第8話 鶴田 薫の問い。

薫は大した怪我も病もなくどんどん成長していく。

幼稚園に入り、母の日、父の日、敬老の日にそれぞれ似顔絵と薫の言葉を先生が代筆した手紙を渡された。

手紙には「おかあさん、おいしいごはんをありがとう」「おとうさん、いっぱいあそんでくれてありがとう」「じいじ、ばあば、あたらしいおうたをきいてね」と書かれていた。


私は食事の用意しか出来ない。

鶴田 昴は本当によく遊んでくれている。

そして鶴田の祖父母は薫に子供用のマイクが付いた玩具のカラオケセットを買って渡していた。


この頃になると「鶴田さん」と鶴田 昴を呼ぶのはおかしいので薫に教えがてら「お父さん」と呼ぶようにした。


鶴田 昴は複雑な表情で困った顔をしていたがやはり名前呼びは優人さんにしか出来ない。


鶴田父は殊更薫を大切に扱ってくれた。

よく言えば夫婦の時間をくれたが、悪く言えば何かと薫を泊らせたいと週末になると連れて行き、退職金でローンの整理等の終活、妻の今後のお金を用意し終わった残金で薫との思い出を作り続けていた。


幸か不幸か、薫は鶴田 昴になつき、鶴田 昴は晃と名付けたかったはずの息子を真面目に優しく大事に育てていた。

優人さんの面影はこじつけかも知れないが目尻にある気がしていて私はそんな薫の笑顔が好きだった。

薫はお爺ちゃんお婆ちゃんと言うと鶴田の祖父母をイメージする。

ウチの親も祖父母だと認識はしているが懐いてはいない。

それも致し方のない事だ。


まだ年中なのに死期を悟った鶴田父はランドセルを薫に送り、写真館で並んで写真を撮って額に飾って泣いていた。


その年は本当に毎月のように検査の合間合間に鶴田父は薫を連れて各地に出かけていた。そうなると訪れる2人きりの微妙な時間。

それでも鶴田 昴は私をキチンと大切に扱ってくれて旅行なんかにも連れて行ってくれる。


歪で壊れていたが関係は出来ていてそのまま固着してしまっていた。



鶴田 昴には話していないが、薫の6歳の誕生日を迎える前に容態が悪化した鶴田父は亡くなった。

それでも医師の余命宣告を覆す大往生に皆が驚いていた。


私も鶴田 昴の妻としてキチンと葬儀に参列し、喪主となった鶴田母の手伝いに奔走した。

昔、バス旅行で老夫婦に誉められたように大人しく自己主張を控えていた私は初めて会う親戚達の評判も良かった。


だが終わり際、鶴田母と2人きりになった時「もういいわ」と突然言われた。


「いえ、まだ御香典の確認と住所の照らし合わせ、後は死亡届と埋葬許可証の件がありますからお手伝いします」

この量をこの義母1人には到底無理だと思い言うが全く違う内容だった。


「ありがとう。それには感謝しています。そうじゃなくて結婚よ。あなたにも何か理由があるんでしょうけど昴を愛していないわよね?私達の無茶な要求に応えて鶴田家に来てくれたこと、薫を授かってくれたことには感謝しています。ありがとう。でも私、美空さんが昴を名前で呼んでいるところを見たことがないの。しょっちゅうお邪魔して5人で一緒に出かけていたのによ?それにあなたは頭がいいからかうまく会話を誘導をして私達に昴と呼ばせて名前を呼ばないようにしてる。最近では薫に呼ばせるようにしてる。そうやって昴にすら心を開かないじゃない」


まさか鶴田母に見られて居たとは思いもよらなかった。

この義母は余命を過ぎた夫の世話で周りなんて見ていないと思っていた。

だがやはり鶴田 昴とは親子だ。細かな機微を見逃しては居なかった。


だが自分から出て行く気はない。「すみません。ですが私は妻ですので、出て行けと言われるまでは…」と答えると間髪入れずに「ほら、今も」と言われた。


「私は妻ですので?私は昴さんの妻ですのでと言って欲しかったわ。名前も言えないなんてあなた誰の妻なの?誰の妻なら名乗れるの?」


厳しい目。

心が抉られるようだった。

返事に困ると「………答えなくていいわ。きっと待ってもこっちが根負けするまで誤魔化して逃げるでしょ?なら諦めたほうがいいもの。じゃあ、いると言うなら死亡届と埋葬許可証の方をお願いするわ。あなたは参列者の名簿を見ても誰が親族か分からずに困るもの」と言って鶴田母は作業に戻って行った。


そこからは余計な波風もなく時は流れた。


鶴田母は鶴田 昴には何も言わなかったようで法要のたびに鶴田 昴からは「葬式の時はありがとう」「美空さんのフォローで助かりました」「今日もすみません」と感謝を口にされる。



薫は順調に大きくなり思春期を迎える。

顔つきが男らしく骨張ってくると優人さんに似ていると思えた目尻は鶴田 昴の目尻になった。

そうなるとどこも似ていなかった。

あの日聞いた話は怪談ではなく猥談だった。


こうしてもう一度会えるかと期待した淡い想いは消え去った。



薫は高校受験で進路に悩むあまり少し荒れたが鶴田 昴と話をして自分なりの行動を考えるようになっていた。

勉強は昔、沖田塾で教えたようにしたら独学でやれる子になってくれた。


こうなると私の価値や存在理由はわからなくなる。

薫を起こして弁当を持たせる。そして掃除をして夕飯を作り洗濯物を綺麗にしてしまう。薫からしたら私の価値はその程度だろう。


それがわかってか鶴田 昴は相変わらず真面目で優しく薫の前や2人の時にもお礼を言ったり、「綺麗だったから」と言って花束を買ってきたりしてくれる。


勿論結婚記念日と誕生日も欠かさない。


だが今更なので私から何かを言うことは出来ずに鶴田 昴の誕生日は直前に薫から「お父さんの誕生日、メシ行こうよ」と言ってもらってようやく実行に移れる。


それでも鶴田 昴は「ありがとう薫。ありがとう美空さん」と言って微笑んでくれる。


高校2年になった薫は進路の事で悩んでいた。

今回の悩みは鶴田 昴には相談が出来ないからと珍しく私に話してきた。

鶴田 昴はその光景を珍しいと喜びながらも少し寂しげに「確かに大学は美空さんは卒業していて俺は中退だからね」と言って散歩に出かけた。


鶴田 昴は薫の中学入学にあわせて家を建てた。

それはこの地に定住するという覚悟と、真面目さと優しさから家族に不便をかけない為の思いやり。


同居も視野に入れていたが鶴田母は「悠々自適の邪魔は嫌よ」と言って実家に1人で住んでいる。


この家は薫のおかげで随分と温かみを持ったと思っている。そんなリビングで向かい合わせに座って「相談って何?学費の心配ならいらないわよ。お父さんは高級取りよ?」と冗談混じりに話しかけると薫は「そんな事じゃない」と物凄く怖い声で言った。


突然の背筋が凍るような怖い声を聞いて私が返事に困っていると「母さん、母さんは父さんが好き?俺にはとてもそうは見えない」と続けて言われた。


やはり薫は鶴田 昴の息子だった。

心の機微に敏感で幼い時から私たちを見て異質さを感じていたと言った。

幼いながらに友達の家とはどこか違う空気。

夫をあなたと呼んでいる家もあれば、名前で呼ぶ家もあった。中には我が家のようにお父さん呼びの家もあるが、その家には奥さんが旦那さんに向ける笑顔があったと言う。


薫を介しての笑顔はあったが私から鶴田 昴に向けた笑顔はなかった事も見られていた。


「友達の家にも離婚の話とか喧嘩の話はあるらしい。でもどの家も始めや途中は笑顔はあった。俺はそれを知らない。俺が生まれる前に笑顔はあったの?」


私は答えに困って「それが聞きたい事?お父さんにも聞けたのではないの?」と言うと「それだ!そうやって話を誤魔化して逸らす!」と言われた。

葬儀の時、鶴田母から言われた言葉と同じ。


無意識に逃げてしまう癖がついていた。


その後はどれだけ逃げようとも子供には敵わなかった。

「俺は何回でも聞く。逃がさない」

この言葉で逃げ場がない事を悟った。


そして薫は言葉を続ける。


「俺は父さんと母さんを見て、これがごく普通の結婚だとしたら結婚どころか恋愛をしたいと思えない」

これは仕方ない事だった。

そして逃げられないのであれば答えるしかないと覚悟をした。


「聞いたら嫌になるかも知れない」

「父さんを?母さんを?」


「わからないわ」

「なら話して」


最終確認のように「お父さんは悲しむから聞いた事を隠すのは大変よ?」と鶴田 昴の名前を出したが薫は「いいから話して」と言った。

きっと鶴田 昴はこうやって私を責め立てたかった筈だ。

それを18年の間、何回も我慢してくれていた。

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