#10 死ぬなと告げたその男は
「戻ってきたぞー!! 部隊の帰還だー!」
それから二日後、厚く陰鬱な空から冷たい小雨が変わらず降り続いていた中、歩哨が前線に赴いていた部隊の帰還を突如として告げた。
「アルフォンス……!」
彼の安否を案じる塞ぎ込んだ心境で地味な作業に当たっていた私は、この駐屯地へと戻ってくる軍勢を見て心躍った。その人数が、部隊の多くが無事であることを示していたからだ。
伝令役らしき者が隊列から飛び出してこちらへと駆け付ける。ここで待機していた負傷兵や雑用役が、変わらない戦友の顔を見て顔をほころばせ、言葉をかける。
「どうしたんだよお前、戻りが遅いからてっきり……」
「危険な作戦だって聞いてたから、俺らがどんだけ……」
だが、言葉をかけられた伝令役は暗い面持ちのまま言葉を遮り、連絡事項を告げた。
「治療の心得がある奴と、ありったけの包帯を持って来い」
「お、おう……! っていうか、隊長は?」
「アルフォンス隊長が負傷した」
「…………嘘」
その言葉に自分の耳を疑った。彼の部下の多くは無事に戻ってきているではないか。
「……!! クラリス、あんたは先に行け、早く!」
私の姿に気付くや否や、その者が急かした。
そんなはずがない、優秀な指揮官である彼が真っ先に負傷するはずがない。きっと隊長であるアルフォンスの傷は戦病に罹らないよう、他の者よりも優先されているだけだろう。そう願望混じりの思いを抱きながら隊の後列へと駆けた。
「アルフォンス様っ!!」
「……君か、良かった……」
彼は馬に曳かれた荷車に寝かされていた。その顔に目立った外傷がないことも、意識を保って言葉を発していることに私は一先ず安堵した。
「すぐに治療します! どちらを負傷されたのですか!」
「し、下だ……見れば、わかる」
「見れば……?」
その言葉にとてつもなく嫌な予感がした。私は胸から下に掛けられていた布を剥いだ。
彼の左下腹部、布鎧と乱雑に巻かれた包帯がべっとりと赤黒い血に染め上げられていた。
「あ……あ……し、止血……いや、薬草を!! 乳鉢と乳棒と一緒に用意して! それと布を裂いて患部を見るのは屋外じゃできない、だから急いで!」
私は必死になって兵達に命令した。大声を出して頭に浮かび上がる最悪の想定を振り払う。この出血量でどれだけの時が経過したか、この部位の負傷が致命傷になるか否かを。
医療用の天幕へと寝かせられたアルフォンスを、生涯で得た知識を総動員して治療する。だが包帯を念入りに巻き直しても、薬草による塗り薬や煎じ薬を服用させてもなお、彼の顔からは血の気が引いてゆく一方であった。
前線で随伴していた兵士達が、負傷した当時の詳細な状況を私に報告する。
「今こそクラリスさんの死霊術を使うべき時だと進言したんだが、却下する代わりに自ら危険な役を担う作戦を……」
「敵兵を次々と射って減らして、追手の兵士を全員倒すまで勇敢に俺達を守ってくれたよ」
「けど途中の不意討ちで、胸甲の隙間から脇腹を斬られたらしくて……戦いが終わった時、突然倒れて……」
ふざけるな、あの夜に私にあんなことを言っておきながら自分が死の危険に晒される作戦を実行するなどあまりに不誠実ではないか。私はそんな思いを抱いたが、目の前にいるアルフォンスにはとても言えなかった。もし、これが私が彼に告げた最後の言葉になったら……と、考えたくもないことが頭の片隅から離れないからだ。
横にいた兵士が、突然私に顔を向けていった。
「ク、クラリスさん……あんたなら、何とかできるんじゃないか……?」
「何言ってんだよ! 光術士でもない彼女に無茶言うな! 今だって必死で治療してくれてるだろ!」
「だ、だって、このまま隊長に死なれたら……!」
「やめろっ……!」
アルフォンスが言う。今までに一度も見たことがない相手を威圧する表情と声だった。
「……もう、無駄だ。そんな事に、彼女の力を使わせたら……許さんぞ」
そう、恐ろしい視線で兵士を睨んだのちにアルフォンスは全身の力を抜き、仰向けのまま安らかな顔で布越しに天を見るような遠い目をした。
「む、無駄、とは……大丈夫です! きっと助かりますわ! 私、急いで他の薬草を取ってきて……」
「……待ってくれ」
去ろうとする私の手首を、アルフォンスが掴んだ。
彼の手を振り払うことが出来なかった。引き留める力が強かったからではない。
離した瞬間に命の灯火が消えそうなくらい、弱々しいものだったからだ。
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