第7話 光を失った心が見ていた景色。

私は沖田 海さんに返事を書く。

返事には「お手紙ありがとうございます。三回忌もよろしくお願いします」という書き出しから始めて近況を記す。

メモ書きを読みながら鶴田 昴と出かけた場所、行為の回数、鶴田 昴が泣いた回数と理由。

そして妊娠の報告をした。


なにかアピールのようになってしまい気持ち悪かったが嘘は書いていない。


これは良くなかったのか翌週には速達郵便が実家に届いてしまい、父が妊娠して入り用だろうからと資金援助の形でお金を持ってきながら封筒を渡してくれた。


父はショールームをグレードダウンさせたような温もりの無い無機質な空気感に絶句し、鶴田 昴は結構な額の入った封筒を見て震えていた。

鶴田 昴のプライドはボロボロで、資金援助が無くても私を養う心づもりが台無しになったと父の前でも落ち込んだが父は「昴くん。君はその若さで良くやってくれているよ。やり過ぎなくらいだ。だから少しでも楽をしてもらいたいんだ」と声をかけたが鶴田 昴は「俺は何もできていません」と最後には泣きながら落ち込んでいた。


私は父に「どういうつもりだ」と怒られたがそれすら鶴田 昴からしたら屈辱で「俺が悪いんです。全部俺が悪いんです。美空さんは悪くありません」と壊れたように言い続けていた。


私は沖田 海さんの手紙の中でも怒られた。

当てつけにしても度が過ぎる。優人さんの為だとしてもやり過ぎで誰も嬉しくない。

そう書き出しに書かれていた。


読み進めていくとそもそもこれは優人さんから私が後を追わない為に海さんに頼んだ物を海さんなりの解釈で変えた物だったと書かれていた。


解釈だけではなかっただろう。汚された最後の恨み…怒り。

解釈と怒りで捻じ曲げられた真実。


それなら優人さんの言葉で素直に「生きてほしい」と言って欲しかった。


今更言われてももう遅い。

私のお腹には愛のない所からきた切望と義務で形を成した子供がいる。

今更鶴田 昴に事情を話す?打ち明ける?まだ壊れる前なら間に合っただろう。


あの真面目で優しい男なら自分の事を無視して私を抱きしめて優しい言葉と共に「大丈夫です。俺がなんとかします。やり直しましょう。ここから始めましょう。まずは名前で呼び合いませんか?実は鶴田さんと呼ばれるのは苦手なんです」と言って翌朝から何もかも変わったように手を引いて明るい日差しの下に連れ出してくれただろう。だが遅すぎた。


今の鶴田 昴には真実は酷で、毒でしかない。



一度春先に鶴田の心に光が戻った日があった。

何かあったのかは詮索しない。

干渉しない。


結局私は今の形を続ける事にした。

沖田 海さんには「すみません手遅れです。今更変えられません」と返し「行為の回数などは書かずに近況のみを書きます。優人さんの事をよろしくお願いします」とわざと優人さんと書いて返した。



夏に子供は生まれた。男の子だった。

流石に無感情、無表情を装っていても痛いものは痛い。

苦痛に顔を歪める私に鶴田 昴は手を握って「大丈夫です。頑張ってください。ここに居ます。1人ではありません」と言葉を送ってくれた。


私は申し訳なさと嬉しさでつい手を握り返して「ありがとうございます。頑張ります」と言ってしまった。


カラカラに干からびてひび割れた彼の心にはその一言でも染み渡ってしまったのか光の戻った顔で涙を流されてしまう。

私もその涙を見て涙が出た。


これで産まれてきた子供に感謝をして抱きしめあえば変われるかもしれないと思った瞬間も苦痛の中にはあった。



だがそこまでだった。


分娩室の外ではさらに痩せこけて目だけはギラギラとしている沖田父と甲斐甲斐しく介助するその妻は孫が生まれるなり我等夫婦よりも喜んだ。


折角温まるかもしれないと思った心も一気に冷え込んだ。


この子は愛のない所から切望と義務で生まれてきてしまった。

その事実を突きつけられた。



その証拠に真面目で優しい鶴田 昴は子供の名付けを放棄した。


実は知っている。

悩みながら子供の名前を手帳に書き、それをパソコンに入れて無料の姓名判断にかけていた事を、その朝もそうやって悩んでいた。

仕事に行く際、電源を切り忘れて省電力で画面だけが消えていたパソコンの電源を切る為に動かしたら映し出された画面には丁寧に候補が用意されていて、


鶴田の苗字に合う名前

自分が付けたい名前

美空が喜んでくれそうな名前


そこには3つづつ合計9個の名前があった。

私が喜んでくれそうな名前の欄には美空の「美」と「空」空は難しいらしく崩した時のうかんむりを使った「美宇」が第一候補に居てくれた。


申し訳なさで冷え切った心なのに涙が出た。

鶴田 昴の第一候補は晃だった。自分の名前を崩してそこから一文字取るあたりが鶴田 昴らしかった。


私は男の子を見て晃だと思っていたのに鶴田 昴は「名付け…、美空さんは希望はありますか?」と聞いてきた後で「なければ薫はどうでしょうか?」と言ってきた。


驚いて言葉を失う私に「父が俺の名前の第二候補にしていた名前です。ウチの父は不精をして男女どちらでもおかしくない昴と薫を候補にしていました」と続けた。


反対したかったが私にその権利はない。

「お任せします。鶴田さんがそれで良ければ、本当に良いんですか?」

この言葉に泣きそうな鶴田 昴は「はい。すみません。何もかもすみません」と言って頭を下げてきた。


私が我慢をしたと思い込んでいるようだった。

その為に責任を感じて居る表情は見ていて厳しいものがあった。



壊れても鶴田 昴は真面目で優しい。

連日薫に会いにくると意気込んでいる両親が来られないようにナースステーションに事情を話し、狂った父と母から妻と息子を守って欲しいと頼んでいた。


ナースステーションは最初「熱心なご家族はどこの家でもですよ」と返したがすぐに理解し騒然する事となった。

本当に朝一番、開院前から玄関で待っていて、定期健診の妊婦さん達を怯えさせていた。


事態を重く見た看護師長が「奥様に微熱がありましたので今日はご遠慮ください」と言うが、この言葉に鶴田父は「熱!?私は余命3年だ!」と怒鳴り、鶴田母はそんな夫を止めずに「じゃあ薫は?薫は無事ですよね?会えますよね?」と夫に同調した。


それでも産院は鶴田 昴の言葉を尊重して守ってくれた。


「旦那さん、凄く奥様と息子さん想いですね」

検温にきたナースは、そう鶴田 昴を誉めていた。


ここで初めて平和には理由があった事を知った。


そして毎晩「申し訳ない」と謝って差し入れを持ってくるらしい。

断っても父と母が迷惑をかけているから受け取ってくれ、ダメならと寸志を用意してきて看護師長は困った末に差し入れをもらう事にしてくれていた。



退院後、私は実家に帰れずに居た。

鶴田 昴は私を案じて帰るように勧めてくれたが、バブルの亡霊は体裁を気にしてそれを良しとしなかった。薫の泣き声から近所で何を言われて何を聞かれて、それがどうなるかを考えたのだろう。もしかすると巡り巡って鶴田 昴の耳に隠したいことが届くと思ったのかもしれない。


そんなバブルの亡霊は鶴田父とはwin-winで、帰ってきて欲しくない母とコチラの都合を無視して毎日でも会いにきたい鶴田父の常人達を困らせる狂人の理屈に振り回された。

鶴田 昴は有休を駆使して鶴田父から私たちを守る。


それでも長くは休めず仕事に穴をあけられないと言って、鶴田 昴が家にいる日だけは会いにくる事を認めて出社をしたが、それはいとも容易く反故にされ、ゴミ箱に捨てられていた豪華な幕の内弁当の容器と鶴田父の薬のゴミから平日に来た事を知った鶴田 昴はかつて父が出した支援金を使い「美空さん、慣れない場所で辛いけどごめんなさい」と言ってマンスリーマンションを用意してくれて産後はなるべく休めるように守ってくれた。


1ヶ月間雲隠れする息子一家。

この実力行使はかなり効いたのか鶴田父は大分大人しくなった。


マンスリーマンションにいる時、一度心に光の戻った鶴田 昴から写真を撮ってくれと言われた。


私は薫の誕生に合わせて鶴田父がくれた高そうなデジタルカメラを手に持つ。

カメラを持つと渡された時に鶴田父が冗談ぽく言った「ノルマは一日50枚だからな」の言葉を思い出して怖くなる。


そして、私がカメラを手に持った瞬間、辛そうな顔をする鶴田 昴。

ここで初めて「一緒に写ってくれ」という意味だと理解した。

私は心の光を消したくなくて「この部屋は暗いからブレてしまいます。フラッシュは薫の目に良くないと教わりました。それに日当たりのいい場所だとカメラは置けません。仕方ないですよ」と説明すると意外そうに周りを見回して「本当だ…、この部屋暗かったんだ…20日近く居るのに気付かなかった。ごめんなさい」と言って「じゃあ俺が薫を抱くので撮ってもらえますか?その後は美空さんと薫で撮らせてください」と言われた。


久しぶりに心の篭った彼の声を聞いた。

そして彼が見ている世界は部屋の暗さもわからなかったのかと愕然とした。


彼は撮った写真を携帯に取り込んで誰かにメールをしていた。

熱心な行動はもしかすると元彼女なのかも知れない。

結婚や出産の報告のできる元彼女。


その人を想像した時、権利は微塵もないのに少し心が痛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る