4 太郎の三百年

 まさかそこまで遠いとは思いませんでした。助けた亀に誘われて竜宮城に来てみた太郎でしたが、竜宮城到着まで丸一日かかりました。日が暮れても戻らない太郎を、母はどんなに心配しているでしょう。母のことが気掛かりで、乙姫様の勧めてくださるお料理もお酒も喉を通りませんでした。幾度も引き留められるのを断って、その日のうちに急いでおいとましてきたのです。帰りも亀が一日かけて送ってくれました。


「やれやれ、やっと帰ってきたぞ」


 とにかく母を安心させなくてはと、村へと急いだ太郎ですが、変わり果てた村の様子に愕然としました。立ち並ぶ家々の姿は見慣れぬものばかり。まるで違う村のようでした。ヨロヨロと浜辺に戻ると、昼間から車座になって宴会をしている漁師たちに出会いました。ただし知った顔は一人もいませんでした。


「もし。つかぬことを尋ねるが」


「おう。どないした」


 漁師たちは、本日の大漁を祝って昼間から酒盛りをしていました。


「わたしは浦島太郎と申す。どなたか、わたしを御存知あるまいか」


 漁師のおじさんたちは一斉に吹き出した。


「誰やねん、じぶん。けったいな奴やなあ」


「おもろいなあ。あんちゃんも飲めやー」


 漁師たちがまったく役に立たなかったので、村に戻った太郎はようやく我が家と思うところに辿りつきましたが、そこに家はなく、古い松の木と、うずくまった女の人のような形の岩があるばかりでした。


 そこへ猫を何匹も連れたおばあさんが、よたよたと通りかかりました。


「もし、つかぬことを尋ねるが」


 太郎は涙目でした。


「なんやの、この子は」


「ここにあった家は、どうなりましたか」


「そないに古い昔のことを尋ねはって、どないするねん」


「古い昔?」


「そうや。三百年も昔のはなしやで。ここには母親と息子が仲良う暮らしとったんやて。そしたら、その息子の太郎ちゅうのが、或る日海に出たっきり戻らんでなあ。かわいそうに」


 太郎は体中の力が抜けたように感じました。


「一人残された母親は、可愛い太郎の帰りをひたすら待ち侘びて、とうとう石になりよったそうじゃ。なんまんだぶ。なんまんだぶ」


「そんな……」


 ――この岩が、母上なのか。

 太郎は岩にすがってしくしくと泣きました。


 猫を連れたおばあさんは、薄気味悪そうに離れていきました。



* * *



 これからどうしたらよいのでしょう。太郎はぼんやりとした頭で考えました。


 ――そういえば。別れ際に乙姫様から不思議なものを預かったな。


 太郎は懐から、手のひらに収まるほどの蒔絵まきえの小箱を取り出しました。


「これは龍宮の玉手箱です。決して開けたりしないでくださいね」


 そう言って、乙姫様は恥じらうようにうつむいたのでした。

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