賢者は空を見る    …… 7

 狼狽うろたえるハーバデシラム、

「なにが言いたい?」

と、ルナウを睨みつける。


「そうですね――あえて言うとすれば、答えはあなたの中にある、とでも」

「答え……正しいとは限らない。時に望みに反し、嘆きを呼ぶ」

ハーバデシラムの動揺は収まらないようだ。


 そんなハーバデシラムに『お茶をどうぞ、落ち着きますよ』と、ルナウがポットを手に取り、カップへ傾ける。湯気が立っているのはルナウが魔法で冷めないようにしたからだろう。


「よかったら、こちらのジャムを少しお入れになるといい。コケモモのジャムです」

「コケモモ……冷淡、不信」

「そして『くじけない』という花言葉もあります」


 店内では、窓に貼り付いていたナッシシムが、わたしにはコケモモのジャムを出してくれなかったわ、と思っていた。ジャムなんかトレイに乗せていたかしらと、つい見たくなって窓の外を覗き、ハーバデシラムと目が合ってしまった。


「おぉ! 先ほどの猫族の少女。こちらに来て一緒にお茶を楽しもう!」

嬉しそうにハーバデシラムが大きな声を出す。舌打ちしたいのを抑えたルナウだ。見られないようにと言ったのに……


「ルナウ! 俺はあの子が気に入った。あの子に決めよう」

「ハーバデシラムさん、無茶を言ってはいけません」

「無茶?」


「あの子はまだ大人になっていません。子どもなのです」

「ならば俺が大事に育てて、時が来たら結婚しよう」


「それをあの子が望むでしょうか? あの子の家族が許すと思いますか?」

「俺はあの子を大事にする、欲しがる物はなんでも与えよう。家族は俺が説得する」


「なぜそんなにあの子が気に入ったのですか?」

「あの可愛い少女がいてくれれば、きっともう寂しくない」

「そうですか――ハーバデシラムさんは寂しいのですね」


 ハッとハーバデシラムがルナウを見る。

寂寥せきりょう……孤高と孤独は隣りあわせ。望みが叶わぬ虚しさ。通わぬ心に吹き抜ける風」


ルナウもハーバデシラムを見る。

「よくお考え下さい。あなたの孤独はあの少女では埋められません。あなたの孤独はどこから来たのでしょう? 思い出してください」

「思い出……遠い昔の記憶。サンザシのとげが付けた傷。何の言葉もない別れ」


「先日、わたしがあなたに差し上げた花とお菓子を、どうしてあなたは捨てたのですか?」

「花……美しい人にこそ似合う――菓子……頬張れば自然と漏れる笑み」


その言葉にルナウの表情が険しくなる。

「ハーバデシラム、おまえが本当に欲しいものは何だ?」


 突然、声音も口調も変わったルナウ、再度ハッとしたハーバデシラムの目が泳ぐ。


「魔法使い、今、何と言った?」

もうルナウはいつも通りの笑みを浮かべている。そして優しい声で言った。


「今日はお土産があると言ったのですよ、ハーバデシラムさん――すぐにご用意いたします」


 店内に戻ったルナウはテラス窓から庭に降りた。すぐに戻ったルナウは赤とピンクのゼラニウムを数本手にしていた。


 ウッドデッキのテーブルに飾っていた赤いゼラニウムも引き抜いて、持ってきたものと併せて花束にする。そして前回同様、菓子皿に手付かずのままの干しリンゴの砂糖漬けをナフキンに包んだ。


「ハーバデシラムさん、この花束とリンゴの菓子はあなたとお相手の心を結ぶおまじないです。一番似合う人、美味しいと微笑む人にあげてください――お菓子は一緒に食べるのですよ」


 そんな相手が思いつかないと言うハーバデシラムに

「賢者ハーバデシラム、空を見上げれば世のほとんどが判るのでしょう? 空を見てください。今こそ賢者たることを思い出す時です。あなたのお相手がきっと見つかることでしょう」


 次に来るときは忘れず代金をお持ちください、そう言ってハーバデシラムを見送ったルナウだった――


 コケモモのジャムをパンに塗りながらナッシシムがルナウに問う。

「ハーバデシラムさんのお相手ってだぁれ?」

「判りません」

ルナウが澄まして答える。


「それなのに、今度来るときは代金持って来い、って言ったの?」

ナッシシムがクスッと笑う。

「きっとそうなると思っただけです。そうなったとしたら、わたしの予測したお相手、という事になります」


「判らないけど、予測はしているのね?」

「予測と言うか、そうなのかな、って」


「あら、思い付き?」

「そう、思い付きです。それにしてもナッシシムさん、どうして大人しくしていてくれないのです?」


「だって、気になっちゃって」

「少したしなめただけでハーバデシラムさんが引いてくれたから良かったものの、聞き入れなかったら大事おおごとになっていました。ケンタウロスは本気で欲したら、強引に奪うこともいといません」


「それは困るわ……わたしも姉さんみたいに幸せな結婚がしたいもの。ルナウ、よろしくね」

「おやおや、最初から他力本願ですか? まぁ、そのうち見合う相手と巡り合って素敵な恋を経験しますよ」


「そうなるかしら?」

「そんなものです」

「そんなものなのね」


 ジョロバンとアッリリユの結婚式は村の広場で行われ、村中の人が招待された。もちろんルナウも招待されていて、始まる前には持ち手のついたバスケットを二つ、一つは空、もう一つにはスイートピーの花をたくさん詰めて駆け付けた。


「末永くお幸福しあわせに!」

 ルナウがバスケットからスイートピーを一掴ひとつかみ、花嫁花婿に振りかける。するとスイートピーはひらひらと美しいちょうに変化し、二人を優しく取り巻いた。


「綺麗!」

 歓声が上がり、みながうっとりと眺めていると、ルナウは主役のテーブルの両端にバスケットを置いた。蝶たちは一頻り飛び回った後、空のバスケットに入りスイートピーに戻った。すると今度は、バスケットに残っていたスイートピーが勝手に飛び出して、次々と蝶に変わる。虹のようなアーチを描いて飛んでいき、最初の蝶に倣ってバスケットに飛び込むと花に戻った。すべての花が飛び立つと、今度は収まったバスケットから順番に花が飛び出して蝶に変わり、花婿花嫁の前を螺旋を描いて最初のバスケットに戻っていく。その繰り返しは結婚式が終わるまで延々と続いていた。


 いつもより、ずっと着飾ったナッシシムがそっとルナウに囁く。

「素敵な魔法ね、ルナウ」

「気に入りましたか?」

「えぇ、とっても。姉さんは感激して涙ぐんでいたわ」

「それはわたしの魔法を見たからではないと思いますよ」


 村人は入れ替わり立ち替わり、広場に来てはジョロバンとアッリリユを祝福していく。そろそろお開きにしようかという頃、ケンタウロスが現れて村人たちを驚かせた。


「ルナウ、代価を持ってきたんだが――結婚式か?」

「はい、祝福してくださいますか?」


 ハーバデシラムはジョロバンとアッリリユの前に立ち、左前脚でカンカンと二回、ひづめを鳴らした。


「幸多からんことを」

そして空を見上げたあと、ちらりとルナウを見てから森へ帰っていった。


 ルナウが受け取った砂金の袋を見てナッシシムが問う。

「ハーバデシラムさんは、お相手を見つけることができたのね」


「そのようですね――代金を受け取るのは少し気が引けます」

「あら、どうして?」


「わたしはハーバデシラムさんを誘導してあげただけです」

「どういうこと?」


「ケンタウレはイヤ、エルフもイヤ。それなのに、思い描く暮らしはケンタウロス族のもの。ハーバデシラムさんが望むお相手はケンタウレなのだと思いました」

「イヤって言ってるのに?」


「望んでも背かれた時、初めから望んでいなかったと思い込みたいものです」

「ケンタウレの誰かにフラれてイヤになったってこと?」


「ナッシシムさん」

ルナウがゆったりとナッシシムに笑みを向ける。


「ハーバデシラムさんは、花は美しい人にこそ似合うと言い、菓子を食べれば顔がほころぶ、と言いました。赤いアマリリスとサンザシのケーキをハーバデシラムさんが誰にあげたか覚えていませんか?」

「あっ! ポティニラマスさん!」


「そしてポティニラマスさんはハーバデシラムさんのことを尋ねた時、美しい黒曜石の瞳、語るのに語らぬ唇、と言いました。お二人は惹かれ合っているのだと、わたしは確信したのですよ」

「それじゃあなぜハーバデシラムさんはルナウに相談なんかしたの?」


「二人とも空ばかり見ているからだと思います。ふと隣を見れば、相手は空を見ていて自分を見ていない。それを寂しく思い、相手は自分に関心がないと感じる――ポティニラマスさんだって同じなのですが、彼女はエルフの血を引いていて、ハーバデシラムさんより幾分心を読み取るのが上手だった。だから『語るのに語らぬ』という言葉が出たのです。ハーバデシラムさんを待っていると思いました」


「それじゃあ、ハーバデシラムさんはポティニラマスさんに思いを打ち明けたのね?」

「それは彼には無理かもしれません。だから赤とピンクのゼラニウムの花束をもっていかせたのです――赤いゼラニウムは『あなたがいる幸せ』、ピンクのゼラニウムは『決意』。ポティニラマスさんは言葉を求めぬ賢さをお持ちだと思いました」

「言葉のないプロポーズ? 少し寂しいかも」

やっぱりナッシシムさんはまだまだ子どもですね、ルナウが笑う。


「ケンタウレとエルフでなければいい、それはハーバデシラムさんのポティニラマスさんを求める心の叫びだったのです――これからは毎日、二人で空を見上げ、お菓子を食べては微笑みあいながら、幸せに過ごされることでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る