第45話

「謝るべきだよな。」

 緋弥から電話がかかってきた。一言目がそれだった。何と答えて欲しいのだろう。否定して欲しいのだろうか。

「別に。それで気が済むのならどうぞ。」

 彼は何も言わなかった。洗濯機の賑やかな音だけが鳴り響く。電話を持つ手の負担を感じる。

「悪かったとは思ってる。でも、それ以外に方法がなかった。思いつく限りは。」

 彼は落胆している。彼の声がそれを伝えている。自分の力不足を責めているのだろう。

「わかってるよ。最適な選択だったんじゃない?」

 誰もが納得できるような案を考えることは不可能に近い。そんなことは私だって理解している。でも、せめて少しは反対の態度でいさせて欲しい。

「本当にそう思ってる?」

 わからない。彼が間違っているとは思わない。でも、全てにおいて正しいとも思えない。

「私に正解かどうかを判断する筋合いはないよ。正解だったどうかはこれから決まるんじゃない?」

 私の問いかけを彼は無視した。同意の声も聞こえなかった。

「責めていいよ。その方がすっきりする。嫌なら嫌だって言えばいい。言葉に出していい。聞かなかったことにするから。」

 何を偉そうに。私が許されているみたいではないか。

「馬鹿にしないで。自己制御くらいできるから。それとね、私は別に依存しているわけじゃないの。ただ少し悲しくなっただけ。むしろ、これ以上掘り返さないで。」

 これが私の本心だった。確かに悲しかったし、悔しかった。睦空と話をしたかった。

 できるのなら、睦空が睦空でいられるように、って。私が想像しているのは理想の睦空か。

「なんだ、別に、落ち込んでないじゃん。謝って損した。」

 声色が天と地のように変わった。

「あのねぇ、それは違うから。落ち込んでないわけじゃなくて、八つ当たりしないと気分が落ち着かないほど幼稚じゃないってこと。」

 怒り気味にそう言うと、彼は、はいはいとめんどくさそうに答えた。

「なんで、謝ったの?間違ったことはしてないって思ってるんでしょ?」

 矛盾している。無駄なことはしない性格なのに。

「礼儀としてそうするべきだと思ったから。気持ちなんて一切こもってないから。」

「あっそ。」

 聞いて損をした気分だ。そのまま優しさとして受け取りたかったのに。

「それだけ?」

 うん、と言われたら、また泣くぞ、という雰囲気を醸し出しながら聞いた。

「眠れないから。お前が泣きじゃくったせいで、悪いことをした気分になって全く休養がとれない。」

 結局、自分のためじゃない。深いため息をつくと、笑い声が聞こえた。それになぜか微笑んだ自分がいる。

「一件落着なんて思わないでよ。許したわけじゃないんだから。」

 許さない理由があるわけではない。でも、なんとなく簡単に許してしまうのは、申し訳ない気がした。

「それは一生続くの?」

「私の気分次第。」

 めんどくさ、小声でそう言われた。

 今のは流石に自己中心的な考えだって自覚している。言ってみたかっただけ。

「睦空、しばらくしたら会えると思うから。故意だったし、知人だから、そこまで重い罪は問われないと思う。」

 なんであんたが言ってるのよ。そんな気持ちが邪魔して内容があまり入ってこなかった。

「そうなのね。」

 一生懸命、感嘆したつもりだった。でも、足りなかったようだ。

「何?会いたくないの?」

 その言葉は、障害物に引っ掛からず、心の奥まで迫ってきた。痰が絡み、咳が出る。

「迷惑じゃない?」

 恐る恐る聞いてみる。

「多分、迷惑。俺だったら迷惑だけど。」

 沈黙が流れる。しーん。まさにそんな効果音が流れたようだった。続きを待った。でも、それはいつまで経っても来なかった。

「え?続きはないの?」

「何を期待してるんだよ。」

 説明文ではこの場合、次に逆説が来て、〈筆者の言いたいこと〉の強調になるって教わったのに。

「でも、とかないの?」

「ない。」

 あっさり断られる。あなたに助言を求めた私が馬鹿でした。

「行きたいなら行けばいいじゃん。」

 その言葉はどこまでも真っ直ぐで私が曲がっているようにさえ思えてきた。なんだか、全てが正当化されるような便利な言葉だと感じた。


「でも、現実を知って落ち込まないように先に教えておくよ。」

 緋弥は深刻そうにそう言った。何を教えられるのか、鼓動が高まる。合格発表のときのように。

「睦空は勉強にあけくれる受験生を演じていただけだ。実際には遊びまくっていた。部屋に閉じこもっているときは、ゲームに没頭していて、それ以外は外出して、友達と夜中まで遊んでいた。」

 まるで、緋弥の空想を聞いているかのように、何一つとして現実のものと捉えられなかった。何もかもを聞き流してしまい、頭には何も残らない。

 ただ丁寧に並ばられた事柄を事実として自分に教え込む必要があった。

「それから、お前がみんなに聞き回っていた、一万円札が盗まれた事件だけど、真犯人は睦空だよ。」

 電話を切った。最後の部分が聞こえないように。でも、間に合わなかった。

 どうして?なんで?理解できない部分は誰かに問うという方法でしか、答えを導くことができない。一生、疑問を口にしてしまいそうなくらい、反対色の世界を見ているようだった。

 沈黙は、私を孤独にさせる。少し、ほんのちょっとだけ、感づいていた。もしかしたら、そう思っていた。それでよかった。疑問のままでよかった。答えを知って傷つくこともある。答えを知りたくないときもある。

 

 そして気が付いた。睦空は裏切ったわけではなく、最初から私を騙していた。

 緋弥の言う、私が理想を押し付けているだけ、という憶測の意見に、証拠を足して説得されたようだった。それでも、やはり、信じられない。これに尽きる。いつかは、これを当たり前のように話題に出すことができるようになるのだろうか。それができたら楽だろうが、なんだか少し虚しい。

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