第9話 委員長が泣いている

「――ぅっ――ぇぅっ――ひぐっ――」


 感情が抑えきれなくなり、凜はトイレで泣いていた。


 必死に両手で押さえても、嗚咽は指の隙間からあふれ出す。


 正直な話、一目見た時から凜は仁が嫌いだった。


 理由はわかっている。


 同族嫌悪だ。


 今でこそスリムな美人の委員長なんて言われているが、小学生の頃の凜は丸々太ったおデブちゃんだった。そのせいでみんなにバカにされてイジメられていた。


 男子は凜の身体に触ると、『うえぇー! 汗ついた! ベタベタで気持ちわりー!』とか言って擦り付け合った。


 女子も『あんなに太って恥ずかしくないの?』と陰口を言って誰も仲間に入れてくれなかった。


 給食だって『デブだからたくさん食べるよな!』と頼んでもないのに大盛にされた。


 残すと先生に叱られるから全部食べると『やっぱデブは大食いだな!』とか『お前のせいで足りなくなっただろ!』と理不尽な事を言われた。


 それで保健室登校になり、保健室の先生に言われたのだ。


『太っててバカにされるのが嫌なら痩せればいいじゃない。先生も手伝うから、一緒に頑張りましょう』


 親とも相談して、ダイエット大作戦が始まった。


 家が洋菓子店だったので、凜は甘い物が大好きで、しょっちゅう試食と称してケーキやお菓子を食べていた。


 全部禁止になった。


 お腹いっぱい食べていた夕飯も制限されて、お茶碗は小さくなり、お代わりも禁止になった。


 運動のメニューも組んでもらったが、そちらはあまり出来なかった。


 家の周りを走っていたら、クラスの男子に見つかって『豚が走ってるぜ!』と笑われたのだ。


 元から出不精だった凜は引き篭もりがちになり、遊ぶ相手もいないのでがり勉になった。


 学校の成績だけが、醜いおデブちゃんの心の拠り所だった。


 苦しい食事制限と成長期で一気に身長が伸びたおかげで、中学生になる頃には凜は別人のように痩せて綺麗になった。


 そしたら途端に周りの反応が変わった。


 あんなにイジメていた男子達が、気持ち悪いくらい優しくなった。


 あんなに仲間外れにしていた女子達も、競うように凜をグループに入れようとした。


 吐き気がした。


 中身は同じ人間なのに、どうしてそんなに扱いを変えられるのか。この人達には恥の気持ちはないのだろうか。


 凜はイジメられたり仲間外れにされた事を忘れなかった。


 なのに相手は都合よく忘れている。


 ふざけるな! と思った。


 だから凜はそういう人達とは距離をとって、昔の自分のようにイジメられている人達を助けようとした。


 おデブの自分を救ってくれた保健室の先生のように、今度は自分が誰かを助ける番だ。


 中学生の頃はそれで上手くいっていた。


 男子にはチヤホヤされて、女子には憧れられて、先生には褒められる。


 当然だ。もう醜い汗っかきのおデブちゃんじゃない。努力して普通になったのだ。むしろ普通以上だ。頭だっていい。性格だっていい。嫌われる理由なんかない。


 食事制限だってちゃんと続けている。ここで油断したら、また醜い嫌われもののおデブちゃんに逆戻りだ。あんな惨めな思い、二度としたくない。


 いつもお腹が減っているけど、それは仕方のない事だ。


 だって食べたら太るんだから。


 それでイライラする事もあるけれど、周りにチヤホヤされている内は平気だった。


 高校生になってから、少しずつ歯車が狂いだした。


 凜が正しい事を言っても、以前のように男子が素直に従う事は少なくなった。凜の味方をする女子も少なくなった。むしろどんどん離れていった。


 なんで、どうして? 凜にはわけがわからなかった。だってもうおデブちゃんじゃないのに、なんで嫌われるのか分からない。


 これじゃなんの為にダイエットを続けてるのかわからないじゃない!?


 それでも凜はいじめられっ子達を庇い続けた。


 だってもう、他に話し相手がいなかった。


 今ならわかる。


 いじめられっ子の世話を妬く事で、凜は心のバランスを取ろうとしていたのだ。


 けれど、空腹のせいでイライラして、凜は以前のように人に優しく接してあげる事が出来なかった。


 四六時中イライラしていて、ふとした弾みにキレそうになったり、八つ当たりしたり、意地悪な言葉が飛び出してしまった。


 そうなれば、今まで面倒を見てあげていたいじめられっ子達も凜を煙たがるようになった。むしろ、凜と関わるとクラスの上の連中に目を付けられると避けるようになった。


 二年生になる頃には、凜は完全に学校で孤立していた。クールで美人の委員長なんて言っているのは、凜と関わった事のない連中だけだった。


 そして仁が現れた。


 あの頃の自分を思い出させるような、丸々太ったおデブちゃんだ。


 仁を見ていると、凜は思い出したくもないトラウマを思い出さずにはいられなかった。


 彼に対する悪口は、どういうわけか自分が言われているような気がしてしまう。


 それだけじゃない。


 バカみたいにデカいお弁当を美味しそうに頬張っている仁を見ると、凜はいつも以上にお腹がすいてたまらない気持ちになった。


 こっちは毎日必死に我慢しているのに、嫌がらせじゃないかとすら思ってしまう。


 けれど凜には、それが見当違いの逆恨みだと理解するだけの理性があった。


 ここで仁に意地悪をしたら、あの日自分をイジメていた連中と同じになる。


 そう思って必死に仁を庇った。


 誰にも相手にされず、仁にすら必要ないと言われた。


 凜にはわけがわからなかった。


 だって、毎日笑われて、からかわれて、バカにされて、友達だっていなくて、ものすごくつらいはずなのに。


 心細くて寂しくて、誰でもいいから助けてほしいと思っているはずなのに。


 なのにどうして拒絶するの?


 せっかく私が助けてあげようとしているのに!


 そしたらある日、仁が学校一の美少女である胡桃と一緒に昼食を食べているのを目撃した。


 バカじゃないかと思った。


 そんなの、どう考えても遊ばれているだけなのに。


 そんな事したら、学校中の男子の目の敵にされるだけなのに。


 バカなんだ。


 頭の中まで太っていて、まともな思考力を失っているんだ。


 案の定放課後にいつもの三人に絡まれていた。


 もう付き合いきれない。


 勝手にして! 


 そう思ったのに、どうしても見過ごせずに庇ってしまった。


 そんな事をしたら、ただでさえ悪い自分の立場が余計に悪くなると分かっていたのに。


 そしたらまた拒絶された。


 それだけでなく、仁は自分の力で危機を切り抜けて見せた。


 そして言い放った。


 痩せるつもりはないと。


 僕はこのままで大丈夫だからと。


 何の問題もないという風に、平然と言ってのけた。


 ガラガラと、凜は何かが崩れる音を聞いた。


 そんなはずない! そんなわけない! デブはよくない! だってデブだ! みんな太ってる人が嫌いで、不快に思っているんだ。デブのままでいい事なんて一つもない!


 必死に訴えても、仁は聞きもしない。


 でも、それは当然の事だったのだ。


 先日の体育で、仁は軽々クラスのイケてる連中に仕返しをして見せた。


 そんな事は、やろう思えばいつでも出来るというように。


 僕はどうでもいいんだけど、君がイジメられているから助けてあげるとでもいうように。


 実際その通りなのだろう。


 仁は凜とは全く違う。


 仁はデブだけど、強いデブだった。


 身も心も強い、スーパーデブだ。


 先ほどの事で凜は確信した。


 胡桃は普通に仁が好きで昼食を食べに来ている。


 仁はおデブの癖に、学校一の美少女に好かれるだけの魅力がある。


 そして自分はこんなに綺麗になったのに、おデブだった頃のようにみんなに嫌われている。


 どうして?


 簡単な話だ。


 太ってようが太っていまいが関係なく、自分は嫌な人間なのだ。


 どこがどうダメなのか分からないけれど、自分はそういう人間なのだ。


 きっと、なにがダメなのかわからないからダメなのだ。


 とにかく自分はダメ人間なのだ。


 だって、学校一の美少女と楽しそうにお昼を食べている仁の姿に嫉妬して、二人の仲を引き裂いてやろうと思ったんだから。


 おデブの癖に幸せになるなんて許せないと思ったんだから。


 そんな心の醜い人間は嫌われたって当然だ。


 だから凜は泣いていた。


 どうあがいても、自分は誰にも愛されない人間なんだ。


 そんなのもう、泣くしかないじゃないか。

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