異国の旅人      …… 1

 夏になると『フルムーン』は大盛況となる。


 どの店も村でただ一人の魔法使いルナウから、部屋が涼しくなる魔法をかけた花を買って飾っていたが、高価なその花をそう多くは仕入れられない。外よりはの店が多い。


 それに引き換えルナウの店は、各テーブルに飾られた花はもちろん、そこかしこに置かれた鉢植えにも魔法が掛けてあるのだから、快適な涼しさだった。さらに、高価な氷を使っているにも関わらず、値段はいつも通り。冷たい飲み物をどこよりも安く提供してくれる上、村中のどこよりも快適なルナウの店に、客が集まるのも無理はない。


 村の広場に面したレストラン『ごちそう』のシェフ、レーンバスがルナウに声をかける。自分の店でグラスに入れる氷の仕入れ値よりもフルムーンのお茶代のほうが安いとなれば、来たくなるものだ。ましてルナウは誰にでも隔てがなく、気持ちよく接してくれる。同業者だからとイヤな顔などしない。


「一体全体ルナウさんは、どうしてこんな値段で提供できるんだい? 見習えるものなら見習いたいもんだ」

するとルナウが静かに答える。

「自家製の氷を使っているからですよ」


「それはうちの店に卸してくれる氷と違うのかい?」

「いいえ、一緒です――ただ、お分けするときには魔法使いギルドが決めた値段になりますから。いただいた代金から歩合をギルドに納めるんです」


「ルナウさんは決められた値段を払わないんだ?」

「氷の値段と言っても、実際は使われた魔法の値段なのです。対価は魔法をかけた魔法使いに支払われます――わたしがわたしに対価を払うのは意味がありません」

判ったような、判らないような、とレーンバスが首をひねる。


「魔法使いの世界にもいろいろ決まりがあるのですよ」

いつもの微笑みを残し、ルナウは別の客に呼ばれて行ってしまった。


 ルナウを呼んだのは獣人兎族のシャンティグ、八百屋を経営している。

「レモンバームとミントのお茶のお替りを。氷をたくさん入れてくれよな」

「もちろんです、それを楽しみに、こんな村はずれまで来てくれたのでしょう?」

「うん、判ってるねぇ」

照れくさそうにシャンティグが笑う。


「そうそう、ルナウの助言通り、果物や生で食べられる野菜を食べやすい大きさに切って、氷で冷やして店頭に並べたら飛ぶように売れた。みんな喜んで食べながら帰っていく。お陰でうちは大繁盛さ――明日も氷を取りに来るからよろしく頼むよ」

「いつも通りの量でよろしいですね? お待ちしております。時間には遅れないようお願いしますね」

今、お茶をお持ちします、とカウンターに戻っていくルナウだ。


 カウンター席には獣人猫族の少女ナッシシム、それに加えて今日は、やはり猫族の双子の兄妹ローリアウェアとヴェリスウェアが談笑していた。双子はナッシシムより二つばかり年上で、この村で生まれ育った。ナッシシムの姉アッリリユの夫ジョロバンの従弟妹いとこにあたる。フルムーンが開店した時からのだ。


「ねぇねぇ、ルナウ」

 ルナウがカウンターに入るなり、ナッシシムがルナウに話しかける。


「今日は早仕舞いなのね。下の黒板に書いてあったってローリアウェアが言ってる」

「ナッシシムさん、今日も看板を読まなかったのですね? ――申し訳ありません。用事があるのです」

チラリとルナウが庭に視線を向けた。その顔は優しく微笑んでいる。


「あら、デート? なんだか嬉しそうよね」

ヴェリスウェアの言葉にナッシシムが息を止め、ルナウが苦笑する。


「さぁ、どうでしょう? 内緒です。でも、どこにも出かけはしませんよ」

「それじゃあお客さま? 恋人?」

畳みかけるヴェリスウェアに、話を変えようとナッシシムが横入りする。ルナウに恋人がいるなんて、なんだか寂しい。


「ねぇ、ルナウ。今日のお菓子、これはなぁに? 初めての味だわ。なんだろうって、三人で話したけど判らないの」

「これはアズキのパイです。アズキを砂糖で煮詰めて潰して作ったペーストをパイ生地に包んで焼き上げました」


「アズキ?」

「えぇ、豆の一種です。この辺りでは珍しい食材です。先日、市場で見かけたので思わず買ってしまいました」


「ホントにルナウさん、いろいろご存じね」

 そう言ったのはヴェリスウェアだ。ルナウはヴェリスウェアに微笑んで答える。

「この場所に居を構える前は諸国を旅して参りましたから」


「ルナウがここに店を出してそろそろ五年だね」

ローリアウェアが口を挟む。そして

「久しぶりに異国の話を聞きたいな」

とルナウに強請ねだる。するとナッシシムもヴェリスウェアも目を輝かせ、身を乗り出すように『聞かせて』とルナウに迫る。

「困りましたね。ご覧のように大変忙しいのですよ」


 たっぷり氷の入ったグラスにお茶を注ぎながら困り顔のルナウだ。グラスをトレイに乗せるとカウンターから出て行ってしまった。レモンとミントの香りが残る。目で追うと、ルナウはシャンティグにグラスを運んでいったようだ。


「大丈夫、ああは言ってもルナウ、すぐに戻ってきてお話ししてくれるよ」

こっそりローリアウェアが二人の女の子に耳打ちしてクスッと笑った。


 お茶を運び終わってカウンターに戻ってきたルナウを期待に目を輝かせて三人が見詰める。見ないふりをしていたルナウだが、やがてフッと溜息を吐いた。

「まったくあなたたちと来たら……」

愚痴りながら苦笑いしたルナウだ。


 そうですね、グラスを磨き上げる手を休めずにルナウが言う。

「それでは今日はここにお店を出してからのお話をしましょう」

「お店での出来事?」

「はい、意地悪な妖精の森の出入口にありますから、旅のかたがよくお見えになるのです」

「わたしと姉さんもそうだったわ」

ナッシシムがニッコリとする。


「そうでしたね、ナッシシムさん――で、中でも遠い異国から来た旅人のお話をお聞かせします。このアズキパイを教えてくれた旅人のお話です……そのかたは遠い東の海を越えた国からの旅人でした」


「東に行くと海があるのね?」

「ルナウ、なんて言う国なんだい?」

「アズキもその人に教えて貰ったの?」


 矢継ぎ早の質問にルナウが再度苦笑する。

「皆さんが知りたいことは話が進むにつれ、きっと判ると思います。質問は話が終わったら受け付けます。黙って聞いていられないのなら、やめますよ」

ルナウの脅しに三人が気まずげな顔をする。

「判ったからルナウ、お願い、お話しを聞かせて」

ナッシシムが代表して答えたようだ。判りました、とルナウが微笑む。


「あれは、ここにお店を出して最初の夏が見え始めた、そんな初夏のことでした」

 何日も雨が降らず、生垣のサンザシもぐったりしていたので水を撒いていました。こんなに長い間、雨が降らないなんて――ここは乾燥気味なのだろうか、そんなことを考えたのを思い出します。


「すると森の出入り口のほうから、聞きなれない言葉が聞こえてきたのです」

 声はだんだん近づいてきます。でも、一人だけで誰かと話しているようには聞こえません。消え入りそうになのは独り言なのかもしれないと思い始めるころ、やっとその人の姿が見えてきました。


「不思議なかたでした。緑色の肌、髪は茶色がかった黒、つばのない白い帽子、服は前を合わせて帯で締めてあるだけのように見えます」


 よろよろとした足取りは、かなり弱っているように見えました。森を抜けるのに苦労をしたのでしょう。誰でもあの森を抜けるのは苦労するもの、それにしても随分なお疲れの様子に手助けできることが何かないかと思いました。


「向こうもわたしに気が付きました。だけど驚くことに、ハッととわたしを見たと思ったら、次の瞬間、こちらに向かって突進してくるのです。今の今までよろよろだったのに、ですよ」


クスリとルナウが思い出し笑いをした。

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