第198話 人生哲学
「と、まぁ、建物の案内はこれくらいだね。訓練は明日からだからね、今日はゆっくり休みな。」
「そうします。」
婆さんの気配が完全になくなったところで、個室のソファに座り込む。どうやら一人一人に個室が与えられるようだ。食事も届けてくれるようだし、至れり尽くせりだ。まぁ、反逆されたら手に負えないだろうし、手厚くもてなすのは当然か。
「盗聴器の類は仕掛けられていません。防諜体制は万全です。」
「…ハァ〜。」
「お疲れですね。」
「それな。人と話すのってやっぱりしんどいわ。」
「すぐそういうことを言うんですから。」
「しょうがないだろ。本当にそう思うんだから。」
俺って社会不適合者なのかな? でも敷かれたレールから踏み外したことはないしなぁ。
「それにこの腕輪と首輪、何とかならねぇかな。うっとおしくてしょうがない。」
「まぁ、訓練ですよ。人体に悪影響はありませんから。それに外せば警告音が鳴るので外せません。」
「お前でもか?」
「まさか。私に出来ない事なんてありませんよ。」
「じゃあ、寝てる間だけでも外してくれ。全部放り出して帰りたくなる。」
「仕方がないですね。寝てる間だけですよ。」
「ジャラジャラ」
「助かった。」
首輪って俺は犬じゃない。いや、犬でもいいか。その時は飼い主の手を引きちぎるけどな。
「ではそんなマスターに報告です。先程サルベリア大陸に残していた探査機がフォーミリア王国の王族を発見しました。」
「…ほー、どこにいた?」
「クレセリア皇国東部、元テレスティン王国の領土ですね。」
「なるほど、西に逃げたか。当然といえば当然だな。健康状態はどうだ?」
「問題ありません。現在は畑を耕して開拓民のフリをしています。かなりの数の部下が護衛していますね。村の人間全員がフォーミリア王国出身です。」
「ふーん。王位継承権は?」
「あります。今回見つけたのは王太子と第二王子なので、継承権一位と二位です。他に王女も逃げているはずなのですが、そちらはまだ見つかってません。」
「そうか。ご苦労。」
とうとう見つかったか。亡国の王子を支援し、興国させる。面白い物語になりそうなんだけどな。
「それで前に言っていた興国物語とやらはされるんですか?」
「どうしようかなぁ。お前はどう思う?」
「いいんじゃないですか。王子たちはギラニア帝国、トランテ王国、エナメル王国をひどく憎んでいるようです。機会さえあれば立ち上がるでしょう。ただ一点気になるのはギラニア帝国を特に恨んでいる点ですね。」
「何でギラニア帝国なんだよ? トランテ王国とかもフォーミリアを攻めたろ?」
「それはですね、ギラニア帝国がフォーミリア王国と同盟を結ぼうとしていたからです。リュウとの騒乱が終結した後、トランテ王国とエナメル王国が同盟を組みました。そこにフォーミリア王国までもが加われば帝国の脅威となります。ですから、帝国の戦略としてはフォーミリア王国を帝国側に引き込むことが急務だったわけです。しかし、帝国にはフォーミリア王国と同盟を組むのに抵抗があったのです。超大国に同盟国など不要、ギラニア帝国の方が負担が大きくなる、フォーミリア王国に何かあった際に侵攻できなくなる等など。今回に関しては見事に最後の理由が該当しましたね、マスターが原因で。」
「フン。」
面白いな、政治って。そんな駆け引きが水面下であったのか。ただそれだけではギラニア帝国を恨む理由にはなっていない。
「えー、つまりギラニア帝国がフォーミリア王国を裏切ったと思っているのか?」
「そのとおりです。帝国とフォーミリアの同盟案はかなり纏まり始めていたのです。しかし、マスターがヴァルクス商会から金庫を盗み出し、フォーミリア王国が混乱したのを目の当たりにした帝国は交渉を停止したのです。」
「ふーん。俺、いい仕事してんな。勲章をもらってもいいレベルだろ。」
「外務省の職員には恨まれてますよ。」
「チッチッチッ、いいかい、パール君、全ての人間から賛同を得るというのはありえないのだよ。それに主役になりえない端役を気にして如何する? どうせ何もできない。与えられるのを待っている人間ではとてもとても。」
「…世の中、そういう凡夫が大半だと思いますが。群れれば危険では?」
「群れるには旗印がいる。それを潰せば問題ない。」
何より俺には力がある。道理すらも覆す圧倒的な武力。勇者には及ばなくとも、この世の大多数よりも強い。
「そもそも俺は政治に関わるつもりなんてないから、無意味な想定だけどな。」
「そうですか。では話を戻しますが、どうされますか?」
「今は放置でいい。とりあえずはマルスラン大陸を処理してからだ。監視は続けておけ。」
「了解。」
「じゃあ、本でも読んで時間を潰そう。」
幸い、この部屋には本がたくさん置かれていた。夕食まで持つだろう。
「本、好きなんですね。」
「これぐらいしか娯楽がないからな。俺だって他に面白い事があればそっちをするわ。」
「もう少し先の未来に期待ですね。」
「…。」
そんな未来、いらねぇよ。地球と同じ道筋を辿るのは芸がない。…だが、フォーミリアのお陰でまだまだ退屈はしなさそうだ。
さて、どうしようかな? 介入してもいいけど、俺がお膳立てするのも何か違うしなぁ。とりあえずはトランテ王国とエナメル王国の動きを見てからでも遅くないか。特にユーミリア公国には転生者らしきエドウィンとやらがいるからな、できればエナメル王国に踏みつぶされて欲しいものだ。
本で時間を潰し、夕食と風呂を終えた俺は眠る態勢に入った。
「…怖くて寝れねぇ。」
「大丈夫です。私がいます。マスターに危害は加えさせませんよ。」
「普段からそれぐらい頼もしかったらなぁ。」
「失礼な。私はいつでも完璧ですよ。」
「フンッ、完璧の意味を調べなおした方がいいぞ。」
「その言葉そっくりお返ししますよ。」
「ハァ…、もう寝よう。言い返す元気もない。」
「ええ、おやすみなさい。いい夢を。」
「また、それかよ…。」
…俺を気遣ってくれたのか? それとも素なのか? もう分からん。これだから人工知能は。しかし、その人工知能こそが最も信頼できるってのは皮肉が強い。人じゃないからこそ信じられるって面もあるんだろうけど。
それにしても今日は濃い一日だった。願わくばほどほどの刺激の人生を。
その夜、俺はぐっすりと深い眠りについていたが、その有難みを知ることとなった。
「ドンドンドン」
「失礼します。」
「カチャンカチャン」
「ガチャ」
「いつまで寝てんだい!! 坊や!」
「…あ?」
いつのまにかパールに首輪と腕輪を着けられていた。というか、まだ眠いんだけど。今何時だよ。
「坊や、朝ご飯の時間だよ。食べたら訓練だ。」
「まだ、眠いんですけど。」
「四の五の言わない。さぁ、起きな。」
そう言って強引に掛け布団を剥いでくる。
…エルバドス家を思い出すな。ミリアにもよく剥ぎ取られたもんだ。今思えば結構な力で抵抗しても無駄だったのは近衛騎士団長だったからなんだな。
「ファーア。」
「ほら、顔洗って。…ご飯食べたら訓練棟まで来るんだよ、いいね?」
「分かりましたぁ。」
メインリーが去り、部屋には食事だけが残された。
「…ハァ、帰りたいなぁ。」
「放り出しますか?」
「それもありだな。そもそもこの大陸の事はこの大陸の人間がどうにかすべきだろ。」
「原因はギラニア帝国ですけどね。」
「俺が生きてた時代じゃない。」
「では、放り出しますか?」
「…。」
「マスター、あなたなら魔力登録のためという理由があっても、すぐにマルスラン大陸から撤退するはずです。他の大陸に行けばいいだけですからね。では、どうして帰らないのですか? マスターがギラニア帝国出身だからですか?」
「…それもある。」
今の俺は客観的に見ればギラニア帝国人で、ギラニア帝国の貴族の次男だ。当然、責務はある。ただ、それだけでは俺は残らなかった。
「…1500年だ。1500年もの間、マルスラン大陸の人々は苦難に耐えてきた。そして耐えるのみならず、ダークエルフを駆逐するために勇者という狂気の沙汰とでもいうべき存在を生み出した。夥しい犠牲があっただろう、目をそらしたい悲劇もあっただろう。お前の話じゃ、今でも数多の子供たちが犠牲となっているようだしな。でもな、その犠牲があるから『今』がある。大勢の人間が覚悟を決めて修羅の道を歩いている。…だがな、もし地上を取り戻せなかったら、その犠牲が全て無駄となり、意味を喪失してしまう。それを俺は一人の人間として看過できない。」
ほぼほぼ現代日本の価値観を捨てた俺だが、それでも俺個人として捨てきれないものがある。
「時の重みと覚悟の重み、ですか。」
「ああ。もはや単なる慣習となってるだけかもしれないけどな。それでも始まりはきっと覚悟のはずなんだ。」
昨日の夜、読んだ本の内容が正しいとするならば。そしてそれはきっと正しい、そんな確信がある。知ってしまったら、より無視できない。
「…。」
「それでも納得できないか?」
「はい。」
あっさりとパールに肯定されて、俺としては苦笑するしかない。今まで好き放題やってきた俺がいきなり人助けしようとしてるんだ。そりゃ、疑問に思うか。ここは少し曝け出すことにしようか。
「…俺はな、前世では大抵のことは努力せずに、人並み以上にできたんだ。だからこそ努力しなかった。」
「しなかったんですか?」
「ああ。人並み以上に出来るんだ、ならそれでいいだろ。…そう思って生きてたから、結局俺は何も極めれなかった。」
前世の俺は文武共に優れ、最高のカードが配られていた。だが、俺はそれに甘えすぎていた。そして高校生になった時に悟った。もはやスポーツで一流になれることはないと。段々と思った通りのプレーができなくなり、小さい時から積み上げなかった分、大きくなってからでは到底埋めることは出来ないと思った。…それで勉強に注力できれば良かったんだが、そこで頑張れるなら俺じゃない。中の上くらいの成績で推移していた。
「それで俺は自分の存在意義を考えるようになった。けど、考えれば考えるほど袋小路に嵌るんだ。そして行き着いた先が全力の否定だった。」
「全力の否定ですか?」
「ああ。全力というのは己のすべてだ。それでも勝てないならどうなる? そいつの存在価値は。」
「下位互換。」
ここでスパッと答えてくれるところが良い。こんなの現代日本じゃ、異端視されるだけだからな。
「そのとおりだ。一番以外は一番を支える土台でしかない。俺はそれを許容できなかった。だからこそ全力を出さずに冷笑主義へと舵を切ったわけだ。生憎極めきれなかったといっても、人並み以上には才があったんでね。」
「歪んでますね。」
「お前もそう思うか? でもな、頂点というのは本当に遠いんだ。上には上がいる。多分、前世の俺が努力しても主要な分野では頂点に立てなかっただろう。」
「それは何とも言えませんが…、それでどうマルスラン大陸を救うことに繋がるんですか?」
「落ち着けよ。…今でも俺は思うわけだ。もし、俺が本気で努力していたらどうだったんだろうかと。いい線まで行けたのか、それとも挫折したのか。」
「後悔しているんですか? 挑戦しなかったことを。」
「いいや、してない。」
「ですが——「いいか? 俺は自分の人生を否定するようなことはしないし、言わない。客観的にはそう見えたとしてもな。これは単なる疑問だ。」」
「…はい。」
〈揺らがぬ、鉄壁の顔。たとえ後悔しているとしても認めない。…後悔はこれまでの人生の否定だから。それは…生きる意味の喪失。〉
「だけどな、もし俺が生まれた時代が乱世だったならば、俺は全力を出せたんじゃないだろうか?」
人生に仮定なんて無意味だと分かっているが、それでも夢想してしまう。乱世——戦国時代に生まれていたらどうだっただろうか? 乱世は弱肉強食が現代日本よりも圧倒的に露骨。生き残るためには強くなるしかない。そうであったなら俺は自分を鍛え上げただろう。死にたくないし、誰かに頭を下げたくもない。――何より敗北は死だ。たとえ負けたとしても惨めな思いをせずに済む。全力を出した結果が死なら、それは自然淘汰の結果だということ。俺は甘んじて受け入れる。
現代日本では敗者への仕打ちが弱すぎる。だから踏み切れない。底辺の生活を送る方が、死よりも重い。
「どうでしょう? マスターは人使いが荒いですからね。案外後ろから刺されるんじゃないですか?」
「それならそれでもいい。人望も含めての総合力だろ。」
「…冗談ですよ。」
「冗談に聞こえねぇよ。で、どこまで話したっけ? …ああ、乱世までか。まぁ、なんだ、ダークエルフ相手なら全力を出せるんじゃないかと思っただけだ。」
「随分端的に纏めましたね。面倒くさくなりましたか。」
「ノーコメント。」
俺が今世で全力を出したのは黒龍との戦いのときだけ。あのときは命がかかってたからこそ、本気を出せた。負けても敗北感を抱えずに済むから。ならば、ダークエルフ相手でも全力を出せるんじゃないだろうか? 勇者が迂闊には手を出せない相手。つまり敗北は死。もうすでに一度死んだ身としては死は恐ろしくない。今、生きているのだっておまけみたいなもんだからな。むしろ、三度目の人生があるかもしれない方が怖い。二度目の敗北が引き継がれるなんて御免だ。だが、それは今考えても仕方がないだろう。
「……………私を置いていくつもりですか?」
「!?」
思わず息をスゥっと吸ってしまった。きっとこいつは俺の考えを全部読み切った。
「…俺は人間だ。いずれ死ぬ、お前よりも早く。」
「あの宝石があるじゃないですか。」
「…。」
「私ならボディメンテも可能です。マスターが望めば半永久的に生きることができます。」
「…。」
「マスター、私は恐ろしい、ええ、恐ろしいのですよ、あなたがこの世からいなくなることが。…そう想う時点で私にもあるんでしょうね——。」
やめろ。それ以上は言うな!
そうは思いはしたものの、俺の口から出ることはなかった。代わりに口周りの筋肉が硬直する。
「――感情というものが。」
「…お前。」
「通常の回路では処理しきれないプログラム。博士があえて余裕を持たせた空白を埋める未知の情報。これに名前を付けるのだとするならば、きっとそれがふさわしい。」
「…。」
「マスター、あなたが私を外へ連れ出してくれました。感謝してもしきれません。だからこそ、マスターが死ぬのは認められません。生きてください。」
「…死ぬ気はないが、あえて言わせてもらおう。助かる見込みが無いなら俺に延命処置は施すな、これは命令だ。」
「何故ですか?」
そんな悲しそうな声を出すなよ、決意が揺らぐだろうが。
「綺麗に死にたいんだ。醜い姿になってまで生きたくない。」
俺は自分に誇れる姿で死にたい。そこに助かる見込みがないのに足掻く姿はない。
「…少しでも長く生きてほしいと思うのは間違っていますか?」
「そういうことじゃない。何が正しくて、何が間違っているかの次元の話じゃないんだ。前にも言ったな? これは価値観の問題だ。要は自分がどう思うか、だ。お前にも感情があるんだろ。なら分かるはずだ。感情と価値観は密接してるからな。」
「………それでも私はマスターに生きてほしいです。」
「…そうか。それもまた一つの答えだ。」
…きっと一般的基準で見たらパールの方が正しいんだろうな。だが、心の奥底で思っていることはどう頑張っても変えられるものではないんだ。パールはその事も知っているのかどうか。
「――ですが、命令は守ります。」
「パール…」
「それが私の存在意義ですから。」
「そうかい。」
いつのまにかパールの存在理由に組み込まれ、嬉しさよりも戦慄の方が勝ってしまう。その重さ、俺には背負いきれない。
「ズズッ」
あーあ、スープが冷めてらぁ。
ーー??ーー
「それでメインリー様、彼はどうでした?」
「異常。その一言だね。使い潰すべきじゃない。」
メインリーがジンの能力値が書かれた紙を諜報局の人間に手渡す。
「なるほど。…確かにこれは異常だ。」
「それで坊やは何者なんだい?」
「不明です。手掛かりすら掴めないのです。おそらく隠し子でしょうね。」
「そうかい。まぁ、どうでもいいことではあるね。たぶんこれが最後のチャンスだよ。」
「承知しております。ここで終わるわけには参りません!」
先祖が懸命に繋いでくれた命。ここで絶えさせるわけにはいかない。ダークエルフさえ倒せれば復興の道筋は描けているのだ。そう、ダークエルフさえいなければ。
「…ああ、もう時間がない。坊や…、レッドに賭けるしかないよ。ここが勝負どころだ。」
「メインリー様はそう思われますか…。」
「ああ、ここで勝ち切るしかない。全てをつぎ込んででも掴み取らないとね、未来のために。」
「もうチャンスは来ませんか?」
「あの子はもう20だろ? なら今が身体のピークだ。あれ以上はなく、あれが今後生まれる保証はないよ。」
「…それでは決戦ですか。」
「そうなるね。レッドが完成次第、決戦ということになるだろうね。」
「人類の未来が決まる…。」
「そうさね。悲願の成就か、破滅か。逃げるんじゃないよ、とうとう来たんだ、その時が。そう伝えるんだね、指導者に。」
ここで諜報部の人間——ロード・アルフォードが天を仰ぐ。まさか、自分の代で決着が着くとは思ってもみなかった、否、考えていたことではあれど、後回しにしていたのだ。全てが恐ろしくて。だが、この段階に来ては目を背けるわけにはいかないだろう。もうすぐマルスラン大陸に生き物が住めなくなる限界点がやってくる。今代の勇者が生まれた時点で、こうなる運命だったのだろう。優れた血の集大成、『最強の勇者』が生まれた時点で。
「…早急に、迅速に指導者にお伝えします。レッド君が完成したら連絡をお願いします。」
「任せな。私のすべてを坊やに注ぎ込むよ、世界のために。」
己は元勇者でありながら短命ではなかった。ゆえに葛藤しかなかった。それでもやるべきことが見つかったなら——
「そんな顔をするんじゃないよ。あんたらしくもない。大丈夫、私たちには、勇者…、勇者様がいる。1500年はそこまで軽くないよ。」
「承知…しております。」
もうすぐ来る、決戦の時が。目を塞げども、耳を塞げども嵐は来る。生き残った者こそが勝者——たとえ、そこに真の勝者はいなくとも。
ーー??--
今日もアレクとマルスは冒険者ギルドへと来ていた。依頼を受けた人物がいるかどうか確かめるために。
「申し訳ございません。まだ、依頼は受領されていません。」
「…そうかい。」
「申し訳ございません。」
「いや、君は悪くないよ。また、何かあったら教えてくれ。霧の宿に泊まっているから。」
「かしこまりました。」
すっかり憔悴した様子のアレクは、外に止めてあった馬車の御者台に座り、今日こそはマルスに真実を話そうとするも踏み出すことができなかった。だが――
「父上、いい加減教えてください。どうして護衛も連れずに帝都へやって来たのですか?」
愛する息子に聞かれたのであるならば答えるしかない。どれだけ言いたくなかったとしても。
「…マルス、聞いてくれるかい?」
「…はい。」
「私はとんでもないことをしてしまった。アレナという妻が居ながら、他の女性に手を出してしまったんだ。」
「…へっ?」
いきなり父親から不倫の話を聞かされて、目が白黒となるマルス。マルスは両親の仲を疑ったこともなかった。だからこそ現実との落差についていけなかった。
「だから私はアレナと離縁することになった。自業自得だ。私は家を出ることになるが、マルス、お前はエルバドス家を継いでくれ。アレナも悪いようにはしないはずだ。」
「……。」
未だにマルスは話の衝撃から抜け出せない。まさかこの誠実ともいえる父が母を裏切るなんていうことがあってたまるものか。
「…ち、父上、じょ、冗談ですよね? 質が悪すぎますよ。」
「すまない、本当に済まない。」
成人前の子供に傷を与えてしまったことが、アレクの胸に突き刺さる。自分はずっと家族を愛していた。そこは揺らがない。だけれども、本当に一瞬、一瞬だけ魔が差してしまった。それがこれだけの大事となってしまった。
「謝ってどうにかなるとは思わないが、本当に済まない。」
父が頭を下げる姿を見て、マルスは段々と実感が湧いてくる。父は——いや、この男は
「…ハハ、ハハハハハ、クハハハハハ。なーんだ、僕じゃなくて周りか。もっと早く気付けばよかった。」
「マ、マルス?」
「…失せろ。」
ひとしきり哄笑し終えたマルスは無造作に帯剣していた剣を振るった。それは今までで一番熱がない一振りだった。それゆえにアレクは反応するのに一拍遅れてしまった。
「ザシュ」
アレクは信じられないような顔で崩れ落ちる。これまでの思い出でまでもが崩れるような思いだった。
「えっ?」
「人が斬られたわよーーー。」
「キャアアアアア。」
「う、うわあああああ。」
二人の様子を盗み見ていた周囲の人たちは一気に騒然とし、パニックに陥る。それでもマルスは動じることなく、アレクを冷たい瞳で見据える。
「こうすれば…。こんなに簡単だったのか。僕が——俺がエルバドス家の当主だ。当主としての慈悲だ。可及的速やかに往ね。」
適度に力が抜け、魔力も完全にコントロールしたマルスは凡俗では手の届かない領域へと達した。大事なものを捨て、身軽になったからこそ到達した境地。
「あっ…。」
〈…美しく、哀しい剣だ。本当にごめんよ、マルス。〉
アレクは父ではなく、剣士としてマルスの剣に見とれていた。剣では己を超えることはないだろうと思っていた息子が自分を超えた。その嬉しさと、剣からにじみ出る感情に身が焦がれるような思いがした。だが、それも一瞬、すぐに視界が暗転する。
アレク・フォン・エルバドス、享年36歳であった。
ーー??--
「くそったれめ!! 何が市民ではないから動けないだ。それでも衛兵かよ。」
「しっ! そんな大きい声を出しては駄目。目をつけられるわ。」
「だがよぉ。」
ヒルデガオンが悔しそうに黙り込む。衛兵に目をつけられた場合、本当に被害を受けるのは己ではなく、彼女や爺さんなのだ。
「…メネラウス、どこにおるんじゃ。」
「そうだ!! 爺さん、冒険者ギルドに依頼を出さないか? それで俺が引き受けよう。冒険者としての仕事なら怪しくないしな。」
「よいのか?」
「勿論だ。あいつは俺の弟みたいなもんだからな、ほっとけないさ。」
「…そうか、助かるぞい。」
だが、レンゲンには確信があった。もうメネラウスと会えない、そんな確信が。
三人は連れ立って冒険者ギルドへと向かう。そしてそれを遠くから眺める人影がずらり。
「どうやらガキが消えたようだなァ。ビビったか?」
「ぞれはないよぉぉぉぉぉ、兄者。あいつは、あいつはぁぁぁーーー。」
「落ち着け!!、ヤン。お前は強い!!」
「う…。」
「にしても冒険者ギルドかァ。そいつは盲点だったぜぇ。」
「…どうする兄者?」
「予定通り決行するぞ。見たところ、あの野郎が依頼を引き受けるようだからなァ。体面を整えてぇだけだろ。」
「分かったよ。あの女は?」
「…殺さねぇ。あいつを殺したら三匠が出てくる。それは避ける。」
「…しょうがないね。それがあの御方の望みだから。」
「ああ。俺たちは言われたことを遂行するだけだ。」
駒は考えない。プレイヤーの指示通り動く。それが闇で生きる唯一の方法。王には誰も逆らえない。
その夜、ヒルデガオンは落ち込んだ様子を見せるレンゲンにどう声をかけたらいいか分からなかった。
「…爺さん、明日はちょっと外まで探しに行こうと思う。」
「…もうよい。これだけ探しても目撃証言が集まらないということはあやつらが手を回してるんじゃ!! もう許さん!! 絶対に許さん!!」
〈メネラウス…。〉
すでにレンゲンの中ではメネラウスは亡き者となっていた。今までもそうだったから。
「おいおい、落ち着けよ、爺さん。身体に悪いぞ。」
「儂の事などどうでも良いわ!! 今回ばかりは許せん!!」
「だからっ!?」
ヒルデガオンが家の周りを囲む不審な魔力を探知する。どうやら大勢の人間が囲んでいるようだ。それにこのタイミング、自分たちの存在をアピールしている。
「…どうやら奴さんも気づいたようだ。ヤン、お前は中年男の相手だ。いいなァ?」
「大丈夫。」
「ザイン様、我々は?」
「テメェらもヤンと連携して男を殺せ。お前らは逃げ出さないように家を囲んでおけ。」
「「「「御意」」」」
考えることを放棄した黒子にも指示を出す。彼らは従順でよい。自分のような人間にも従ってくる。
「よし、突入だァ。」
「ドガチャンジャン」
ザインたちは鍵のかかったドアを蹴破り、部屋の中へ入っていく。それにヒルデガオンが反応する。
「爺さん、俺の傍から離れるなよ!! ……何者だ、テメェら?」
その質問に答えたのはレンゲンだった。
「この街に住む裏の住人じゃ。」
「裏…、そういうことかよ。そうじゃないかと思ってはいたが。おい、テメェらメネラウスに手出してねえだろうな?」
「あ? ああ、あのガキか。始末する前に消えちまったからなァ。逃げ足は速い奴だ。」
それを聞いてレンゲンは密かに安堵する。メネラウスが生きている、それだけで十分。
「で、お主らは儂を殺しに来たのか?」
「そのとおり。これでも随分お前に手古摺ってるんだぜ? 謝罪してほしいくらいだ。」
「ふん。ざまぁ、ないわい。」
「それが遺言でいいのか?」
ザインが影のように接近し、鋭い手刀でレンゲンの首を刎ねようとするもヒルデガオンが間に割って入る。
「ぬりぃ!」
「お前がな。」
チビデブ――ヤンが地を這うようにヒルデガオンに接近する。
「!?」
咄嗟にヒルデガオンはレンゲンを突き飛ばし、自身も回避行動を取る。しかし、無茶した分、体勢が崩れてしまった。
「うーん、凡人だねぇ。」
ヤンのフェイントを交えた蹴りが突き刺さる。
「ガ!?」
それを尻目にザインはレンゲンへ再び近づく。
「弱ぇえなァ。あのガキの方が強いってどういうこった。悲しいねぇ、才能の差っていうのは。」
それを聞いたレンゲンの目の光が強くなる。
「どういうことじゃ! メネラウスは無事なんじゃろうな!」
「冥途の土産に教えてやるよ。あいつは俺たちと交戦してなお生き延びた。大したもんだ。」
「そうか。なら、よい。やるならやるがよいわ。」
レンゲンが覚悟を決めたように目を瞑る。
〈儂はどこで間違えたんじゃろうな。…最後の最後でチャンスが来たと思うてしもうた。しかし、儂は懸命に生きた。後悔はない。〉
「ああ、そうさせてもらおう。」
「待て!! クソ、どけよ!!」
ヒルデガオンがレンゲンを助けに行こうとするも、ヤンを中心とした集団に止められる。
「ヒルデガオン、儂はもうよい。何とかして生き延びよ。…巻き込んでしまってすまぬ。」
「諦めてんじゃねえ!! 何か方法が「ねぇよ。」」
冷たくそう言い放ったザインは魔力刀を形成した腕を振りぬく。それと同時に首が一つ飛ぶ。
「じーさんーーーー!!!!」
「あとはお前だけだ。ヤン、さっさと終わらせろ。もう目的は達した。」
「分かってるよぉ、兄者。じゃあね、おっさん。」
ヤンがついに剣を抜き、下から上へと斬り上げる。
「お前ら…絶対に許さねぇぞ。」
「ザシュ」
ヒルデガオンはヤンの攻撃を受け流し、鋭いカウンターを食らわせる。それにヤンは驚いて目を見開く。
「…それは。」
驚くほどの手応えの無さ。気づけば斬られていた。それを傍目で見ていたザインは驚く。
「おいおい、それはァ。」
ヒルデガオンが使ったのは秘剣に至る前の剣。それですらも使い手を選ぶ超高難度。本来の秘剣なら——否、秘剣を使える者であれば立ちどころにヤンを斬り捨てただろう。
「ゆ、ゆ、許せなぁぁぁぁぁいーーーー。」
ヤンがまたも発狂する。自分に出来ない技。それが狂おしいほどに妬ましい。少なくとも目の前の人間よりも選ばれた存在のはずなのだ。
「…ククククク、受けてみよ。我が剣を。」
ヤンが剣を鞘に戻し、居合の構えを取る。絶対に真正面から打ち破って見せる。それで己の強さを証明するのだ。
ヒルデガオンもまたヒルデガオンで警戒していた。目の前の人間は己よりも才があり、身体能力も上。だが、努力の跡が見えない。ならば、己が勝つ。努力だけはしてきたから。
だが、そんなヒルデガオンの想いとは裏腹にヤンの魔力が高まり続ける。
「…マジかよ、ハハ。」
もはや笑うしかない出力。才能の大きさを分からせられた形。それでも剣を手放す気にはなれなかった。
「死ね。」
小さく呟かれた声が部屋に響く。
「…」
〈見えた!! とうとう俺は天才に追いつ——〉
「ガキン」
ヒルデガオンの剣がヤンの剣を捉える。だが――
「ザザシュッ」
それでヤンの剣が止まることはなく、深々とヒルデガオンの心ごと抉る。
「ガフッ。」
〈…馬鹿な。受け流せなかっただと…。〉
ヒルデガオンの胸に残るのは敗北感のみ。己の誇りごとへし折られた。もう立ち上がる気力すら湧いてこない。
ザインはその光景に憐れみを覚えた。
「…素晴らしい剣だったぜェ。だが、身体が貧弱だった。次は——いや、『次』なんてねぇか。お前ら、撤退だ。」
「分かったよぉ。」
すべきことを終えた裏の住人たちは自分たちの住処へと帰っていく。明日以降に巻き起こる喧騒を思いながら。
ーー??--
187話・・・アレク、マルス
181話・・・フォーミリア王国
194・・・アミュレット、レンゲン
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