#7 鮮烈に燃え尽きるは幸福か
「俺が正式に魔道を修めるべく魔道学院に在籍していた時、一人の痩せ細った少女が地下学級へと連れてこられるのを偶然目の当たりにしてしまった」
「そ、そんなにも前から……私を」
「立ち入りが許されていないと解っていても、その少女の事が気になって俺は何度も君の様子を見るべく地下へと潜った。痩せぎすの悪鬼のような男に不快な儀式を強要されて泣いていた君を見て、俺は不憫だと、助け出したいと思った。……当初はな」
アルフォンスの回顧を、現実のものとして受け止められなかった。貴族出身であり聖教国でも類を見ない才気を誇る彼が、まだ何の才も開花していなかった頃の私に関心を抱いていたなど、どうして本当のことだと思えるだろうか。
「だが、その助けたいという想いすらも後に独善的で傲慢なものだったのだと思い知らされた。まだほんの少女でありながら君は次第に死臭にも死骸を見る事にも慣れ、意欲的に死霊術を習得するようになっていった」
「で、でも……私にはそれしかなかったからで……」
「望んで宿した訳でもない自分の才能を活かすために、どんな努力も惜しまなかった」
「わ、私などには勿体ないお言葉、大変嬉しく思いますわ。ですが……アルフォンス様の視点には、実際の私との乖離があります」
私は立ち上がり、彼と距離を取った。嬉しいという感情を抱く以前に、今までの人生でここまで他人に賞賛されること自体が初めてで、どう受け止めてよいかも解らなかった。
そして私は、目の前の男を幻滅させるべく突き放すように過去の真実を告げた。
「つまり、アルフォンス様は学院に入る前の私をご存じないのでしょう?」
「ああ、そうだな」
「なら言わせていただきます。貴方様から見た私は、死霊術のせいで命が尽きようとしている女なのでしょうが、私にとっては死霊術こそが命を救ってくれたのですよ。私はここに来る前……いつ死んでもおかしくない聖都の汚らわしい孤児でしたの」
「ほう……」
「噛み跡が付き、妙な臭いもする残飯を漁り、通りに来ては恥も外聞もなく石畳に頭を擦り付けて物乞いをして不憫な弱者を演じる。しかし夜には屋敷の厨房に忍び込んで食物を盗んでゆく卑しい盗人となっていましたわ。自分の力で生きたことなど一度もなかった」
「……そう、だったのだな」
私の生き様を聞き、アルフォンスの顔に少し陰りが見えた。
そう、それでいい。私は満足しながらさらに容赦なく彼の幻想と買い被りを破壊した。
「初めから貴族として生まれた貴方様に、何も持っていなかった人間の心など知れませんわ。ただ私は、死霊術の才を偶然見いだされたからこそ、目の前のことに必死になって存在価値を証明することしかできなかった。ただそれだけのことなのですよ」
「ただ、それだけのことか」
「ええ、そうですわ。さあ、これで私を……」
「そして、そんな何も持たない生まれでも君の心根は腐ることなく、研鑽の心を忘れずにここまでの才を身に着けた。それも自分だけの為ではなく、他人を救う為にも君は努力し続けてきた。その心こそが尊敬に値する」
「…………!! 貴方は、まだっ……!」
この期に及んでもなお先程までの調子を崩さない彼に、思わず語気が荒くなった。
思えば彼に対する普段の口調も元孤児が令嬢や夫人を真似た付け焼き刃の振る舞いでしかなく、一度感情が昂ってしまえばせいぜいが語尾を敬語にする程度にまで崩れてしまう。
「君の本当の価値は死霊術などではない。だからこそ俺は君がそれを自分の唯一の存在価値と見做して死ぬことが許せない。よって、今後も君には死霊術を使わせない」
「けっ……結局は貴方の身勝手な私情じゃないですか! 私に死んでほしくないという理由だけで、本人の意向までも無視して才能を潰すなんて!」
「私情だけではない。君が生き永らえれば持ち得ている知識で遥かに多くの人間を救える」
「そんなこと……何の根拠があるんですか! 私はこれまでの人生に満足しています! 本当の年齢など知りませんが、この二十年かそこらの生涯を戦争に貢献した死霊術の天才として死ねるのであればそれで幸せです!」
「違うな、君は何が自分の幸福かを選べるほど世界を知れていない。国の為に出涸らしになるまで特異な能力を使わされた果てに死ぬ事は、少なくとも俺には到底幸福とは思えない」
「ですが……もしこの戦争が終わったら……私はまた何もなくなって……」
「君が身に着けてきた知識と技術があれば、何者にでもなれる」
「他人事だからそんな無責任なことが言えるのでしょう? 家も地位も財力も持っているお人だから、そんな気楽なことが……」
「俺はそう信じている。だが……」
アルフォンスは再び私に距離を詰めた。今度は穏やかに、おもむろに。
「もし君がそれを信じられないのならば、戦争が終結した後には俺の元へ来てくれ」
「…………は、はい……? え、今、何と……」
「何も難解な事は言っていない」
「き……来てくれ? アルフォンス様の……元へ?」
彼はいきなり何を言い出したというのだ。そんな言葉、まるで……
「君が死霊術を捨てられない原因が、見出される前の自分へと戻る事への懸念や、戦後に独りで路頭に迷う事への恐怖にあるのなら……俺がいる限りそんな状況にはさせない」
彼ににじり寄られて私は後退ったが、背後にある天幕の布に阻まれてしまう。
動いたことによって私の胸元は再びはだけたが、彼はそれに触れることも一瞥することもなくただ私の頭の真横の木枠に手を付き、触れる寸前までその端正な顔を近づけた。
「あ…………」
彼の吐息が露わになった首にかかった瞬間、肺の奥から声が混ざった吐息が漏れた。
これは、なんだ。今までに感じたことがないこそばゆい感覚。
私を冷遇し続けた目の前の男に、にもかかわらず唐突に私に求婚まがいの言葉を口にした男に、私は今どんな感情を抱いているというのだ。
「確かに君がどう生き、どう死ぬかを俺が決定する権利は無いだろう」
「あっ、は、離しっ……」
至近距離で発せられる彼の重低音が、頭蓋の奥底を振動させる。
「だが、それでも俺は君に生きて欲しい。この身と生涯を捧げてでも」
「ねぇ……貴方と私では、釣り合わな……」
「君が俺を拒もうが、それは構わん。他の男と結ばれ、家庭を持ち、子を成して生きてゆくのであれば、俺は引き下がろう」
そんなこと、今まで考えたことすらなかった。他の男などと言われても、頭の中には目の前の顔以外に思い浮かばなかった。
「それとも男に惹かれない性分か、あるいは独り身を貫く決意があるか……」
……違う。確かに私はずっと独りきりで生きてきて、一人の男性とも恋愛関係になることなどなかったが、それは機会も暇も、考える切っ掛けすらも無かったからだ。
「俺はただ、君が幸せを手にして欲しい」
身体が、熱い。運動後でもないのに呼吸が荒く、心の臓がこの上なく細動している。
何だというのだ。人体の隅々まで知り尽くしていると自負していた私は、たったいま全く未知の感覚に襲われている。この感覚が増幅しそうで、彼の顔すらまともに見返せない。目線が私の顔に突き刺さる感覚がするのに、不思議と不快感はない。ああ……これは、理解不能な感情だ。
「こちらの心中はもう充分に語っただろう。後は君自身がどう考えるかだ」
「ほ、本当に……私なんかを?」
「ああ」
「そんな……信じられません……」
「これまでの俺の振る舞いを考えれば、そう思うのも仕方の無い事だろう。だが嘘は言わない」
「貴方を疑ってはいません。ただ……私にその価値があるかどうか……」
「この想いを紡ぐような言葉は俺にはない。だから、俺の目を見て欲しい」
彼は顔を背ける私の顎先に指を掛け、優しくお互いを向い合わせにした。翡翠の瞳がまさに目と鼻の先にあった。
「…………クラリス」
彼が、一音節ずつ大事に辿るように私の名前を囁く。
駄目だ、耐えられない。今すぐに彼を突き飛ばして……この状態から抜け出して……
「くっ! ……あ、あぅ……」
……しまった。
「むっ……気分が、優れないのか」
自分の身体なのだから、こんな時くらい空気を読んでくれないものか。
彼の前では隠し通そうと天幕に入った時からずっと平静を装って耐えてきたというのに。まして彼が死霊術の負担の話をした後は、絶対誤解されないでいたかったのに。
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