがまだ鼻は低い。白い肌に頬はふっくらと柔らかそうだ。そして、同じく柔らかそうなほんのりと赤みのある唇が開く。


「私が……視えるのか?」


 凹凸のない身体は国民的な日常系アニメに出てきそうな古臭い洋服に包まれ、細い手足が袖や裾から覗いていた。

 年齢は十〜十二歳くらいだろうか? まだまだ幼い、けがれのない美少女——。


「——理想のタイプだ」 


 そう、俺は世間一般で言うところの、ロリコンである。


◇◆◇◆


春樹はるき、昔はよくこの家に来ていたな。ずいぶん大人になって。私はアレだ、お前たちには座敷童子ざしきわらしと呼ばれている。この前まで住んでいたお前の祖父、冬二郎とうじろうが生まれるずっと前から存在しているぞ」


 この自称、座敷童子の少女はそう言って俺が買い込んできた菓子類を上機嫌で食べていた。彼女の言うことは信じがたかったが、その身体がほんのり透けているのを目の当たりにしたら信じるしかなかった。


「それにしても、この数年で菓子のレベルはずいぶん上がったなあ。冬次郎は菓子と言えば煎餅ばかりだったし……。そういえば冬次郎は引っ越し先で元気にしているか?」

「……去年、亡くなったんだ」


 俺に向かって、笑顔でこの家での思い出を語った座敷童子は「そうか」と呟いて俯いた。


「人間の一生はあっという間だったなあ……」

「老衰で、九十六歳まで生きた。人間にしては長生きさ。君は本当にずっと昔からいるんだね」


 座敷童子は真っ直ぐと、壁の向こうのそのまた遠くを見つめるように少しだけ顔を上げ前を見つめた。彼女の横顔を見つめる俺の視線にも気づいていない。


「自分でも何年存在しているかは覚えていないし、数えてもいない。いろんな家を転々として、気がついたらここしばらくはこの家にいるな。たまに、子供には姿が見えるから親戚の集まりに混ざって遊んだりもしたぞ。春樹とも遊んだことがある」

「そうなんだ。親戚や近所の子が集まると、知らない子がいても気にならないもんな」


 俺の視線に気づいた彼女は、こちらを見てにっこりと微笑んだ。そんな遠い昔から存在していたとは思えないほどの、現代でも十分通用する美しい顔立ち。

 ん? しかもこの見た目で年上ってことだよな?

 違法性のない、これってロリコンが合法になるということか!

 俺の心は歓喜に震え、そして解放された。


◇◆◇◆


夏美なつみ! そろそろ寝ろよ」

「子供扱いするな、春樹! 私の方がずっと年上だぞ?」


 俺は「名前はない」と言う座敷童子に「夏美」と言う名前をつけた。初めは「夏樹なつき」という名前にしようとしたら、「お前ときょうだいみたいで気持ちが悪い」と言われたので変更になった。彼女は「夏美」と言う名前をずいぶん気に入っているようで、呼ぶといつも笑顔を溢していた。


 見た目が子供なのに年上という理想の女の子に巡り会えたことに大喜びした俺は、その日からアプローチを開始。菓子やおもちゃで釣って一ヶ月、かなり打ち解けることに成功していた。


「なあ、春樹。お前はロリコンなのか?」

「え! どこで仕入れたんだよその言葉」


 ある日、ソファに座ってテレビを見ていたら、夏美が突然核心に触れてきた。

 どうやらテレビやネットでずいぶん現代の俗世間の知識をつけたようだ。タブレットなんて買い与えるんじゃなかった。

 俺が存在を信じているからか、いつの間にか彼女は透けなくなっていて、ソファに座ると俺の肩に寄りかかるようになっていた。軽いけれどちゃんと体重相当の重みも感じることができた。

 世間から許されない趣味を持った俺には夢のような日々だ。


「春樹は、私のことが好きなのか?」


 さらに夏美は突っ込んだ質問をして俺の顔を覗き込む。

 見た目はもちろんだが、子供の純粋さを保ちながらも大人の俺と対等な会話ができる夏美を、好きにならないわけがなかった。


「好きだよ」

「じゃあ、私と子作りしたいと思うのか?」

「……はあ?」


 俺は飲んでいたお茶を吹き出した。半分は気管に入ってしまい、咳が止まらない。なんとか落ち着けて、お茶を飲みなおす。


「何でそうなるんだ?」

「ロリコンはいい大人が私のような年頃の子供に性的なことも含めて恋愛感情を抱くことだろう? この前ネットで調べた」


 やはり、タブレットを渡したのは間違いだったのかもしれない。


「偏っている気がするけど、そうだね。でも俺は少し違う」

「どういうことだ? 子供に手を出してしまって逃げてきたんじゃないのか?」


 夏美が恐ろしい誤解をして首を傾げた。俺は慌てて首を横に振って訂正する。


「手なんか出してない! 俺はロリコンだけど、子作りはしたくないんだ」

「春樹は童貞なのか?」


 さすが長生きしているだけある、夏美はなかなかの耳年増なようだ。ただ、吸収する知識の方向性が偏っている気がする。


「童貞ではないんだ、残念ながら」


 俺は首を傾げたままの夏美に苦笑してから今まで誰にも言えなかった、本当の自分の話を始めた。


「自分の趣味について、最初は気づいていなかった。だって小学生の時に同級生を好きになっても普通だろう? 気がついたのは……中学生になってからだ。同級生の中でも好きになる子は幼い感じの子ばかりでね。大人びた子のことは受け入れられなかった。高校生になってからは完全に自分がそうなんだって自覚したよ。あとは……性に興味が持てなかった」


「ほう」


 時折、夏美が相槌を打つ。いつもの雑談ならこのタイミングで菓子やジュースを口にするところだが、彼女は何も口にしなかった。真剣に耳を傾けてくれているようだ。


「男同士だとどの動画がいいとか、クラスのあの子がエロそうだとか、そんな話にもなるし、彼女ができたらどこまで進んだとかいう話になるんだ。内心全く同意できなくてね。彼女はいたけど、手を繋ぐより先のことはしたくなかったんだ」


「けど、春樹は童貞じゃないんだろう?」


 そうだ。俺は童貞じゃない。

 夏美の問いかけに、俺はまた苦笑して遠くを見つめた。


「そう。見た目が幼い子と付き合って何もしないでいると、ロリコンかゲイだと疑われるんだ。だから……」


 沙織さおりちゃん、優美ゆうみ、ゆず、それから真那まな。ごめんなさい。君たちは人生一回きりの大切な処女を捧げてくれたのに。俺はいらなかった。そんな事、したくなかったんだ。


「何人か長く続いた彼女とはするしかなかった。まあ刺激したら身体は反応できるし、なんとかなっていたけど……。心の限界がきて、現在に至るってところかな」


 まっさらで純粋な、けがれなき少女たちを、自分で汚すことの罪悪感はそれはそれは重く俺にのしかかった。

 最後の彼女、真那が結婚を意識し出したとき、それを叶えることを考えなかったわけではない。けれど無理だった。

 彼女を女にしてしまった罪に、さらに母親にしてしまう罪を俺は背負えないと思った。


「男女が揃えば子を作り、生活を営んで命を紡ぐ。それが生きているもののあるべき姿だ」


 いつのまにか左肩に感じていた夏美の重みが無くなって、彼女は諭すような視線を俺に向けていた。


「春樹、お前にはちゃんと理性があるようだ。それなら人の世へ帰るべきだ。きっとうまくやれる。帰って家族を作れ」


 まるで神託しんたくのような、客観的で冷静な言葉が、俺の胸に突き刺さる。

 それでも、俺は君と——。


「夏美と、一緒にいたいよ。ここだって人の世だろ」

「ダメだ。帰るんだ。帰って幸せに生きろ。ここでひとりでいるより、ずっと健全だ」


 夏美は「いつか子供を連れてこい、遊んでやるから」と微笑んだ。その目頭からは、涙が溢れてソファに落ちた。


 ——それ以来、夏美は俺の前に姿を見せなくなった。


◇◆◇◆


 夏美が姿を消してから三年が経った。

 俺はというと、今も祖父の家に住んでいる。

 あれから夏美はいくら呼んでも姿こそ見せなかったが、気配だけはなんとなく感じていた。好物を用意しておくと、数日後に気がつくと無くなっている。おそらく一度我慢して、抗いきれずに手を伸ばすのだろう。


「夏美! もういいかげん出てきてくれ」


 その家を豊かにするという座敷童子としての夏美の力のおかげか、フリーランス転向後の仕事は順調で、俺はこの先の生活に困る事も無いくらいの取引先との契約を結んでいる。


「ほら、見ろよ。夏美が食べたがってた店のケーキだぞ」


 昔、よくテレビで見て食べたがっていたケーキ。これを我慢できるわけないだろう。テーブルの上に置いて、反応を待つ。


 それでも返事はない。


「夏美が出てこなくても、俺は一生ここに住むぞ。もう三年経っている。いいかげん観念しろよ」


「帰れと、言っただろう」


 部屋の中で、夏美の子どもらしい高い声が響いた。姿はまだ見えない。


「嫌だね。一生、君のそばにいると決めたんだ」

「そんなのダメだ! 家族を作って幸せになれ」


 夏美の声が荒ぶって、震えている。

 わかっているさ、君が俺の幸せを願って、俺のためを思って言ってくれている事くらい。けれど——。


「それは、俺の幸せじゃない。世間一般の幸せに俺を当てはめるなよ。もう一度言う、いい加減観念しろ。俺はここで、夏美と一緒にいたいんだ!」


 話すうちに、自分の語気がどんどん強くなっていく。実年齢はずっとずっと年上とはいえ、子供に対して大人気ない。それでも、止まらない。


「俺には兄が二人もいるし従兄弟いるから、血筋が途絶えることはない。だから俺一人くらい独身だっていいんだ。こうして大人になるまで育ってこられた自分が言うべきことではないのはわかっている。これから言うことが、どうしようもない我が儘だってわかっている。夏美、君のことが好きだ。俺、なるべく長生きできるよう頑張るから、死んでからのことはわからないけど、とりあえず生きているうちは、俺が死ぬまでは……ここに一緒にいてくれよ」


 今まで生きてきて、ここまで自分の心の中を曝け出したのも、言葉にしたのも初めてだった。息継ぎもできずに必死に半ば叫ぶように思いを吐き出した後は息も絶え絶えで、目頭が熱いのは苦しかったせいだと思いたい。


 不意に、腰の周りにぎゅっと圧力を感じる。見下ろすとそこには姿を見せた夏美が抱きついていた。彼女は俺を見上げてにっこりと笑った。


「じゃあ、そのケーキは全部私のだ。お菓子の食べ過ぎで早死にされたら困るからな」


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