第9話 (最終話)これからやり直してくれませんか?
私は鶴田 昴によく似た薫に全てを打ち明けた。
大学を卒業する所から、就職難で零細企業に目を向けた話、そして見つかった沖田塾、沖田 優人さん、奥さんの海さん。1年して藤尾と高柳という問題のある連中が来て半年で沖田塾が無くなった事、夢を失った優人さんが死を望んだ事。
それを阻止した事。
阻止しているうちに彼に惹かれて関係を持った事。
ここで引かれるか驚かれるかと思ったがそれは無かった。
そして優人さんは最後には死を選び、嘆き悲しんだ私を見た海さんに関係がバレて葬儀にも呼んでもらえなかった話。
夫婦の最後を汚した事で優人さんは無縁仏にされる所だった事。
それを回避する方法が相手を問わないから結婚をする事だった事を話した。
薫の顔は見るからに怒っていて「そんな事の為に父さんを…」と言っている。
突き刺さるような痛い視線の中、私は「まだ終わらない。続けるから最後まで聞きなさい」と言う。
次は鶴田 昴の話をした。
大学3年の春、自分の居場所はここではないという思いで中退をした事。
そして自分探しの為にこっちに帰ってこなかった事。
初めは応援していた両親も病による余命宣告で人が変わってしまい、地元に戻ってくる事を強要した事。
これには優しい祖父母の記憶しかない薫にはショックだったようで驚いていた。
そして鶴田 昴には秘密にして鶴田父は自身の夢のために仕事と結婚相手を探していた事。
「爺ちゃんの夢?」
「息子が地元に帰ってきて地元で勤め人になって地元で結婚をして孫を産んでもらって自分達がその孫を可愛がる事よ」
衝撃の事実、優人さんの為に私が鶴田 昴と結婚をしたと思い込んでいた薫は気付いて「…それって…まさか…」と言った。
私はフォローする事なく「そうなるわね。続けるわ」と言って話を再開した。
私は海さんとの約束で結婚相手を探していた事、そこに丁度結婚相手を探す鶴田父に相談を受けた知人の話が舞い込んだ事。
こうして私の目的と鶴田父の夢の為に鶴田 昴は天宮 美空と結婚をした事を説明した。
怒りの矛先に悩みながら薫は「何だよそれ、父さんは被害者じゃないか」と言って俯く。
「そうなるわね」と返す私に「母さんは罪悪感とかないのかよ!その男が好きでそいつの為に結婚って!」と言うので私は「…あるわ」と返す。
「だったら!」
「だから私は深入りしないの。こんな私なんかに好かれても何を言われてもきっとお父さんは嬉しくないわよ」
この言葉に泣きながら怒る薫にこれだけはと思って伝える。
「昔はもっと酷かったわ。ここまで話せた薫にも言えないような酷い事が沢山あった。酷い事を沢山してお父さんを傷つけた。それでも何回かいい雰囲気になった事はあったの。でも周りがそれを許さなかった。薫、あなたが生まれてきた日、痛みに耐える私の手を握ったお父さんと目が合って2人で涙を流した時、ここからやり直せると確かに思ったの。お父さんも同じ気持ちだったと思う。でも私達を差し置いて我が事のように喜んでいる周りを見て冷めてしまった。そういうのは何回もあったわ」
薫はその言葉にそれ以上は何も言わずに部屋に篭った。
30分して帰ってきた鶴田 昴は手にケーキを持ちながら「美空さんの好きそうなロールケーキと薫の好きそうなコーヒーゼリーがあったから買ってきたよ。食べませんか?」と言い、リビングに薫がいない事を訝しんだがリビングに来た薫は見事に演技をしていて「うわー、ダメだ。母さんの話聞いても解決しないよ父さん!」と言って鶴田 昴の胸に飛び込んでいた。
鶴田 昴は嬉しそうに「大丈夫?俺も話を聞くよ。わからないところがまとまったらいつでもおいで」と言ってコーヒーゼリーを薫の目の前に出していた。
数日後、鶴田 昴がまだ仕事から帰ってこない時、薫は夕飯の支度をする私の前に現れた。
「母さん、俺はこの家を出て大学に行く。母さんはその間に父さんとやり直す…始めるんだ」
「薫?」
「母さんは何回かやり直せるチャンスはあったって言ったろ?だったら母さんから手を繋ぐところから始めればいい。父さんの名前を呼べばいい」
「…そんな…何を言って…」
突然で理解が追いつかない中、薫が「それが最後のチャンスだ」と言った。
「え?」
「俺は大学を出たらこの家に戻って父さんに離婚を提案する。母さんが父さんと仲良くなっていて父さんが離婚を拒めば今まで通りの家族だ。でも父さんが今までみたいな義務で母さんと居ると言うなら父さんの知らない全てを話して父さんには自由になってもらう」
それは18年越しのあの日見た鶴田 昴の言葉だと思った。
でも今更何ができるわけでもない。
しかしここで無理といってもなんにもならない。
「わかったわ。薫が家を出てから始めてみる」
この言葉に満足そうに薫は頷いた。そして「母さんは父さんの初恋とか知らないの?」と聞いてきた。
「知らないわ。知ろうとしなかったもの」
「だよね。父さんに何回か聞いてみたけど「俺と美空さんの子供の薫がいる。それでダメかな?」しか言わないんだよな」
それには本当に驚いた。
薫の為の言葉だろうけどそんな事を言っていたとは思わなかった。
そのまま薫は高校3年になって成人した。
自分基準だと高校生の間に成人するというのは変な感じもする。
そして家から3時間の大学に決まって春から一人暮らしをする。
家事や心構えは一人暮らしの経験がある鶴田 昴が教えていた。
そして見送りの日、鶴田 昴は亡き父を真似て一人称を私にして「私は大学に向かずに辞めてしまったが、君は自分の道を見つけなさい」と言って薫を見送っていた。
静かになってしまった気のする家、リビングに急に2人きりで何かできるわけもなく私は躊躇していると鶴田 昴は「2人になったから外に食べに行きませんか?」と誘ってくれた。
期限は4年。
頑張って関係を築こうと意気込む中、春の健康診断で鶴田 昴は肺に異常が見つかり、精密検査の結果、初期段階だったので外科治療で治ることが判明した。
病を聞いた時は唖然とした。
表情は崩さなかったが身近な死には身構えたくなった。
私が「わかりました。お金はありますので気にせず治してきてください」と言うと鶴田 昴は驚いた顔をする。
鶴田 昴は心の光を失ったせいか稼ぎに頓着がなく収支にも興味を示さない。
自分がどれだけ稼いでいるかは現実味もなく未だに「美空さん、生活は大丈夫ですか?足りない時は遠慮せず言ってください。俺が何とかします」と言う。
気になるのは私が苦労をしているかしていないかになっている感じだった。
高給取りの意識はなく、薫を大学に送り出しても生活費は残る。
私の事が済むと次は息子の薫への報告を気にして「薫には…」と言う。
私は今薫に帰ってこられると折角の決心が揺らぐので「まだ言わない方がいいですよ。心配で帰ってきてしまいます」と言った。
「そうですね。帰り癖がつくのも可哀想です。終わったら連絡しましょう。あ、少し出てきます。母は事後報告や電話だと嫌がるので報告してきます」
鶴田 昴は1人でさっさと実家へと報告に行く。
本来なら横に連れ添うべきだし、こんな時こそ支えるべきなのに1人で行ってしまった。
そうしてしまったのは自分で、申し訳なく思う。
その頃から鶴田 昴は明け方にうなされる事が増えた。手術の事が心配なのかも知れないと起きない事を願いながら手を握った。
手を握ると鶴田 昴は握り返してきて少し穏やかそうな寝息になるのだが、すぐにうなされて「か…」とか「ど…」とか聞き取りにくい言葉を言っていた。
今日は休日なので朝食を食べながら「うなされていましたね」と声をかけてみた。
私から声をかけたからだろう。少し嬉しそうな顔をしたがすぐに取り繕うように「手術を考えたら良くない夢を見るようになったのかもね」と鶴田 昴は言った。
直感的にピンときた。
もしかすると手術を意識して死について考えたのかも知れない。
死について考え、心残りを考えて初恋の元彼女を思い出したのかも知れない。
だからこそ夢枕に例の薫の誕生を伝えられる元彼女が現れてどんな夢かはわからないがうなされた。
そして鶴田 昴は夢を見る事は浮気ではないもののどこか後ろめたかったのだろう、取り繕ったのだ。
私は追求せずに普段通りを意識して「そうですか」と返した。
だが意識すると嫌われて当然の事をしてきて優しくしてもらえる価値はない、捨てられるまでの仲と思っていたが面白くない。
あの山下公園で優人さんの手を掴んでホテルを目指した時の、もうとうに壊れて冷え切ったと思っていた心が自分の中に未だにいた事に気付いた。
手術が終わって退院したら横浜に誘って中華街で肉まんを食べて「横濱媽祖廟」へ行って、山下公園のベンチで今までの事を謝って、考えるだけで顔が熱くなるが………熱くなるが「昴さん」と声をかけて「これからやり直してくれませんか?」と言ってみよう。
優人さんはヤキモチなんか妬かずに許してくれるだろう。
そうしたら海さんに報告をする。
昴さんを連れて薫のところに顔を出してみてもいい。
薫の驚く顔を想像したら今から楽しみになってきた。
とりあえず今晩、昴さんが眠ったら起きない事を願って手を握って練習のつもりで名前を口に出してみよう。
心の中で呟くだけで顔が赤くなる。
それを口に出すなんて考えただけで大変な事になっているが言ってみたい。
夜が待ち遠しい。
「美空さん」
「はいぃ!?」
急に背後に居た昴さんに声をかけられて私は素っ頓狂な返事をしてしまう。
昴さんが聞いたことが無いような声に心配して「え?大丈夫ですか?」と声をかけてくれた恥ずかしさで赤くなりながら「は…はい」と答えた。
「家に居るとなんか変な考えが出てきてしまうので少し出てきます。…あ…良かったら行きませんか?」
「いいの…ですか?」
「はい。良かったら少し大きな公園にしませんか?咳が出ると周りの人に白い目で見られるので人混みなんかは避けたくて…、勿論美空さんが行きたいところがそう言うところなら行きますよ」
私は首を横に振って「いえ、公園にしましょう」と言った。
「…はい。では俺が戸締りをしますから用意をしてきてください」
私は平静を装いながら用意を始める。
これからやり直すと思うと20年も抑え込んできた気持ちが暴走を始めている。
身勝手な事は自覚している。
何回も泣かせた。
何回も心の光を消してしまった。
でも改めて薫に言われたやり直せる事を意識したら暴走してしまう。
昴さんは許してくれるだろうか?
理解してくれるだろうか?
まだ間に合うだろうか?
大丈夫だと思いたい。
彼は真面目で優しいから。
今日は腕を組んでもらえるだろうか?
そう思いながら意識をしすぎないお洒落を考えて急いで着替えをした。
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