第186話 決断

「お、レンゲンさん。今日は一人じゃないんですね。」

「うむ、儂の弟子だ。」

「へー、そうなんすね。」

爺さんが番台にいる兄ちゃんと話している。

…きついな、これは。やっぱりこの生活が一週間以上続くなんて俺には耐えられない。

(もう料理とかどうでもよくなってきたな。こっそり爺さんを監視しておいてさ、料理のレシピだけ盗めない?)

(発想が人でなしですが、可能です。)

(なら明日の夜にトンズラしようか。冒険者カードは手に入れておきたいしな。)

悪いな、爺さん。俺は自由気ままに生きるってこの世界に生まれたときに誓ったんだ。敬語を使ってる時点でもう自由じゃないんだわ。

(武器屋のお爺さんとの約束はどうするんです?)

(…あー、そういやそんな約束もあったな。…天下三匠の剣は欲しいなぁ。)

でもその剣を持っていたらメネラウスがジンだと結び付けられるかもしれないよな。人前で使わなければいい話だが、使わぬものに価値はないし。うーん、どうっすかな。

(…明日の朝、包丁だけ受け取るか。剣は諦めよう。笏もあるし、絶対必要と言うわけでもないからな。)

(了解です。)


兄ちゃんに金を払い、暖簾をくぐって更衣室に入る。

…うわぁ、人がそこそこいるな。うんざりする。

とりあえずさっさと服を脱いで爺さんが脱ぎ終わるのを待つ。

「ではメネラウス、風呂に入るとしようぞ。」

「はい。」


「ガララ」


…これはまた年季の入った浴場だこと。一応俺も貴族の端くれなんだけどな。何が悲しくて平民と一緒に風呂に入らないといけないんだ?

(マスター、表情が死んでいます。もう少し、表情を作ってください。)

(そんなひどいか?)

(はい。一目で不機嫌だということが分かります。)

(やっぱり贅沢に慣れてたら駄目だな。この状況が苦痛で仕方がない。)

(マスターも貴族の子供ということですね。)

(どうやらそうらしい。)

(では、不機嫌なマスターに潤いを与えて差し上げましょう。現在、トランテ王国はマルシア王国と戦うために戦力を東部に移動させています。間違いなく戦争がはじまりますね。)

(ほう?、それは面白い事になりそうだな。お前の予想ではどのくらいで開戦となる?)

(戦力がトランテ王国東部に集結するのが3日後ですから、少なくともあと3日は猶予があります。それに開戦に踏み切るにしても何らかの大義が必要ですからね、それなりに時間はかかるかもしれません。)

大義ねぇ…。トランテ王国はどんな大義を掲げるんだろうな? …東部諸国連合と同盟を組んで東部諸国連合に対する圧力をけしからんとか言って攻撃するとか?

(なぁ、トランテ王国はどんな大義を掲げると思う?)

(…先ほど私は大義という言葉を使いましたが、実際はそんな大した話でもないです。今回の場合、トランテ王国には時間がありません。ゆえに偶発的な戦闘を演出し、そこから大戦に繋げていくでしょうね。)

(小競り合いから本格的な戦争になるってことか?)

(はい。これまでの歴史上良くある話ですよ。)

(ふーん。なるほどねぇ。実際に見に行きたいな。戦争が始まりそうになったら教えてくれ。)

(了解です。)

(ちなみにどっちが勝つと思う?、…あ、やっぱいいわ。初めから分かってたら面白くないし。)

(そうですか。…ちなみにマスターはどちらが勝つと思われますか?)

(トランテ王国!!、仕掛けるって事はそれなりに自信があるっていうことだろ?)

(…他にもっとこう、ちゃんとした根拠とか無いんですか?、あまりに感性に頼り過ぎでは?)

(細かいやつだなぁ。他にねぇ…、マルシア王国の王権がそこまで強くなくて国として対抗できないとか、国王が愚王とか? あとは…、王国軍の練度が低いとか?)

(なるほど。一応それなりの根拠は持ってたんですね。)

(そりゃな。いくら国際政治に疎くてもこれぐらいは思いつく。)

(それは失礼いたしました。)

(それにマルシア王国はここ数十年大きい戦を経験していない。それに対してトランテ王国は敗北してるとはいえ、帝国と争ったことがある。その差は大きいんじゃない?)

(仰るとおりかと。)

だが本当に大事なのはそこ勝敗じゃない。大事なのは戦争をするということだ。戦争をすればどちらも力を落とす。それに国力的にはほぼ互角。間違いなく被害は甚大だ、真正面からぶつかり合うならば。


俺がまだ見ぬ戦争に思いを馳せていると爺さんが話しかけてくる。

「あ~、いいお湯じゃ。そうは思わんか?、メネラウスよ。」

「…ああ、はい、そうですね。」

良いところで話しかけるのはやめてくれよ。まぁ、あと一日だけだから大目に見てやるけどさぁ。


〈息子とも一緒に銭湯にでも行っていれば今頃儂の店を…、いや、もっと前から話し合っておけばよかったのかもしれんなぁ。〉


その後もいろいろと爺さんに好きな食べ物や嫌いな食べ物など極めてどうでもよい事を聞かれながら、時間を過ごしていく。

…もう十分は経っただろ。はやく上がろう。

「ん?、もう上がるのかえ?」

「はい。あまり熱いお風呂は得意じゃないんですよ。」

「そうか。ならば仕方あるまい。儂も上がるとするか。」

「いえ、まだ入っていたいなら入っていてください。大丈夫ですから。」

少しは一人の時間もくれ。

「…そうか。ならお言葉に甘えてもう少し浸かるとするかの。ほれ、儂の鍵じゃ。その中のカバンに財布が入っとる。向かいの店でジュースでも飲むといい。」

〈さすがに大通りじゃ何も起きんだろ。儂がずっと傍におるというのも現実的ではあるまいし。何よりメネラウスのためにならん。〉

「いいんですか?」

「構わん。」

「ありがとうございます。」

いいとこあんじゃねぇか、ジジイ。

(よかったですね。)

(ああ。今日、初めての良いことかもしれない。)

(オーバーですね。)

(どこがだよ。)

「うむ。鍵は番台のジュンに渡しておいてくれればよい。」

「分かりました。」



身体を拭き、水気を払ってから更衣室に戻る。

(にしても高級宿でお風呂入ってるときはそれなりに長かったのに今回は早いんですね。)

(大勢と入るのは好きじゃないんだ。色々考えちゃってさ。)

(変なところで神経質ですからね、マスターは。)

(悪意のある言い方だな。繊細なんだよ、俺は。)

(そういうことにしておいてあげましょう。)

(ふん。…でもトンズラするって決めたら気が楽になったな。)

(個人主義万歳、ですね。)

(だな。)

自分の素をさらけ出せないと、壁を作っちまうからなぁ。しかも俺には前世の記憶があるし、そういう点では不利なんだよな。世界観、歴史観、価値観を共有できそうな相手はいないから。


「ギィー」

服を着替え終え、爺さんのロッカーから財布を取り出す。

…何のジュースがあるかなぁ。俺的にはチゴジュースが好きだから、チゴジュースがあればいいんだけど。その前に鍵を渡さないといけないのも鬱なんだよな。


「あの~、すみません。」

「ん?、どうかしたかい?」

「いや、爺…、お師匠様から鍵を預かってもらうといいと言われたので預けたいんですけど。」

「ああ、レンゲンさんの。きみは…あの人の弟子なのかい?」

「…は、い。」

俺自身はこれっぽっちも望んじゃいないんだけどな、なぜか成り行きでそうなった。

俺が肯定すると兄ちゃんが悲しそうに微笑む。

「そうか。ならもうあの人を悲しませないようにしてあげてくれ。これまでも何人か弟子がいたんだけどね、全員逃げ出しちゃったんだよ。」

(マスターもその中の一人になるんですね。)

(…こういう精神攻撃は良くないと思うんだ。)

「…そう、なんですね。」

「ああ、君がそうならないことをお願いするよ。…で、鍵だっけ。預かっておくよ。」

「はい。」

鍵を渡し、店の外に出るが俺の心は何とも言えない後味の悪さが残っている。

…いやー、たぶん、逃げられる方にも原因があると思う。厳しすぎるとか、一緒に居たくないとか、その他もろもろ。

(…逃げるんですか?)

(逃げる。…いや、言い方が良くない。俺は俺の道を、爺さんは爺さんの道を行く。ただそれだけだ。)

人と人が分かりあうのは非常に難しい。今回もその一つの事例に過ぎない。

(そうですか。)

(出ていくのを辞めると思ったか?)

(いいえ。マスターは一度決めたら、コロコロ変えそうに見えてあまり変えませんから。)

(なんか引っかかる言い方だけど、そのとおりだ。人生一度きり、後悔しないように生きようぜ。)

(いや、マスターは二回目の人生なんですよね?)

(…まあな。)

これもう一回転生とかなったらぶっちゃけきついな。精神が摩耗しそう。

とりあえずジュースだ、ジュース。それで嫌なこと忘れよ。

「いらっしゃーい、何を飲む?」

「んー、チゴジュースで。」

「はい。分かりました。銅貨4枚ですよ。」

銅貨4枚って安いな。逆に村に泊るのに銀貨3枚も払わないといけないのってぼったくりすぎるだろ。


「うま!」

(そんなおいしいんですか?)

(ああ。お風呂上りは特においしい。)



俺がのんびりとジュースを味わっていると、逃げ出す間もなく、路地裏から爺さんに絡んでた強面の奴らが仲間を引き連れてぞろぞろとやってきた。しかもご丁寧に囲んできやがった。

こっわ、こいつら俺たちの後でもつけてたのか? …しかも俺の方が強いって分かってるのに怖い。前世でそういう耐性がないからビビるのか? 

…7人か。魔力量的には負けてないから油断しなければ大丈夫そうだな。

「おっと、また会ったな、坊主。ちょいと俺らとお話ししようや。」

「…あの、えっと、今、人を待ってるので。」

「ん?、すぐ終わるからさ、な?」

「ここじゃだめですか?」

「うーん、ちょっとな。いこうぜ。」

強引に手を握って来ようとするが、回避する。

俺に触れるな、汚れるだろうが。

「分かりました。行きます。」

「っち、それでいい。いくぞ。」

おいおい、舌打ちって。そんなに俺と手を繋ぎたかったのか?

(何でこんなに絡まれるんだ?、おかしくね?、もう二回目だぞ。)

前世ですら絡まれたことなんてないぞ。日本って治安良かったんだな。

(厄介ごとに巻き込まれる体質なのかもしれませんね。)

(なんて不幸なんだ。)

パールが居てくれて本当に良かった。一人だったら絶対金玉蹴って逃げてたわ。

(それで殺します?)

(…この顔で殺したくないな。仮面を着けてればよかったのに。)

ジンと素顔が一致するからな、さすがに殺すのは不味い。しかも俺は帝国の貴族だし、家も浮いてるし、マイナス要素しかない。

(なら様子見ですね。)

(だな。)



ーー??ーー

ほとんどの貴族の子供が帰り、閑散とする学園。そこに残っている者にもようやく迎えが来た。

「やあ、待たせたね、マルス。」

「…父上だけですか?」

周りに騎士もメイドもいない状況をマルスは訝しむ。

「…ああ。とりあえず馬車に乗ってくれるかな。馬車の中で説明するよ。…それよりもジンはどこにいるのかな?」

マルスを連れてきた教師に尋ねる。

「そのことですが、少し部屋で話しませんか? 事が事なだけにここで話すわけにはいかないのです。」

「どういうことでしょう? …まさか怪我をしているとでも言うんじゃないだろうね!?」

「いえ、そういうわけではありません。」

「ならどういうことだい!?」

「ですからそのことについて部屋でお話しようというんです!!」

〈こいつ!!、下手に出りゃ、エルバドス家の分際でつけ上がりやがって。〉

「ここじゃ言えないことなのかい?」

「はい。」

〈だからそう言ってんだろうが!〉

「分かった。その代わり納得できる説明があるまで帰らないので!!」

「承知しました。ではこちらへどうぞ。」

〈そもそも貴様らの教育がなってないからこんなことになっているのだ。真実を知ったらどういう顔をするか、楽しみだ。〉

アレクは憤慨しつつ、マルスを伴って学園内の応接室に向かうのだった。


ーー??ーー

「どうか、エンベルト外務大臣にお会いさせていただきたい!!、返事を聞かせていただきたいのです。」

「ですから大臣は現在エナメル王国との協議中です。今しばらくお待ちください。」

「そう言われ続けてもう五日も経ちますぞ!! 流石に無礼では!!」

「そのご指摘は適当ではないと思われます。なぜならマーテル公国の対応のためにエナメル王国を先に対処しようとしているのですから。決して貴国を軽んじているわけではございません。」

〈エンベルト様、流石にこれ以上の引き伸ばしはきついです。何とかしてください。〉


ーー??ーー

「今日もマーテル公国の大使が来ているそうですよ。」

「まぁ、当然だ。我らの助力なくしてマーテル公国はもはや存続できまい。」

「…トランテ王国も早く来れば良いものを。」

「これが最速だ。これ以上はない。」

「マーテル公国に関して陛下は何か仰っていましたか?」

「ああ。現状維持とのことだ。エナメル王国、トランテ王国に対する方針も維持だそうだ。」

「なるほど、では後はトランテ王国のみですね。」

「ああ。」


帝国がマーテル公国の遣いをかわし続け、その限界も近づいてきた頃、ようやくトランテ王国使節団がやってきた。

「これはこれは、遠路遥々ようこそいらっしゃいました。」

「こちらこそ歓迎に感謝いたします、エンベルト外務大臣。」

「して此度は手紙に書かれていた件でいらっしゃったのですよね?」

「そのとおりです。」

「なるほど、承知しました。我が国としてもぜひ前向きに検討しておりたいと思っております。」

「その返事が聞けて嬉しく思います。」

〈見た目以上に爆発の被害を受けているようだな。…まさかあそこまで被害が出ているとは思わなんだ。〉

ベール外務大臣はここに来るまでの道中、帝都の被害を見た。公安に詳しく調査させるよう、陛下に進言しようと決意するほど衝撃を受けた。


その後、エンベルト外務大臣とベール外務大臣、互いに譲れないところは譲らず、妥協できるところはしていく。互いに不可侵条約を結びたいのは同じなのだ。


交渉を続けること3日、遂に不可侵条約が締結された。稀に見る超スピード締結である。

「ではこれからもよろしくお願いします。」

「もちろんです。互いに手を取り合い、発展していきましょう。」

ここにトランテ王国、エナメル王国、共に戦争の準備は整った。


ーー??ーー

「マーテル公国はもうお役御免だ。次はタイテン王国だ。」

「その終わったマーテル公国だが、公太子が古代兵器を使うようだぞ。」

「なに?、あれにそこまでの胆力はないはずだが…。」

「だが、実際、発動しようとしているようだ。」

ここでエドウィンの眉間に皺が寄る。

〈なるほどな、演じてたわけだ、愚者を。〉

「くくっ、まだまだだな、俺も。」

「一応、まだ組織の人間がいる。いつでも止めることは可能だが、どうする?」

「…いや、そのままでいい。だが、公太子から目は離すな。」 

〈帝国とやり合うとなると必然的に古代兵器の対策も必要となる。予行演習だと思えば悪くない。いや、むしろそれがいい。〉

「承知した。」

そう返事をして影に消える組織のナンバーツーを見送るエドウィン。

〈ふ、よりによって組織の繋ぎを人間にするとはな。そんなに人間が好きか? ディアル・フォン・レンドラ。)

















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