第33話

 ピンク色のレースがついた服を見に纏い、街中のカフェへ出かけた。幼い頃に憧れていた女性の服装だ。コーヒーが似合う紅葉のような女性。

 重たい扉を開けると、レトロな雰囲気のお店が中に広がっている。観葉植物も置いてあり、理想的な空間だ。

 先に入店していた睦空が片手を上げ、場所を伝える。

 目を合わせると早足に彼のところへ行った。

「久しぶり。」

 彼はそう言うと、変わらない笑顔を振りまく。私はこの笑顔の虜になっているのかもしれない。

「最近はどう?変わらない?」

 すでに頼んでおいてくれたコーヒーをさりげなく私の前へ置きながら、彼は聞いた。

「うん。仕事、毎日大変だけど、頑張ってるよ。お兄ちゃんは?」

「問題なく。」

 そう言って微笑を浮かべた。

「なら良かった。」

 なんて思わせぶりなことを言ってしまったかな。

 コーヒーの苦い香りが私の中で広がる。この苦味にも大人を感じた。

「捜査の方は?」

 彼は目を逸らしながら、静かにそう聞いた。

「色々あるけど、まあなんとか。」

 誤魔化してるつもりはないのだが、話すと長くなってしまう。彼はこの話題に興味がないだろう。だからざっとまとめたら、誤魔化しているように聞こえてしまったかもしれない。

「色々って?」

 よくぞ聞いてくれました、と言うかのようにベラベラと喋り出す。

「一番は、緋弥がお父さんの無事を知っていながらも黙ってたこと。本当に騙された。」

 今でも怒りが溢れてくる。皐奈ちゃんの涙を思い出して泣き悔やんで欲しいくらい。

「無事だったんだ。よかった。」

 そうだ。まだ睦空には伝えていなかった。

「ほんと。それはよかったんだけど、なんか、私たちに言えないことがあるらしいの。それで、結局お父さんの居場所はまだ知らない。」

 教えてくれたって良いのに。私たちだって流石に黙秘するよ。

「信用されてないのか。」

 彼は苦笑しながらそう言う。ほんとに兄弟だっていうのに。

 目を合わせて笑った。なんだか、そんな信用できない私たちが馬鹿馬鹿しくて。

「それにあの人、免許持ってたし。お父さんに食料を届けるためとか言って。召使いですか、って感じ。」

 わざわざ免許を取得してまで、お父さんに献身する理由がわからない。取得するにはお金も時間もかかるのに。

「そうだったんだ。」

 彼は驚いていそうで、案外驚いていなさそうだった。

「親孝行が過ぎるような気もするけど。」

 なるほど。これは親孝行なのか。勝手に納得してしまった。

「そうだよね。ここまでやるの、って思う。」

 笑いながらそう言った。しかし、一度尊敬してしまった限り、馬鹿にすることもできない。


 その後も何気ない会話が続いた。昔を取り戻したようなこのひとときは、永遠のようで一瞬だった。私たちを軸に時間が歪んでいるようだった。


 だんだんと日も落ちて、人気がなくなってきた頃。

「僕が捜査から抜けた理由は、本当は仕事じゃない。」

 突然のことだった。今まで一円にもならないようなたわいもない話ばかりをしていたので、唐突に重大そうなことを言われても、心の準備ができていない。

「じゃあ、なんで?」

 私はそう聞くしかなかった。その方が彼が楽に答えられると思ったから。

「逃げたんだ。」

 彼からそんな弱々しい言葉が出てくると思わなかった。そう言う彼の声は、静寂を断ち切るような鋭さもありながら、震えるような鈍さもあった。

 彼の顔を照らす夕日は、静かに彼に勇気を与えているようだ。

 優しい目を向けている、つもりでいる。

 口を結んで、彼の次の一言を待った。

「怖かったんだ。」

 先ほどに増して、声が震えている。全身の震えが声に現れたようだ。私はどうすればいいのだろう。彼の震えを止められる、温かい毛布となる言葉が見当たらない。

 彼の顔の横から溢れ出す夕日が、彼が今まで抱いてきたもののように見える。

「前に言ったでしょ?昔の記録が割と残っているって。」

 静かに頷く。邪魔にならないように。

「父さんと母さんの明かさないような記憶も残っている。残酷な答えが待っている、というのが頭に入っている上で、その答えを導く謎解きをする勇気はなかった。」

 彼の言葉は全て真実だと思わせるような説得力がある。真剣そうな瞳もそのうちの一つだろう。

「なんかごめんね。睦空ばっかり辛い思いをしてて。私は何も助けになれなくて。」

 謝ることしかできなかった。それが、彼を慰める最適な方法かどうかもわからないのに。

 彼は私の謝罪を受け取った。

「僕は、操作を中断させることを勧める。」

 彼の助言をしっかりと受け止める。その上で、答える。

「私はやめない。私だけ何も知らないでいるのは、睦空に悪いから。分かち合えれば、何か希望が生まれるかもしれないし。」

 彼は止めなかった。半分呆れたように、笑いという息をこぼした。なぜ彼は笑顔を見せるのだろうか。

「じゃあ、頑張って。」

 他人事のようにも聞こえるが、それがちょうどよかった。

 永遠に思えた時間は幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る