第2話 学校一の美少女はまだ恋を知らない

「……もちもちしたい」


 胸の奥から湧きだすように独り言が溢れた。


 胡桃の自室。

 ベッドの上で仰向けで。


 大きな胸の上には、お気に入りの特大ぬいぐるみを抱えている。


 大福みたいにデフォルメされた、まん丸いハムスターのぬいぐるみだ。


 お餅アニマルという人気マスコットキャラのシリーズで、生地はスベスベ、中にはもちっと抱き心地の良いもちもちビーズが入っている。


 学校一の美少女は楽じゃない。


 男子には色目を使われ、女子には色眼鏡で見られる。

 嫉妬や恨みを買う事も多い。


 下手な事を言ったらここぞとばかりに言い触らされるので、心を許せる友達だっていない。


 そんな胡桃にとって、ぬいぐるみのハムさんはもちもちボディで癒しと安らぎを与え、黙って愚痴を聞いてくれる親友のような存在だった。


 ……分かってる。

 相手はただのぬいぐるみだ。


 でも、仕方ないじゃん!

 友達いないんだから!


 ともかく、いつもは嫌なことがあってもハムさんを抱いていたら気持ちが落ち着く。


 嫌な事がなくっても、とりあえずハムさんを抱いていれば心が安らぐ。


 とにかく手持無沙汰な時はハムさんを抱いて癒されている胡桃だ。


 なのに今日は満たされない。


 全然違う。


 これじゃない。


 だって胡桃は知ってしまった。


 世の中にはもっとすべすべで、ふかふかで、もちもちの、気持ち良い存在がある事を。


 細田仁。


 お昼休みが終わってから、ずっと彼の事が頭を離れない。


 あの後一緒に屋上前の階段に座り込んで、チャイムが鳴るまであれこれ喋っていた。


 と言っても、ほとんど胡桃が一方的に喋るだけで、仁は幸せそうにニコニコしながら菓子パンを頬張るだけだったが。


 しかもすごい量だ。胡桃なら一つでお腹いっぱいになりそうなパンを、仁は五つも六つも食べている。そりゃ太るわけだ。


 でも、幸せそうに菓子パンを頬張る仁のまん丸い顔を眺めていると、不思議と荒んでいた気持ちが和らいだ。ユーチューブの赤ちゃん猫の動画みたいに、ものすごく癒される。もう、何時間でも眺めていたい。


 見るだけじゃない。仁はたわわな胡桃のFカップおっぱいも負けちゃうようなむっちりもちもちの二の腕を惜しげもなく触らせてくれた。


 太っているのに汗でベタベタしているわけでもない。むしろひんやりすべすべで気持ちいい。そして揉むともちっと心地いい。これも無限に揉んでいられる。


 それこそ猫カフェで子猫を抱くような癒しの時間だ。


 それに仁は食べる事に夢中で胡桃の話を聞いていないという事もなく、要所要所でしっかり相槌を打ち、大変だねと言ってくれる。それがまた、丁度いい距離感だった。


 他の男子なら、関係を深めるチャンスと聞いてもいないアドバイスを語り出し、ぐいぐい押してくる。胡桃はそんなの求めてない。ただ、学校一の美少女が抱えるちょっとした憂鬱に耳を傾け、共感して欲しいだけなのだ。


 胡桃は学校一の美少女だ。つまり、学校に一人だけの存在だ。あたしはみんなと違って、みんなもあたしとは違うと思っている。


 そんな扱いを受けているから、胡桃の心は孤独だった。周りには友達ぶった人が沢山いるし、話しかければそれなりにみんな愛想をよくして相手をしてくれる。


 けれどやっぱり、下心を見え透いたり、学校一の美少女を仕方なく接待しているような余所余所しさを感じていた。


 どこに居ても、誰と居ても、胡桃は孤独で寂しかった。


 どこに居ても、誰と居ても、ここはお前のいる場所じゃないと言われている気がした。


 それなのに、仁の隣にいると、胡桃はここに居てもいいような気分になれた。


 仁は菓子パンに夢中で、そんなに胡桃には興味がないらしい。


 それこそ、たまたま知り合った初対面の女の子と普通に話しているような。

 その程度の感覚だった。


 そこに居てもいいし、居なくてもいい。


 喋りたいなら喋ればいいし、喋りたくないなら喋らなければいい。


 僕は僕の好きにするから、君も君の好きにすればいい。


 そんな心地よい無関心がそこにはあった。


 その癖、仁のまるまる太ったわがままボディには、全てを受け止めるような謎の安心感があった。


 事実、仁は階段から足を踏み外した胡桃をむちむちのハムみたいな両腕でがっちりむっちりキャッチしてくれた。


 あの瞬間を思い出すと、胡桃はお腹の奥がもぞもぞして暴れたくなった。


 本当に死ぬかと思って怖かった。


 でも、彼の腕に抱かれた途端、子供の頃にお母さんに抱っこされてた時のようにホッとした。


 人のぬくもりを宿した巨大なハムさんに抱えられている気分だ。


 いや、それ以上だった。


「……もちもちしたい」


 胸の奥から想いが溢れて、胡桃は気づかず呟いた。


 そして、呟いた事に気付いて赤くなった。


 あたし、どうしちゃったんだろう。


 男の子なんか、怖いだけと思ってたのに。


 それなのに、また仁君と喋りたい。


 幸せそうにご飯を食べてる顔を眺めたい。


 むちむちのひんやりした二の腕を思う存分もちもちしたい。


「……これって恋なのかな」


 分からない。


 だってまだ、恋なんかした事ないんだもん。


 あんなおデブさんなのに?

 でも、全然嫌じゃない。


 黙って愚痴を聞いてくれる都合の良い相手だからじゃない?

 でも、胸が苦しい。


 ただ触り心地が良いってだけじゃん?

 ……それは否定できない。


「……どうしよう」


 不安になって、胡桃はハムさんのお腹に顔を埋めてバタ足をした。


 そして顔をあげて決意した。


「……確かめよう。仁君と一緒に過ごせば、この気持ちが恋かどうか分かるよね?」


 呟くと、早速胡桃は明日のイメトレを開始した。

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