第9話 仮面の魔術師

Side:ルナ=セクト


ここは何処だろう?

誰かの家のように見える。

私は……何をしていたんだったっけ?


目的を忘れて、今、自分のいる家の中を彷徨っていると、目の前にポツンとある扉の奥から誰かの会話らしきものが聴こえてくる。


私はその扉に吸い込まれるように近づき、扉に耳を当てた。


本来ならやってはいけない行為だけど、その時はやらないといけない気がしてしまった。


「行くんですね」

「ああ、行かないと」

扉の奥から女性の声と男性の声が聴こえてくる。


懐かしい声……。

知っている人の声。

私が探し続けた人の声…。

早く。会いたい。


私はドアノブを力強く握りしめ、扉を勢い良く開ける。


「おお、ルナか。どうしたんだ?」

扉を開けたその先、玄関前に立っていた男が驚いたような声を上げると、私の名前を呼んだ。


女性の方もここへやって来ると思わなかった様で、焦っているように見える。


ああ、この光景。懐かしい。

顔にモザイクが掛かった男女を見ながら、懐かしさに浸る。


もう二度と思い出すことが無いと思ってた。

私にとっての……


「ねえ、どうして?」

私の口から幼い頃の声が出てくる。


「うん? どうかしたか?」

「ねえ、なんで、私を置いていくの?」


この日以来、あなたは帰ってこなかった。

眼から涙が零れ落ちる。


「置いてなんていかないさ。必ず帰って来る。だから、いい子にして待っていろよ」

「本当に?」

「ああ、約束だ」

男は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「……さん。ちゃんと言った方が」

「いえ、……さん。良いんだこれで」

女性の言葉に男は悲しそうな声でそう言うと、玄関の扉を開けて出ていった。


噓つき。

あなたは私を一人残して……。

黒い感情がふつふつと湧き上がる。

ねえ、なんで?

なんで、私を一人残して何処かへ行ったの?

ねえ。なんで? ねえ。


涙が地面に落ちたその瞬間、懐かしいその世界は音を立てて崩れていった。


・・・


「ルナ!」

「れ……い?」

零の声が聴こえてきて、目を開けると零が突然覆い被さってきた。


「起き上がるなよ!」


どういう事?

なんで、そんなにも怖い顔をしているの?


「どういう……」

疑問を口にしようとしたその時、零の背中から真っ赤な液体がポタポタと落ちてくる。


血の匂い。

なんで、零から血の匂いがするの?

なぜ零の身体から血が流れ出ているのか理解できなかった。


「良かった。間に合って」

零は安心したような表情した後、糸の切れた人形のように倒れ、次第に動かなくなっていく。


「零、しっかり!」


死なないで! 零。

彼の身体を揺らすが、起きない。


……もう意識が無い。このままだと零が死んじゃう。


「そうだ。傷口」

早く止血しないと…零が……。


自身の服の一部を破り、背中の傷口を押さえて止血しようとするが……。


「……傷口が深い」

零の背中は縦に大きく裂けていて、とても止血がすぐにできるような状況ではなかった。


「……それでも、やらなきゃ」

さらに服を破いて作り出した布で傷口を押さえるが、傷口から血がどんどん溢れ出し、押さえていた布を真っ赤に染めていく。


「死なないで。零」

涙がポトリポトリと零の顔に落ちていく。


私を一人にしないで。


「『Healing治癒』」

零の傷口押さえながら、唯一私が使える治癒魔術を行使する。


応急処置かもしれないけれど。

今の私に出来ることはこれしか……。


残りの魔力を使って零の傷口を止血しようとしていると、とても耳障りな声が聞こえてくる。


『ネエ、オネエサンモイッショニアソボウ?』


「ごめん。零。後回しする」


この声……。嫌い。許さない。


「……『神器解放! 聖槍ロンギヌス!』」

瓦礫に埋もれていた槍を掴み、呪文を口にすると魔術ルーン文字の彫られた部分が碧色に輝き、矛先が白く染まって、槍全体がオーラを放ち始める。


『ナ、ナンダ。ソノヤリハ』

私が槍を持ってバケモノに近づいていくと、バケモノは槍を恐れるように一歩後ろへと下がり始める。


『ヤメロ』

「貫け! ロンギヌス」

『ヤメロオォォ!』

槍を投げようとすると、バケモノは先ほど、零の背中の肉を抉り取った爪を出して襲い掛かってくるが、槍の一撃はバケモノの爪ごとバケモノの腕を貫いていく。


『グギャアアア!』

無くなった片腕を押さえながら叫ぶバケモノにイライラしてくる。


零の苦しみに比べれば貴様の苦しみなんて……。痛みなんて……。


「許さない。もっと苦しめ」

どす黒い感情が湧き出始めたその時…。


『タスケテ』

バケモノが涙を流して命乞いをし始めた。


助けて?

何それ。

なんで、助けを求めるの?

ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ!


「次はその腕をもらう。『Wind cutterウインドカッター』」

バケモノの残っている方の片腕を魔術を使って斬り飛ばす。


『ガアアァァ! タ、タスケテ』

「へえ、まだ、命乞いするんだ? さっきはあれほど楽しそうにしてたのにね」


ユルサナイ。絶対に殺してやる!

「じゃあね」


ドックン!


バケモノに槍を突き刺そうとしたその時、体全体に心音が響いて地面に膝をついた。


何?

今のは…。くっ、痛い。

先程の大きな心音は止んだのに頭が痛い。


その場に膝をついて立ち上がらない私を見たバケモノはニヤリと微笑んだ。


『ワタシノカチダネ』

バケモノがそう口にした瞬間、バケモノの傷口からドス黒い瘴気のようなものが流れ始め、バケモノの肉体を包んでいく。


「何を……」

「いけない。逃げて! ルナ!」

急にアイリスさんの声が聴こえてきたと思うと、再び衝撃波が辺りに一帯に飛んできて、身体が吹き飛ばされる。


何が…起きたの?

一瞬だけ意識が飛びかけたが気合で戻して受け身をとる。


『実にいい気分ダ。まるデ、生まれ変わったようダヨ』

バケモノは先程よりも流暢に喋ると、再生したのだと思われる大きな両腕を上げ、真っ暗な空を見て歓喜の声を上げていた。


あの黒い魔力。嫌な感じがする。

「何あれ? 気持ち悪い」

「あの魔力は……。嘘っ、かん…ぜん…た…い」

隣でボロボロになっていたアイリスが膝をついて絶望するような感じでそう口にした。


「完全体?」

「あのバケモノの最終形態よ。あの姿になったら、今の状態の私達じゃ止められない」

アイリスはそう言うと、自身の身体を見ながら、救援を待つしかない。と呟く。


退却は……可能ではある。だけど、その場合。零が死んでしまう。

なら、交戦か?

いや、私は今戦えそうにない。どうする。

どうすればいい。


「くっ!」

頭をフル回転させて考え込んでいると、さっきの頭痛がまた一段とひどくなっていく。


こんな時に……。


「ルナちゃん? 大丈夫」

「……大丈夫」

頭を押さえて苦しむ私を心配するアイリスに大丈夫と言って立ち上がった瞬間、

『サッキはヨクモヤッテクレタねえ? 痛かったんだヨ。ボクは』

遠くに立っていたバケモノが目の前に現れた。


「なっ!」

早い⁉


すぐにバックステップで後ろに下がろうとするが、反応が少し遅れたせいでバケモノに首を掴まれてしまう。


「ルナちゃん!」

「ぐっ」


呼吸ができない。

苦しい。


あまりの苦しさにもがき苦しむが、段々、身体に力が入らなくなっていく。


『死ネ。死んでしまエ』

「その手を放しなさい。『Wind cutterウインドカッター』」

『ぐっ』

アイリスの放った不可視の刃がバケモノの腕に直撃し、バケモノが顔を歪ませる。


「『Strengthening the身体強化 body』早く放せ!」

そのひるんだ瞬間を狙ってか、アイリスは私を捕まえている手にかかと落としをしてバケモノの拘束を解き、私の身体を抱きかかえてバケモノから逃げる。


「ルナちゃん。しっかり」

「かはっ。ゲホゲホ」


何とか息が……。


『許さなイ。お前ら全員殺してやル!』



「下がって!」

アイリスがバケモノの目の前に立ちはだかるが、

『邪魔ダ。消えロ』

「ぐっ」

バケモノの攻撃を受けて、数メートル先に吹き飛ばされていく。


「アイリス!」


また一人だ。いつだって私は独りぼっち。

頭が痛い。モウドウデモイイ。

頭が痛い。ユルサナイ。

痛い。痛い。苦しい。コロス!


「はあ。はあ」

頭が痛くて苦しいのに目の前のバケモノが邪魔ばかりするからイライラする。


コイツハヤクケソウヨ。

頭痛がひどくて苦しい状態の中で誰かがそう囁いてくる。


「……そうだね」

『な、何を言ってイル? ソレにその力は…』


目の前のバケモノが動揺している。

何でだろう?


まあ、いっか。

とりあえず、こいつを……。

「早くケソウ」

自分の手から黒いナニかが溢れ出ているけど、モウドウデモイイ。


「死ね」

黒いナニかが出ている手をバケモノに向けた時だった。


誰かが私の手を掴んだ。

「小娘。その力は止めておけ」

「誰? ジャマシナイデ」


掴んでいる手の主に視線を向けると、黒のフード付きローブと骸骨を模した様な仮面を身につけた怪しげな男がそこに立っていた。


何で止めるの?

誰か知らないけど。

私のジャマヲスルのなラ……。


この男を消そう。

なんて考えていたその時、おでこに痛みを感じる。


「痛っ!」

「ほら。正気を取り戻せ。力に飲まれるぞ」

仮面の男は呆れた様な声でそう言うと、バケモノの方を向いた。


『何者ダ。キサマ』

「何者か? 別に何者でもない。強いて言うなら、ただの亡霊だ。過去の未練に縛られたままのな。『Sword Creation剣創造 mode casting鋳造 type stainlessステンレス』」

男はそう言うと、剣を創り出してバケモノに向かって構えた。


『邪魔をするナ』

バケモノは爪を男に向かって振り下ろすが、男はそれを軽々と剣で受け流す。


「どうした。こんなものか?」

『グオォォォ! 殺してやル』

男はバケモノに近づきながら、バケモノを挑発して、バケモノを怒らしていく。


何なの? この人はなんで、バケモノを挑発しているの?


私がそんなことを思っていると、男はバケモノを攻撃を受け流し、バケモノの腹を蹴っ飛ばして、私のいるところまでやって来る。


「小娘、後は俺に任せて、お前は少年のところに早く行け」

男はそう言うと、バケモノを蹴り飛ばした先まで、走って向かっていった。


そ、そうだ。今のうちに零とアリスを…。


私は瓦礫の散らばる道を走り、零のいるところまで向かって走った。


「零!」

零の身体に触れるが、応急処置も途中だったせいか、零の身体はさっきよりも冷たくなり、呼吸も弱り切っていた。


「零! 死なないで!」

自分の中に残っている魔力を全て、零の回復に回し、零の背中の傷を修復していく。


うっ、頭が…。

零の背中の傷を塞ぎ、血を止めた瞬間、また頭痛に襲われる。


魔力切れ?

あともう少しで傷跡まで消せたのに…。


地面に手をついて身体を支え、零の顔に耳を近づける。


すると、すうすう。といった規則正しい呼吸音が聞こえてきた。


とりあえず、間に合ってよかった。

そういえば、仮面の男の方は…。


私は安心して胸を撫で下ろすと、仮面の男の方を見ると、男はまだ戦っていた。


『おのレ。さっきからちょこまかト』

「ふむ。では遊びは終わりにしようか。『--』」

バケモノの言葉に対し、男はそう言うと、呪文を唱え、真っ黒な刀身を持つ剣を創り出した。


「終わりだ。『魔力纏い 黒彼岸』」

バケモノの首に一筋の黒い光の線が通り過ぎていった。


『な、何をしタ?』

「もう喋るな。死体」

男がバケモノに向かってそう言うと、同時にバケモノの首が胴体からずれ落ちていく。


首を失ったバケモノはそのまま前に倒れて、噴水の様に真っ赤な体液を吹き出した。


「次はもっと、幸せな人生を送れるといいな」

男は空を見上げてそう呟くと、こちらを見て、安心したのかどこかへ去っていった。


終わった…?

そう思った瞬間、身体から次第に力が抜けてゆき、私はそのまま倒れてしまった。


誰かが近寄ってくるような足跡が聴こえたのを最後に私は意識を失った。

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