第3話 校舎裏のハーモニー

「来てください」


 白滝しらたき紗那しゃながずんずんと近づいてきて、俺の腕を掴む。

 なにもせずとも注目の的であった彼女が、突然奇行にほど近いアクションを起こしたものだから、周囲は呆然とする。


「うわ何をするやめr」


 しかも連行されていくのが俺と来た。周囲の認識は第一印象『冴えない陰キャ』なので余計、驚かれる。


「なんで……アイツなんだ?」

「待って。私あの子と一緒の中学だったけど、こんなの初めて」

「あの子が自分から人にアクション取ってるの、見たことない」


 騒然となる空気を引き裂き、タタタタタ、と彼女は俺を体育館裏に連行する。


「ご、拷問か、拷問するつもりか!?やめろ!俺はウイグル人じゃない!」


 辺りを見回して誰もいないことを確認してから『孤高の琥珀眼』は口を開く。


「あ、あ……あなた!」

「ひぃっ!」

「あ、あ…あ!!」

「う、ぁ、ぁ!」


 恐慌状態に陥る。臓器を抜かれるのか。

 しかし彼女が続けた言葉は、俺の予想の遥か斜め上を行くものだった。


「あれ?な、何を言おうとしたん、でしたっけ…?」

「は???」


 一瞬処理落ちする。

 何を言っているんだこいつは。


「え、あ…。ご、ごめんなさい。人に話しかけるの…何年ぶり、で」

「え??」


 呼び出しておいて要件を忘れるとは何事か。俺はレスバトルで忙しいんだぞ。抗議してやろうと思って立ち上がり、大きく口を開く。


「あっ、あ、あ!あ、あっ…」


 女子を前に声が出ない。全身がバグったかのように、意味のある発音ができない。中学の三年間一切異性と会話をしなかったせいだ。


「えっ、あっ」

「あ、アッ、あ…」


 二人して体育館裏でしばらくさえずり続ける。

 あ、あ、あ、あ……。

 オタクの吃音協奏曲。二度と聞きたくない地獄のハーモニー。

 このままでは埒が開かないと悟った俺は、スマホを起動させて例のアカウントへメッセージを送る。


 "貴様か"


『中年』を名乗るアカウントへ俺が送ったのは、たった3文字。

 すぐさま正対する少女の携帯が鳴る。自分の画面を見た少女は、口を噤みながらも、こくこくと頷いた。


 "なぜお前ほどの人間が裏アカウントを"

 "人と話すのは怖いです"

 "さっきナンパを平然と振り切ってただろ"

 "拒絶するのだけは慣れてます"


 なんだこいつ。友達とかいなさそうだな。

 誰もの憧れであった美少女とは思えない言動にドン引きする。

 顔を上げてみれば。眼前の琥珀眼の少女は――あたかも俺がするように――挙動不審に画面を指で必死に叩いていた。


「……えぇ」


 異性を相手に喋っているという緊張が一気に消失する。

 この美少女、中身が俺と同類なのである。


「なんだよ…」


 つまるところ――皆の憧れた『孤高の花』は、俺側の種類の人間キモ・オタクであったのだ。

 顔だけはこの世のものとは思えないくらい可憐でも、騙されてはならない。

 そこにいるのはプライド以下全てを捨てた、匿名のレスバトラーなのである。


「いや、もういいや。とりあえず誕生日おめでとう」


 一歩引いて冷めたオタクになった俺は、もう声に詰まらなかった。


「えっ、あ。あっ…」


 戸惑う白滝にも、もはや遠慮しない。


「ところでアナタ、ネットリテラシーがなさすぎですよ?レスバにおいて特定は最も回避すべき事態ですよね?」

「アナタ!それはそちらも同じですよね??」


 突如として饒舌になる『孤高』。


「先に証拠を送れと言ったのはそちらですよ?俺、ネットリテラシーがあるんで」

「知識人ぶらないでください、アニメアイコンのくせに」

「お前お前お前!アニ、アニメをバカ、バカ、バカにしたな!」

「アニメ自体は馬鹿にしていません。オタクはバカにしています」

「オタクは日本経済を回しているんだぞ!!」


 勝てそうだったが、俺はあえて一旦言葉を切った。そして『孤高の琥珀眼』と呼ばれた少女へと向き直る。


「――なんだ、普通に出来るじゃないか。"お喋り"。」


「え……?」

「人と話すのが怖い?俺とこうやってレスバができるのに??」


 ニチャァ…。と、俺は全霊のスマイルを浮かべた。ここだ。用意していた勝利の決め台詞を、つまりは決定打を、俺は叩きこむ。


「素質はあるんだ。もう少し落ち着いて話してみたらどうだ?」





 白滝は目を逸らし、頬をほのかに赤らめる。


「……ありがとう、ございます。」


 満更でもなさそうなその様に、俺は首を傾げる。なぜだ。俺は今、レス・バトルで完勝したわけだ。なのになぜ感謝する。なぜ悔しがらない?

 しかしこれは好機。目の前の少女の顔は赤い。ところで、顔が赤いというのはインターネットにおいては死を意味する。俺はその隙を逃さない。


「顔真っ赤で―――草!」


 とどめの一手。


「……え?」


 刹那、世界が凍る。完封、そう思った。

 しかし俺は忘れていた。ここはインターネットではなかったことを。そう、誰もが知っている。現実世界にネットのノリを持ち込むこと、つまり口頭でインターネットを吐きだすことは、きわめて。


「…きもちわるっ」


 ここまでの不快感と侮蔑が入り混じった声を喰らうのは、人生初めてかもしれない。それくらい冷徹で、美しいほどに残酷だ。


「二度と話しかけないでください。それでは。」


 さっと立ち上がる所作も、長髪を揺らして消えていく様も、すべてが絵になる彼女はまさに芸術で。ひとしきり呆然と白滝の背を見送る。俺が自身のパワフル・コミュニケーションに気づいたのは、その直後だった。



「……また俺、なんかやっちゃいました?」



誰も居ない校舎裏に一人残された俺は、頭を抱える。悪気はなかった。素がキモすぎたのだ。途方に暮れていると、スマホへ着信があった。


 "私のアカウント誰かに言ったら、ネットストーカーで学校へ告訴します"


 『中年』からのメッセージが一件。今や誰もが夢見てやまない白滝紗那シャナの連絡先――どころか、裏アカウント。俺が所持していることが発覚すれば数分経たず脅迫沙汰に巻き込まれるだろう。しかも当人にはかなり嫌われてしまったらしい。

 さて、面倒なことになった。


「だっっっる……」


 平穏を望むレスバトラーは、げんなりと呟く。






 ""……あと。これからよろしくお願いします、厨川くりやがわくん。""


 続くその一文は、見落とした。

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