第28話

 案の定、姉はソファで横になっていた。その姿を睨んでいたのは緋弥だけだった。

「これ全然終わらないね。」

 シーンとした空気を壊したくて、そんなことを言った。

「こういう時こそ団結すべきだよ。みんなで一つになって頑張ろ、あと少し。」

 皐奈ちゃんの真っ直ぐな言葉は時々、真っ直ぐすぎて曲がって聞こえることがある。それは、私が曲がっていて、真っ直ぐな直線を見るのを拒むから、なのだろうか。

「それなんだけどさあ、みんな一つって綺麗事言ってるけど、一つじゃないんじゃない?」

 姉が嘲笑しながら言った。その場の空気が一気に固まるのを感じた。何か言った方がいいのだろうか、と皆が考えただろう。もちろん私も。また余計なことを言う。

「あんた、知ってることあるでしょ?」

 お酒に酔わされた姉が、不良の絡みみたいに睦空に問いかける。

 え?と彼は怪訝そうな表情は見せた。

「ないよ。」

 彼には珍しい否定させないような強気な言い方にドキッとする。

 如紀ちゃんは鼻で笑った。空気を少しでも元に戻したいと願う私たちの努力も知らずに。いつもそうだ。

「へー、自分は関係ありませんって?ふざけないでよ。」

 ヒートアップする姉。それに嫌でも乗らないと、自分を食い止める兄。

「飲みすぎだ。望卯、ベッドに連れてってやれ。」

 はーい、と返事をして、姉に近寄る。

「やめて。」

 急に払いのけられたものだから、驚いた。私に冷たくあたるのは昔から珍しいことではないけど、いつもより強い口調にビクッとする。

「逃げないで。言いなさいよ。」

 強制するような言い方だった。姉は兄から目を離さなかった。しばらく兄は黙っていた。自分が不利になる条件に、相手の誘いよって乗るなんてことを普段しないはずの兄だった。しかし、今回は堪忍袋がついに切れてしまったようで、口を開いた。

「何もないよ。」

 なんだ、と気が抜けてしまった。少し気になってしまっていたからだ。

「あっそう。」

 彼女が兄を睨んだ。一触即発なこの状況に誰も口を出すことができなかった。

「ベッド行けって言われたんで、寝まーす。」

 嫌味っぽく姉が言った。空気はまだ静まり返っていた。

「姉ちゃん、酔いすぎだろ。」

 緋弥が空気を和ますためか、そんなことを言った。

「空気怖すぎて痺れるかと思った。」

 皐奈ちゃんも続けて言った。

「気になってるよね。何を隠しているのか。」

 睦空が何ともないような口調で言った。

 言わなくてもいいよ、そう言ってあげたかった。多分思い出したくないようなことなのだろう。でも言えなかった。だって気になって仕方ないから。

 兄弟だから、なのか私と同じで誰も声をあげなかった。悔しかったけど、やはり止めてあげられなかった。

「これから言うことで多分みんなを傷つける。ごめんね。でもいつかは言わないとだって思ってたから。」

 姉に迫られたあの場面では言わなかったところが兄らしい。負けず嫌いなところが。

「お母さんとお父さんは再婚している。」

「え?」

 私と皐奈ちゃんは思わず声を上げた。

「そうなるよね。でも本当なんだ。この僕の記憶が保証をしているから。」

 なぜか悔しそうに聞こえた。

「つまりはね、僕たちは厳密には同じ血を受け継いでいない。」

「そんな、、。」

 再婚している、と聞いたときから、そのもしかしたら、を想像していた。しかし、事実と知ったときの衝撃はやはり大きかった。

「元々は僕と望卯は母さんの方と、如紀ちゃんと緋弥お父さんと過ごしていた。それで、皐奈ちゃんは、二人の子供だ。」

 目を見開いた。衝撃の一言しか出てこない。

「そんな気がしてた。」

 緋弥はボソッと呟いた。

「まず、俺と望卯が同い年で兄弟って時点で疑うべきでしょ。」

 言われてみて気がついた。いや、違う。考えないようにしていただけだ。

「そうだね。」

 そう肯定した。

 今ここで言葉としてその事実が現れなければ、その事実は私の中で隠し通すことができたのに。


 睦空の言葉を思い返す。彼の言葉は私と兄と母だけの生活があったということを示していた。幼い頃の記憶に姉が映らなかったのは、そのせいなのだろうか。しかし、思い出という思い出は、全く覚えていなかった。そのことがとてつもなく悔しかった。一人悔しがる私を見つけた兄が寄り添い話しかけてくれた。

「覚えてないよね。まだ二歳、いや三歳だったかな。」

 彼は優しい目で私を見つめた。その瞳は壊れてしまいそうなほど傷ついていた。

「辛いこと思い出せちゃってごめんね。」

 兄は何ともないというかのように微笑んだ。

「消したい記憶だった。本当のことを言えば、消したくない大切な記憶だった。でもね、別の生活が始まるときに両方を持ち続けてしまったら、きっと寂しくなると思ったから、消したい記憶にした。でも忘れられなかった。親の前では忘れたことにしている。その方が困らないだろうから。」

 共通の思い出を共有することで、懐かしさを共に感じることが私にはできたはずだ。それによってこの苦しみから解いてあげることだってできたかもしれない。なのに、なぜ覚えてないのだろうか。

「ごめんね。」

 その謝罪を彼は否定しなかった。やはり私には覚えていて欲しかったのだろう。ごめんね。もう一度心の中で繰り返した。

「それから」

 兄が再び皆の方を向いた。

「僕はこの捜査から抜ける。ちょっと仕事が忙しくて、悪いけど、時間が取れないんだ。」

 IT系の仕事をしている、と言っていた。忙しいのも仕方ないことだろう。私は頷きながら皆の反応をチラリと見た。

「わかった。」

 意外にも緋弥は冷静だった。それを予想していたようだ。少しは悲しみなさいよ。

 じゃ、と兄は席を外してしまった。


 翌日。

「ごめんね。昨日は。」

 姉が私に言った。わざわざ私の部屋に来てくれたようだった。

 首を横に振る。私が迷惑を受けたわけではない。どちらかと言えば、迷惑を受けたのは兄の方だろう。

「結局、あの人認めたの?」

 今度は首を縦に振る。

「そうなんだ。やっぱり。私の予想当たってたんだ。」

 自信満々に彼女は言った。

「気になってたんだよね。あの人さあ、お母さんには母さんって言うくせに、お父さんにはお父さんってちゃんとおをつけるんだもん。」

 その言葉に驚く。

「如紀ちゃんの記憶に残ってたわけではないの?」

「まっさかー。ちっちゃいときの記憶なんて残ってないよー。」

 そんなわけない、と言う姉に驚く。その割には大分自身のあるような言い方だったけれど。

「でも、お父さんをパパって呼ぶのはしっくり来るのに、お母さんをママって呼ぶのはなんかしっくり来ない。だから不思議には思っていたのよね。」

 それは、私にも共感できる部分があるかもしれない。姉とは、真反対の位置にいるけど。

「それと、お兄ちゃんはこの捜査に参加しないらしい。」

「なんで?」

「わからない。」

「逃げたのね。根性なし。」

 酷い。酷い言い方だ。努力できる人を暴言で傷つける行為というのは、許せなかった。

「お兄ちゃんは根性なしじゃない。受験だって頑張ってたし。」

 思わず言い返した。

「いや、逃げたのよ。」

 逃げたのかもしれないけど、それは仕方ないことじゃない?

「まあ、いいわ。」

 どこまでも偉そうな姉だ。

 

「私ね、こんな感じだけど、意外と周り見てるのよね。」

 自分で言わないよ、普通は。自慢げに言う姉を横目にそう思った。

「あなたも、ちょっとは周りに関心を持ったら?」

「なにそれ」

 まるで、私が自分自身にしか関心がない、とでも言うような言葉に腹が立つ。

「そのまんま、だけど?」

「なんでよ?私だって一番みんなのこと見てる。あんたの方が自分勝手じゃない?」

 思いのまま言葉の攻撃をした。あんた、なんて普段は言わないのに。

 また姉が怒り出すかと思い覚悟していたが、意外にも姉は冷静だった。

「そんなに怒るってことは、自覚があるんじゃないの?」

 その通りだけど?だからなんですか?

 だから、だから努力をしてるじゃない。

「ない。ないけど?」

「周りの空気を読んで、本心を隠すのと、周りに関心を持つ、というのは別物よ?」

 睨んでいた目が緩んだ。動揺をした。でもそれを隠した。

「あっそ。だから?私だって自分にできることをしてるの。あんたなんかに、指摘される筋合いはない。」

 本心だった。自分なりに努力している。それを努力もせず、他人に責任を押し付ける人なんかに言われなくない。

「じゃあ努力するものを間違えたのね。空気を読む努力なんてある程度を越したら必要ないわ。むしろ悪影響よ。もったいない。」

 思わず目の前にあったグラスを投げつけそうなってしまった。そんな馬鹿げた真似をするわけにはいかない。すぐに気持ちを落ち着かせた。

「アドバイスをありがとう。」

 ブサイクな笑顔を作った。冷たい目で笑い、頬を吊り上げる。

 その場を去った。これ以上いても、口喧嘩が発展するばかりだ。そんなことに時間を割く必要はない。


 一人で部屋に篭り、考える。

 認めたくないけど、多分、姉が言ってることは正しい。私が行っていることは間違っている。誤った方向へ進んでしまったのだろう。

 姉が言いたかったこと、それは、周りに流されないで、自分をしっかりと持て、ということだろう。それに装飾品がついて、実質がわからなくなってしまっていただけだ。あの人は素直じゃないから。

 大家族だったから、だろうか。幼い頃から自分の意見をはっきりという性格は持ち合わせていなかった。それを特別にコンプレックスに感じたことはあまりなかった。変に自分に正直になって、所謂、浮いている人たちよりかは幾分かマシだと感じていた。それも誤っていたのかもしれないけど。

 自分から自分を隠す方向へ突っ走って行っていたわけではない、と感じていたが、何度も回数を重ねるうちに慣れて上手くなっていってしまったのかもしれない。

 衝撃的な告白を聞いて、姉との距離を感がていた中で、あんな酷い言い方をされてしまったものだから、割と良いことを言っていたのに突き放してしまった。多分、私のために助言してくれたのだろう。それが事実だったために図星をつかれたように、腹が立ってしまった。

 反省していた。しかし、謝りに行こうとは考えない自分に少しだけ腹がたった。

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