第35話
翌る日。昼食を終わらせてから、待ち合わせをした。かしこまった格好をしていく。黒いスカートを着てきてしまったが、間違いだったかもしれない。スカートは日光を集め、過剰な温もりを肌で感じる。
「ごめん、おまたせ。」
緋弥は気がつくと目の前にいた。服のテイストがあっていたので安心した。
お昼に食べたたこ焼きがまだお腹の中で存在をアピールしている。
オレンジ色の街中に足を踏み入れる。その途端、日差しの攻撃を受ける。もう真夏は過ぎ去ったというのに、暑さだけはまだ残っているようだ。
「電話でのこと、気にしてる?」
電話でのこと、というのは、父の迷言のことだろう。証拠もないのに、勝手な意見をばら撒かないで欲しい。
「当たり前でしょ。」
あえて冷たく言った。空気を濁したいわけではないが、それだけ他人の心に宿るようなことをした、ということを自覚して欲しい。
「気が楽になったって言ったら怒る?」
その聞き方はやめてほしい。怒るといのは、突発的な発言に対して抱く感情であり、常に怒りをぶつけることは恨むというのだろう。
「さあ。」
しばらくの間、車の走る音がよく聞こえるようになった。
「悪かったとは思ってる。でもこっちだって不本意で耳にしてしまったことだから、被害者の部類なんだ。」
そんなことはわかっている。
「悪影響の連鎖を続ける必要はないじゃない。」
私の意見が自己中心だったこともわかっている。でも皆そんなものだろう。私も普通だろう。
緋弥は何かを言おうとしてやめた。
「いらないことは教えてくれるのに、どうして重要なことは教えてくれないの?」
疑問をぶつける。彼なりの考えがあるのだろう。
「それが適切だと考えるから。」
目を合わせなかった。彼の悲壮に浸った目に飲み込まれてしまうと思ったから。
知ってる。私なんかより胸が痛さを感じているのは、彼だってこと。それでも、気に食わないことをされても相手を許せるほど、心が広いわけではないから、良くは思えない。
「私もあなたの気持ちはわかってる。簡単に理解するな、って思われているかもしれないけど。ごめんね。」
流石に自分勝手すぎたので、謝っておいた。これは本心だった。
「いいよ、別に。そっちにだけ非があるわけではないし。」
随分と偉そうじゃないか。こっちだって気持ちを落ち着かせるのに一晩を費やしたんだから。思考が必要以上に迷惑なほど巡り、とんでもない想像が広げられてしまった。
「なんで私に言ったの?なんで私を信用したの?」
これは前にわからない、と返答された質問だ。また同じような結果になるかもしれないが、念のため聞いておいた。
「なんだろう、勘?」
なんだ、そんなものか。ならいいや。
「ふーん。」
興味なさげにそう言う。彼はムッとしたようだった。会話は中断されたと思った。でも違ったようだ。
「嘘。何も考えてなさそうだから。」
無邪気な笑顔を彼は見せる。
「なによそれ。馬鹿にしてるの?」
そう反発すると、さらに笑顔は花を咲かせた。
「良い意味だから、大丈夫。」
良い意味だからオッケーというわけではない。でも、なんだか少し嬉しかった。なぜだろうか。
何も考えてないわけではない。そこまで、頭が優れているわけではないから、発想力に欠ける部分もあるかもしれないが、これでもベストを尽くしているのだ。なんて弁解しても、多分わかってくれないだろうな。
代わりに
「一人で背負ってない?」
と心配そうに声をかけた。遠回しに聞くより、服を着せずに直接伝える方が良い。誤解を生まずに済むから。
「わからない。でも、苦しくないから大丈夫。」
わからない、ばかりだ。でも、嘘を言われるよりはずっと良い。
いつものように遠くを見つめる彼が眩しかった。その光は太陽というより、月に近い。
「うわ、懐かしい。」
幼少時代を過ごした家。思い出の中から決して切り離すことのできない家。堂々とした佇まいが誇らしかった。
視線を感じる。その視線を見つめ返すことはできない。
「お隣さんだったはず。」
そう言って彼はインターホンを鳴らす。もし違っていたらどうするつもりなのだろうか。
瞬きをして、返事を待つ。
「はい。」
「突然すみません。東京新聞の記者です。お伺いしたいことがあるのですが、今、お時間頂いても大丈夫でしょうか?」
咄嗟についた嘘なのか、以前から考えていた嘘なのか。どちらでもいいか。
横を見ると、片目を瞑って悪い顔をする、緋弥がいる。
誰も傷つかない嘘ならいいか。
「大丈夫ですよ。今開けますね。」
胸を撫で下ろす。
「はい、これ名刺。」
そう言って渡された名刺を見下ろす。東京新聞の文字がはっきりと印刷されている。全く知らない人の名前も書いてある。計画的な嘘だったか。
「こんなことしてバレたらどうするの?」
「友人がいるんだ。その人になりすましてるだけだから大丈夫。」
これは大丈夫なことなのか?その相手の了承を得ているのならまだいいか。なんだか申し訳ないが、少し安心する。
重そうな扉が開く。優しそうな面影を持つ、五、六十代くらいの女性が顔を見せる。
「突然すいません。」
一応謝っておく。
彼女は私たちを中まで案内してくれた。木のほのかな匂いが漂う。軽井沢の別荘に似た匂いだ。私が好きな匂い。
ダイニングに案内される。彼女は椅子に腰をかけた。私たちも続いて座った。
「早速ですが、お隣の繁田さんについて、何かご存知ですか?」
自分の苗字をさん付けで呼ぶのは違和感がある。私は計画を説明されていないので、それらしい顔をして彼女の表情を追っていた。
「そのことね。それなら噂程度のことなら知ってます。」
どんな噂だろう。気になる。
「あまり広めないで欲しいんだけど、」
彼女はそう前置きをした。記者に広めるな、というのは無理があるだろう。
「ちょっと、あんまり良くない人らしいの。詐欺師とか言ってたかな。」
覚悟はしていた。でも、周りから見る両親は、やはり、良い者ではなかった。落胆しながらも、先が気になるため、耳を凝らす。 「具体的に何か聞いていませんか?」
静かな声を響かせる緋弥を横目に見る。希望を失ったような私と同じ顔をしている。
「確か、片方は警察の人だって。職務上、というか一般的にも不法だと思うけど、愛には勝てなかったってね。」
事を大きくしないように冗談混じりで話す彼女がなんだか憎たらしかった。彼女は事実を話しているのかもしれない。多分そうだ。でも、これは私個人の感想だけど、余計な装飾がさらに怒りを深くする。
その後も経緯などを詳しく聞いた。でも、重要になりそうな噂はそれ以上なかった。
きちんと礼をしてから去る。
「想像してたけど、やっぱり落胆するものだな。」
激しく同意した。目の前でぶつけられる言葉は、頭の中で登場する言葉よりも、重みを増す。
「もう二度と聞きたくない。」
その願いはおそらく叶わない。
「また、必要のない苦しみを押し付けた?」
肯定も否定もしなかった。ただ風景の一部になっていた。
「まだこれからだ。」
決心し切ったような硬い目は、まだ覚悟を決め切れていない、私をおいていく。
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