第172話 前日
(そろそろ夕食の時間ですね。)
(結構長かったな。)
やはりこちらの世界で時間を潰すのには限界がある。そもそも娯楽が少なすぎるんだ。
皆、魔法陣に傾倒し過ぎなんだよ。他にも頑張るところあるだろ。
(明日は何時くらいに出発しますか?)
(六時くらいには出発したいな。雨は上がってるか?)
(…大丈夫です。完全には予測できないので百パーセントそうだとは断言できませんが。)
(その答えで十分だ。)
朝のご飯も早めにしてもらえるのかな? 凄い憂鬱だ。いっそもう何も言わずに出ていこうかな。金は払ってるし問題ない。
(なら朝ご飯も早めてもらわないといけませんね。)
(そのことなんだが、朝ご飯は食べずに出発することにした。そんな朝早くから食欲は沸かないからな。)
〈…嘘ですね。心拍数、脈拍、脳波、表情、正常ではありません。となると――〉
(…人と話すのが嫌なんですね?)
…なんで分かったんだ? 恐るべし人工知能。嘘と見破ったあとの推察も素晴らしい。俺ももっと嘘を磨かないと。いずれパールでさえも分からないように欺いてやる。
(こらこら邪推は良くないな。そういうことは胸にしまっときなさい。)
(私には胸がないのでしまえません。)
こいつ!! 今のはかなりイラッときたぞ。いつか超絶めんどくさい難題を押し付けてやる。
パールに屁理屈で負けたことにショックを受けながら夕食を食べに行く。
「ガチャ」
…今日の晩飯はなんだろう? 夜だからガッツリ食いたいな。明日も早いし。できれば魚系はやめていただきたい。
そんなことを考えながら、食事を食べる場所に向かうと店員に案内される。
「お客様、もう少しで料理が運ばれてきます。どうぞ座ってお待ちください。」
「分かりました。」
「それでお尋ねしたいことがあるのですが、明日の朝食は何時にいたしましょうか?」
あっ、そっちから聞いてくれるのね。
「5時半とかでも大丈夫ですか?」
「はい、可能でございます。」
「ならそれでお願いします。」
「承知いたしました。」
聞きたいことを聞けたのか、店員はすぐに去っていった。
(マスター、朝は食欲が湧かなかったのでは?)
こいつ本当にネチネチとしつこい。アレナといい勝負じゃないか?
(向こうの申し出を断るのも悪いだろ?)
(…なるほどそういう捉え方もできますね。)
(いや、そういう捉え方しか出来ないから。もっと素直になれ。俺からの助言だ。)
(ありがたく頂戴しときますよ。)
本当にこいつは…。
(それよりも俺以外の客はいないのかな? あんまり見かけないんだが?)
(まぁ、高級宿は富裕層が常時予約してますからね。客がいなくても問題ないんでしょう。)
(常時予約ねぇ、お金持ちの考えることはよくわからん。)
(マスターもお金持ちですけどね。)
全然そんな実感が無いんだよなぁ。やっぱりお金を手元に持ってないからかな? まぁ、あんまりこっちの世界で買い物をしたことがないからな、金銭感覚が養われてないのはある。
それからパールと話していると料理が次々と運ばれてきた。
うんうん、やっぱり美味しい。たまに何の肉を食べているのか分からなくて怖くなることもあるけど、腹に入ってしまえば同じだ。それに何かあっても俺の銀の魔力なら治せるだろうし。
(マスター、まずはトランテ王国の王都に向かうということで宜しいですか?)
(ああ。その認識で間違ってないぞ。)
(そうですか。実はマスターに言われて調べていたのですが、王都へ行く途中にあるケルビンという都市で冒険者カードを闇市場で購入できますよ。)
(なるほどな。ここからどのくらいで着く?)
(観光しないのであれば三日もかからないでしょう。)
(へー、そこそこ近いな。ならまずはケルビンに向かおうか。あの地図に載ってるかな?)
(流石に載ってると思いますよ。かなり大きい都市ですから。)
(あのガバガバ図でたどり着けるか不安だが、何とかなるだろ。)
(迷うのも旅の醍醐味ですよ。)
…俺が何の力も持ってなかったら、一生生まれた都市に引きこもってるんだろうな。簡単に想像できるのが悲しい。
夕食をそこそこ早く食べ終わり、部屋に戻る。
(さーて、風呂でも入って明日の準備でもするか。)
(とうとう旅が始まりますね。)
(ああ。なんやかんや楽しみだ。ちゃんと手紙を置いとけよ?)
(分かってますよ。私に手抜かりはありません。)
それはそうだ。そのためにこいつを引き取ったんだし、そうでないと俺が困る。
…どこまでいっても俺はメリットがないと動く気にはならない。自分でも致命的な短所だと思ってるけどどうしようもない。この精神年齢で軌道修正は不可能だ。
(…旅のついでに定住する場所も探そう。成人したら家を追い出されるだろうし。)
(マスター、方針を合わせるために聞きたいのですが、本気で就職する気はないんですか?)
こいつ、真面目モードだな。ここらで意識のすり合わせをしておくか。いつかはしないといけないことだからな。
(本気でないな。俺は俺のためだけに生きる。就職だなんてもっての外だ。使い潰される未来しか見えん。この大陸情勢じゃな。)
トランテ王国も不穏だが、特にクレセリア皇国がきな臭い。行き着くとこまで行ってしまいそうだ。あとは帝位争いもだな。政争に巻き込まれたら蹴落される気しかしない、やる気がないし。左遷程度ならいいが、連座で処刑とかごめん被る。
(使い潰されるかどうかは置いといて、本気で働く気がないのは分かりました。大金持ちでもありますしね。では婚約はどうするのですか? 学園を卒業すれば一気に婚約ラッシュです。そこで婚約できなければ行き遅れになりますよ?)
あと三年で結婚するとか想像もできない。それに、万が一結婚したら子供ができるのも時間の問題だろう。しかし俺に子供を育てる覚悟はない。子供に生まれてきたくなかったとか言われたら謝罪しか出来ない。せめてその意見に反対できる持論は持っておきたいが、今のところ有効な(?)反論は動物としての種の本能だったとしか言えない。でも俺自身があまり納得出来ていない。
(…前から言っていると思うが、貴族と結婚することはない。そもそも今は結婚自体を考えられない。)
(なるほど…マスターの意見は分かりました。ですが、エルバドス家はアレナの駆け落ちを考慮しても他に例を見ないほど貴族社会において浮いています。サラが嫁に行かず騎士団に入った今、アレク達は頼りになりませんし、他家から援助を引き出すにはマスターが婿に入るしかありません。そのことについてはどのように思われますか?)
ちょっと聞き捨てならない言葉があったんだが?
(…その前に聞きたいんだが、うちは他家からの援助が必要なのか?)
(前々から気になっていたのでエルバドス家の状態について調べてみました。するとかなりの赤字が出ており、様々な商会から借金を重ねていることがわかりました。このままいけば持たないでしょうね。)
(具体的にはどのくらい?)
(7年以内といったところでしょうか。)
やっぱり我が家は貧乏だったのか。ますますマルスには同情しかない。本当に次期当主でなくて良かった。
(それは元からなのか?)
(いえ、前も良いとは決して言えませんが、赤字ではありませんでした。アレクの時代から劇的に悪化してますね。政治的センスがないんでしょう。)
この手の分野で人工知能にこき下ろされたら本当に無能なんだろうなぁ。こっちまで泣けてくる。
(…まぁ、あの有様を見てたら当然だよなとしか思えんよ。)
(で、本題に戻りますが、あのアレナの教育を受けたマルスがエルバドス家を立て直せると思いますか?)
ふん、考えるまでもない。
(無理に決まってるだろ。何回奇跡が必要なんだ。)
(ですよね。そこでマスターの出番です。マスターは口八丁ですからね、婿入りした家から様々な協力を搾り取れるでしょう。エルバドス家のことを考えれば次善手です。最善手はマスターが当主になることですが。)
(お前の俺に対する評価はよく分かったが、俺が家のために迷惑をかけることは無くとも何かをすることはない。俺が最優先するのは俺だ。)
(…マスターが当主になるという選択肢もありますよ?)
(それこそありえない。誰が貧乏くじを進んで引くんだ?)
(そう言うと思ってました。では私もその方針に沿うように行動します。)
(ああ。よろしく。)
ふぅ、パールとの意識のすり合わせは終わったが、まさか家がそんなに危機的状況とはな。縁を切ることも考えたほうがいいかもしれない。一緒に泥舟に乗って沈む気はない。
その後、適当に風呂に入って体を休めるのだった。
ーー??ーー
「なぁ、ジンがどこにいるか分かるか?」
「ア? 知らねぇよ、そんなの。」
「エッグは?」
「僕も見てないけど、特に珍しくもないよね。」
「まあ、それはそうなんだけどさ。」
「ハッ、ほっとけ。どうせすぐ戻ってくる。時間の無駄だァ。」
「…だな。バルア、リーデンツァイトの件はどうするんだ?」
「さあな。帝都がこうなった以上、どうするかはあいつに委ねられてる。俺には関係ねぇよ。」
「ふーん。」
「でもリーデンツァイトか。どんな人なんだろうね、気になるよ。」
「俺もそんなに詳しくは知らないんだよなぁ。バルアは付き合いがあったんだろ? 実際どうなんだ?」
「…あいつは本物の天才だ。それゆえにいろいろな面倒ごとに巻き込まれる。それが嫌で家を出たと本人が言ってたなァ。」
「力を持つ者にはそれ相応の責任が生じるからな。貴族ならなおさらだ。…ジンは例外だけど。」
「ハッ、だから俺はあいつを好きになれねぇ。大して努力してないのにあの強さ。なぜ天はあのやろうに才を与えたのか、理解できねぇ。」
「あいつも裏では苦悩してるのかもな。エルバドス家はお世辞にも貴族社会に馴染んでいるとは言えない。そんな家の子供が優秀だと分かれば煙たがれる。だから力を隠してるのかもな。」
「フン、俺の知ったことじゃねぇ。いずれあいつより強くなって…」
「強くなって?」
「…少しおしゃべりが過ぎたな。飯を食いに行くぞ。」
「あっ、おい待てよ。」
その様子を横目にエッグは思考する。
(それにしてもどうしてエルバドス家は貴族社会で浮いているのかな? 特に明確な理由は知らないけど、フレイ君たちは知っているのかな?)
ーー??ーー
「リー、なんか嬉しそうだね? 何かいいことでもあった?」
リーと呼ばれた女性は夜空のように漆黒な髪を揺らしながら、隠しきれない笑みを見せる。
「まあね。」
「もしよかったら聞かせてくれる?」
「もちろん。実は知り合いの貴族の男の子に手紙で聞いたんだけど、とっても優秀な子が帝立学園に居るらしいんだよね。」
「帝国だから不思議ではないけど、そんなに優秀なの?」
「ええ。知り合いの男の子も結構強いんだけど、戦ったら全く歯が立たなかったそうなの。しかもどうやらその子は周りから実力を隠しているんだって。その時点で私と違うと思わない? きっと分かってるんだよ、大きすぎる力は面倒ごとに繋がるってね。私はそんなことちっとも考えたことがなかった。」
笑顔に少し影が差す。
「へー、でも強さを隠しているのはどうしてなのかな? 貴族の子なら強さは尊ばれるはずでしょ?」
「どうしてだろうね? でももうすぐ会えるから分かるかもよ。」
「は!? あんた会いに行くつもり?」
「ええ。実はもう知り合いの子に頼んで予約を取り付けてるよ。」
「ハァ~、あんたそういうことはもう少し早く言ってほしいわね。」
「ごめんね。この機会を逃したら会えないような気がしたんだよね。」
「そう。ならまた旅の準備ね。」
「ええ。本当に楽しみ。」
(私は貴族という柵から逃げた。でもどうやらジンって子はまだ貴族の枠組みにいるみたい。…早く会っていろんなことを話したいなぁ。)
ーー??ーー
「殿下、こちらが回収した品です。」
何とか声を震えさせずに言い切る。
「ご苦労だったな。下がれ。」
「ハッ」
手足がいなくなるのを待ち、風魔法で音が漏れないようにする。
「兄さん。さっそく今日の夜から始めようか。」
「ああ。それまでにこの資料を頭に叩き込むぞ。帝国の最高機密資料だからなァ、すぐに焼却する。バレたらジ・エンドだ。」
「分かったよ。それで新規の潜入工作の方はどう?」
「クレセリア皇国の方は仕込めているが、トランテ王国とエナメル王国方面はきついな。さすがに時間がかかる。でもまぁ、これまでに仕込んでるから問題ねぇっちゃねぇけどなァ。」
「そう…。兄さん、そろそろエンベルト兄上を本気で落としに行かない? シャンデリアの方は持ちこたえたみたいだしさ。」
「焦るんじゃねぇよ、ゼル。奴らは当分動けねぇ。帝都がグチャグチャになっちまったからなァ。なら次に叩くべきはシュバルツとノルだ。」
「…ノルの方は難しいね。何も役職についてないから手を出しにくいよ。」
「ああ。ノルの方は財務大臣の椅子を争うことになるが、おそらく財務大臣の辞任は延期になるはずだ、帝都がこの有様じゃなァ。ゆえに次はシュバルツだ。」
「どうするの? エナメル王国にフォーミリア王国の首都でも奪還させる?」
「そいつはいいなァ。まァ、マーテル公国の崩壊が先だからそれまでに考えればいい。」
「分かったよ。じゃあ、とりあえずこの資料を読み込みますか。」
「ああ。」
さらなる標的を定めた双子は死ぬまで止まらない。
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