第37話

 ある朝、兄弟のグループメールの履歴を辿る。突然思い出したことがあるのだ。求めているメッセージを見つけ、写真に残した。

 朝ごはん中だったため、パンを加えていた。誰かが見ていたら、すごく間抜けに見えただろう。


 次の週末、再び皆で集まる。すっかりと、これが休日のルーティンになっている。それぞれ定位置に座った。皆が着席したのを確認してから、口を開く。

「思ったんだけど、軽井沢の鍵は如紀ちゃんが持ってたよね。よく行くの?」

 まるで警察官になったような気分で、そう言った。如紀ちゃんは慌てる様子を見せなかった。でも、内心焦っているはず。

「最近はあまり行かない。」

 それは嘘だと、私は知っている。ニヤリと笑う。

「でも、去年の春に行ってるよね。」

 そう言って、昨日、写真に収めた彼女のメッセージを見せる。「今、軽井沢で猿が急増しているから、気をつけてだって。今朝も発見。」そんな内容と添付された猿の写真。

 彼女は深いため息をついた。その様子を緋弥と皐奈ちゃんは眉を顰めながら見守っていた。

「確かに行った。疑われると思ったから、黙ってただけ。何も責められるようなことはしてない。」

 彼女は必死だった。誰だって疑いをかけられたらそれを晴らすために働く。自然なことだった。

「疑ってるわけじゃない。ただ、そのときに箱がすでに存在していたのか、していなかったのか、教えて欲しい。」

 こちらも必死だった。確かに半分疑っていたけれど。これくらいの嘘は許して欲しい。

「記憶の限り、なかったと思うわ。でも、確証はない。」

 真剣な瞳に、嘘は書かれていなかった。それに安心したけど、なんだか希望を失ったような気もする。

 確かに、あの草木に囲まれた箱が隠されていたところを、いちいち見ることはない。

「わかった。ありがとう。」

 如紀ちゃんはホッとしたように息をついた。

「本当にそれだけか?」

 先ほどまで黙っていた緋弥が口を開く。瞬きをして、鋭い視線を如紀ちゃんに向ける緋弥を見つめる。空気を凍らせるような厳しい声だ。

「そう。」

 如紀ちゃんは目を逸らしながらそう言う。この静かさはどんなうるさい音よりも耳に鳴り響いた。

「じゃあ、何で目を合わせないの?何で、手が震えているの?」

 突き放すような冷たい声と視線が放たれる。如紀ちゃんは目を震わせていた。私は皐奈ちゃんと目を合わせる。何一つとして動かなかった。まさに時が止まったように見えた。しかし、時計は規則正しく動いている。

 如紀ちゃんは涙目になり、やがて、観念したように目を閉じてから口を開いた。

「それだけじゃない。私が最後に軽井沢に行ったのは、九月の中旬の頃。お母さんが亡くなる二日前。」

 皐奈ちゃんは温かい目で彼女を見守っている。私もそれに合わせた。でも、緋弥は冷たい視線を送り続けた。

「そのときの家は酷かった。窓は破られて、本が散らかっていて、台所は荒らされてて。多分盗まれたものもあると思う。まるで泥棒が入ったような様だった。」

 驚いた。そんな事実、初めて耳にしたから。

「そのときに見つけたのがあの箱。周りの草木も隠すように倒されていて、花も茎から投げ出されていた。何があったのかと思った。」

 皆神妙な顔をして聞いていた。今まで全く知らなかったことばかりなので、耳を大きくして聞いていた。

「でも、私たちがお葬式の後に捜査をしに行ったときは、元通りじゃなかった?」

 特に違和感は感じなかった。いつも通りの家だった。まさか泥棒が入った後だなんて、考えもしなかった。

「私が片付けたの。証拠も全て洗い流した。なかったことにした。」

 彼女は、水道から止まらずに流れ出す水のように、サバサバとそう言った。

「なんで?」

 大体予想はついた。

「疑われると思ったから。」

 彼女は隠し通すことを諦めたようだった。堂々としていながらも、明らかにいつもとは様子が異なっていた。語尾は聞こえないほど声が小さくなる。

「私がしばらく鍵を持っていたんだもの。」

 確かに、開放感のある周辺の別荘とは違い、うちはセキュリティがしっかりとしていた。鍵がなければ、家はもちろん、庭にも入れなかった。この状況で家や庭に入ることができるのは、如紀ちゃんだけだ。

「つまり、如紀以外、誰も立ち入ることのできない家に、何者かが入り盗みを働いた、ってこと?」

 緋弥が簡単にまとめた。

「そう。」

 怪訝そうに皆が視線を合わせる。それに気がついたのか、如紀ちゃんは声を張り上げて、視線を散らせる。

「それから、あの車の跡は私が多分つけたもの。タクシーで家まで送ってもらったことがあるから。疑いを擦りつけるつもりはなかったけど、結果的にそうなっちゃってごめん。」

 皐奈ちゃんは首を横に振る。一方で、緋弥は反応を見せなかった。

 その後、如紀ちゃんは仕事があるから、と言って去った。でも、もしかしたら居心地が悪かったから帰ったのかもしれない。

 

「さっきは言わなかったけど、正直、如紀ちゃん以外、不可能、だよね。家に入るのは。」

 皐奈ちゃんは申し訳なさそうにそう言う。

 彼女が私の言葉を代弁してくれているように、全く同じことを考えていた。彼女以外あり得ないのだ。自作自演としか考えられない。

「多分そう。」

 緋弥も同意した。私も頷く。これで三票集まる、と思った。

「一見不可能だけど。なんだろう。信じられない。」

 その緋弥の意見に、思わず、は?と言いそうになる。

「これは、感情が邪魔しているのかもしれないけど、如紀はやましいことはしてないと思う。」

 静かにそう言った緋弥を睨んだ。他に足がついていないような曖昧な発言に腹を立てる。理性的な彼には珍しいことだ。

「なにそれ。あなたが言ったんじゃない。平等な目線で見ろ、って。」

 吐き捨てるようにそう言う。でも、彼は顔色を一つも変えなかった。

「確かに言ったけど、それとこれは違う。如紀は、嘘をつかずに真実を伝えた。」

 キッパリと自信満々にそう言う緋弥。

「嘘かどうかなんてどうしてわかるの?」

 噛み付くようにそう言った。

「態度とか喋り方とか。」

「結局直感じゃない?そんなの信用できない。」

 矛盾している。私が私情を挟んだら、責めるくせに自分はいくらでも挟むの?

 腕を組み、怒りを全面に出した。皐奈ちゃんはどうしていいのか分からず、おどおどとしていた。

「これは勝手な想像だけど、箱の中には父さんの犯罪の証拠が入っていたんだと思う。これだけ探しても見つからないし、土に埋めたのなら納得できるから。それを取り出したってことは、訴えるつもりなのかもしれない。」

 その瞬間、心臓が引っ張られたような衝撃を感じた。緊張しているときの感覚に近い気がする。その犯人が、この兄弟の中にいるという事実に恐れる。

「如紀がそんなことをするようには思えない。」

 呆れたようにため息をつく。だから、それはあなたの私情を挟みに挟みまくった意見じゃない。

「私は如紀ちゃんが一番怪しいと思う。」

 それは本心だった。彼は幻覚を見ているように感じてくる。

「皐奈は?」

 彼は静かに聞いた。

「私もこの状況だと、やっぱり、、」

 緋弥は目を伏せた。しかし、妙に納得したような表情を見せた。

「まあそうだよな。どうせ別々だったんだから、お前らにあいつのことがわかるわけがない。」

 彼は晴天に大雨を降らせた。波に乗せられる船が荒ぶるほどに。

「そうだよ、わからない。」

 私もその荒ぶる船に乗る。

「やめて。私たちは一緒だったじゃない。」

 その船を止めようとする皐奈ちゃん。でも、すでに出発した船は誰の手の届かないところまで来てしまっていた。

「こんなにも綺麗に分かれるものなんだ。」

 彼も呆れたようにそう言う。

「本当ね。」

 私も嫌味のつもりでそう言った。

「こうなることは初めっから、わかっていたのに、なんで始まっちゃったんだろう。馬鹿らしい。」

 わかっていた?ってどういうこと?

「それってどうゆう意味?」

 彼は滑ってしまった口を押さえてから、再び口を開ける。

「父の捜索を口実にしてずっと母さんと父さんのことを探っていた。それが一番の目的だ。初めから。」

 鉄のように硬いその言葉に引き下がる。

「初めからっていつから?」

 皐奈ちゃんは鋭い質問を入れた。単純に考えれば、母が亡くなったときからだろう。

「いつだろう。」

 誰も映らない視界に問いかけるような、寂しい表情とぼんやりとした声は、誰にもその先を問わせなかった。

 沈黙が場を支配していたとき、物音が鳴った。注目はその物音に移る。

「ごめん。隠れて聞いてた。でも、これが本心だってことだよね。」

 ドアの向こうから顔を見せる如紀ちゃん。間違いなく彼女を傷つけたのに、全く焦らなかった。むしろ、間接的に思いを伝えられてよかった、とまで感じていた。

「そう。」

 完全に戦闘態勢に入っている。

 如紀ちゃんは一つ瞬きをすると、部屋を後にした。

「何を間違えたのかな。」

 その言葉が心に残り続けた。

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