第3話

 名古屋市内では地震の被害がひどかったから、私も片付けの手伝いをいろんなところでしたもんさ。地震が起きてから3日ほど過ぎた時だった思うんだけどねその日いきなり空襲警報が昼間に鳴り響いたんだよ。もちろんそれまでに空襲の備えての訓練はしてたし、まだその頃は偵察機ばっかりだったから多少余裕をもって防空壕に入ることができたよ。

だけど降ってきたのは爆弾じゃなかったんだよ。空襲警報が解除されてね。防空壕から表に出てみると空からたくさんの赤い紙が降ってきてたんだよ。

 その赤い紙にはね。『地震の次には何をお見舞いしましょうか。」って毛筆で書かれた字が印刷されてたんだよ。私はそれを見た瞬間にもう血の気が引いて顔が真っ青になったよ。地震の時には命の危機を感じて動けたけど、人の手によるものでしかも恐怖によるもので動けなくなったのは初めてだったよ。剣道をやって手から肝っ玉にも自信があったのにね。紙を見た瞬間に恐怖で全く動けなくなっちゃったんだよ。

 そのあとね後ろから知り合いに声をかけてもらってようやく我に返ったんだよ。そしてそのすぐ後にね、軍の人が来て怒声の強い声で「直ちにこの紙を回収せよ。見たものは一切の他言を禁ずる。」って恐ろしい剣幕で言ってきたんだよ。そのあと言われたとおりに名古屋中からこの紙を回収して燃やしたよ。

 アメリカ軍は俺たちの心にまで攻撃をかけてくるのかってその日は絶望したよ。もう少しで兵隊に行かなくちゃいけないっていってもこのままで日本は勝てるのかって本気で思ってしまったね。それまでは所謂大本営発表をラジオから聞いてたから、日本は買っているとばかり思いこんでいたからね。地震と合わさって余計に絶望にたたき落とされたよ。

 昭和19年の12月13日の夜だったね。当時は空襲に備えて灯火管制っていって部屋の明かりを外に漏らさないようにカーテンで窓を覆ってたんだよ。

 やるになってそれまで訓練でしか聞いたことがなかった空襲警報が突然鳴り響いてね。私は訳も分からないままその音を聞くや否や飛び起きたんだよ。もちろん先話したように昼間なら何とか冷静に判断できるけど夜でしかも寝ているときだったからね。防空壕に行くまで少し手間取ってしったもんだよ。

 だけどそんな戸惑いも外に出て赤く燃える名古屋の街を見たときは全て吹き飛んだね。その日初めて名古屋に大規模な空襲が初めて会ったんだよ。地震の余韻が覚めやまぬ中だったよ。つい昼間までいた工場がもう赤く燃えてたんだよ。そして空を見上げると夜の漆黒の中に、何百期にも思えるくらいの飛行機がすごい音を立てて飛んでいたんだよ。

 それを見た瞬間すぐに命を守らなきゃって思ってね。防空壕に飛んで行ったよ。

 翌朝の名古屋市内は衝撃的だったよ。見渡す限りの焼け野原。地震を耐え抜いた家でさえ燃え尽きててね。あたりに焼け焦げた死体もまだ転がってたんだよ。その凄惨な光景を見てねもう日本はだめだって思ったよ。

 だけど私は軍人になるしかないと思ってたんだよ。戦争のせいで大学生以上は徴兵されてたから。名古屋帝大に行きたかったんだけど、受験機会も一回しかないしすべり止めの大学に受かったらその大学にしか行けない試験の形だったからもうあきらめかけてたんだよ。

 だけどね。おふくろに大学には入っとけと言われてね。おふくろに多少強引にだったけど岐阜の薬科大学に入れさせられたんだよ。学費の面は親父のたくわえでどうにかなったんだ。それでも普通の大学より費用がかかる上に、卒業まで6年もかかる薬科大学にはいれといったおふくろの心理が最初は理解できなかったよ。

 だけどねおふくろが祖母と夜話し合っている姿をある日の夜にみてね。和つぃは自分の無知を恥じたよ。おふくろはねうちの家は5人兄弟しかも全員男だったから全員兵隊にとられると家の跡継ぎがいなくなることを最も恐れてたんだよ。

 だから私を薬科大学に入れたんだよ。当時ね薬学部とか医学部みたいな医療関連の学生はね徴兵が遅かったんだよ。おふくろはその時間差を利用して私の徴兵と国外への出征を阻もうとしてたんだろうね。そう考えると私はお袋に2回も命をもらったことになるよ。それ以来お袋には頭が上がらなくなったね。

 私がそのあと大学に行ったからの話は・・・またの機会にしてあげよう。

 

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名古屋の追憶 飛嘉未来 @Lyuusin

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