第7話 脱出

 エクスはすぐに巨大な落とし穴を作る映像をマルスに提供した。小さくうなずいたマルスが近くの木にスルスルと音もなく登る。グランドドラゴンは威嚇しながらも、周囲の警戒を怠らなかった。


『随分と木登りがうまくなったじゃないか』

「もう三回目だからね」


 張り詰めた空気を少しでも和らげようとエクスが話しかける。それをありがたく思いながらも、マルスは穴にグランドドラゴンを落とすタイミングを見計らっていた。視線の先にある白い霧がわずかにゆがむ。

 グランドドラゴンの姿が確認できたのと同時に小声でマルスが魔法を使う。


「ピット」


 次の瞬間、足下の土がなくなったグランドドラゴンが不格好に穴へと落ちていく。エクスが歓声を上げたが、マルスは声も出さずに穴をジッと見つめていた。

 マルスが見つめる先で、グランドドラゴンが穴からはいだしてくる。太い腕が見え、次に顔をのぞかせた。


「ウォーター」


 その瞬間、マルスは限界まで温度を高めた熱水をグランドドラゴンの頭の上に落とした。通常の水なら温度は約百度までしか上がらない。だが、高濃度の魔力が含まれた”魔力水”は状態変化を起こさない。


 すなわち、固体になることもなければ、気体になることもない。そのため、油以上に高温にすることができるのだ。もちろん二人はその事実を知らない。

 空中から突如現れた超高温の魔力水を避けることができずに、グランドドラゴンが頭からそれをかぶった。


「ギャァァァア!」


 グランドドラゴンの叫び声が森の中に響く。今度こそやったと思ったエクスが興奮気味に話しかけた。


『やったな、マルス。これであいつもおしまいだぜ』

「いや、まだ生きてるよ。あのくらいじゃドラゴンは死なない。体中にある硬い鱗が、熱を防いでくれるはずだからね。火傷くらいはしてるかも知れないけど」

『それじゃ、あんまり効果はなかったってことか。……いや、マルスの狙いは目か!』

「その通り。鱗に覆われてない部分、目はしばらく使い物にならないはずだよ」


 怒り狂ったグランドドラゴンが穴から飛び出してきた。だがしかし、マルスの言う通り目は見えていないようで、滅多矢鱈に周囲の木をなぎ倒し、雄叫びを上げながら暴れ回っている。そして時折、頭を大きく持ち上げて、マルスの匂いを探していた。


『おい、何か思ってる以上に効果が抜群のようだぞ』

「そうみたいだね。うれしい誤算だけど、見てよ。あいつはあきらめてない。匂いでボクを探しているみたいだ」


 マルスは急いで胃液がついた上着を脱ぐと、近くの地面へと落とした。そして静かに剣を抜く。その目はしっかりとグランドドラゴンを見据えている。


「ドラゴンの鱗を切ることができると良いんだけど……」

『大丈夫だ。マルスの心が折れない限り、俺も折れねえ。遠慮なくグランドドラゴンの野郎を真っ二つにしてやれ!』

「さすがにそれは無理なんじゃ……でも、頭だけなら何とかなるかも知れない」


 呼吸を整えたマルスがウインドの魔法を使い、服の匂いをグランドドラゴンへと送り届けた。そして”フウ”と息を吐き出して明鏡止水の境地に達した。

 怨敵の匂いを見つけたグランドドラゴンの口元に笑みが浮かんだ。そして動かない標的へ向かって猛然と駆けだした。


 先ほど警備兵を追いかけていたときの、何倍もの地響きを立てながら地を進み、大きな口をあけて猛然と飛びかかった。ガチリと大きな音がする。しかし手応えがない。グランドドラゴンは怨敵の匂いを探るべく、再び頭を大きく持ち上げた。


 そのとき、音もなく木の上から飛び降りたマルスの剣がグランドドラゴンの頭を貫いた。全体重を乗せたその剣は頭蓋骨を貫通し、アゴの下にまで達した。そのまま頭を横に切り裂き地面に着地する。

 グランドドラゴンは声を上げることもできずに、血しぶきを上げながら轟音と共に倒れた。




 警備兵はどちらも息を引き取っていた。ピットの魔法で掘った穴に埋葬すると、両手を組んで二人の冥福を神に祈った。

 先ほどの戦いで上着を失ったマルスは、申し訳ないと思いながらも二人から服を失敬していた。ついでに保存食や、ナイフ、ロープ、少しのお金と共に小さな布袋もいただいている。


「何だか悪いことをしている気がする」

『もらっとけ、もらっとけ。死んだやつが持っていても宝の持ち腐れだよ。生きているやつが使ってやった方がそいつらも喜ぶさ』


 ぶかぶかの服とズボンの裾を幾重にも折り曲げて着ているマルスが情けないくらいに眉を曲げている。そんなマルスをエクスが励まし、先を急がせた。


『他にも警備兵がいるはずだ。ボヤボヤしてないで、さっさとこの森から出るぞ』

「そうだね。急ごう」


 保存食の干し肉を少しかじり、少しだけ元気を取り戻したマルスが再び歩き出した。後ろから追われていることが分かった今、これまでよりも神経をとがらせて前に進まなくてはならない。


 この視界が悪い森の中で頼りになるのは匂いか音くらいだろう。マルスはなるべく音を立てないように進んだ。

 休むときは大きな木の上だ。先ほどロープを手に入れたので、夜眠るときは落ちないように自分と木を結びつけていた。


『これでマルスも立派なドラゴンスレイヤーだな』

「たまたま運良く勝てただけだよ。少しでも何かがズレていたら、きっと死んでたよ」

『なぁに、運も実力の内さ。マルスの力だよ。でも、またあいつに出会ったら厄介だな。そうだ、新しい魔法を教えてやろう』


 エクスの提案にマルスの胸が弾んだ。新しい魔法を覚えることができるのはうれしい。色んな魔法を知っていれば、今回のドラゴン戦のように、工夫次第で戦い方の幅が大きく広がる。


「どんな魔法なの?」

『ドラゴンを屈服させることができるほどの破壊力を持つ、広範囲殲滅魔法さ。これを使えばどんな敵でもイチコロよ』


 それを聞いたマルスの顔が引きつった。広範囲殲滅魔法。聞いたことがない言葉の響きである。だがその言葉の端々から、とんでもない魔法であることは分かった。ドラゴンを屈服させる魔法など、この世にあっても良いのか。


「それって、どのくらいの威力があるの?」

『マルスが捕まっていた屋敷くらいなら跡形もなく消すことができるな。この森も消滅させることができるかも知れない』

「却下。そんな危険な魔法、使えるようになりたくないよ!」

『そうか? 残念だな。一度間近で見たかったのに』

「人を実験台にしないでよ」


 マルスは疲れが混じった深いため息をついた。結局マルスはその魔法を覚えることはなかった。

 それから数日後、マルスはようやく森を抜けた。抜けた先は入って来た場所と同様に草原が広がっている。しかしそこはすでにカーマンド王国の勢力下だった。


「やった、カーマンド王国にたどり着いたぞ! まさかこんな日が来る何て思わなかったよ」


 涙ぐむマルス。だがすぐにエクスが現実に引き戻した。確かに隣の国にたどり着いたが、祖国に帰るまでは安全ではないのだ。脅威が少し下がった程度だろう。そしてこれからすぐにやらなければならないことがあった。


『喜ぶのは良いが、やることがある。マルスのその髪と目の色、ものすごく目立つぞ。カーマンド王国の全土にマルスの手配書が配られているかも知れない。そのままだとあっという間に捕まるぞ』

「ど、どうすれば良いの?」

『そんなマルスにこんな魔法を用意しておいたぞ』


 エクスはマルスに”髪の毛を染める映像”と”カラーコンタクトをつけて目の色を変える映像”を見せた。あっという間に髪と目の色が変わる様を見て、マルスは目が飛び出る程に驚いた。


「エクスの世界は本当に不思議だね。これが普通なの?」

『ああ、普通だ。俺も若い頃はこんな髪の色をしていた』

「……」


 若かりし頃の真っ赤な髪をした自分の写真を見せるエクス。爆発したようなその頭はマルスには寝癖にしか見えなかった。

 教えられた通りに魔法を使うと、マルスの髪と目の色はおそろいのダークブラウンになった。


「本当にこれだけで大丈夫かな?」

『大丈夫だ。髪と目の色が変われば、印象はガラリと変化する。顔見知りでなければマルスだと分からないさ』


 エクスの言葉に励まされて、マルスはカーマンド王国での第一歩を力強く踏み出した。

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