第4話 戦犯旗と異常コミュニケーション

「ボソボソボソ」

「デュフッ、デュフデュフ」


 教室の中央付近で、気色の悪い笑みを漏らす。

 早速クラスカーストの最底辺として人権を剥奪された俺と鬼志別おにしべつは、一帯地域にスラムを形成。クラスメイトの誰もが近づきたがらないオタク文明圏を確立していた。


「やっぱり電車が好きだとロクなことないな。世界で孤立する」

「おいおいおい英国イングランドみたいなこと言うなよ。他とは『違う』ってカッケェだろ?」


 初めての授業から3日目の昼休み。周りを見渡してみると、15歳の少年少女たちは手探りながら、初々しく友人を作り始めていた。

 さて、初対面は会話というものが大切で、初期においてはこれによって関わっていくグループが決まると言っても過言ではない。ここでの要点は、適切な話題を選択できるかどうかである。お互い相手の興味を探って、関わる人間を決めるからだ。

 しかし。不幸なことに周りから聞こえてくる会話は異常だった。


「なんなんだ、その話題は…!」


 流行りのファッション、アイドル、TikTokのトレンド、中学時代の恋バナなど、全くついていけないものばかり。まさに異次元である。


「確かにここは共学だ。俺らの中学みたいに初日からアニメの話をしているとオタクキモすぎ罪で逮捕される。それくらい俺でもわかる。でも!どうして誰も憲法改正の話をしない!?」

「いや……これがまさに普通の高校なんだよ。おはようからおそようまで地理、人種、鉄の箱の話しなんて正気の沙汰じゃなかったんだ。」

「おかしい、おかしい」


 なんたることだ。この調子じゃ誰もハフポストや日本会議を知らないだろう。誰となにを話せばいいというのだ。


 さて、先程からチラチラと視線を感じる。


「……」


 誰かにすごく見られている。誰に?

 あたりを見回した。教室後方には歌内峻うたないしゅんを中心としたイケイケ集団がいて、前方には汐見柏亜しおみはくあを取り巻くキラキラ集団がいる。ついでに教室中央には若干二名のデュフデュフ集団。昼休みも中盤に差し掛かって、今やクラスカーストはあの二集団を頂点に大半が確定してきており、もはやカースト外の俺たち不可触民に視線を向ける者はいないのだ。


(え、じゃあ誰だ?)


 ガララッ!


 が、それを探る暇もなく、教室後方のイケてる男子集団から数名が離れて、前方へ移動し始めた。


「うお、民族大移動!そろそろ西ローマも終わりだな。ところであいつら誰」

「あいつは栗沢くりさわだっけ。ほかは知らない」


 鬼志別が、ほのかに髪を赤色に染めた男を指して言った。栗沢というらしい彼は、教室の視線を一気に集めながら、なんとあの『孤高』の横に立ったのだ。


「ねぇ、白滝ちゃん。雁来中かりきちゅう出身なんだっけー?」


 無反応。白滝紗那しらたきしゃなは憮然とスマホに目を落としていた。


「いつもどこ遊びに行ってるの?歌うのとか好き?」

「……」

「てかなに見てんの?TikTok?白滝ちゃんのアカ教えてよ」


 栗沢がその画面を覗き込もうとすると、白滝紗那はスマホをぱっと隠して、ようやく顔を上げた。


「誰ですか、あなたは。」

「オレ?オレは…そうだな、苗穂中なえぼちゅうの麒麟児と呼ばれた男だぜ。」

「……名乗りもしないで声を掛けられても。」


 お前、どの口が言うか。たまらず俺はつっこんでしまう。


「一日の半分が匿名戦士なのに?」


 ばっ、と振り返る白滝。目と目が合う。悪かった、もう話しかけないよ。しかし、なんだろう、あの視線はとても身に覚えがある。


「おいおい栗ちゃん、白滝さん困ってんぞ〜」

「あ〜?豊沼ぁ!先生だってみんなで仲良くって言ってただろー?」


 豊沼とかいうなんかポワポワした頭の男が栗沢の後ろから現れる。興味もなさげに沈黙を貫く白滝の隣だと、余計に目立って、わーきゃー二人はハイになる。


「声がでかいな。少数派か?」


 気のデカい陽キャとSDGsが大嫌いな俺の呟き。

 刹那、白滝がまたこっちを振り返る。


「……どしたの白滝ちゃん。そっちになんかあるの?」

「えー!なんもないなぁー??」


 わざとらしく手で双眼鏡をつくって見回す豊沼。クラスのお調子者である。しかし、俺も天北学院では常に絶好調だった。ならば勝負だ。俺はちょうど鞄に入っていた旭日旗きょくじつきを音速で取り出した。


戦犯旗せんぱんき!」


 イキイキした声が響く。俺の声ではない。俺は戦犯旗なんて言わない。そんなこというのは韓国人かアイツだけだ――そう、白滝紗那は俺を指してそう口にした。

 突然の軍旗侮辱に猛然ANGRYが発生。叫ぼうとした俺を、咄嗟に鬼志別が引きずり倒す。


「えっ、まさか白滝ちゃん。あいつらに言ってるの?」


 栗沢が軽蔑の視線をこちらにやった。豊沼も同調する。


「やっさしー。でも相手してやんなくていいよ、あいつら陰キャだぜ」

「ぜってーつまんないって。俺のケンカ業のほうが見てておもれーから。」


 びゅびゅびゅっ、とシャドーボクシングをする栗沢。

 しかしもはや俺の視界にはなにも入らない。


「おい萩花シューカ!?」

「ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ。」


 国旗を侮辱され、過呼吸を起こしてしまったのだ。

『朕は国家なり』を日々全身で体現している俺は、自己と国家の境界が曖昧になっており反日デモが起こるたびに身体を壊している。その俺の眼前で、国辱が発生したのだ。


「しっかりしろバカ!お前は日本じゃないんだぞ、ただの社会不適合者だ!」


 視界の端にぼんやり映るスマホ。


 "お腹いたいです"


『中年』からのメッセージ。舐めてんのか。

 白滝紗那は前方でひたすらに肩を震わせていた。


「おっ、なんか楽しそうじゃん白滝ちゃん?」

「だろだろ?やっぱオレつえーからさ。あのインキャ君なんて俺のパンチ見て、白目むいて倒れちゃったぜ?」

「えーまじで!うわホントじゃん、ぶっははは!」


 楽しそうな栗沢と豊沼。白滝も、みんな楽しくてたまらないらしい。この場で憤然と呼吸困難を起こしているのは俺一人だけだった。


 "お話、まぜてください。"


 白滝は二人のハイなアピールを気にも介さず画面を叩いていた。

 なぜ。そもそも俺のことは嫌いなんじゃないのか。


 "おまえ二度と話しかけるなって言ってただろ。ツンデレか?"


 ばっ、と白滝は顔をあげると、かっと顔を赤くして俺から目をそらす。対する俺も解釈不能な彼女の言動に気が狂いそうだった。


「もう耐えられん…!ポリコレを叩いて正気を取り戻そう」


 ポリコレは狂気だ。触れることで相対的に正気を回復できるだろうとSNSを開く。二次元ポスター叩きを中心に案件はたくさんヒットした。が、しかし。


「ダメだ……フェミよりオタクの方がキモい」

「大好きな表現の自由はどうしたんだよ」

「死んだよ。あんなの性的搾取以外のなにものでもないだろ」


 たわわ系の紙面広告が炎上した事件を思い出す。フェミには腹が立ったが、あれを擁護するオタクさんはごちうさアイコンで、ネット論客にカンパしている。正直どっちの味方もしたくない。



 "卯崎ちゃんはまだ卯崎っていう少女が主題にあって、おっぱいは付属物ステータスに過ぎなかったけど、たわわに関しては主題がおっぱいでしたからね。"


 突如、一件のメッセージが俺のスマホに襲来した。

 俺は目を疑って某少女の方を見ると、とてつもなく喋りたそうな顔をしている。琥珀眼こはくがんがキラキラと輝いている。が、視線が合うと慌てて少女は口籠り、すぐに顔を逸らす。


 "おい、俺とは喋らないんだろ。"

 "…いじわるです"


 不審だ。不審なアカウントには徹底抗戦と相場は決まっている。

 手始めに俺は架空請求サイトになりすます。幾度となく同級生のメールアドレスを使ってアダルトサイトに登録してきた俺にとっては手慣れた業だ。次に、『中年』のアカウントへ架空請求の脅迫メッセージを送りつける。手順はこれだけだ。何の問題もない。



「ひゃぃっ!?」


 びくっと震えて、立ち上がる白滝。


「えっ白滝ちゃん、声…」

「うわ、めっちゃ可愛い」


 ざわっと色めくクラスの男子たち。栗沢と豊沼さえお喋りを止めて感嘆した。当の白滝は、かぁーっと一瞬でトマトみたいになっちまう。

 すぐに俺の仕業と気づいて、彼女は立ち上がった。


 真っ赤な顔で、目尻にちょっと涙を浮かべながらずんずんと俺の方へ歩みだす白滝。俺の前まで来ると、ぷくぅっと頬を膨らました。


「なにしてくれるんですか…っ!」


 画面を見せてくる。いやらしい架空請求サイトだ。


「うわお前そういうの見てるんだな」

「みっ、見ないですよ!」


 ところでクラスは今、まさに騒然としていた。


「な、なにあれ…」

「おい嘘だろ、なんで白滝ちゃんが」

「『孤高』が、あのスラムに……??」


 白滝紗那が誰かと意思疎通を取っている。天変地異であった。

 凍りつく教室。ただ、そのような空気感を俺とこの琥珀眼が読めるはずもない。


「やらしいのはっ、たわわと卯崎ちゃんしかみたことないです…!」

「思ったけどおまえちょっと変態だよな」


 琥珀眼が潤む。白滝紗那は叫んだ。



「しゃな、変態じゃなぁい!!」

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