第56話

 黒いジャケットに黒いスカート。雰囲気に合う服装で身を絞める。同じように黒を身に纏う人がいる。その人数は去年のこの日、9月16日より一人増えた。

「一年ってあっという間よね。」

 と如紀ちゃん。

「特に今年は大忙しだったからね。」

 と皐奈ちゃん。

「退屈な一年よりはいいじゃない?」

 と睦空。

「そろそろ始まるから静かにして。」

 と緋弥。

 変わらない関係にクスッと笑う私。

 そして、その様子を微笑みながら見守るお父さん。

 その姿は当たり前のことのようだけど、私たちからすれば、稀なことだ。

 父と再会したのは、何年ぶりだろうか。おそらく十年くらい顔を見ていなかった気がする。母が唐突にその命を絶ってから、人との交わりを大切にするようになった。いつ、誰かを失っても、おかしくない。昔から頭に入っていたけれど、今回の件を通し、身に染みて実感した。それだけでも、母の死に意味があった気がする。もちろん、できるのなら時間を戻したいくらいあってはならないことだったと思う。でも、少しでもポジティブに捉えたい。

 お経が読まれる。精神にジーンと訴えかけるような感覚を覚える。何度聞いても、心が浄化されていく気がする。

 お母さんは、決断の瞬間に何を考えていたのだろう。誰を思い浮かべたのだろう。そこに、私はいなくてもいい。彼女にとって一番がそこにあれば、それで問題ない。

 一回忌は順調に進まれていった。

 お寺で儀式をした後は、高級な中華料理のレストランへ。お父さんが予約しておいてくれたようだ。車の中は賑やかだった。まるで、子供の頃に戻ったようで、泣きそうだった。もちろん、実際には泣いていないけど。

 ギリギリになるほど、人で溢れた車内を見渡す。私たちが一年をかけて行った成果はあったのだろうか。時々、そう考える。まだ答えは出ていなかった。

 でも、今なら自信を持ってイエスと言える。少しでも、この車内が埋め尽くされればそれでいい。結果的に私の空っぽになった心を埋め尽くしてくれるから。

 隣で車に揺られるお父さんを見つめる。この人が来てくれた、それだけで私たちが一年間、ありのように動いた理由ができる。褒美が出るわけでもないのに、よくここまで働いたものだ。それは自負している。

 運転席には緋弥。その隣には皐奈ちゃん。そして2列目には、私と睦空。3列目には、如紀ちゃんとお父さん。

 去年は、免許なんていらないと馬鹿にしていた緋弥が運転席にいるなんて笑える。

 まるで、この瞬間を予期していたような広々とした車だ。街中も私たちを受け入れるように輝いていた。

 

 そして、レストランに到着した。店員さんに追随して、席まで移動する。そして、それぞれ着席した。

 満月の机は、幸福で溢れていた。

 睦空が乾杯の挨拶をした。

「じゃあ、手を合わせて。」

 幼稚園児じゃないんだから、そう言いながらもみんな手を合わせた。一瞬だけ、幼かった頃にタイムワープしたようだった。まだお母さんがいた頃に。これから訪れる絶望をまだ味わっていない頃に。

「いただきます。」

 皆の明るく橙色の声が響いた。おそらく天国まで届いただろう。お母さんもこの瞬間、同じこの瞬間に手を合わせてくれていたら嬉しい。

 豪華に盛り付けられ、丁寧に並べられた料理はどれも美味しそうだった、

何から食べようか、そんな贅沢な悩みを持つ。

 皐奈ちゃんは、一番にチャーハンに手を出した。そういえば、彼女の好物はチャーハンだったな。色々なことがありすぎて、忘れかけていた。本当にどれだけ忙しかったのだろう。

 緋弥は、静かに箸を取り、自分のところに回ってくる順番を待っていた。こういうところは見習うべきだ。食にそこまで執着がないだけなのかもしれないけれど。

 如紀ちゃんは、大きな口を開けて唐揚げを頬張っている。その姿はまるで、野生動物のようだった。何か見てはいけないものを見てしまったかもしれない。口を結び、笑いを堪えた。

 睦空はそんな姿を感慨深そうな顔をして見ていた。私はよく誰かを見ている、彼を見ている。そんな状況が多い気がする。しばらくすると、彼も端っこから手を出していった。どれだけ食べても減らないんじゃないか、と思ってしまうくらい大量だった。これ以上ないほどに幸せを感じていた。

 私も負けずと大きな口を開いて、唐揚げを頬張った。あまりにも一口が大きすぎて、喉に詰まりそうになる。そんな私を見て、自然と笑いが起こった。みんなの笑顔がスローモーションに映る。もちろん、その中にお父さんの姿もあった。

「ほら、お父さんも食べなよ。」

 如紀ちゃんは箸で特大唐揚げを摘むと、彼の皿に乗せた。

 父は頷いてから、私たちと同じように大きな口を開いた。そして頬張る。喉に詰まり、水を飲み込む。また笑いが起こった。

 その中心にいたお父さんは、幸福を噛み締めているようだった。もしかしたら、この橙色の世界にも、寂しさを感じているかもしれない。私も完全に忘れられたわけじゃない。一人、怖くなると思い出すのは、やはりお母さんの姿だ。それだけ大きくて、なくてはならなかった存在だったのだろう。

 だから、私は決心した。お父さんが退屈しないように、できる限りのことをしよう、と。誰も賛同しなくても私は続ける。

 もしかしたら、まだお母さんとお父さんを恨んでいる人もいるかもしれない。その恨みは私が想像できないくらいに深いはずだ。私がどうこうできる問題ではないと思う。

 でも、たとえ、間違っていたとしても、ここまで育ててくれたことには感謝しなくてはならない。幸福の瞬間を見せてくれたことには、感謝しなくてはならない。親孝行の一部としてこの思いを受け取ってほしい。

 確かに、二人が出会ってしまったことは、間違いとも呼べるかもしれない。その交わりがなければ、彼らが原因で起きた災いは、怒らなかった。

 でも、奇跡と呼ぶこともできるだろう。二人の交わりがなければ、忘れられないような体験も、生きがいのような幸福も、全て白紙になっていた。

 いつか母が言っていた。

 間違いを正すより、間違いを楽しんだ方が、よっぽど良いって。

 その言葉を信じ続けてきたから、お母さんは幸せだったのだろう。だから、私たちも幸せだったのだろう。


 この幸せが、いつまでも、どこまでも続きますように。手を合わせてそう願う。

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