第43話

 姉から連絡があった。話がしたい、とのことだった。断る理由はなかったから了承して、睦空と通うカフェとは別のものを紹介した。彼との思い出であるあの場所で誰にも会いたくなかったから。それで新しい思い出を作ってしまいたくなかったから。

「突然ごめんね。色々と辛いと思う。私で良ければ相談に乗るよ。」

 どうせそんなことかと思った。偽善者くさい彼女の行動にも腹が立った。私のためを思って時間を作ってくれたのに、彼女を責める自分にも腹が立つ。

「相談も何もないけど。」

 そっけない顔でそう言うと、如紀ちゃんは首をかしげた。

「この間、随分と取り乱してたから、何かあるのかと思ったけど、何もないの?」

 ムカつく。本当は私の気持ちに気がついているはずなのに、そうやって鈍感なふりをする。

「そのことね。迷惑をかけたなら謝るよ。ただ単に少し悲しくなっただけ。」

 嘘はついていなかった。これ以上ないほど簡単にまとめるとこんな感じになると思う。

「迷惑だとは思ってない。もし、睦空のことで傷ついているなら、私も似たような経験をしたことがあるから、何か力になれるかもしれないと思っただけ。」

 彼女は疑心暗鬼になる私に、寄り添うような声をかける。

「望卯が私のことをよく思ってないのは、知ってる。睦空を特別に尊敬しているのも知ってる。」

「え?」

 驚いて声を上げると彼女はクスリと笑った。

「なんで知ってるの?」

 不思議でたまらなかった。彼女に本心を打ち明けたことはないのに。

「顔に出過ぎだからよ。嫌いムードがね。」

 そのムードというのは、本人に気がつかせるほどだったのだろうか。それは申し訳ないが、そこまで傷ついてなさそうだったので、安心した。

「それはごめん。」

「でも仕方ない。って言おうとしてた?」

 図星だったので間抜けな声が出てしまった。そんな私を見て、彼女は再び笑う。

「私名探偵にでもなれるかしら。」

 そう冗談を言う彼女だけど、心は傷ついているかもしれない。そうだったとしたら、いくら私が如紀ちゃんを受け入れられなかったとしても、それは人として自分を疑う。

「ごめんね。色々と。」

「その言葉も本心じゃないのよね。」

 否定できなかった。そんな自分が悔しかった。いくら途中で分かれたとはいえ、友達以上の関係はあったはずだ。なのに友達以下の信頼しか持てない。

「いいの。私だってあなたをそこまで信用していないから。でも、他人でも困っている人がいたら、助けるのだから、あなたに手を差し伸べることは通常なことでしょ?」

 そう言われれば、頷かざるを得なかった。

「じゃあ聞くけど、似たような経験って?」

 彼女は、よくも聞いてくれました、とでも言うかのような顔をして話し始めた。その顔が悪巧みをする緋弥とやはり似ていた。

「緋弥の言っていた軸になる人、というのが本当に存在するなら、私にとっての軸になる人はお父さんだと思う。緋弥と三人で暮らしていたときも、一生懸命働いて私を進学させてくれたり、ごはんを食べさせてくれたりしてくれた。大したことじゃないかもしれない。でも、悲しみに浸っていた私にとって、お父さんの優しさが不可欠なものになってた。」

 思い出すように話す彼女の表情は夕焼けのように切なくて、消えてしまいそうだった。

 緋弥と似た雰囲気に、彼らが兄弟だってことを実感させられる。二人とも、お互いに認め合い、他と平等な関係を築いている。私たちもこうあるべきなのだろう。でも、これはいくら私が貢献したって簡単に実現できるようなことじゃない。

「悪い言い方をすれば、お父さんに依存していた。だから、緋弥に色々と暴かれて、もしかしたらを想像してしまったときは、苦しかった。怖かったし、寂しかった。私の願望とは真反対の方に突っ走る緋弥を憎んだ。」

 気がつかなかった。そんな葛藤をしていたなんて。

 それを乗り越えることができたから、今の彼女がいるのかもしれないと思う。

「多分今の望卯と同じ気持ちを味わった。なんて言ったら怒る?」

 眉をひそめ、くいっとあげながらそう言う彼女を怒ることは不可能だろう。ずるい。

「怒れない。」

 如紀ちゃんは息を吹き返すように笑った。すっかりと彼女のペースにもってかれてしまった。

「意外と可愛いんだね。如紀ちゃんって。」

「意外となんて失礼ね。」

 自信満々に言う彼女は憎めなかった。

 根本的な問題が解決したわけではないけど、少し楽になった気がする。これを彼女に伝えたら舞い上がるかもしれない。でも、言わなかった。

 

 兄弟や家族に興味を持たなそうに見えた如紀ちゃん。でも、その私の想像する如紀ちゃんは、現実と違っていた。誰よりも考えている、そう言っても過言にはならないくらいだ。わかりにくい、誤解されやすい如紀ちゃんだけど、彼女なりの考えがあってその上で言動を起こしているのなら、尊敬すべき存在だと思った。私は彼女を軽侮していた。自分よりも下だと思っていた。でも、それは違う。むしろ、私の方が下かもしれない。


「そういえば、昔、一万円札が盗まれたよね。あの時自分が犯人だって申立ててたけど、嘘だよね。あれ。」

 しばらく返事はなかった。少し時間が経ってから、彼女は思い出したように声を上げた。

「あの時かー。よく気がついたわね。」

 だって、彼女の言うことは確実に不可能だったから。

「なんだか、あのことをきっかけに家族が分裂してしまいそうで、怖かったから、必死に嘘をついた。私から仕方ないってみんな思ってくれるだろうし、何よりも一番みんなの想像通りだと思ったから。」

 哀しかった。そう語る彼女の目は、照明が当たり輝かされていた。

「本当に分裂しちゃうなんて、思わなかったな。」

 それは同感だった。突然すぎて、未だに理解できないくらいだ。大袈裟ではなく、本当に信じられないようなことだった。

 今なら離婚した理由がわかるような気がする。でもわかりたくなかった。

「そうか。私は前科者だから信じられるわけがないよね。」

 彼女は納得したようにそう言った。肯定も否定もできず黙っていた。

「うんともすんとも言えないよね。」

 答えられない質問ばかりを投げかけられる。

「あの時は目的がわからなかった。わざわざ嘘をつく理由。でも、そういうことだったんだね。自分なりに家庭を守りたかったって、かっこいい。」

 それは本心だった。彼女にもそれが伝わったようで嬉しかった。

 如紀ちゃんを見直した。

 

「それで、これからどうするつもりなの?」

 遠くで輝く夕日に照らされながら彼女は聞いた。

「何も考えてなかった。本当に。」

「本当に?」

「まあ一つ挙げれば、緋弥を睦空と同じような目に合わせること。」

 笑いながらそう言うと、彼女も吹き出した。あまりにも自然とにやけてしまっている自分に驚いた。

「わかる。ちょっとさ、腹立つよね。自分が正しい。異論は認めない。みたいな態度。」

 今までないほど、深く頷いた。それが私が言いたかったことだ。やっぱり他の人もそう感じるんだ。少し安心する。

「でも、あの人、自分の意見は押し付けるくせに、誰かに認めてもらえないと不安になるみたいなのよね。」

 正直興味なかった。緋弥がどう感じているかなんて。でもなぜか彼を、哀れに想うことが可能、だった。

「思い込みが激しすぎるから、それゆえに時々ネジが外れたように壊れる。その瞬間を狙うのも一つの手よね。」

 如紀ちゃんは、悪者の笑みを浮かべながらそう言った。目を合わせてニヤリと笑う。


 自分が何をしたいのか、わからなかった。一人家に帰り、悩み続けても、わからなかった。

 その場合、何もしないというのが正解だろう。後悔もきっと残らない。


 自分が誰に不満があるのか、わからなかった。大元を考えれば、全て睦空のせいにできる。でも、やはり自分は彼を責め立てることはできない。私が私の理想を彼に押し付けることで、勝手に自分で傷ついてしまっただけなのだ。

 緋弥は、如紀ちゃんも言っていたけど、責任を感じてその場その場の最適な選択肢を選んできたのだろう。私が彼を責める筋合いはないと思った。

 如紀ちゃんは、何もしていない。緋弥に加担するわけでもないし、私の味方についてくれているわけではない。何も向けられない。

 最後に残るのは皐奈ちゃんだった。正直、彼女への私のイメージは落ちた。私の中で、いつもニコニコ笑い、誰かを傷つけるような言動は一切しない、そんな皐奈ちゃんのイメージが作られてしまっていたのだろう。また、理想を押し付けないで、と怒られるかな。

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