第6話 おデブ君は無双する

 もうすぐ春の球技大会があるという事で、四時間目の体育はその為の種目決めと練習にあてられた。


 柳津高校の球技大会は男女混合なので、一つでも多くの種目で勝つ為には参加メンバーの振り分けが大事になってくる。


 いつものイケてる三人組が我が物顔で仕切りだし、一組ではドッジボールを捨て種目にする事に決まった。


 総合優勝の為、運動音痴の生徒はドッジボールに参加する事を強制された。


「強制はよくありません! それぞれの希望を聞いてちゃんと話し合うべきです!」


 委員長は反対したが、日頃から口うるさい奴だと思われていて、まともに取り合う生徒はいなかった。


 学校内ではクールで美人な委員長と人気を集めているが、クラスの中では浮き気味だった。


 委員長自身、勉強は出来るが運動はからっきしで、ドッジボールに出たくないからそんな事を言ってるんだろうと責められた。


 それで委員長は何も言えなくなってしまった。


 デブの仁もその身体じゃ走れないだろと当然のようにドッジボールに振り分けられた。


「捨て種目って言っても最下位で足を引っ張られたら迷惑だからな。少しでもマシな成績を出せるように俺らが特訓してやるよ」


 どうやらイケてる三人組は先日の仕返しが目的だったらしい。


 クラスの運動部を集めた最強チームを作り、最弱チームと練習すると言い出した。


 最弱チームは冴えない連中ばかりだったので、文句を言える奴は一人もない。


 いや、委員長だけがそんなのはイジメと同じです! と抗議したが、適当に流された。


 そして試合が始まり、気づけばコートの上には仁と委員長だけが残された。


 明らかに、そうなるようにわざと狙いを外されていた。


「きゃっ!?」


 顔の近くをボールが通過し、委員長が悲鳴を上げて尻餅をつく。


 ギャハハハハ!


 三人組や委員長をウザがっていた連中が愉快そうに腹を抱える。


 さっきからそうやって、わざと当てないように顔の近くに剛速球を投げていた。


「卑劣です! ひと思いに当てたらいいじゃないですか!」

「それじゃ練習にならないだろ? ほら、ほら、頑張って取ってみろよ!」


 委員長は半泣きだった。それでも泣かないように、必死に堪えてあたふたと逃げ回っている。仁はコートの真ん中に棒立ちだった。向こうに当てる気がないのだから、逃げる必要がない。


「おいふとし! ちょっとは真面目にやれよ!」


 顔の近くをボールが通過しても涼しい顔だ。


 そんな事より、この後のお弁当が楽しみで仕方ない。


「はぁ、はぁ、はぁ……なんで私ばっかりこんな目に……」


 肩で息をしながら溢れかけた涙を拭う。ほっそりとした白い脚は恐怖でガクガク震えていた。


「委員長。怖いなら、僕の後ろに隠れてたら?」


 委員長はムッとした顔で仁を睨んだ。


「細田君に助けて貰わないといけない程落ちぶれていません!」


 叫んでから、委員長はしまったというように言い直した。


「……すみません。今のは八つ当たりでした」

「ううん。本当の事だから気にしないよ」


 そう言って、仁は委員長をかばう様に前に立った。


「なっ! なんのつもりですか!?」

「いつも庇ってもらってるから。そのお礼。それに僕、走るのは苦手だから」


 ギャハハハハ!


 それを見て、最強チームが爆笑した。


「クソデブのふとしがなに格好つけてんだよ!」

「よかったな委員長! 肉の壁だぜ!」

「もうさ、付き合っちゃえば? デブとガリでお似合いのカップルじゃん!」


 ギャハハハハ!


 委員長は真っ赤になって俯いた。


「ごめんね、委員長。僕のせいで笑われちゃって。その分のお返しはしておくから」

「え?」


 囁くような声は、委員長にだけ聞こえていた。


「そろそろ時間か。そんじゃ、終わらせるぜ! くたばれ豚野郎!」


 Aはバスケ部で、長身細マッチョのイケメンだった。


 そんな彼が全力でボールを投げれば、かなりの速度と威力が出る。顔に当たったら、女の子なら泣いてしまう。男だって泣くかもしれない。耳に当たったら鼓膜破裂だ。


 ブンッ――パシッ。


「……は?」


 迫りくる剛速球を、仁は右手一本で軽々キャッチした。丸々太った特大のクリームパンみたいな掌は、ふかふかのお肉で出来たキャッチャーミートだった。


「女の子に意地悪したら良くないよ」


 誰にともなく呟くと、仁は丸太のような腕をブワァン! と振った。


 ボッ!


 ボールは衝撃波でも出そうな速度でかっとんで、反応する間もなくAの顔面にぶち当たった。


 Aは悲鳴を上げなかった。


 ひっくり返ってピクリともしない。


 整った顔は鼻血で赤く染まっている。


 ボールは綺麗に跳ね返り、仁の手の中に戻ってきた。


「まず一人」


 丸々と太ったソーセージみたいな指が一本上がった。


 どこか間の抜けた愛嬌たっぷりの声が、処刑人の死刑宣告のように寒々しく体育館に響いた。


「ちょ、ま――」


 ボッ!


 Bがひっくり返った。


 同じようにして、最強チームが次々倒れていく。


 最後には泣きながらコートの端で縮こまるC子が残った。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 降参するからもう許して!?」


 ボッ!


 ボールがC子のすぐ横の床を跳ねた。


「……キュゥ」


 最後の一人がひっくり返る。


「外しちゃった」


 お道化るように肩をすくめて、仁は委員長を振り返った。


 委員長は口をぽっかり空けて唖然としていた。


「…………なんなんですか、あなたは」


 幽霊でも見たような顔で言ってくる。


「おデブだから。走るのは苦手だけど、ドッジボールは得意なんだ」


 昔から、何度も同じような目にあっている。


 そもそも仁は、別に運動は苦手ではないのだった。


「す、すごいよ細田君!」

「見直しちゃった!」

「スカッとしたぜ!」

「これならドッジは優勝だ!」


 最弱チームのメンバーや、イケてる奴らに不満があった生徒達が歓声をあげて仁に群がった。


「これくらい普通だよ」

「だったら余計にすごいって!」

「誰だよ細田の事ただのクソデブとか言ったやつ! 無茶苦茶すげぇじゃねぇか!?」

「ほ、細田君、あの、あのぉ!」


 委員長はお礼を言いたかったが、他のクラスメイトが邪魔をして言えなかった。


 そもそも自分にはそんな資格があるのだろうか。


 散々彼を見下すような事を言って、今更掌を返すなんて卑怯じゃないか。


 そう思い直して後ろに下がった。


 なんだか無性に胸が苦しかった。


 きっと自分は彼の事を内心見下していて、助けられた事が悔しいんだ。


 そんな風に解釈して、委員長は自分を軽蔑した。


 そのくせ委員長の視線は、偉ぶる事無く飄々としている愛嬌たっぷりのおデブちゃんに釘付けになっていた。


 胸が苦しい。お腹の底がうずうずする。


 どうして、どうして、どうして?


「どうして助けてもらったのに、私はこんなにイラついてるの?」


 委員長はまだ、恋という感情を知らないのだった。

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