第182話 天才

「ここがおめぇの部屋だ。…そういや、名前はなんてんだ?」

「メネラウスだ…です。」

ヒッ、敬語じゃないからってそんな睨むなよ、爺さん。怖えよ。

この圧は無駄に歳を重ねた年寄りには出せない。いい歳の取り方をしてやがる。

(敬語を使うんですか?)

(フ、俺にはこの状況で敬語を使わない選択は出来ない。というか、俺はどこで間違えた?)

(初めからでは?)

(…。)

ま、まぁ、深夜になればトンズラすればいいだけの話だけどな。

「そうか。メネラウス、お腹が落ち着いたら一階に降りてきんさい。さっそく作り方を仕込んでやろう。」

「…分かりました。」

今後の予定を伝え終わると、爺さんは一階へ降りていった。


その後、俺はしっかり爺さんが一階へ降りていくのを確認してから、音を立てずにドアを閉めた。

「…あ~~~~、だるいなぁ。」

(いいじゃないですか、私が作るよりもご自分で作られた方が美味しいと思いますよ。)

「それはどうだろ? 誰が作っても同じだと思うけどな。」

そもそも俺の場合、作る前に面倒臭さが勝って、自分のために作ることはないだろう。金を出せば美味しい食事を得られるんだから。

(確かにマスターならそう思うでしょうね。しかし人間の精神が身体に影響を及ぼすというのは明らかな事実です。マスターなら自覚されているのでは?)

「…まぁ。」

かつて俺は龍との戦いのときに銀の魔力が目覚めたが、確かにあの時は精神に肉体が引っ張られたような気がする。正直、精神論はあんまり好きじゃないんだけどな。

「…というかアレクが不倫したっていう事実にかなり動揺してる自分がいるんだが?」

正直、アレクの不倫という衝撃的な情報のせいで頭がうまく働いていない。そのせいでこんな状況になっているまである。

…普通に仲がよさそうに見えたんだけどなぁ。やっぱり若さには勝てなかったのかな?  気持ちは分かるけど、本当に愛してたら不倫なんかしないよな。バレたときのことを考えたら恐ろしくてできるはずがない。

〈なるほど、それでお爺さんのペースに乗せられてるんですね。私の予測にはなかった未来図ですが、これはこれで悪くはありません。イレギュラーな事態こそが人の成長には欠かせませんから。〉

(子育てが落ち着いて、ハニートラップに引っかかったんですかね?)

「さぁなぁ。でもアレナが可哀相だよな、せっかく駆け落ち同然の結婚だったっていうのに裏切られてさ。…こうなってくるとマルスがますます哀れだ。この先、当主になったとしてどう舵取りしていくんだ? アレナの実家にバレたらただじゃ済まないだろ。」

(そうですね。お取り潰しになるんじゃないですか?)

「いっそそっちの方が幸せな気もするなぁ。」

沈んでいく家を継ぐのは不幸だと思う。

「これからアレクはどうするんだろうな? もう家に居られないだろうし。」

アレナの愛が試されるな。不倫されても好きならそれは悲しい一方向な愛だ。

(闇に葬られるんじゃないですか?)

…殺されるってか。何か前世の記憶と武力があるせいか、上の階級の恐ろしさをあまり理解できてないんだよなぁ。不味いと分かってるけどどうしようもない。

「…それにしてもアレクがなぁ…、浮気したのかぁ…。」

(めちゃめちゃ引きずってるじゃないですか。)

「そらそうだろ。愛し合っていると思ってた夫婦が実は浅い愛だったんだぞ? 何を信じたらいいか、わからないじゃないか。」

…なるほど、だからセントクレア教が出来たのか。すごい納得した。

(博士の定義でも言いましょうか?)

「愛の?」

(はい。)

「そんなのまであるのか。ぜひお聞かせ願いたいね。」

博士の守備範囲が広すぎる件について。

(…愛とは心の道標である、だそうです。)

「…愛とは心の道標。随分と哲学的だな。」

でも本当に心の道標なのだとしたら、ますます知りたくなったな。

(…マスターはどうしてそんなに愛にこだわるんですか?)

〈マスターなら無価値だと切り捨てるはずなのですが。〉

「そりゃあ君、知らないからだよ。一回くらい経験したいじゃないか。…それに人生における幸せって少ないだろ? 他の奴らはどうか知らないけど、俺に関して言えば幸せを感じるのは美味しいものを食べているときだけだ。でも絶えず食べ続けられるわけではない。」

(だから絶えず幸せを感じられるかもしれない愛を知りたいと?)

「そのとおり。」 

まぁ、ぶっちゃけ可能性はほぼないと思う。女性との接点が少ないからな。…考えるだけで悲しい気持ちになる。

(仕方ありません。そこまで思いつめているのなら私が一肌脱ぎましょう。)

「いや!、余計なことはすんな!! お前が介入したらややこしい事になる。」

そもそも機械に人間の気持ちなんて分からんだろ。じゃあお前はわかるのか?、と聞かれたら黙るしかないんだけれども。

(…そうですか。非常に非常に非常に残念ですが、見守るだけに留めておきます。もし手を借りたくなったらすぐに言ってくださいね。私はマスターの忠実な下僕ですから。)

「…まぁ、その時が来たらな。…さて、そろそろ一階に行くか、お腹も落ち着いたしな。」

初めての料理か。俺に作れんのかな? 不器用だから心配だ。


階段を下りていくと、爺さんは厨房で皿洗いをしていた。

「おぉ、メネラウス。よく来たな、さっそく始めるぞい。」

「分かりました。」

「まず手を洗いなさい。」

「はい。」


「ジャー」


(とうとう始まってしまう。)

(はやく習得すればいいんですよ。)

(簡単に言ってくれる。影のサポートを頼む。)

(命令なら従いましょう。)

(命令だ。)

(…了解。迷いがありませんでしたね。)

(迷えるほど余裕がないのでね。)


「よし、ではまず卵をこの入れ物に割って入れんさい。」

「はい。…どうやればいいんですか?」

卵なんて割ったことない。殻が入る自信しかないぞ。

「…おまえさん、料理初心者かい?」

「はい。」

「…ふむ、てっきり慣れてるんだと思っておったが仕方あるまい。基礎から叩き込んでやろう。」

良くない流れだな、これは。下手すると何年も修行する羽目になるんじゃないか? そんなのごめんだぞ!!

(パール!! サポート!!)

(分かってます。)

「いえ、師匠。何事も物は試しです。やらせてください。」

「…いいだろう、やってみんさい。それと儂のことはお師匠様と呼びんさい。」

「…はい。」

何のこだわりなんだよ。

俺は卵を持ち、震える手をパールが触手でコントロールし、見事に卵を割る。

「ほーう、意外と器用でねぇか。」

「まぁ、そうですね。」

(私がやる以上、失敗はあり得ません。)

(頼もしいぜ、相棒。この調子で頼む。)

(…もうちょっとプライドを持ってほしいです。)

(プライドが足を引っ張るぐらいなら俺は捨てる。それに勝てない分野で勝負する気はないんだ、時間の無駄だからな。)

人工知能と正確さを競うなんてまさに時間の無駄だ。…そもそも俺の勝てる分野って何なんだろうな?


その後も、俺は爺さんの指示を見事にこなしていった。しかし、そのたびに爺さんは機嫌が悪くなっていった。

「…うむ、悪くない。」

(悪くないっていうわりに機嫌悪くない?)

(当然でしょう。これだけの技術です、私としても人間がここまで複雑な料理を作れるのに驚愕している所です。おそらく店主がこの料理を完成させるのにかなりの時間がかかったことでしょう。それをマスターが数段飛ばしで習得するのが気に入らないのでは? もっとも実際に作っているのは私ですから、マスターの行為は単なる不正ですけどね。)

〈これでマスターが何を思うか、非常に気になります。〉

パールにそう言われて胸がちくりと痛む。何となく気づいていたことをはっきりと言われて己の醜さを自覚する。

そりゃ、自分の集大成があっさりと真似されたら嫌だよな。俺でも嫌だと思う。しかも俺が実際に作っているわけではない。そのことを知ったら…爺さんは哀しむだろうな。

(…俺のやってることは間違っていると思うか?)

(それを判断する資格があるのは店主だけでは?)

(…確かに。)

人が懸命になした功績を汚すのは本意じゃない。だが――

(…それでも今更どうしようもない。嘘を貫き通すしかない…。)

(それがマスターの決断なら私から言うことはありません。)

〈なるほど、何の非もない人を貶めるのは望むところじゃないと。人間臭くていいと思います。〉


ごめん、爺さん。俺はもうこの料理を作らないし、この秘密は墓場まで持っていくからそれで許してくれ。…ほんとどの口が言うんだろうな、罪悪感を感じるくらいなら初めからやらなかったらいいんだ。


それから数十分後、料理が完成し、試食をすることとなった。

見た目は最初に爺さんが作ったのと同じ。味はどうだろうな。

「…食ってみんさい。」

「はい。」


「パクッ」


食べた瞬間、顔をしかめそうになる。

…同じ味だ。少なくとも俺には違いは分からない。

「どうだ?」

「…美味しいです。」

「どれ、儂も一口…。」

(どうしたんです、美味しいものを食べたときの顔をしてないですよ?)

(…別に。)

爺さんは首を縦に振りながら食べている。

「…驚いたな、儂の料理を模倣するとは。…決めたぞい。お間を儂の後継者にする。」

「…え?」

また素の疑問の声が出る。爺さんはいつのまにか元の雰囲気に戻っていた。

「今まで何人も弟子を取ってきたが、その誰もが儂を満足させんかった。じゃが、メネラウス、おめぇは違う。まさに天才だ。」

…嘘なんてつくもんじゃないな。今まさに嘘の揺り返しを食らってる。

「…それは違います。」

「いんや、儂が認める、お前は天才だ。その上でお願いがある。どうか儂の料理を引き継いでほしい。まだまだ残したい料理はある。」

そう言って爺さんは頭を下げる。

(…因果応報ってやつか。)

(どうされます?)

(…愚問だな。世の中、バレたらいけない嘘があるんだ。)

「頭を上げてください、お師匠様。俺でよければ引き継ぎましょう。」

そう言って俺は自嘲する。

「そうか。これで心残りなく逝けそうじゃわい、ハッハ。」

「……。」

なんて言えばいいか、分からなかった。


「メネラウス、とりあえずこれからの食材を買い込みに行く。おめぇもついてきんさい。」

「…分かりました。」

はぁ、トンズラしにくくなったな。まぁ、毒を食らわば皿までって言うしな、ここまで来たら全部喰らってやる。


ーー??ーー

「聖女様!! ご無事で良かったです。あなたの身に何かあったらと思うと…。」

そう言って聖女を抱きしめる。

「私なら大丈夫です、アイリー。」

心配さすまいと気丈に振舞う聖女の姿を見て話題を変える。

「…それで帝国はどうでしたか?」

「…アイリー、駄目でした。」

「…そうですか、それは残念です。ですが、ご安心を。いかなる敵が来ようとも私がいます。」

「いけません。争いでは何も生まれません。」

「…仰る通りです。しかし敵が襲ってくるというのに座して待つなどできません。蹂躙されるのを了承できるほど聖人ではないのです。」

その言葉に聖女は下を向く。

「…このままでは戦が始まってしまいます。」

聖女もバカではない。フォーミリア王国が滅びれば大陸も荒れることを理解していた。

「…聖令を発しますか?」

「いいえ、それだけはできません。私には教徒を守る義務があります。」

聖令、それは大陸全土に散らばるセントクレア教徒に命令を発す物。だが、それを各国、特に帝国は認めないだろう。

「…差し出がましい事を言ってしまいました。申し訳ございません。」

「あなたが謝る必要はないのです。まだ希望を捨てるには早いのですから。」

「もちろんです。」

〈とは言ってもこの国はもう駄目でしょうね。貴族の私が言うのもなんだけど、上層部も腐りきっていて、王も弱い。この前も――〉

アイリーが護衛についていない間に聖女は襲われた。きっと裏切者が内部にいる。

だからもう彼女は聖女の傍から離れない。


ーー??ーー

「ここが大陸か。私の槍は通じるかな?」

北洋諸島からやってきた金髪碧眼の青年も己の武を試さんと燃えていた。

〈SS級冒険者、彼らとは一戦交えてみたいな。御爺様が言うには他にも強いモンスターがいるそうだし、楽しみだね。〉

槍の英雄の末裔はしっかりと槍を受け継いでいた。

どこまで昇るか――それは現時点では分からない。

















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