#2 白鼠は下水道より成り上がる


 長期化している帝国との戦争によって、聖教国では路頭に迷う者が続出している。


 そして私もまた、棄てられた孤児として聖都の裏通りで幼少期を過ごした。

 

 日光に弱い私は、日中には誰にも邪魔されずに落ち着いて過ごせる場所として下水道で眠る。そして夜になるとまるで鼠のように這い出し、残飯を漁り、屋敷の厨房に侵入して生きる為の糧を探す。それこそが幼き日の私の日常だった。


 そんな生活が続いていたある日、白鼠と呼ばれる妙な孤児の噂を聞き付けた黒装束の者達が私を捕らえに現れる。

 彼らは聖都の魔道学院の密使であり、発現する比率の少ない闇元素の中でも更に稀な死属性の魔力を宿していた私は強制的に学院へと入学させられることとなった。

 彼らが私の元へと来たのは、私が持つ白髪と赤目のような他と違う珍しい容姿や体質の人間には特殊な魔力を持つ人間が多いからだ。


 だが私が扱うような闇元素の魔道は、表向きには聖教国の信仰で禁忌とされている。

 よって私は他の魔道学院の生徒とは異なり、秘匿された地下学級に軟禁される身となった。


 まず下水道で汚れきった長髪は、病虫の温床として運ばれる際に丸刈りにされた。

 そして読み書きや魔道についての基礎を学んだのち、先代の死霊術士らしき奇特で陰険な男によって連日連夜のごとく死霊術の知識と技術を叩き込まれる日々。

 まだ少女であった私が拒絶して泣き叫ぼうとも、多くは動物の死骸、ある時は人間の遺体を媒介とした不快な儀式は繰り返される。


 もっとも、今となっては私を厳しく指導してくれた師にも、裏通りにいた私を見出して学院に連れてきた者達にも感謝している。


 あのまま路上生活を続けていたらいずれ盗みの罪で牢獄に入るか、娼館にすら受け容れてもらえない汚らしい孤児であった私は非合法の身売りをした末に変わり果てた姿で発見されていただろう。

 学院の地下学級も不愉快な死霊術の指導を抜きにすれば衣食住は保証されていたし、希少な私の才能を保全するために衛生状態や心身の健康も他の生徒より配慮されていた。

 それに、他の者が嫌がる地下から出られないことも、日光に弱い私にはむしろ有難い。


 そして学院を卒業した後、私は現在所属している暗夜部隊に死霊術士として迎えられた。


 この部隊は秘密裏に存在し、帝国はもちろん聖教国内でも上層部にしか知られていない。

 清廉潔白、正々堂々を標榜して戦へと赴く聖教国軍を有利にするため、手段を選ばず夜に紛れて暗躍するこの部隊は、私のような禁忌の力を行使するにはうってつけの立場。


 今や私は、功績が表に残らないという制約はありつつも、独自の力を用いる存在としてそれなりの待遇でこの部隊の一員となっている。

 希少な術士を不適切に扱った者は死罪である、と上から強く念を押されているため、数少ない女である私も兵士の男達の中で堂々としていられる。


 私が汚らしい孤児からここまで成り上がれたのも全ては死霊術の才能だ。だからこそ誰にも私の活躍の場を奪わせない、そう思っていた。



◆◇



「……あれ、ここは……?」


 意識が戻った時、徐々に開いていく視界にあったのは黒い天幕。

 最後に見た光景は魔獣に死霊術を掛けた少し後で終わっており、それ以降の記憶は途切れている。振動からして、馬車に揺られているのだろう。同行していた兵士の一人が声を掛けた。


「よう、気が付いたかよ。お前さん死霊術を使った後、吐き散らかして失神したんだよ」


「は……嘔吐した?」

 兵士の言葉を聞いて、全身に悪寒が走る。


「だってよぉ、あの魔獣の死骸さぁ、すっげぇ臭いだったじゃん。仕方ねぇよ」


 信じたくなかったが、口内に微かに残る破片や不快な苦い味が現実であると私に教える。上衣の裾には吐瀉物が拭き取られたような跡が付着していた。


「術をかけるまでは必死で耐えられてたんだろうな」

「ははっ……いくら化物染みた力があろうが、お嬢さんはお嬢さんだな」


 私は、ぼんやりとしたまま彼らが私のために被せた黒い布越しに晴天の空の熱を感じていた。南方の帝国領との境界線であるこの土地の日差しと暑さは、緩衝材があってもなお私の肌を赤く染めてゆく。


「そういえばよぉ、この作戦が終わり次第変わるんだってよ、俺達の隊長が」


「ああ。なんかこの国一番の弓使いなんだってよ。確かアルフ……アルフレ……ああっ! 貴族様の名前は長ったらしくて覚えらんねぇよ」

「没落貴族なんだってよ。はっ、有能な貴人でもこんな日陰者の部隊に押し込まれるんだ。まったくろくでもねぇ裏があるんだろうな」


 私はその人物に心当たりがある。名はアルフォンス=ザーフェル=クラウゼヴィッツ。


 まだ三十にも満たない若さでありながら、我らが聖教国いちの弓の名手にして剣術や魔道の素養にも長ける極めて優秀な者であると。

 そのような人材が公に功績が残らない裏方の部隊の指揮官に配属されたのは、おそらく政治的に排斥された家の子息だからだ。彼の実力と活躍が広まれば、民衆の支持を得て勢力を巻き返す恐れがあるからであろう。


 アルフォンスが新たな上官となることに私は心躍った。評判通りの優秀な指揮官ならば、きっと私の才気も以前より有効に活用してくれるだろう。これからは死霊術士としての私の名をより高く上げることができる……そう思っていた。


 …………だが、その期待は無慈悲にも裏切られることとなる。





「君の力は必要ない。魂を冒涜する忌まわしき死霊術など」


 それが、アルフォンスが開口早々に私に言い放った到底受け入れがたい宣告。

 整えられた朽葉色の短髪と翡翠の瞳を持つ若く皺一つない端正な顔の男は、僅かに眉を顰め、汚らしい物を見るような冷たい目で頭一個ほど下にある私の顔を見下している。


「そ……それはどういうことでしょう? 私は死霊術士としてこの部隊に所属してからの二年間、様々な作戦で確たる戦果を上げてきましたわ。貴方様の指揮があれば、必ず聖教国を勝利に……」


「それは思い上がりが過ぎるな。今までの勝利は自分あっての物だと? 確かに君が持つ才能は希少だが、それに依存するほど我々聖教軍は弱くない。作戦を変えれば、君の死霊術を抜きにしても補って余りあるほどの戦力はある」

「で……ですが、この力抜きでは、私がここにいる意義は……」


「俺は何も君を用済みだと追い出す訳ではない。ただ、死霊術を使うなと言っている」

「つ、つまり……?」


「君は今日から後方支援に回れ。駐屯地にて出来る役目を果たせ」


 ……何ということだ。それはつまり、雑用役への降格ではないか。


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