第44話
街灯に照らされ、足を進ませる俺。自分の行動を振り返る。
今まで自分の行いを振り返ることはなかった。間違いを見つけてしまうのが怖かったから。終わってしまったことなのだから、どうしようもない、と自分に言い聞かせ、知らないふりをしていた。
それで後悔したことはない。だから、変わらず続けている。
でも、今回の件は、もやもやする。今までのは大した決定ではなかった。日常の中にありふれる、パッと答えの思いつくような決断。今回は違う。誰かの人生を左右させるかもしれないような重大な決断。
しかし、未だに代替案は思い浮かばない。こうする以外の選択肢はなかった。そう断言できる。なのに、胸が痒くなるのはなぜだろう。望卯の失望した姿が目に染み込んでいた。俺がこうしなければ、彼女が泣き叫ぶことはなかったのだろうか。いや、多分、彼女にとって、もっと卑劣な犯罪者になった睦空を見つめる方が辛いはずだ。
回答を思いつき、解答も返ってきたのに、答えがわからなかった。
どこでいつ何を間違えた?誰か教えてほしい。どうするべきだったのだろうか。
全てがめんどくさい。全てがどうでもいい。投げ捨てて楽になりたい。荷物を下ろして仕舞えば、真っ白になるのだろうか。それとも、また後悔に襲われるのだろうか。
その決断は自分だけで決めることはできない。なぜなら、父さんに全ての行動を課せられているから。父さんの代わりに動いているだけ。まるで父さんの奴隷のようで笑える。馬鹿らしい。
詐欺師だったらしい。だから、自分も騙されているのかな。そんな悠長なことを考えている。
水溜りの中に意図的に入り、靴を汚した。その靴で泥の上を歩く。
でも、自分はそうやって理由をつけているだけなのかもしれない。仕方ないと言いながら、本心で行動をしているのかもしれない。おそらくそうだ。
幼い頃から気がついていた。何かがおかしい。ヒントはいくらでもあった。
少ない労働に釣り合わない膨大な貯金。裕福な家庭。何か不正をしないと手に入れられないような財産。
隠れ家のようで、セキュリティの万全な別荘。二つもいらない。
友達のいない両親。飲み会に誘われない両親。
近所の人からの不審がる目。こそこそとした噂話。
何もかもが繋がりを持っているようだった。そこから、答えを探すように、家の中を探しまくった。家族を試したりもした。
でも、途中で答えを知ってしまうのが怖くなった。一切考えないようにした時もあった。何も知らないふりを続けた。純粋な子供を演じた。
でも、限界だった。就職して家を出る前、密かに父さんに尋ねた。自分が持っている情報を全て伝えた。でも、何も教えてくれなかった。
しばらくして、父さんに用を頼まれた。母さんが亡くなる二日前のこと。彼は何かに襲われているような曇った顔をしていた。まるで、その先にある未来をすでに見ていたかのように。もしかしたら、母さんが亡くなることも予想できていたのかもしれない。
そして、その場で今までの全ての行動を頼まれた。もちろん、匿っていることがバレてしまったのは心外だったが。
父さんの住まいがバレて、その場所を答えるように睦空に強いられたとき、何もかもが狂った。頭が回らなかった。ただ独断で決断できないことはわかっていた。結果的に辿り着く未来は同じだったかもしれない。それでも、過程も大切にしたかった。その過程が誰かに大きな変化ももたらす可能性があるから。
警察に全てを届けるというのは、今まで密かに続けてきた捜査が無駄になる可能性があった。俺らの手で最後まで行うより、ずっと早く結果が出るだろう。でも、速さを求めているわけではない。最後まで自分たちの手でやり遂げたかった。結果を出したかった。自分たちが納得できるような過程で、結果を出したかった。だから、住所を教える方を選んだ。その決断が正しかったどうかはわからない。でも、信じるしか他に方法がないからそうする。それだけ。
夜空の下。街灯の灯りが眩しい。
成果を上げるためなら、自分を犠牲にしても構わなかった。自分の選択で誰かを傷つけるより、簡単に満足を得られる方法だと思っている。もののように扱われても、構わなかった。それで、何かが成功するなら、犠牲も全くいとわなかった。
それは誰にも言ってない。伝えた人が可哀想だから。まるで、自分を救って欲しいと言うかのように聞こえてしまったら、尚更。
それに、時々、自分の状況を憐れだと思う人がいる。その状況を改善させようと手を貸す人もいる。そのままその手を返していた。余分に払った十円玉のように、即座に返した。自分に気を配ってくれる人に、ありがたいとは思っている。でも、それだけ。気持ちだけで十分。これは遠慮ではなく本心だ。
その人たちが、自分が仲間に加わったことで、達成感や満足感を感じることが憎たらしかった。俺の気持ちや考え方は何も変えられないくせに、俺がちょっと身に合わないことをしただけで喜んで、よかったね、と笑顔で振りまきながら言う。勘違いをする人が嫌いだった。その勘違いをいつまでも信じ続ける人も嫌いだった。
このままで問題ないのだから、無理に迎合しなくてもいいだろう。
それだから、いつも独りだった。全く悲しくも虚しくもなかった。それが当たり前だってことにしていたから。人が寄ってくることはなかった。でも、離れていくことはあった。こちらからお断り、なんて言って誤魔化していた。むしろ歓迎するのに。
どんなに物理的に近づいても、何か壁を感じる。誰に対しても。自分とは別の生命体のように。人を理解することができない。人の気持ちがわからなかった。人それぞれだと教えられる。でも、何が違うのかわからなかった。何を感じるのか、教えて欲しい。そうじゃないとわからない。
わかっていても、わからない。そのわかった答えが本当なのかわからない。無限に続くわからないに惑わされる。
発言に責任を感じた。窮屈に生きるようになった。推測の推測をするようになった。
しかし、途中で糸がプツリと切れた。何もかもが無駄に思えた。馬鹿らしくなった。
何もかもがどうでもよくなった。誰かを傷つけることに敏感じゃなくなった。自分には関係ない、の一言で済ませるようになった。他人が痛みを感じたことで自分に害はない。その事実を探し出すのにどれだけ時間がかかったか。
なのに、なぜか、痛かった。心が痛かった。失望する彼女を見るのが痛かった。全身が震えた。その場から離れたいくらいに苦しかった。理由がわからない。行動の全てには答えがあるはずなのに、わからない。
全て仕方なかった。それで済ませてしまえることなのに。それで済ませてしまえば楽なのに。睦空が逮捕されようが、それに対して望卯が泣き叫ぼうがどうでもいい、予定だった。自分の行いを過ちだったと認めせずを得ないほどに、彼女の悲しむ姿は俺の思考を占領した。
睦空との会話を思い出す。
「父さんの居場所を教えてくれ。」
睦空は当たり前のようにそう言った。教えられるわけないじゃないか、そう思った。何があっても暴露するつもりはなかった。
「まあそんな簡単に教えられないことはわかってる。交渉をしよう。」
ニヤリと笑いながら、そう言った彼は気味が悪かった。まるで腐った卵のように。元の睦空とはかけ離れていた。俺は、大事にしたくなかったので、スマホの画面を見つめていた。それで日常の一部として認識させようとしていた。
「もし、隠し通すのなら、今までに見つかっている証拠を全て警察に預ける。」
鈍器で頭を殴られたような痛みを内側から感じた。キーンと鳴り響き、痛みは増した。
感じたことをそのまま言葉に出すのは情けないと思ったので、黙っていた。心の中で憎しみを噛み締めた。味がしなくなるくらい。スマホも放り投げるように手を離した。
「やっぱり自覚しているの?法に触れるようなことだってこと。」
都合が悪いだけだ。自分たちの手で最後まで突き止めたい、その一心だけだ。心の中で返事をした。無視は相手をいらつかせるのに、最適で最も楽な方法だった。頭を使わなくて済む。
「なんで、お前が考えた条件に乗らないといけないわけ?」
一歩近づきながら、そう聞いた。ものを投げるような口調だった。
「こちらの方が立場として強いからね。」
余裕そうに背伸びをする彼が憎たらしかった。でも、取り乱さないように心がけた。不機嫌を外に見せる、なんて情けなくてできやしない。
「じゃあ、こっちだって。もし、警察に全部暴露したら、お前の悪行も全てばらすからな。全員に。」
指を刺しながら、固めに固めた雪玉をぶつけるた。
「別にいいけど。」
睦空はどうでもいいかのようにそう言った。拒まなかった。これでは、交渉の意味がなくなってしまう。もう少し揺さぶるか。
「望卯が知ったら、どうなるかわからないけど、本当にいいのか?」
視線のナイフを向けると、それをクッションで受け止めるように穏やかな瞳が目の前にあった。
「別に、関係ないし。」
幻滅した。多分、望卯以上に俺が幻滅した。その感情は寂しさや虚しさなどを通り越して、怒りに繋がった。
最低だ。言葉には表したくない怒りを心の中に溜め込んだ。睨みつける。
今冷静になって考えてみれば、怒りで埋め尽くすことで判断を鈍くさせたかったのかもしれない。そう信じたいだけ、かもしれないけれど。
「望卯がどれだけ今まで慕ってきたか知らないのか?」
なぜか自分も必死になっていた。
「知ってるよ。」
「それじゃあ、なんで?」
そう聞くと、睦空は表情一つ変えずに答えた。
「いつかは伝えるべきだと思っていたことだから。」
初めっから、そう言えばいいのに。何で紛らわしくするのか。その理由はそれなりに理解できるものだったので、これ以上責め立てることはしなかった。というより、自分がこれ以上、彼の本心に触れて、勝手に傷つくのが嫌だった。
「それで、結局どうするの?」
答えたくなかった。答えるというのは、答えと同時に、自分の真意や本心を垣間見せることだ。それが伝わらないように、気にかける必要があった。基本的な文法を使った。
「それじゃあ、居場所を教える。」
静かに呟いたら、まるで悔しがっているように聞こえてしまうので、いつも通りに喉から声を出した。
睦空は満足げな笑みを浮かべた。その顔を二度と忘れない、そう誓う。
どちらを選んでも、地獄しかなかった。どちらにしろ、同じ末路へ辿り着くだろう。それなら、いいか。考えることを放棄した、ふりをした。
どちらの選択肢も選びたくなかった。それなら、睦空の陰謀を実現させなければいい。何をしてでも止めさせれば、選択しなかったのと、同じ結果になる。
最悪の場合、嘘だとか言っておけば、自分が本心からこの選択をしたと指を刺されても、否定できる。
睦空は俺を引っ張り出し、無理矢理車に乗らせた。もちろん運転席に。
逃げられない状況を作られた。多分、逃げ出したら、警察に全てばらされる。
ただ彼の言う通りに動くしかなかった。
唯一の連絡可能機器であるスマホさえも取り上げられ、何もできなかった。
その場から、父さんの居場所までは、一時間ほど時間がかかる。どれだけ遅く走っても、三十分くらいしか変わらないだろう。目をつけられてまたトラブルを作ってしまったら、めんどくさい。その一時間の間に何ができるだろうか。
「ちょうど、皐奈と父さんのところに行く予定があったんだ。今ここに呼んでもいい?」
彼はだんまりとしていて、簡単にイエスとは言わなかった。視線を感じた。でも、視線を返さなかった。運転中だからあくまで自然な行動だろう。
「ちなみに、口頭での約束だから、証拠としては残っていないけど。」
おそらく次に聞かれるであろうことの答えを先に言った。彼はさらに頭を悩ませた。
約束については半分が本当で半分は嘘だった。確かに、約束はしていた。でも、目的は父さんの家へ向かうことじゃない。まあなんとかしてくれるだろう。
「わかった。」
心の中でニヤリと笑う。決して表には出さないようにした。
皐奈の家の前についた。呼んでくる、とドアを開けると、止められた。一緒に行く、そう言われた。まるで善意でそうしているかのような口調に腹が立った。どうせ監視しただけなのに。目を合わせないようにした。こちらの計画を知られてはまずい。
皐奈は全てを把握しているような顔をしていた。その表情に安心した。
睦空は、皐奈を後部座席に座らせた。皐奈なら大丈夫、そう思い込ませた。
その後、意図的に通行禁止になっている道路の前へ行った。確かに、父さんの家へ向かっていた。でも、気づかれない程度に遠回りをしていた。いつもと異なる道を通った。
こんなこともあろうかと、頻繁に土砂崩れで通行禁止になる道路を通る行き方を用意していた。これは単純に賭けだったけれど。
帰るしかない。そう思い込ませた。
そして、皐奈が何気なく居酒屋へ誘った。安心し切った様子だった。もちろん自分も連れられるように入店した。
酔わせることが目的だったので、とにかく飲ませた。その時、自分は関与せず、隣で見ていた。皐奈に全部押し付けた。でも、俺が何か関与してしまったら、きっと疑うだろう。
睦空は簡単に酔い潰れた。その姿を目に入れるのが怖くなり、そっぽを向いていた。目を瞑っていた。皐奈は、その対応に追われていた。トイレへ行った。そこで鏡に映った自分が、まるで悪者のように見えた。遠くを見つめていたら、いつでも意識を失えるように感じた。皐奈に連れられるように店を出た、睦空の背中が目に映る。たまたま雨が降っていたので、傘で自らの視線を奪った。目の前に布を被せた。ずっと彼の隣で罪悪感に浸り続ける皐奈を置いて。
死刑を執行するときは罪悪感をなくすために、誰が手を下したのかわからないような設定になっているらしい。それと同じだ。自分は直接関わらずに命令をしているだけ。直接関わり罪悪感を負わせられているのは皐奈だ。それに気がついたところで、行うことは変わらなかった。
音を立てて叩きつける雨。聞こえなくなる皐奈の声。振り向く彼女の救いを求めるような視線を妨げる傘のようなもの。全ての動作がスローモーションのように見えた。まるで自分中心で動いていているような感覚だった。
人気のない道路に来た。そこで、予定通りのことを行った。皐奈に警察を呼ばせた。
彼を欺き、計画通りに動かすのは簡単だった。煽り続け、暴力を振るわせれば、こちらの勝ちだ。でも、想像の中に自分の罪悪感で溢れた苦しみは描かれていなかった。そこだけが想定外だった。痛みは雨のように降り注いだ。
やがて、飛んできた警察に無理矢理引き離され、睦空は連れられた。
その姿は醜くかった。でも、それと同時に自分も醜かったことに気がついた。悪者になった睦空より、悪者にさせた自分の方が醜かった。
視界が雨に奪われる。その中でかすかに、目に焼き付けるように映る睦空の小さな背中は、呼吸の仕方を忘れるくらいに、心を抉らせた。彼自身を粘土で一から作り上げてしまったように感じた。お母さんと同じ気持ちだったかもしれない。
鼻を啜る皐奈が見えた。自分が不自然な行動は取らせないように強いた。そのために、彼女は心の中で泣き叫んでいた。その姿は醜くなかった。彼女の行動の醜さが全て自分に振り掛けられた。
睦空が警察に告知する可能性もあった。でも、逆恨みだと認識させるだろう。これからも彼の信用度は下がる。
これでよかったのだ。今更後悔したって意味がない。何も変わらない。無駄なことはする必要がない。そんな薄っぺらい言葉では、自分を丸め込むことができなかった。
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