第5話 契約

木々の臭いが鼻腔をくすぐる。

懐かしい匂いだ。

昔、どこかで嗅いだことのある懐かしい匂い。


懐かしさに浸りながら、ゆっくりと目を開けると、辺り一帯に木々が立ち並んでいるように見える。


ここは……夢の中で出てくるあの森か?

なんで、俺はここにいるんだ?


記憶を遡ってみるが、記憶はロドリゲスと名乗る老人の首を何かが突き抜けていった付近までしか記憶が無い。


確か、俺は食らっていた毒が回って……。

……死んだのか。


なら、ここは天国ってなわけだ。

ハハハハ。


ハハッ。

アハハハ!


何とも惨めな最後に涙が出てくる。


ああ、悲しいなぁ……。

一度死んで、何とか生き返れたと思ったら、また死ぬのか。


近くにあった丸太を椅子変わりして、落ち込んでいたその時、向こうの茂みからガサゴソという物音が聴こえてくる。


はあ。一体何だ?

走馬灯にしちゃあ、遅いと思うが……。


茂みの方をじっと見つめていると、段々と人型のシルエットが見えてくる。


……誰だ。


「ごめん。遅くなったね。零」

人型のシルエットはこちらに近づいてきながらそう口にする。


この声……つい、最近も耳にしたことがある。

そうだ。おじさんの声だ。


それにしても……なんで、おじさんが?

こういうのは死んだ人が来てくれるとかじゃないのか?


思っていたのと違う状況に少し戸惑いつつも、おじさんの方に視線を向ける。


「零、久しぶりだね。気分はどうだい」

そう言って、笑いかけてると思われるおじさんの顔にはいつも通りのモザイクが掛かっている。


気分か。

そんなの決まってる。最悪だよ。


「……そうかい」

おじさんは少しだけ悲しそうな声でそう言うと、俺の近くにあったもうひとつの丸太に腰をかけ、空を見上げ始めた。


何をしているんだろ?

おじさんと同じように俺も空を見上げる。

すると、そこには雲一つ見当たらない快晴の空が広がっていた。


「……零。君はまだまだ若い。だから、これからの人生。辛かったり苦しかったりすることがたくさんある。でもね、仲間がいれば、きっと乗り越えられる。いや、違うな。絶対に乗り越えていける」


”仲間”という言葉を聞いた瞬間、死ぬ直前に助けてくれたあの銀髪の少女の姿が一瞬だけフラッシュバックされる。


仲間か。

……でも、俺はもう…。


『お……て』


「さて、そろそろかな?」

おじさんはそう言うと、丸太から立ち上がる。


おじさん?

そろそろって何?


『お……て!』


「さあ、目覚める時だよ。零。君を待っている人の元へお帰り」

おじさんがそう口にした瞬間、周囲にあった木々や草花が光の粒子となって消え去ってゆき、視界が段々と薄れていく。


おじさん。何を……。


・・・


「起きて!」


ぺしっ!

誰かが頭を叩いてくる。


「うっ、俺は……」

朦朧とする意識の中、瞼を開けると視界を埋め尽くすようにルナの顔が映り込む。


「……俺は何をしていたんだっけ?」

「あの魔術師の毒を受けて倒れてた」


そうだ。確か、毒を受けて……。


ルナと会話しながら、上半身をゆっくりと起こして立ち上がる。


「一応、毒は私が魔術を使って治した。だけど、完治出来たかわからない。体の調子はどう?」

ルナから突然、そう言われて、腕を動かしたり、脚を動かしたりしてみるが、麻痺したりはしてなさそうだ。


身体は……うん。しっかり動く。だけど、少し重たいな。

でも、毒は関係なさそうだし大丈夫だな。


「うん。何とか大丈夫そう。ありがとな」

そう言って、視界に映る銀髪の少女、ルナに笑いかけると、ルナの綺麗な藍色の眼から涙がツゥーっと流れ出て、床に雫となって落ちていく。


俺、なんかしたっけ?

いや、何もしてないはずだ。


「あれ? なんで? 涙が……」

ルナは涙を拭うが、一度泣き始めると、止められなくなってきたのか、教室の床にボロボロと涙がしたたり落ちていく。


「あ、その……ごめん。俺、何か悪い事をしてしまったみたいで……」

涙の訳が分からず、とりあえず、謝罪をすると、目の前の少女は何故か首を傾げている。


「……なんで、あなたが謝るの?」

「いや、だって、君が泣いたのはきっと、俺のせいだろ?」


正直、泣いた理由は俺にも分からない。

でも、今ここにいるのは俺とルナという名前の少女の2人だけ。

そして、俺はこの少女とは今日初めて会った。


つまり……俺が彼女を泣かせた以外の答えが見つからない。


「……くなった」

「え?」

「あなたを見た瞬間、何故か悲しくなった」

「……そう」


俺、人が悲しくなるような顔してるのかな?

うーん。

なんか、そう思うと悲しくなってきた。

別の事を考えよ。


少女の言葉を事実として認めたくなく、現実逃避もかねて辺りを見渡していると、壁に刺さっていた矢が視界に入ってくる。


そういえば、あの後、すぐに気を失ってしまって、飛んできた矢がどうなったのか、分からなかったけど、ここに刺さっていたのか。


……うん?

待てよ。


矢を目にした瞬間、壁に刺さっている矢の事が気になり、矢が刺さっている壁に近づいて行く。


よく見たら、この矢、深く壁に刺さっている。

遠くからボウガンでも使って打ったのか?

いや、ボウガンでも不可能だろう。

それに、もしそれができたとして誰がやったんだ?


考えれば考えるほど余計にわからなくなっていく。


ダメだ。情報が少ない。

とりあえず、彼女に聞いてみるか。


「ねえ。あの矢はどこから放たれたかわかる?」

「……わからない。あなたが倒れた後に外を確認したけど、誰もいなかった。多分、逃げたんだと思う。魔力の痕跡は残っていたから」

「……そっか」


魔力ってことは魔術師という奴なんだろうか?

だとすると、目的はなんだ?

ロドリゲスの殺害か?

それとも……いや、希望的観測はよそう。


役目を終えたとばかりに消えてゆく矢を見つめながらさまざまなことを考える。


「あなたはこれからどうするの?」

「どうするんだろう?」

突然のルナの問いに悩む。


これから…か。

そう言えば…。

「これからの話では無いんだけどさ。せっかくだし。名前呼びしようぜ」

「?」

首を傾げるルナに若干苦笑いが溢れる。


「まあ、そのなんだ? 流石にあんたとかじゃアレだろう? だから、俺のことは零って呼んでくれ」

「零?」

ルナは首を傾げてはいたが、俺の名前を呼んでくれた。


「おう。よろしくな。ルナ」

ルナに手を差し伸べると、ルナは首を傾げてはいたが、ゆっくりとその手を掴んだ。

すると、俺とルナの手が突然輝き、青白い光の線が俺とルナを繋いでいく。


「え、何?」

「これは……契約」

突然のことに動揺していると、ルナは光の線を見ながらそう口にした。


「契約?」

ケイヤク?

ナニソレオイシイノ?


「……簡単に言えば、切れない縁が出来たって事」

「なにそれ?」

「……私が…」

ルナは何かを言いかけて突然喋るのをやめた。


「ルナ?」

どうしたのだろうか?


「……零」

俺の名前を口にしたルナの表情が次第に強張っていく。


え、俺。なんか怒らせることした?

いや、何もしてないよなぁ?

あれ、どうだろう? わかんないなぁ。

あ、そうだ。とりあえず謝ろう。


「ルナ、ご…」

ルナに謝ろうとした瞬間、ルナが俺の着ていた服を掴んだ。


何を?


「下がって!」

ルナはそう言うと同時に俺を突き飛ばして、自身の真横に置いていた槍を手に取ると、矛先を壁へと向ける。


「そこにいるのは誰?」

「痛ってぇ~。急に押すなよ。ルナ。……ルナ?」


どうしたんだ?

そこに何かいるのか?

ルナの視線の先に目をやるが何も見えない。


「隠れてないで出てきて!」

「まさか、バレてしまうとは……。私もしっかり隠れたんDEATHけどねぇ~」


ルナの言葉に隠せないと踏んだのか、道化のような恰好をした男が一人、何もないと思っていた所から姿を現す。


突然、現れた道化のような男は左右非対称の仮面を被っていて、右は悲しそうな顔。左は涙を流しながら笑っている顔をしている。


普通なら、道化らしいその姿に恐怖は感じないのかもしれない。


だけど、目の前に立っている道化の男から圧倒的な何かが放たれているせいか、心臓を直接掴まれていると錯覚してしまうほどの恐怖を覚えてしまう。


「……何をしに来たの?」

ルナは槍の矛先を道化の首元に突きつける。


「いや~。血の気が多いDEATHねぇ~。怖い怖い」

「答えろ! さもなくば、この槍でお前を刺す」

ルナの言葉に道化は呆れた様な顔をすると、一瞬にしてルナの背後に回り込む。


「「なっ⁉」」


は、早い⁉


「私はただこのサンプルを回収しに来ただけなのDEATH。なので、あなた方と一戦交える気はありませんよ~」

道化はロドリゲスの死体を担ぐと、こちらを見てニヤリと微笑む。


「ちょっと待て! なんでそいつを……」

道化に近づこうとしたその時、ルナに肩を掴まれた。


「ルナ?」

ルナの方を向くと、ルナは顔を横に振る。


「零、ここは一旦、引こう」

「でも!」

「今ここで、零を守りながらあいつと戦うのは厳しい」

「……わかった」

「賢明な判断DEATHねぇ~。いいと思いますよぉ~。では、私も帰るとしますかねぇ~。『Teleport《転移》』」

道化は高笑いすると、何かを唱えてどこかへ消えていった。


「行ったのか?」

「そうみたいだね」


道化がいなくなった事で緊張の糸が途切れたのだろう。


脚に力が入らなくなり、倒れるようにして地面に座り込む。


「はあ~。なんか疲れた~」

今日の出来事だけでも頭がキャパオーバーしそうなのに、まだやらないといけないことが残ってる。


ルナの顔と瓦礫の海と化している周囲の惨状を見て、溜息を吐く。


さて、これからどうしようか……。

窓から見える綺麗な満月を目にしながら、これからの事について考える。


あー。現実逃避。出来ないかな。



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