#3 死の力は人を救えない



「…………はぁ……」


 そして私は、アルフォンスが上官となってからというもの、来る日も来る日も虚しく部隊の駐屯地にて適切な配置とは思えない不本意な雑用役の仕事をさせられていた。


 忌み嫌われること自体はそこまで予想外ではない。国民の殆どが信徒となっている聖教においては私が持つような闇元素の力は悪魔や異教徒が用いた忌まわしき力であり、まして生と死の根幹を揺るがす死霊術などはもってのほかの禁忌だからだ。


 だが、聖教国には闇元素の魔道士を育成する魔道学院の地下学級のように、信仰に反する才能の持ち主を迫害することなく秘密裏に囲い込む二面性がある。

 まして私が所属している暗夜部隊はまさにそういった力を用いて手段を選ばずに勝利のための裏工作を行うための軍だ。だからこれまで就任したどの上官も、時折私を疎むような目線を投げかけつつも私情を交えずに死霊術士である私を作戦に利用してきたのだ。


 それなのに、なぜ今になって死霊術を完全に禁ずる上官が現れるのだろうか。


 没落したとはいえ正当な貴族の子弟であるアルフォンスは、これまで就任した不名誉な瑕疵のために左遷された高等軍人の隊長よりも信心深いからだろうか。いや、私を見下すあの冷たい眼差しには、明らかに私という存在そのものへの軽蔑が含まれていた。


 まして彼は冷徹な合理主義者でありながらも、一兵卒の進言でも改善の可能性があれば取り入れる柔軟性まで兼ね備えている。

 そのような人物であるからこそ、なぜ死霊術の戦術的価値を説明する私を無視してまで当初の命令を頑なに押し付けるのかが理解不能だった。


 今のまま雑用役に甘んじてるわけにはいかなかった。私はもっと戦功を立てて名高い死霊術士としてこの世に存在を残さなければならない。

 そんな焦燥感がありつつも、立場上はただの術士でしかない私は上官の命令に逆らうことなど出来なかった。


 全く、いったい何が悲しくて有能な指揮官だと名高い人物に私がここまで冷遇されなければならないのだろうか。



 私は今、兵士達に振る舞う糧食を調理している。


 希少な術士が傷口から病魔に罹らないよう、私が刃物を持つことは固く禁じられていたので、別の雑用役が切り目を入れた玉葱の皮だけをひたすらに何百個も剥いた。羊肉の下処理も、野菜屑や採集した香草から出汁を煮出す作業も酷く退屈で、私には退廃的ですらある。

 そもそも私は元々残飯漁りの孤児で、学院では何もせずとも食事が出されていたから調理法までも今までの調理担当に一から教わるほどであった。


「ご苦労」


「……アルフォンス様、ご機嫌麗しゅう」

 そこに、私をこのような惨めな待遇に追いやった憎らしい男が悪びれもなく現れ、焚き火の近くに置かれた丸太にどっかりと腰を落とした。


「……ここの全員分の糧食を作るのは、大変か」

「いえ、このくらい……けれど、貴方様に死霊術を禁じられた私は、今やただの飯炊き女でしかありませんわ。これでも今までは優秀な死霊術士として名を馳せてきたのです。御言葉ですが貴方はご自身がこの哀れな現状に追いやった女を見て、何も感じられませんこと?」


 私は上官である彼に痛烈な皮肉を言った。言われるだけの理不尽な制約を私に科しているのだからこれくらいは許されるだろう。


「飯炊き女……ふむ、そうだろうな。だが、それの何が問題なんだ?」

「…………は?」

 アルフォンスはそう返答した。目の前の男は私の言葉に何の同情も抱かずに無表情で開き直っている。


「君が他の者と共同で行っている物資の管理、糧食の調理と配布、前線基地の環境の整備、傷病者の治療……どれも兵達を支える為に欠かせないものだ。戦場で戦い、力を用いて敵を討つ者が上で、後方で支える者が下ということはない」

「えっ……ええと」

「さらにどの作業においても君の計算は誰よりも正確であり、優れた観察眼によってこの短期間に次々に改善点を発見、進言した」


「…………それは」

「君にとっては死霊術を奪われた自分が誰にでも務まる飯炊き役でしかなかったとしても、俺は今任せている役目における君を高く評価しているよ」


 意外な見解だった。優秀な指揮官にして、高名な武人である彼は直接戦いに貢献しない者達を軽んじているのではないかと思い込んでいたが、それは間違いであったようだ。

 無愛想な彼が淡々と口にした私への評価を聞いて、私は少し得意な気分になる。

 だが、それでもなお私から得意分野を奪って下働きをさせる理由にまではなっておらず、現在抱いている不満が変わることはない。


「……まあ、とにかく折角ですので召し上がって下さいませ。ほとんど素人同然の私の調理はお口には合わないかもしれませんが」

 私は完成したスープを掬ってぞんざいにアルフォンスの眼前に突き出す。

 彼が食べ始めたのを確認し、私は鍋に向き直して他の者達に配る分をよそった。


「……美味いな。…………魔道士が作る料理にしては」


「えっ?」

 黙って食べ進めていたアルフォンスが独りごちる。少しだけ、彼の鉄仮面のような顔が綻んだように見えた。

 だがその後は普段の表情へと戻り、俯きながら嫌いな食物をさっさと喉に通すかのようにかき込み、一言も言わずに去っていった。


◆◇


 そして二週間ほどが経ち、聖教軍が局地的な勝利を手にして要所を制圧した。

 それにより戦線はこちらが有利なまま膠着状態に入り、裏工作を担当する我々の部隊は当分役目もなく、隊員の一時的な帰還が許さることとなった。


「ふぅ……学び舎に戻るのは何ヵ月ぶりかしら」


 私はかつて居た魔道学院へと戻るべく、聖都の大通りを歩いていた。日没前の空によって藍色へと染められた白い煉瓦を基調とした街並みは非常に美しい。


 だがそれはあくまでも中央の高層に位置する主要な建造物や富裕層の居住区に限った話である。周辺の下層へと降りるほど作りが粗い木造の住宅が徐々に増えていき、その底には孤児であった私が眠っていた下水道や貧民窟があった。

 この徹底した階層構造は、裕福に暮らす者や大聖堂へと訪れる巡礼者が聖都の貧しく汚い部分を見ずに済むためなのだろう。


 聖都の中心にある聖教の総本山である大聖堂には、まるでこの国における権威を示すかの如く遠方からも視認できる二対の塔が高くそびえている。聖教国に住む者なら、どれだけ離れていようとも巡礼で訪れたがる者が多い荘厳かつ巨大な建造物。

 まして今までの人生で村落の世界しか知らなかった者にとっては、この聖都そのものが神の被造物のように感じられるだろう。


 だが幼い頃から見慣れていた私にとっては感動もなく、聖教会に富が集中している象徴としか感じられなかった。

 孤児であった頃には知らなかった聖典も学院時代には形式的に学んだが、個人的な信心は持っていない。いくら美辞麗句を並べて救済や人道が語られようとも、現実では打算抜きに貧しき者に手を差し伸べる者など皆無であることを知っているからだ。


 遠目に見える大聖堂を見ながら歩いていると、前方から歩いてくる者に目が留まった。


「……でね、帰還兵らしき男が道端でいきなり声をかけてきたのよ。俺の脚を治せって」

「まあ、嫌ねぇ。私たちは教会の仕事人なのに、ただで治してもらって当然みたいな人」

「まったく、もしあたしらまで前線に駆り出されたら、どんだけこき使われるかわかったもんじゃないわ」


「そもそも光術士が戦場に行っても無駄でしょ。どうせ死ぬかどうかは一瞬なんだから」


 私の近くをすれ違ったのは、若い二人組の女。

 彼女らが話す内容を聞くまでもなく、身に着けていた白装束に銀糸で大きく刺繍されていた聖教の印章が癒し手である光術士であることを示していた。


 その愚痴を聞いた私は、目深に被った外套で視線を隠しつつその二人を怨嗟の念を込めるように睨み付けた。この心にもう少し自制心が備わっていなかったら、大声で怒鳴りつけるか小石でも後頭部へと投げつけていたかもしれない。


 たった今見た二人を初めとして、光術士の女性の多くが長く艶やかな手入れが行き届いている髪を持っている。さらに教会で衆目を集める際は化粧までもしていた。


 それに対し、私の髪のなんと色気にも美麗さにも欠けていることか。


 普段、日除けの為の黒い外套を目深に被っている時は一見すると長い前髪と側頭部の髪を左右の耳の前でまとめた他の女性と大差ない髪型に見えるだろう。

 だが、隠されている後ろ髪はまるで斬首前の罪人のように首の付け根が見えるほどの長さで切り揃えられており、ふんわりと曲線を描いて被さる頭頂部の髪の内部のうなじは刈り上げられている。

 暗夜部隊に所属してから駐屯地に滞在することが多くなったため、ある時から手入れしやすい髪型へと変えたのだ。


 もっとも、部隊に所属する火元素や水元素の魔道士が要職の衛生状態には気を配ってくれているために孤児だった頃のような蚤や虱まみれの不潔な状態に陥ることはない。

 だが、魔道を行使する時の疲労感を知っている私はどこか申し訳なさを感じてしまう。

 そのような環境では手入れ用の香油などもなく、学院時代ではあった髪艶や滑らかさもとうに失われており、陰気な外套もあいまって顔以外はまさに白髪の老婆と相違なかった。

 

 しかし、私が持つ光術士に対する憎しみは、何も煌びやかな衣装で身を包んでいることや髪や肌の手入れを充分にできる身分への嫉妬などでは決してない。

 彼女らは戦場において最も命を救える力を持ちながらも、決して安全な教会から離れることがないからである。


 生命を司る光元素は、全元素の中で唯一の治癒能力を持つ。


 そしてその魔力を持つ者は発見されるやいなや無条件に教会に匿われ、信徒に対して奇跡を振りまく広告塔としての役割を果たすのだ。

 そのために他元素の魔道士と違い、光術士が戦場に送られることは決してない。私はそれをこの上なく不条理に思い、聖教国の構造への憤りが彼女らへの憎しみを募らせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る